ローツェベトナム・ハイフォンへの量産拠点設立と、開発・量産を分ける国際分業体制の構築

中国ではなくベトナムに量産を置き、福山の工場には何を残そうとしたか

時期 1996年10月
意思決定者(推定) 崎谷文雄 社長
論点 量産拠点の海外移転と国内工場の役割
概要
1996年10月、ローツェがベトナムのハイフォン市に子会社RORZE ROBOTECH INC.(現RORZE ROBOTECH CO.,LTD.)を設立し、標準型搬送ロボットの量産を移した経営判断。崎谷文雄社長は中国とベトナムを比べたうえでハイフォンを選び、設計と特注品の仕上げを日本に残す国際分業を組んだ。
背景
顧客である日本のIC製造メーカーが国内では採算に合わないとして生産を海外へ移し、装置メーカーもローツェのロボットを組み込んだ設備をそのまま現地へ持ち出していた。進出先で求められる保守だけでは事業にならず、量産をどこへ置くかが課題になっていた。
内容
野村証券グループがハイフォン市に造成した野村ハイフォン工業団地に1万平方メートルの用地を取得し、床面積7,000平方メートルの工場を建てて標準型搬送ロボットの量産拠点とした。投資額は1996年からの3年で20億円を見込んだ。ベトナムで加工したロボットに各地のFAセンターがフレーム・カバー・ソフトを付けて納める分業とした。
含意
ハイフォンは半導体関連装置の主力工場となり、2025年2月期の連結従業員4,402人のうち3,063人を占める。2024年10月には生産能力を従来の2倍にする総額約3億3,000万米ドルの投資計画を公表した一方、同年の台風被害では量産を一国へ集めたことの負荷も表れた。
筆者の見解

量産を渡し、仕上げを残す

この進出を、人件費の安い国へ工場を移した事例として読むと、崎谷文雄社長が組んだ設計を取り逃がす。ベトナムへ渡したのは標準品の量産であって、顧客に接する工程ではなかった。装置が入っている国でフレームやカバーやソフトを付け、数の出ない特注品は日本で仕上げる。付加価値のつくところは日本に置くという崎谷社長の整理に、この判断の芯があったとみることができる。海外に出るのは保守のためではないと見切ったところから、工程の切り分けが始まっていた。

もっとも、切り分けの均衡は時間とともに変わった。2025年2月期の連結従業員4,402人のうち3,063人がハイフォンに集まり、福山の本体は244人にとどまる。設計と量産を分けたというより、量産を担う国が人員の大半を抱える構成になった。2024年の台風で生産に影響が出たのは、その裏返しでもあったとみられる。量産を一国へ託す設計は、費用を下げると同時に、その国の事情を自社の事情として引き受けることでもあったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

急成長のなかで国内に偏った生産

ローツェは1985年に広島県神辺町で設立され、半導体ウエハを塵を出さずに運ぶクリーンロボットで国内の主力メーカーに育った。2月末決算の売上高は1993年2月期の12.1億円から1995年2月期に24.7億円まで伸び、1996年2月期は50億円を超えて経常利益も10億円程度に達した。従業員は1995年2月期末の114人が1996年2月には175人へ増え、本社周辺に田んぼが広がる立地のまま急拡大していた[1]

伸びていたのは受注であって、生産を置く場所は日本に偏っていた。輸出は他社の装置に組み込まれて出ていく分を含めて売上の約5割を占め、うち米国が4分の1に達していた。顧客である日本のIC製造メーカーは、国内では採算が取れないとして生産を海外へ移し始めており、装置メーカーもローツェのロボットを組み込んだ設備をそのまま現地へ運んでいた。搬送ロボットの需要そのものが、日本の外へ移りつつあった[2][3]

販売と開発の拠点が先に出そろう

1995年から1996年にかけて、ローツェは拠点を立て続けに設けた。1995年10月に神辺町道上へ液晶ガラス基板搬送ロボットの製造用工場を新設し、1996年2月にシンガポール、3月に台湾の新竹科学工業園区へ関連会社RORZE TECHNOLOGY,INC.を設立している。4月には熊本県大津町、7月には神奈川県海老名市にFAセンターを開き、9月には本社そのものを道上へ移した[4]

新竹への進出は、半導体関連では信越半導体・三菱電機・アドバンテストに次ぐ4社目で、ベンチャー企業としては初であった。1996年2月には崎谷文雄社長と社員110人が台湾を旅行し、日程に新竹の視察を加えている。人と設備を海外へ置くことへの抵抗は、この時点で薄れていたとみられる。ただし台湾もシンガポールも販売と開発が中心で、標準品の量産をどこへ置くかは決まっていなかった[5]

決断

中国ではなくベトナム

量産の置き場所として、崎谷文雄社長は中国も繰り返し見て回っていた。社名のローツェに漢字を当てるほど中国に親しみを持ちながら、1995年2月にベトナムへ渡って国家協力投資委員会(SCCI)の説明を聞き、調べたうえでベトナムに決めている。崎谷社長は理由について、中国ではどこへ行っても何をしているのか分からない人がいるのに対し、ベトナムには一人もいないと述べた[6]

賃金の安さだけを見た選定ではなかった。崎谷社長は、上位の成績者の学費を政府が負担する教育制度に触れ、手先が器用で納期どおりに製品ができるのは日本人とベトナム人だけだと評している。進出先には野村証券グループがハイフォン市に造成した野村ハイフォン工業団地を選び、1万平方メートルの用地を取得して床面積7,000平方メートルの工場を建てる計画を立てた。投資額は1996年からの3年で20億円を見込んだ[7][8]

量産をベトナムへ、仕上げを市場の側へ

1996年10月、ローツェはハイフォン市に子会社RORZE ROBOTECH INC.(現RORZE ROBOTECH CO.,LTD.)を設立した。同じ年の11月には米国カリフォルニア州ミルピタス市へ、翌1997年11月には韓国の京畿道へも子会社を設けている。崎谷社長が描いたのは、ベトナムで世界一安いアルミを加工してロボットを作り、そこから米国・日本・台湾・韓国へ売る流れであった。同じ年の誌面でも、この進出は海外生産拠点の整備として紹介されている[9][10][11]

要になったのは、ベトナムから運んだロボットに何を足すかであった。装置が入っている国へロボットを持ち込み、フレーム・カバー・ソフトを現地で付けて、塵の出ない自動化まで引き受ける。各地のFAセンターは電気・機械・ソフトの設計をおよそ10人の体制でそろえ、その受け皿となった。数の出ないロボットや特注品は日本で仕上げ、付加価値のつくところは日本に置く。崎谷社長は、この分担であれば国内の生産も存続すると説明していた[12][13]

結果

主力工場となったハイフォン

設立から30年近くを経て、ハイフォンは半導体関連装置の主力工場となった。2025年2月期のローツェの連結従業員数4,402人のうち、RORZE ROBOTECH CO.,LTD.が3,063人を占め、提出会社であるローツェ本体は244人にとどまる。前期からの405人の増加も、受注増を受けたハイフォンの生産量拡大によるものであった。同社の設備の帳簿価額は99億59百万円、借地権を設定した土地は46,715平方メートルに及ぶ[14][15]

量産を低費用の国へ寄せた構造は、業績にも表れた。2025年2月期の連結売上高は1,244億円、営業利益320億円で、営業利益率は25%を上回る。ローツェは経営上の課題としても、半導体関連装置の主力工場であるベトナム子会社とFPD関連装置を手がける韓国子会社を中心に、自動化によるリードタイムの短縮とコスト競争力の強化を進めると述べている。1996年に描いた分業が、そのまま生産体制の柱として説明されている[16][17]

増産投資と、一国へ寄せることの負荷

ベトナムの比重はその後さらに高まった。2017年11月にはバクニン省へ第二の生産拠点となる子会社を設け、2024年10月11日には、ハイフォンのRORZE ROBOTECH CO.,LTD.で生産能力を従来の2倍へ広げる設備投資計画を公表した。2025年半ばから2032年までに総額約3億3,000万米ドルを投じ、第1期の新工場は2026年に建設を始めて2027年の完成を目指す[18][19]

一方で、量産を一つの国に集めた構造は別の負荷も抱えた。2024年、ベトナム子会社は台風の被害を受けて生産体制に影響が出ており、ローツェはこれを教訓として事業継続マネジメントの強化を挙げている。あわせて、米国の半導体輸出管理規制や欧州の環境規制によって国際取引の環境が複雑になったとして、調達管理の徹底を課題に掲げた。低い費用と引き換えに、一国の事情が生産計画に直結する構造になっていた[20]

出典・参考
  • 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
  • 季報ほくとう 41号(北海道東北開発公庫調査情報部、1996年10月)
  • 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
  • ローツェ 有価証券報告書(2025年2月期)【沿革】【従業員の状況】【設備の状況】【設備の新設、除却等の計画】
  • ローツェ 有価証券報告書(2025年2月期・連結)

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