上場企業の経営論点>競争戦略・投資
低価格戦略
日本企業の低価格は、値札を下げる決断ではなく、原価の生じる場所を移す決断として実行されてきた。重化学工業では設備規模が単位原価を決め、川崎製鉄は水島製鉄所を建設して千葉と並ぶ二極生産へ移った。高度成長が終わると、原価は工場から流通と立地へ動く。ダイエーは安売りと多店舗チェーン化で三越を抜き、イトーヨーカ堂は坪20〜30万円の土地にしか出店しない基準で地代を原価から外した。カシオ計算機は12,800円という価格を先に置いて電卓を設計し、事務機を個人の買い物に変えた。円高が進むと製造原価を国外へ送り出し、ニトリはインドネシアでの自社生産で製造物流小売へ転じる。デフレ下ではしまむらが電算と物流を内製してローコスト経営を確立し、ファーストリテイリングは主力より安いGUを別ブランドとして立てた。安さは販促ではなく、工場と倉庫と地価をどこに置くかで決まっている。
財務諸表のどこを見るか
損益計算書の売上原価率を数期並べる。低価格を掲げた企業は売上高総利益率が同業より低く、その差を販売費及び一般管理費率の低さで埋められているかが営業利益率に表れる。次に製造原価明細書の材料費・労務費・経費の構成比と、設備投資額・減価償却費の推移を突き合わせ、原価低減が調達によるのか設備によるのかを分ける。生産拠点の移管はセグメント情報の地域別資産と、有形固定資産の所在地別内訳に現れる。小売業なら1店舗あたり売上高、賃借料、棚卸資産回転期間を見る。
2020年代
2010年代
東燃ゼネラルと統合 統合会社JXTGホールディングスの発足による国内元売りの再編 マザーズへ株式上場 創業家が過半を持ち続けたままの株式公開と、支配権を手放さない資金調達 ファーストウッドを子会社化 一社の取り込みを起点とした、建材・木材の垂直統合への踏み出し 佐世保重工業を完全子会社化 株式交換を通じた傘下入りと、伊万里・函館を加えた3拠点体制の構築 アダストリアへの持株会社移行 複数ブランドを一つの傘に集めるマルチブランドSPAへの再編 飯田グループホールディングス設立 パワービルダー6社が共同株式移転で1つの傘の下に入る統合 未完成のまま先行公開 課金機能を欠いた会計ソフトの投入と、その空白を「無料期間」と呼ぶ選択 「一日信用取引」導入 デイトレード限定の商品投入による、委託手数料に依存しない収益構造への移行 SUSHIRO KOREA設立 韓国子会社の設立とソウル1号店の開業による海外展開の第一歩 石狩データセンター建設 都市型の立地を捨てて郊外型の大規模拠点へ切り替える選択 エアアジア・ジャパン設立 格安航空(LCC)への参入と二ブランド体制の構築
2000年代
「はなまるハウス」投入 世帯収入300万〜500万円台の一次取得層に向けた規格型注文住宅への品揃え拡張 ウエボス・ターメルトフーズ取得 経営不振の食品メーカーを買い続けた国内自社工場網の構築 出口治明の付加保険料開示 付加保険料率の全面開示と、商品ごとの運営経費の公表 カーマなど3社が経営統合 共同株式移転によるDCM Japanホールディングスの設立 イー・トレードの集約 傘下のネット証券と対面証券を一社に統合し、上場子会社を解消する 低価格GUの設立 主力ブランドより安い価格帯を担う新ブランドの立ち上げ 中国に津上精密机床設立 浙江省を拠点にした量産移管と、国内一本の生産体制からの脱却 中国・上海への進出 低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転 五泉バイオセンター新設 競合主力のぶなしめじ・エリンギへの参入と生産拠点の増設 雪国まいたけへ対抗参入 まいたけ市場への参入と、赤字を織り込んだ値下げの継続 製販一体モデルの確立 食のSPAと呼ぶ、作って売るまでを自社で握る業態の確立 米エマーソン社ブランド取得 破綻した米社のブランド使用権を得て築くウォルマート専用の供給体制 三社合併でクラヤ三星堂発足 医薬品卸3社の対等合併と、これに伴う本店の東京移転
1990年代
藤原秀次郎の自前主義路線 自前主義のローコスト経営——電算と物流を内製して築いた「しまむらモデル」 「ボックスレート」導入 定額制手数料への転換と、当初案7割引から9割引への引き下げ タマホーム創業 創業——筑後興産ローコスト住宅部門の分離独立 中国広東省で海外生産 香港に置いた拠点を軸とした、国内生産から海外への生産移管 桐生市で中古住宅再生に参入 改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ 興銀出身者が仮想商店街創業 銀行を辞した31歳が月5万円で始めたインターネット上の商店街 奥田務の利益第一主義改革 売上至上主義から海外百貨店からの撤退・売場業務の再設計 ルートKDDの国内延伸 企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設 高司店で1皿100円均一開始 兵庫県宝塚市の1店舗から始めた均一価格業態への全面移行 ハイフォンに量産拠点設立 開発と量産を国境で分ける国際分業体制の構築 外交営業の否定 広告・電話営業への転換、株式保護預り手数料の無料化 アーバイン工場で現地化 米国第3工場を軸とした北米即席麺市場の現地化と、本国が知らぬ米国首位 インドネシアで自社生産開始 製造物流小売(SPA)への転換と海外自社生産 ローコスト高収益モデルの確立 20期連続の増収増益につながった低費用・高収益体質への作り替え PHS事業への参入 地域別9社によるポケット電話会社の設立 小商圏メガドラッグ創造 大商圏に頼らない大型店という、新しい業態の打ち出し 「ガスト」へ全店転換 客単価760円の新業態への全店転換と、原点ブランド「すかいらーく」の廃止 東洋カーボンと合併 同年創業の同業との合流による、炭素製品国内首位の総合メーカーへの再編 韓国生産委託でSPA化 ライセンス取得を足がかりにしたカジュアルシューズの企画から販売までの一貫化 金川千尋氏が社長就任 「フル生産、全量販売」を旗印に据えた全社運営の切り替え
1980年代
1970年代
ムーブメントの外販開始 腕時計の心臓部を他社へも売り、量産で世界一を取る戦略への転換 全品半額でイタリア料理転換 思い切った値下げを起点にした低価格チェーンへの業態転換 郊外ロードサイド店への転換 都心100店のうち60店の閉鎖と、駐車場付き 黒田暲之助の受注残240億円撤回 受注残240億円の全件白紙撤回と紙製品の3割減産、三事業部制への移行 カーマがホームセンターへ転換 176店舗のドラッグストアチェーン構想の撤回と、業態の切り替え ニクソンショック後の生産移転 変動相場制移行を機とした海外工場建設と生産の国外移転 電卓「カシオミニ」発売 12,800円という個人が買える価格の設定と、電卓の大衆化 三越を抜く価格破壊 安売りと多店舗チェーン化による小売業日本一の座の獲得 坪20〜30万円で出店 商圏規模に比例させた店舗規模と、坪二十万〜三十万円の立地への出店 似鳥家具卸センター設立 アメリカ流チェーンストア構想と「ロマン」の設定 喜入に原油中継基地建設 37万重量トン「日石丸」の就航に合わせた大型タンカー時代への備え