ピジョン中国への進出と国家衛生部と共同の母乳育児相談室の開設、海外売上高比率5割への移行

乳幼児の口に触れる商品を、価格と広告で売るか、病産院での指導で売るか

時期 2002年4月
意思決定者(推定) 大越昭夫・山下茂 ピジョン 社長
論点 海外展開とブランドの作り方
概要
出生数が減る国内で次の柱が定まらないなか、ピジョンが2002年4月に上海へ進出し、2009年に中国国家衛生部と共同で全土の主要病院に母乳育児相談室を開設して、価格でも広告でもない経路で中国にブランドを作った経営判断。海外売上高比率は2015年1月期に53%へ達した。
背景
乳幼児の口に触れる哺乳器は母親の安心感が購買を決める商品であり、中国には正しい母乳育児の習慣が根付いていなかった。進出から8年後の2010年12月にも、会社四季報は現地代理店の整備が追いつかず中国事業が不調だと報じている。販売網を敷くだけでは売上が積み上がらなかった。
内容
2009年、現地社員が病院に入って母乳育児を指導する相談室を国家衛生部と共同で開設した。ブランドの全面的な宣伝は中国政府から認められておらず、2014年度末で参加病産院1,854、相談室45か所、専門コーナー2,972店舗まで広げた。2011年9月のポリカーボネート製哺乳瓶の販売禁止も働いた。
含意
2018年1月期の中国事業は売上高341億円・営業利益115億円で、連結営業利益194億円の6割近くを占めた。一方、日本ブランドを安心の代名詞とした売り方は2023年10月のALPS処理水の海洋放出で反転し、第4四半期の中国本土売上高は前期比43%減となった。
筆者の見解

宣伝を禁じられた場所で作ったもの

母乳育児相談室は広告ではなかった。中国政府はこの活動の中でピジョンブランドを全面的に宣伝することを認めておらず、社員にできたのは病院で母乳の出し方と保存方法を教えることだけであった。宣伝を禁じられた場所に信頼だけが残る形が、中国での売り方になった。2015年1月期に中国事業が売上高の3割で営業利益の6割を稼いだのは、価格競争にも広告合戦にも乗らない経路から市場へ入ったからだとみられる。

ただし、この作り方は日本ブランドが安心の代名詞であるという前提の上に立っていた。2023年10月のALPS処理水の放出で、同じ評価軸がそのまま逆に働く。中国本土の売上高が43%落ちた四半期に、日本製のイメージが強いスキンケアは20%減り、機能で選ばれていた哺乳器と乳首は11%伸びた。ローカルブランドの低価格に海外ブランドの多くが淘汰されるなかでもピジョンは哺乳器の首位を保ったが、2026年に会社が次の投資先として選んだのは中国ではなく米州・欧州であった。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

国内で柱が定まらないまま置いた資本

出生数が減り続ける国内で、ピジョンは次の柱を探していた。2004年7月の時点で育児用品の販売縮小を見越して注力していたのは、保育園の運営受託からベビーシッターまでを含む子育て支援サービスであり、松村誠一社長は同事業の売上高を5年後に現在の倍以上の80億円まで伸ばすと述べていた。同じ時期、会社は国外にも資本を置いていた。2002年4月に上海へ販売の現地法人を設立し、2006年4月には同じ上海に製造会社を設けている[1][2]

中国を選んだ理由は母数にあった。山下茂社長は2013年、中国で生まれる赤ちゃんは年間で約1,600万人であり、主要ターゲットの富裕層を上位20%と仮定しても320万人で、これでも日本の3倍以上だと説明した。ただし参入そのものは特別ではない。本格参入は2002年で他社より早かったわけではないと、山下茂社長は同じ場で認めている。母数の大きい市場に遅れて入った1社という位置から、中国事業は始まった[3]

販売網を敷いても伸びなかった8年

乳幼児の口に触れる哺乳器は、価格や広告では選ばれにくい。母親たちに安心感を与えるブランド力が購買の鍵になる商品であった。しかも中国には、母乳の出し方や保存方法といった正しい母乳育児の習慣が根付いておらず、病院の看護師も母親も教育を必要としていた。ピジョンの中国での売れ筋はグループ売上高の約3割を占める哺乳瓶と乳首型の吸い口で、商品を棚に並べる前に埋めるべき空白がそこにあった[4][5]

立ち上がりは遅かった。2010年12月、会社四季報の最新情報はピジョンの業績予想を減額した。主力の育児用品では牽引役だった中国事業が不調で、現地代理店の整備が追いつかず問題の解消に遅れが出ていた。国内でも新ブランドが伸び悩み、販促費が先行して営業利益は一歩後退するとされた。進出から8年を経てもなお、販売網を敷くだけでは中国の売上は積み上がらなかった[6]

決断

店頭ではなく病産院から入る

ピジョンが選んだのは、病産院から入る方法であった。2009年、中国国家衛生部と共同で中国全土の主要病院に母乳育児相談室を開設した。現地社員が病院に入り込み、母乳育児に関する正確な指導を行った。相談室を通じて育児を支援することで知名度とブランド力を高める狙いであった。同じ2009年8月には江蘇省常州市に PIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU)CO.,LTD. を設立し、2006年に設けた上海の製造会社と合わせて生産の拠点も重ねた[7][8][9]

この活動には制約がついていた。経営企画室チーフマネージャーの山口善三氏によれば、活動の中でピジョンブランドを全面的に宣伝することは中国政府から認められておらず、それでも結果として中国の消費者からピジョン商品への信頼感を獲得することに成功した。具体的な中身は病産院セミナーと相談室の設置で、2014年度末にはセミナーに参加する病産院が1,854、母乳育児相談室が45か所まで増えた[10]

売り場と規制

売り場の側も同時に押さえた。山下茂社長は2013年、拡大できたのは効果的にブランド構築ができたからだとしたうえで、マス広告に加えて産科の医師と衛生部に密に情報交換し、製品の評価と推奨を得てきたと説明した。店頭では哺乳瓶やスキンケアをカテゴリー横断で集めて陳列し、ブランドが際立つよう工夫した。2014年度末には中国全土のベビー用品専門店の2割にあたる2,972店舗がピジョン専門コーナーを置き、毎年100〜200店のペースで増えた[11][12]

規制も働いた。2011年9月、中国当局が環境ホルモンの影響を懸念してポリカーボネート製のプラスチック哺乳瓶の販売を禁止し、ピジョンが得意とするガラス製哺乳瓶の需要が急騰した。ガラス製は日本でしか製造できないため、中国へ輸出する形をとった。2012年9月の反日デモでもベビー用品は無風の業界とされ、あらゆる日本製品をボイコットするが粉ミルクだけは例外だとするスローガンまで見られた。安心・安全が最優先される分野では、日本製であることがそのまま強みになった[13][14]

結果

売上の3割で営業利益の6割

数字は2010年代半ばに現れた。2015年1月期の連結売上高は前期比8%増の841億円、営業利益は同23%増の127億円で、いずれも過去最高を更新した。海外売上高比率は53%に達し、香港を含む中国事業だけで売上高の3割、営業利益では6割を稼いだ。多くの日本企業が中国に進出しているが、これほどの成功を収めている例は少ないと、同時代の誌面は評している[15]

伸びはさらに続いた。海外売上高は5年前の269億円から2018年1月期には528億円へ倍増し、その約6割を中国が占めた。同期の中国事業はセグメント売上高341億円・営業利益115億円で、連結営業利益194億円の6割近くにあたる。伸びを支えたのはネット通販で、中国でのEC販売比率は44%に達し、京東商城の哺乳瓶分野では売上の半分をピジョン製品が占めた。出荷先は中国全土で約1万1,000店舗に及んだ[16][17]

同じ評価軸が反転する

前提は2020年代に変わった。2022年2月、ピジョンは中国市場について、出生数の減少とローカルブランドの存在感の高まりで競争環境が以前よりいっそう厳しくなったと説明した。ローカルブランドは利益を度外視した極端な低価格販売を打ち、この数年でほとんどの海外ブランドが淘汰されたという。翌2023年2月の第8次中期経営計画の説明でも、日本と中国本土での成長鈍化、新興・地場ブランドの台頭による競争激化が、経営環境の変化として挙げられた[18][19]

評価の軸そのものも揺れた。2023年10月のALPS処理水の海洋放出を受け、第4四半期単独の中国本土売上高は前期比43%減となった。日本製のイメージが強いベビースキンケアが20%減となる一方、哺乳器と乳首は同じ期に11%増と伸びた。有力なKOLが日本ブランドとの協働を避けて販促活動が止まり、哺乳器の市場シェアは一時的に40%を下回った。翌2024年第1四半期には前年比約1.5倍の販促費を投じ、シェアを40%超の水準へ戻している[20][21]

会社は中国の次を用意した。2026年2月の第9次中期経営計画の説明では、中国の出生数が2025年も前年比17%減となった一方、新規参入者の高単価商品もあって哺乳器市場全体は微増だったと報告された。中国事業では約40〜45%で推移する哺乳器のシェアを50%へ引き上げる目標を置く。同時に、ランシノ事業を米州・欧州事業へ改称してネクスト・チャイナと位置づけ、哺乳器と乳首への投資を集中させる方針を示した。日本と中国は、少子化のもとでも売上を伸ばせている地域として効率性を引き上げる位置に置き直された[22][23]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2004年7月17日号「[特集]人口減少経済の衝撃 企業・産業にも影響甚大 少子化で岐路に立つ日本企業の「必死」」
  • 週刊東洋経済 2010年12月21日号「会社四季報【最新情報】」
  • 週刊東洋経済 2012年11月2日号「【特集 徹底検証「中国リスク」】事業リスク 反日リスクのリアルな実態」
  • 週刊東洋経済 2013年5月10日号「新社長 INTERVIEW ピジョン 山下茂 成功の蓄積生かし、海外展開を加速」
  • 週刊東洋経済 2015年3月20日号「【特集 絶好調企業の秘密】海外で稼げる力 ピジョン 海外売上高比率53% 中国ママさんから絶大な信頼を獲得」
  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「【第1特集 絶好調企業の秘密】1.稼ぐ力をつけた日本企業 伸びる企業2 海外が好調な企業」
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
  • ピジョン 有価証券報告書(2018年1月期・連結/セグメント情報)
  • ピジョン 2021年12月期 決算説明会 質疑応答
  • ピジョン 2022年12月期決算・第8次中期経営計画説明会 要旨
  • ピジョン 2023年12月期 決算説明会 質疑応答
  • ピジョン 2024年12月期 第1四半期 決算説明会 質疑応答
  • ピジョン 2025年12月期決算・第9次中期経営計画説明会 要旨
  • ピジョン 2025年12月期決算・第9次中期経営計画説明会 質疑応答

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