低価格戦略
製品一単位の原価は、価格を決める前の段階で、どこで生産しどの経路で販売するかによって決まっている。装置産業では設備が大きいほど一単位あたりの固定費が下がる。したがって装置産業で原価を下げる手段は、増産のための設備建設に限られていた。戦後の鉄鋼・化学が大型の一貫設備を次々に建設したのはこのためであり、川崎製鉄は水島製鉄所を建設して千葉と並ぶ2拠点の生産体制へ移行した。
高度成長が終わると、原価の削減余地は工場の外へ移った。製造原価が下がりきった商品でも、問屋を経て店頭に並ぶまでの流通経費と、店舗用地の地代は残っていた。ダイエーは安売りと多店舗チェーン化で三越を抜き、イトーヨーカ堂は坪20〜30万円の土地にしか出店しない基準を設けて地代を原価から外した。同じ年、カシオ計算機は12,800円という価格を先に決めてから電卓を設計し、事務機だった電卓を個人向けの商品に変えた。売価を先に決め、そこから逆算して部品と工程を決める順序は、原価を積み上げて売価を決める従来の値決めとは逆である。
値下げを迫る主体は、この三十年で三度変わった。最初は1980年代末の円高であり、内外価格差を突きつけたのは企業の判断ではなく為替だった。次に企業が自ら原価構造を再構築し始めると、主体は企業へ移った。その再構築は、従来の工程や取引先を温存したままでは到達できない水準まで原価を引き下げる作業である。そして1998年以降のデフレ下では、値下げの是非を市場が決めるようになった。
円高が続くあいだ、生産は国外へ移った。ニトリはインドネシアでの自社生産を始めて、製造から物流・小売までを自社で手がける業態へ転換した。デフレ下ではしまむらが電算と物流を内製してローコスト経営を確立し、ファーストリテイリングは主力より安いGUを別ブランドとして立ち上げた。主力ブランドの価格を下げれば既存顧客の客単価が低下する。しかし別ブランドで売場を分ければ、低価格帯の需要だけを獲得できる。
値下げそのものは、どの会社にもできる。それを継続できるかどうかは、工場・倉庫・店舗の立地と、流通の途中に挟む事業者の数で決まる。安さは販促の手段ではなく、事業の設計の結果である。
財務諸表のどこを見るか
損益計算書の売上原価率を数期並べる。低価格を掲げた企業は売上高総利益率が同業より低く、その差を販売費及び一般管理費率の低さで埋められているかが営業利益率に表れる。次に製造原価明細書の材料費・労務費・経費の構成比と、設備投資額・減価償却費の推移を突き合わせ、原価低減が調達によるのか設備によるのかを分ける。生産拠点の移管はセグメント情報の地域別資産と、有形固定資産の所在地別内訳に現れる。小売業なら1店舗あたり売上高、賃借料、棚卸資産回転期間を見る。