ピジョン の歴史

創業

1957年

創業者

仲田祐一

創業地

神奈川県茅ヶ崎市

直近売上高(2025/12)

1,092億円

長期業績と転換点(1996/1〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1957年に、仲田祐一氏は破綻状態の哺乳器メーカーを引き受けたのか
A 1951年に経営参加を持ちかけられた時点では実情を知らず、気づいたときには引き返せないところまで足を踏み入れていたためである。当時のピジョンは1か月の売上高が23万円しかないのに月給の支払いが20万円から25万円にのぼる状態だった。仲田祐一氏はシベリア抑留を経て1947年7月に帰国し、大連に築いた資産を失って無一物から再起する途中にあった。前任者との訴訟は20数種類にのぼり、職務遂行停止命令を2回受けながら1955年前後に支配権を握り、1957年8月15日に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立した
Q なぜ1988年に、哺乳器で9割のシェアを持ちながら品目を広げたのか
A 出生数が第二次ベビーブーム期の209万人を頂点に減り続け、哺乳器と乳首だけでは市場の縮小をそのまま受けるためである。1971年に45%のシェアを持っていた紙おむつは、1978年のプロクター・アンド・ギャンブル参入でほとんど失われ、1989年時点の哺乳器のシェアも71.8%まで下がっていた。ピジョンは1986年8月に母親約200人のモニター集団を組織し、1988年9月の中長期商品戦略でベビーフードを新規攻略分野に定めて株式を店頭公開した。1995年1月期にはスキンケア用品が授乳関連用品を売上高で上回った。
Q なぜ2004年に保育事業へ本格参入し、2018年に受託を終えたのか
A 少子化で育児用品市場の縮小に見舞われるなか、民間企業への開放が進む保育分野を第二の柱にできると見たためである。1993年に常総研究所内へ開いたピジョンランドから10年をかけて保育施設を広げ、2004年4月に国立病院機構の院内保育園113か所の運営を一括受託して業界トップに立った。ところが2005年12月に受託した練馬区立光が丘第八保育園では保育士26人のうち8人が3か月で辞め、2006年3月に改善勧告を受けた。国立病院機構の一括受託は2018年3月末で契約が満了し、子育て支援事業の売上は6億7,000万円減った

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1957年〜 引揚げ者が引き受けた哺乳器メーカーと国内シェア9割の独占(1957〜1973)

  1. 1957年 破綻状態の哺乳器メーカーへの経営参加と支配権の掌握、株式会社ピジョン哺乳器本舗の設立 損を切って降りるか、訴訟を戦って会社を取るか——月商23万円の会社をめぐる4年
  2. 1958年 本社を東京都千代田区へ移転
  3. 1958年 東京出張所(現・東日本支店)を開設
  4. 1963年 大阪出張所(現・西日本支店)を開設
  5. 1964年 福岡出張所(現・福岡支店)を開設
  6. 1965年 名古屋出張所(現・中部支店)を開設
  7. 1966年 商号をピジョンへ変更

シベリア抑留から帰った男が引き受けた月商23万円の会社

ピジョンの前身は1948年に創業した哺乳器メーカー[1]であり、当時としては目新しいアメリカ式の哺乳ビンを作っていた。ただし経営は成り立っておらず、1か月の売上高が23万円しかないのに月給の支払いが20万円から25万円にのぼる[2]状態だった。仲田祐一氏がこの会社への経営参加を持ちかけられたのは1951年[3]で、内情を知ったときにはすでに引き返せないところまで足を踏み入れていた。前任者との争いは訴訟が20数種類にのぼり、仲田祐一氏自身も裁判所から職務遂行停止命令を2回受けた[4]。支配権を握ったのは1955年前後[5]で、そのうえで1957年8月15日、神奈川県茅ヶ崎市に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立[6]した。

    • [1]ピジョンは1948年(昭和23年)の創業。アメリカ式の哺乳ビンを製造していた
    • [2]経営参加当時、月商23万円に対し月給の支払いが20〜25万円だった
    • [3]仲田祐一氏がピジョンへ経営参加したのは1951年(昭和26年)
    • [4]前任者との訴訟は20数種類、職務遂行停止命令を2回受けた
    • [5]支配権の掌握は1955年(昭和30年)前後
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1957年8月15日 神奈川県茅ヶ崎市に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立

仲田祐一氏は1910年6月23日に新潟県直江津市で生まれ[7]、1926年に県立直江津農商学校を出て神戸の近藤忠商店に入った[8]。室内装飾品の製造販売を扱う店で、1935年まで勤めて室内装飾と家具の知識を身につけた[9]。その後は大連の幾久屋百貨店で家具・内装飾部の主任[10]を務め、大陸で土地を売買して1945年ごろには10万坪を超える農園の所有者[11]になっていた。ところが戦局の悪化に伴って新潟の資産まで整理して大連へ移したため、敗戦とともに無一物となる[12]。1945年5月に現地召集を受け、ソ満国境ムーリンの部隊に配属された同期の召集兵13名のうち、生き残ったのは2名[13]だった。ソ連軍に捕らえられシベリアへ送られ、日本へ帰ったのは1947年7月[14]である。

    • [7]仲田祐一氏は1910年(明治43年)6月23日に新潟県直江津市で生まれた
    • [8]1926年(大正15年)直江津農商学校を卒業し神戸の近藤忠商店へ入店、1935年まで勤務
    • [9]神戸の近藤忠商店はテーブル掛け・カーテンなどの室内装飾品の製造販売を行う店で、仲田祐一氏は昭和10年(1935年)まで勤め、室内装飾と家具についての専門的な知識を身につけた
    • [10]大連の幾久屋百貨店で家具・内装飾部の主任を務めた
    • [11]大連での土地取引により1945年ごろには10万坪を超える農園を所有していた
    • [12]戦局が熾烈になると新潟にもっていた資産を整理して大連へ移しており、これは結果として大失敗で、終戦で内地に帰ったときはまったくの無一物になった
    • [13]1945年5月に現地召集。同期の召集兵13名のうち生還は2名
    • [14]シベリア抑留を経て1947年(昭和22年)7月に帰国

仲田祐一氏が引き受けた市場は、小さな作り手が多数ひしめく状態にあった。哺乳器と乳首を作って売っていたメーカーは30社ほど[15]あったが、全国ブランドとして売っていたのはピジョンを含む数社にすぎず、大半は地域のガラス製造業者やゴム製造業者が地元の卸店の名前で売る商品[17]だった。仲田祐一氏はこの構造のなかで、単品の作り分けではなく品ぞろえで違いを出す方を選んだ[18]。哺乳器を軸に、調乳・洗浄・消毒までの用品をひととおり扱い、授乳に関わる道具をまとめて供給する形[19]をとった。乳幼児の発達段階に合わせ、ミルクの容量別・流量別に使い分けられる商品を並べた[20]のもこの時期である。 [16]

    • [15]当時、哺乳器・乳首の製造販売を行っていたメーカーは30社程度
    • [16]設立当時、哺乳器・乳首の製造販売を行っていたメーカーは30社程度で、そのうちナショナルブランドとして販売していたのは同社を含む数社のみだった
    • [17]ナショナルブランドとして販売していたのはピジョンを含む数社のみ、大半は地域のガラス・ゴム製造メーカーによる地域卸店ブランドだった
    • [18]授乳関連用品をトータルに取り扱うことにより、同業他社との商品性による差別化を図った
    • [19]哺乳器に関連する調乳・洗浄・消毒用品まで商品展開し、授乳関連用品をトータルに扱うことで同業他社と差別化した
    • [20]乳幼児の発達段階に合わせてミルクの容量別・流量別に使い分けられる商品をラインナップした
    • [1]ピジョンは1948年(昭和23年)の創業。アメリカ式の哺乳ビンを製造していた
    • [2]経営参加当時、月商23万円に対し月給の支払いが20〜25万円だった
    • [3]仲田祐一氏がピジョンへ経営参加したのは1951年(昭和26年)
    • [4]前任者との訴訟は20数種類、職務遂行停止命令を2回受けた
    • [5]支配権の掌握は1955年(昭和30年)前後
    • [7]仲田祐一氏は1910年(明治43年)6月23日に新潟県直江津市で生まれた
    • [8]1926年(大正15年)直江津農商学校を卒業し神戸の近藤忠商店へ入店、1935年まで勤務
    • [9]神戸の近藤忠商店はテーブル掛け・カーテンなどの室内装飾品の製造販売を行う店で、仲田祐一氏は昭和10年(1935年)まで勤め、室内装飾と家具についての専門的な知識を身につけた
    • [10]大連の幾久屋百貨店で家具・内装飾部の主任を務めた
    • [11]大連での土地取引により1945年ごろには10万坪を超える農園を所有していた
    • [12]戦局が熾烈になると新潟にもっていた資産を整理して大連へ移しており、これは結果として大失敗で、終戦で内地に帰ったときはまったくの無一物になった
    • [13]1945年5月に現地召集。同期の召集兵13名のうち生還は2名
    • [14]シベリア抑留を経て1947年(昭和22年)7月に帰国
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1957年8月15日 神奈川県茅ヶ崎市に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立
    • [15]当時、哺乳器・乳首の製造販売を行っていたメーカーは30社程度
    • [16]設立当時、哺乳器・乳首の製造販売を行っていたメーカーは30社程度で、そのうちナショナルブランドとして販売していたのは同社を含む数社のみだった
    • [17]ナショナルブランドとして販売していたのはピジョンを含む数社のみ、大半は地域のガラス・ゴム製造メーカーによる地域卸店ブランドだった
    • [18]授乳関連用品をトータルに取り扱うことにより、同業他社との商品性による差別化を図った
    • [19]哺乳器に関連する調乳・洗浄・消毒用品まで商品展開し、授乳関連用品をトータルに扱うことで同業他社と差別化した
    • [20]乳幼児の発達段階に合わせてミルクの容量別・流量別に使い分けられる商品をラインナップした

病・産院への普及活動とJIS規格の取得による全国ブランド化

品ぞろえと並ぶもう一方の手立ては、母親が最初に育児を教わる場所を押さえることだった[21]。乳業メーカーと組んで病院・産院に商品を持ち込み、マタニティ雑誌・ベビー雑誌やテレビの広告[22]と合わせて、育児に携わる人への知名度を上げていった。規格の面でも足場を固めており、ピジョンの「キャップ式哺乳器」の規格は1967年にJIS規格へ認定[23]された。営業拠点も増やし、1958年の東京出張所[24]を皮切りに、1963年に大阪、1964年に福岡、1965年に名古屋と札幌、1967年に広島、1968年に仙台[25]と、全国主要7都市へ広げた[26]

    • [21]乳業メーカーとのタイアップにより、育児の原点である病・産院への商品普及活動を進めた
    • [22]乳業メーカーとのタイアップにより病・産院への商品普及活動を行い、マタニティ・ベビー雑誌やテレビでの広告宣伝を積極的に進めた
    • [23]「キャップ式哺乳器」の規格が1967年(昭和42年)にJIS規格に認定された
    • [26]昭和40年代後半には哺乳器・乳首市場で80%の占有率を得るとともに営業拠点を全国主要7都市に展開した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1958年3月 東京出張所(現・東日本支店)を開設
    • [25]1963年1月 大阪出張所、1964年9月 福岡出張所、1965年7月 名古屋出張所、1965年8月 札幌出張所、1967年4月 広島出張所、1968年6月 仙台出張所を開設

商品の設計そのものも仲田祐一社長の手から出ていた。実用新案は300種類にのぼり[27]、哺乳器・調乳器具・離乳用品・育児用品・洗浄消毒器具[29]のほとんどに社長のアイデアが入っていた。新潟へ墓参に帰った際に手にした醤油ビンから乳児用のジュースのみ器を考案した[30]という逸話も残る。乳房と乳首については数年にわたって実地の研究を続け、対象は千人近くにのぼったとされ、『週刊文春』はこれを「オッパイ社長奮戦す」の見出しで取り上げた[31]。商品化の判断には順序があり、どういう商品が求められているか、いくらなら売れるか、利益がどれだけ出るか、将来性があるか、の順[32]で考えると仲田祐一社長は述べた。 [28]

    • [27]実用新案は300種類にのぼり、主要製品のほとんどに仲田社長のアイデアが盛り込まれている
    • [28]同社が売り出している主要製品のほとんどすべてに仲田社長のアイデアが盛り込まれており、その成果は実用新案という形で300種類にのぼっている
    • [29]主要製品は哺乳器、調乳器具、離乳用品、育児用品、洗浄消毒器具
    • [30]新潟へ墓参に帰ったとき手にした醤油ビンから乳児用のジュースのみ器を考案した
    • [31]乳房と乳首の実地研究の対象は千人に近いとされ、『週刊文春』が「オッパイ社長奮戦す」として紹介した
    • [32]商品開発は①どういう商品が要求されているか②どのくらいの金額なら売れるか③利益がどのくらい出るか④将来性があるか、の順で作られると仲田社長は述べた
    • [21]乳業メーカーとのタイアップにより、育児の原点である病・産院への商品普及活動を進めた
    • [22]乳業メーカーとのタイアップにより病・産院への商品普及活動を行い、マタニティ・ベビー雑誌やテレビでの広告宣伝を積極的に進めた
    • [23]「キャップ式哺乳器」の規格が1967年(昭和42年)にJIS規格に認定された
    • [26]昭和40年代後半には哺乳器・乳首市場で80%の占有率を得るとともに営業拠点を全国主要7都市に展開した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1958年3月 東京出張所(現・東日本支店)を開設
    • [25]1963年1月 大阪出張所、1964年9月 福岡出張所、1965年7月 名古屋出張所、1965年8月 札幌出張所、1967年4月 広島出張所、1968年6月 仙台出張所を開設
    • [27]実用新案は300種類にのぼり、主要製品のほとんどに仲田社長のアイデアが盛り込まれている
    • [28]同社が売り出している主要製品のほとんどすべてに仲田社長のアイデアが盛り込まれており、その成果は実用新案という形で300種類にのぼっている
    • [29]主要製品は哺乳器、調乳器具、離乳用品、育児用品、洗浄消毒器具
    • [30]新潟へ墓参に帰ったとき手にした醤油ビンから乳児用のジュースのみ器を考案した
    • [31]乳房と乳首の実地研究の対象は千人に近いとされ、『週刊文春』が「オッパイ社長奮戦す」として紹介した
    • [32]商品開発は①どういう商品が要求されているか②どのくらいの金額なら売れるか③利益がどのくらい出るか④将来性があるか、の順で作られると仲田社長は述べた

第二次ベビーブーム下で哺乳器シェア93%に達した独占状態

1960年代後半から1970年代初めにかけて、特殊調整粉乳の普及と第二次ベビーブーム[33]がピジョンの品ぞろえと重なった。売上高は1965年の9億円から1966年11億円、1967年16億円、1968年20億円、1969年23億円と伸び、1970年には30億円[34]と、6年間で3倍強に達した。1971年時点のシェアは哺乳器が93%、おしゃぶりが80%、洗浄消毒器具が72%、紙おむつが45%[36]で、哺乳器に限ればアメリカの3社に次ぐ世界第4位にあり、ヨーロッパに肩を並べるメーカーは見当たらない[37]とされた。人工栄養で赤ちゃんを育てる家庭が増えたことで、ピジョンの名は母親のあいだで広く知られる商標[38]になった。 [35]

1971年末には千葉県の市川工場の裏に建坪およそ3,000坪の倉庫を建てる計画[39]があったが、主力の哺乳器を1か所に置かず東西に分けて保管する方針[40]をとった。火事で供給が止まれば世の中に迷惑をかけることになる[41]、というのが仲田祐一社長の説明である。1970年10月10日には多年の研究活動によって東京都から表彰[42]を受けた。従業員は300名を超え、社員持株制度や社員の海外派遣による研修制度も導入[43]した。商号は1966年6月にピジョン株式会社へ改めており[44]、哺乳器本舗という創業時の看板からは離れていた。

    • [39]1971年末に千葉県の市川工場の裏へ建坪約3,000坪の倉庫を建設する予定だった
    • [40]主力製品の哺乳器は1か所に置かず東西に分けて倉庫の両側に置く方針だった。火災で供給が止まると世の中に迷惑をかけるためと仲田社長は説明した
    • [41]万一火事にでもなって供給ができなくなったら大変世の中に迷惑をかけることになる、というのが倉庫を東西に分ける理由だと仲田社長は答えた
    • [42]1970年10月10日、多年の研究活動により東京都から表彰を受けた
    • [43]従業員は300名を超えていた。社員持株制度と社員の海外派遣による研修制度を導入した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1966年6月 商号をピジョン株式会社に変更

もっとも、この独占には条件が付いていた。育児用品の分野に有力企業が入ってこなかったのは、ピジョンが強かったことに加えて、その規模の市場に大手が目をつけていなかったから[46]でもある。売上が30億円から40億円、50億円へと上がれば[47]、事情は変わりうる。独占的な地位を支えた実用新案も一定の期間が来れば公開せざるをえず、資本自由化のもとでは海外の有力企業が日本へ進出することも見込まれた[48]。社内にも危うさがあり、重役のほとんどが血族で固められていた[49]。これまでのエネルギーが主として仲田祐一社長個人によるものであるだけに、その次をどうするかが最大の問題[50]として残された。 [45]

    • [45]従来は育児用品の分野に有力な企業が入ってこなかった。ピジョンが強力であったことと、それほど強力な企業がこの分野に目をつけなかったからである
    • [46]育児用品分野に有力企業が参入しなかったのは、ピジョンが強力だったことと、有力企業がこの分野に目をつけなかったことによる
    • [47]売上が30億円から40億円、50億円へ上がれば有力企業がこの分野に目をつける可能性が指摘された
    • [48]独占的地位を守る実用新案も一定の時間が来れば公開せざるをえず、資本自由化により海外の有力企業の日本進出も予想された
    • [49]重役のほとんどが血族で固められている点が懸念材料として挙げられた
    • [50]これまでのエネルギーが主として仲田社長個人によるものであるだけに、ポスト・ナカタが問題だと指摘された
    • [33]昭和40年代後半の特殊調整粉乳の流行と第二次ベビーブームが同社の取り組みと相まって市場地位を確立させた
    • [34]売上高は1965年9億円、1966年11億円、1967年16億円、1968年20億円、1969年23億円、1970年30億円と推移した
    • [35]売上高は昭和45年(1970年)に30億円に達し、6年間で3倍強の売上増をみせた
    • [36]1971年時点のシェアは哺乳器93%、おしゃぶり80%、洗浄消毒器具72%、紙おむつ45%
    • [37]哺乳器ではアメリカの3社に次ぐ世界第4位で、ヨーロッパに肩を並べるメーカーは見当たらないとされた
    • [38]さいきんのお母さん方は人工栄養で赤ちゃんを育てることが多いから、ピジョンという名前は大変に有名なブランドとなっている
    • [39]1971年末に千葉県の市川工場の裏へ建坪約3,000坪の倉庫を建設する予定だった
    • [40]主力製品の哺乳器は1か所に置かず東西に分けて倉庫の両側に置く方針だった。火災で供給が止まると世の中に迷惑をかけるためと仲田社長は説明した
    • [41]万一火事にでもなって供給ができなくなったら大変世の中に迷惑をかけることになる、というのが倉庫を東西に分ける理由だと仲田社長は答えた
    • [42]1970年10月10日、多年の研究活動により東京都から表彰を受けた
    • [43]従業員は300名を超えていた。社員持株制度と社員の海外派遣による研修制度を導入した
    • [45]従来は育児用品の分野に有力な企業が入ってこなかった。ピジョンが強力であったことと、それほど強力な企業がこの分野に目をつけなかったからである
    • [46]育児用品分野に有力企業が参入しなかったのは、ピジョンが強力だったことと、有力企業がこの分野に目をつけなかったことによる
    • [47]売上が30億円から40億円、50億円へ上がれば有力企業がこの分野に目をつける可能性が指摘された
    • [48]独占的地位を守る実用新案も一定の時間が来れば公開せざるをえず、資本自由化により海外の有力企業の日本進出も予想された
    • [49]重役のほとんどが血族で固められている点が懸念材料として挙げられた
    • [50]これまでのエネルギーが主として仲田社長個人によるものであるだけに、ポスト・ナカタが問題だと指摘された
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1966年6月 商号をピジョン株式会社に変更

1974年〜 出生数の減少下で哺乳器専業から育児用品の総合メーカーへ(1974〜1997)

  1. 1978年 シンガポールに PIGEON SINGAPORE を設立
  2. 1983年 仲田洋一氏が社長に就任
  3. 1985年 ピジョンホームプロダクツを設立
  4. 1988年 哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換 出生数が4割減る市場で、哺乳器の首位を守るか、赤ちゃん1人当たりの売上を積み増すか
  5. 1988年 日本証券業協会東京地区協会に株式を店頭登録
  6. 1989年 茨城県稲敷郡に筑波事業所を新設
  7. 1990年 タイに THAI PIGEON を設立

出生数が減り続けるなかでの品目の入れ替え

縮んだのは市場の母数[51]のほうだった。出生数は第二次ベビーブーム期の209万人を頂点として減少に転じ、1993年には118万5,000人ほどまで落ちた[52]。20年ほどで4割以上が失われたにもかかわらず、ピジョンの売上高は伸び続けた[53]。ピジョンはこの間に海外へ拠点を置き、1978年2月にシンガポールでPIGEON SINGAPORE PTE.LTD.[54]を、1990年9月にタイでTHAI PIGEON CO.,LTD.を設立[55]した。国内では離乳関連用品のシステムカップ「マグマグ」、スキンケア用品のお尻ふき用ウエットティッシュ「おしりナップ」、電子体温計といった商品を投入[56]した。

    • [51]減少したのは出生数であり、ピジョンの売上高は同期間に伸びている
    • [53]出生数が減少傾向であるにもかかわらず売上高は昭61.1期145億4,700万円から平7.1期270億7,500万円へほぼ倍増した
    • [56]出生数減少下でシステムカップ「マグマグ」、お尻ふき用ウエットティッシュ「おしりナップ」、電子体温計などの高付加価値商品へ進出した
    • [52]出生数は第二次ベビーブーム期の209万人がピークで、1993年には118万5,000人ほどまで減少した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1978年2月 PIGEON SINGAPORE PTE.LTD. を設立
    • [55]1990年9月 THAI PIGEON CO.,LTD. を設立

哺乳器専業のメーカーだったピジョン[57]は育児用品の総合メーカーへ変わり[58]、さらに高齢者と女性向けの失禁介護用品、マタニティ用品まで領域を広げた。1989年9月には茨城県稲敷郡に筑波事業所を設けて物流体制を整え[59]、1991年4月には茨城県筑波郡に常総研究所を新設[60]して研究開発の体制を厚くした。1993年4月には常総研究所の中に託児所「ピジョンランド」を開いた[61]。筑波事業所には東日本物流センター[62]を置いている。幼児の心の発達を身体の発達以上の問題として突き詰めなければ、21世紀に向けた良い商品は開発できないという考え[63]に基づく施設だった。

    • [57]高付加価値商品への進出により業容の拡大に努め、哺乳器専業メーカーから育児用品の総合メーカーへの脱却をはたした
    • [58]哺乳器専業メーカーから育児用品の総合メーカーへの脱却をはたし、失禁介護用品・マタニティ用品まで事業領域を広げた
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [59]1989年9月 茨城県稲敷郡に筑波事業所を新設し物流体制を整備した
    • [60]1991年4月 茨城県筑波郡に常総研究所(現・中央研究所)を新設した
    • [61]1993年4月 常総研究所内に託児所「ピジョンランド」を開設した
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な設備の状況)
    • [62]東日本物流センターは筑波事業所内に設置されている
    • [63]幼児の心の発達を身体の発達以上の問題として突き詰めない限り21世紀に向けた良い商品は開発できないという考えに基づく施設だと仲田社長は説明した

広げた品目のすべてが残ったわけではない。1971年に45%のシェアを持っていた紙おむつは、日本で最初に売り出したのがピジョンだったにもかかわらず、1978年にプロクター・アンド・ギャンブルが参入するとほとんどのシェアを失った[65]。品質でP&Gの製品が優れていたことは確かだが、母親の意見を聞いて改良点に気付いていれば紙おむつはドル箱になっていたかもしれない[66]、と後年に同社の担当者は語っている。この反省が消費者モニター制度の整備につながった[67]。哺乳器と乳首でも1989年時点のシェアは71.8%で、ジェクスが23.1%[68]で続いた。ベビー石けんは牛乳石鹸の33.2%に対し33.0%、母乳パッドはピップフジモトの50.6%に対し37.8%[69]で、哺乳器以外では首位を取れていなかった。 [64]

  • 日経ビジネス 1989年1月30日号 No.517「ピジョン 育児用品を深掘り、蓄積データ徹底活用」
    • [64]1971年時点で紙おむつのシェアは45%だったが、その後P&Gの参入でほとんど失った
    • [65]ピジョンが12年前に日本で最初に販売を始めた紙おむつは、1978年にプロクター・アンド・ギャンブルが参入したことでほとんどシェアを失った
    • [66]品質でP&G製品が優れていたことは確かだが、母親の意見を聞き改良点に気付いていれば紙おむつは今頃ピジョンのドル箱になっていたかもしれないと石川氏は述べた
    • [67]紙おむつでの失敗が、母親の意見を吸い上げる消費者モニター制度の導入につながった
    • [68]1989年時点のほ乳器・ゴム乳首のシェアはピジョン71.8%、ジェクス23.1%
    • [69]ベビー石けんは牛乳石鹸33.2%に対しピジョン33.0%、母乳パッドはピップフジモト50.6%に対し37.8%で首位ではなかった
    • [51]減少したのは出生数であり、ピジョンの売上高は同期間に伸びている
    • [53]出生数が減少傾向であるにもかかわらず売上高は昭61.1期145億4,700万円から平7.1期270億7,500万円へほぼ倍増した
    • [56]出生数減少下でシステムカップ「マグマグ」、お尻ふき用ウエットティッシュ「おしりナップ」、電子体温計などの高付加価値商品へ進出した
    • [57]高付加価値商品への進出により業容の拡大に努め、哺乳器専業メーカーから育児用品の総合メーカーへの脱却をはたした
    • [58]哺乳器専業メーカーから育児用品の総合メーカーへの脱却をはたし、失禁介護用品・マタニティ用品まで事業領域を広げた
    • [52]出生数は第二次ベビーブーム期の209万人がピークで、1993年には118万5,000人ほどまで減少した
    • [63]幼児の心の発達を身体の発達以上の問題として突き詰めない限り21世紀に向けた良い商品は開発できないという考えに基づく施設だと仲田社長は説明した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1978年2月 PIGEON SINGAPORE PTE.LTD. を設立
    • [55]1990年9月 THAI PIGEON CO.,LTD. を設立
    • [59]1989年9月 茨城県稲敷郡に筑波事業所を新設し物流体制を整備した
    • [60]1991年4月 茨城県筑波郡に常総研究所(現・中央研究所)を新設した
    • [61]1993年4月 常総研究所内に託児所「ピジョンランド」を開設した
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な設備の状況)
    • [62]東日本物流センターは筑波事業所内に設置されている
  • 日経ビジネス 1989年1月30日号 No.517「ピジョン 育児用品を深掘り、蓄積データ徹底活用」
    • [64]1971年時点で紙おむつのシェアは45%だったが、その後P&Gの参入でほとんど失った
    • [65]ピジョンが12年前に日本で最初に販売を始めた紙おむつは、1978年にプロクター・アンド・ギャンブルが参入したことでほとんどシェアを失った
    • [66]品質でP&G製品が優れていたことは確かだが、母親の意見を聞き改良点に気付いていれば紙おむつは今頃ピジョンのドル箱になっていたかもしれないと石川氏は述べた
    • [67]紙おむつでの失敗が、母親の意見を吸い上げる消費者モニター制度の導入につながった
    • [68]1989年時点のほ乳器・ゴム乳首のシェアはピジョン71.8%、ジェクス23.1%
    • [69]ベビー石けんは牛乳石鹸33.2%に対しピジョン33.0%、母乳パッドはピップフジモト50.6%に対し37.8%で首位ではなかった

おしりナップで先行2社を1年かからず抜いた消耗品への参入

1983年、仲田祐一社長の長男である仲田洋一氏が社長に就いた。入れ替えの成果が数字に出たのは1994年1月期である。売上高240億5,800万円、営業利益15億9,600万円、経常利益10億9,900万円、当期利益4億6,900万円[71]と増収増益になった。牽引したのはスキンケア用品の「おしりナップ」で、前期比350%増[72]という伸びを示した。ウエットティッシュの分野ではユニ・チャームと和光堂が大きなシェアを持っていたが、ピジョンは新規参入から1年かからずにトップへ出た[73]。片手で取り出せて簡単にふきとれるという、母親の使い勝手を良くした点が評価された結果[74]だと仲田洋一社長は述べた。同じ期には介護用品の失禁関連用品も売上を伸ばした[75][70]

  • 日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」
    • [70]1983年に仲田祐一氏の長男である仲田洋一氏が社長に就任し、それまでの不文律による方針が変わった
    • [71]1994年1月期は売上高240億5,800万円(前期比9.9%増)、営業利益15億9,600万円(同26.3%増)、経常利益10億9,900万円(同45.8%増)、当期利益4億6,900万円(同99.3%増)
    • [72]「おしりナップ」は1994年1月期に前期比350%増となった
    • [73]ウエットティッシュ分野ではユニ・チャームと和光堂が大きなシェアを持っていたが、新規参入から1年かからずトップへ躍り出た
    • [74]片手で取り出せ簡単にふきとれるという使い勝手の良さが好評を得た結果だと仲田社長は述べた
    • [75]1994年1月期は品目別で「おしりナップ」がヒットしたのをはじめ、介護用品の失禁関連用品が順調に売上を伸ばした

介護用品はベビー用品と勝手が違った。50代から60代でも病弱な人がいれば、80歳を過ぎても50代の体力と知力を持つ人もいて、対象の輪郭が定まらない[77]。失禁に悩む人は多いのに自分からは言い出さないため、需要が表に出ず商品開発も遅れていた[78]。高齢者にとって失禁は生理的な現象だという理解が広まるにつれ、体の機能の衰えを補う「快適パンツ」などが相次いで開発され[79]、売上が伸びた。1994年1月期時点で介護用品は売上構成比の10%を占め、育児用品の90%と並ぶ[80]もう一方の柱になった。ピジョンはさらに妊娠判定検査薬「プレサイン」を発売し、薬品分野へ参入[81]した。 [76]

    • [76]高齢者等の介護関係商品は50〜60歳台でも病弱な人がいる一方、80歳を過ぎても50歳台の体力・知力をもつ人もいるようにとらえどころがなく、対応が非常に難しい分野だと仲田社長は述べた
    • [77]介護関係商品は50〜60代でも病弱な人がいる一方80歳を過ぎても元気な人がいるためとらえどころがなく、対応が難しい分野だと仲田社長は述べた
    • [78]失禁に悩む人は多いのに自分から言わないため表に出ず、商品開発が遅れた
    • [79]高齢者の体の機能の衰えをカバーする「快適パンツ」など介護用品が相次いで開発され売上を伸ばした
    • [80]1994年1月期時点で育児用品が売上高構成比90%、高齢者等の介護用品が10%を占めた
    • [81]付加価値の高い商品づくりの一環として妊娠判定検査薬「プレサイン」を発売し薬品関係へ参入した

1995年1月期の売上高270億7,500万円[82][83]の内訳は、スキンケア用品が92億4,200万円で34.1%、授乳関連用品が66億100万円で24.4%、介護関連用品が28億9,100万円で10.7%、おむつ用品が22億1,300万円で8.2%、離乳関連用品が18億円で6.6%[84]だった。設立以来の商品である授乳関連よりも、「おしりナップ」など消耗品を中心とするスキンケア用品の比率が高くなった[85]。売上高は1986年1月期の145億4,700万円から1995年1月期の270億7,500万円へほぼ倍増[86]しており、出生数が減り続けるなかでの倍増だった。

    • [82]1995年1月期の売上高は270億7,500万円
    • [83]平成7年1月期の売上高は270億7,500万円で、部門別の構成比が示された
    • [84]部門別はスキンケア用品92億4,200万円(34.1%)、授乳関連用品66億100万円(24.4%)、介護関連用品28億9,100万円(10.7%)、おむつ用品22億1,300万円(8.2%)、離乳関連用品18億円(6.6%)
    • [85]設立以来の商品である授乳関連商品よりスキンケア用品の比率が高くなったのが最近の傾向とされた
    • [86]売上高は昭和61年1月期の145億4,700万円から平成7年1月期の270億7,500万円へほぼ倍増した
  • 日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」
    • [70]1983年に仲田祐一氏の長男である仲田洋一氏が社長に就任し、それまでの不文律による方針が変わった
    • [71]1994年1月期は売上高240億5,800万円(前期比9.9%増)、営業利益15億9,600万円(同26.3%増)、経常利益10億9,900万円(同45.8%増)、当期利益4億6,900万円(同99.3%増)
    • [72]「おしりナップ」は1994年1月期に前期比350%増となった
    • [73]ウエットティッシュ分野ではユニ・チャームと和光堂が大きなシェアを持っていたが、新規参入から1年かからずトップへ躍り出た
    • [74]片手で取り出せ簡単にふきとれるという使い勝手の良さが好評を得た結果だと仲田社長は述べた
    • [75]1994年1月期は品目別で「おしりナップ」がヒットしたのをはじめ、介護用品の失禁関連用品が順調に売上を伸ばした
    • [76]高齢者等の介護関係商品は50〜60歳台でも病弱な人がいる一方、80歳を過ぎても50歳台の体力・知力をもつ人もいるようにとらえどころがなく、対応が非常に難しい分野だと仲田社長は述べた
    • [77]介護関係商品は50〜60代でも病弱な人がいる一方80歳を過ぎても元気な人がいるためとらえどころがなく、対応が難しい分野だと仲田社長は述べた
    • [78]失禁に悩む人は多いのに自分から言わないため表に出ず、商品開発が遅れた
    • [79]高齢者の体の機能の衰えをカバーする「快適パンツ」など介護用品が相次いで開発され売上を伸ばした
    • [80]1994年1月期時点で育児用品が売上高構成比90%、高齢者等の介護用品が10%を占めた
    • [81]付加価値の高い商品づくりの一環として妊娠判定検査薬「プレサイン」を発売し薬品関係へ参入した
    • [82]1995年1月期の売上高は270億7,500万円
    • [83]平成7年1月期の売上高は270億7,500万円で、部門別の構成比が示された
    • [84]部門別はスキンケア用品92億4,200万円(34.1%)、授乳関連用品66億100万円(24.4%)、介護関連用品28億9,100万円(10.7%)、おむつ用品22億1,300万円(8.2%)、離乳関連用品18億円(6.6%)
    • [85]設立以来の商品である授乳関連商品よりスキンケア用品の比率が高くなったのが最近の傾向とされた
    • [86]売上高は昭和61年1月期の145億4,700万円から平成7年1月期の270億7,500万円へほぼ倍増した

売り場の交代に対応した生産・販売体制と株式公開

ピジョンの商品は薬局・デパート・スーパーで売られてきた[87]が、1986年と1993年の業態別構成比を比べると、薬局が65%から58%へ、デパートが5%から2%へ、スーパーが19%から15%へ下がり、量販専門店とホームセンターを含む「その他」が11%から25%へ上がった[88]。売場面積150坪から300坪のスーパードラッグが急ピッチで出店を増やしたことで、従来の30坪から50坪の薬局では2本から3本だった育児用品の棚が、一気に20本から30本になった[89]。大型ドラッグストアの売上構成比は、ピジョンの区分で1993年1月期の8.7%から1997年1月期には23.8%へ上がった[90]

ピジョンは外注生産を採り、哺乳器の組み立てと乳首の孔明け処理などを除くほとんどの工程を、1995年1月時点で115社の協力メーカーと生産子会社のピジョンホームプロダクツが担っていた[91]。自社の生産設備に縛られないため、市場のニーズへ柔軟に対応できた[92]。販売は15社の特約代理店と、医療用品卸業者を主とする64社の会員店を使うルート販売[93]である。消費者へのメール調査、母親モニター制度、消費動向の聞き取り、病院・産院への訪問といった市場調査[94]で需要をつかみ、新製品を投入して潜在需要を掘り起こした。

    • [91]外注生産を採用し、哺乳器の組み立て・乳首の孔明け処理等を除くほとんどの工程を1995年1月現在115社の協力メーカーと生産子会社ピジョンホームプロダクツが行っていた
    • [92]自社生産設備に拘束されない生産体制が市場ニーズへの柔軟な対応を可能にしていた
    • [93]販売は15社の特約代理店と主に医療用品卸業者である64社の会員店を用いたルート販売が主体だった
    • [94]消費者へのメール調査、母親モニター制度、消費動向の聞き取り調査、病・産院への訪問活動できめ細かく需要を把握し、新製品を投入して潜在需要を喚起した

ピジョンは1988年9月に日本証券業協会東京地区協会へ株式を店頭登録し[95]、1995年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場、1997年7月に第一部へ指定替えとなった。上場時点の大株主は仲田興業が41.8%、あさひ銀行が4.2%、ナカタコーポレーションが3.9%、従業員持株会が2.8%[97]で、創業家の持株会社が支配的な地位を保っていた。1996年の時価発行公募増資では46億9,400万円を調達[98]し、自己資本比率は前期の47%台から58.3%へ、流動比率は182%から248%へ改善[99]した。1997年1月期の売上高は312億800万円、経常利益は20億6,600万円だった[100]。ただし営業利益は21億1,400万円で前期比1.6%減であり、原価率が61.4%から62.8%へ上がっている[101][96]

    • [95]昭和63年(1988年)9月に株式を日本証券業協会に店頭登録した
    • [97]1995年3月22日現在の大株主は仲田興業5,506千株(41.8%)、あさひ銀行546千株(4.2%)、ナカタコーポレーション514千株(3.9%)、従業員持株会362千株(2.8%)
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1988年9月 日本証券業協会東京地区協会に株式を店頭登録、1995年7月 東京証券取引所市場第二部に上場、1997年7月 第一部に指定
    • [98]1996年の時価発行公募増資で46億9,400万円を調達した
    • [99]自己資本比率は前期47%台から当期末58.3%へ、流動比率は前期182%から当期248%へ改善した
    • [100]平成9年1月期の売上高は31,208百万円、経常利益2,066百万円
    • [101]1997年1月期の売上高31,208百万円、経常利益2,066百万円(前期比6.1%増)、営業利益2,114百万円(同1.6%減)。原価率は前期61.4%から当期62.8%へ上昇
    • [87]同社の商品は従来、主として薬局、デパート、スーパーで売られてきたが、小売業態の変化による影響が大きいと仲田社長は述べた
    • [88]1986年と1993年の業態別構成比は薬局65%→58%、デパート5%→2%、スーパー19%→15%、その他11%→25%
    • [89]150〜300坪のスーパードラッグの台頭で、従来30〜50坪の薬局で2〜3本だった棚が一気に20〜30本になった
    • [90]大型ドラッグストア(CD1)の売上構成比は36期の8.7%から40期の23.8%へ上昇した
    • [98]1996年の時価発行公募増資で46億9,400万円を調達した
    • [99]自己資本比率は前期47%台から当期末58.3%へ、流動比率は前期182%から当期248%へ改善した
    • [100]平成9年1月期の売上高は31,208百万円、経常利益2,066百万円
    • [101]1997年1月期の売上高31,208百万円、経常利益2,066百万円(前期比6.1%増)、営業利益2,114百万円(同1.6%減)。原価率は前期61.4%から当期62.8%へ上昇
    • [91]外注生産を採用し、哺乳器の組み立て・乳首の孔明け処理等を除くほとんどの工程を1995年1月現在115社の協力メーカーと生産子会社ピジョンホームプロダクツが行っていた
    • [92]自社生産設備に拘束されない生産体制が市場ニーズへの柔軟な対応を可能にしていた
    • [93]販売は15社の特約代理店と主に医療用品卸業者である64社の会員店を用いたルート販売が主体だった
    • [94]消費者へのメール調査、母親モニター制度、消費動向の聞き取り調査、病・産院への訪問活動できめ細かく需要を把握し、新製品を投入して潜在需要を喚起した
    • [95]昭和63年(1988年)9月に株式を日本証券業協会に店頭登録した
    • [97]1995年3月22日現在の大株主は仲田興業5,506千株(41.8%)、あさひ銀行546千株(4.2%)、ナカタコーポレーション514千株(3.9%)、従業員持株会362千株(2.8%)
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1988年9月 日本証券業協会東京地区協会に株式を店頭登録、1995年7月 東京証券取引所市場第二部に上場、1997年7月 第一部に指定

1998年〜 保育事業への参入とつまずき、上海と米国への出資(1998〜2009)

ピジョンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1998年 兵庫県神崎郡に神崎物流センターを新設
  2. 1999年 ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立
  3. 2000年 ナカタコーポレーションと合併
  4. 2002年 中国への進出と国家衛生部と共同の母乳育児相談室の開設、海外売上高比率5割への移行 乳幼児の口に触れる商品を、価格と広告で売るか、病産院での指導で売るか
  5. 2004年 介護用品の多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化
  6. 2004年 国立病院機構の院内保育一括受託による保育事業への本格参入と、14年後の受託終了 縮む育児用品市場の外に第二の柱を立てられるか——ピジョンが保育に費やした14年
  7. 2004年 米国の LANSINOH LABORATORIES を子会社化

販売代理店の自己破産と2002年1月期の当期純損失

1998年1月期と1999年1月期、ピジョンは2期続けて減収減益に陥った[102]。出生数の減少に加え、売上の4割を占める消耗商材が価格競争にさらされた[103]ためである。経営管理本部長だった松村誠一氏が主幹となって2000年1月期を初年度とする中期経営計画を策定[104]し、生産子会社の整理統合と哺乳瓶・乳首の利益構造の見直しを進めた結果、2000年1月期は増収増益を確保[105]した。松村誠一氏は1969年の入社で、1974年には輸出も大事だという仲田祐一社長の一声を受けて[106]同社初の海外駐在員としてシンガポールへ渡っており、2000年4月に社長へ就いた[107]

  • 日経ビジネス 2000年6月5日号 No.1044「素顔の新社長 松村誠一氏[ピジョン]」
    • [102]98年1月期、99年1月期と2期連続して減収減益に陥った。出生数の減少と、売り上げの40%を占める消耗商材の価格競争が原因
    • [103]出生数の減少と、売り上げの40%を占める消耗商材が価格競争にさらされたことが減収減益の原因
    • [104]経営管理本部長だった松村誠一氏が主幹となり2000年1月期を初年度とする中期経営計画を策定した
    • [105]生産子会社の整理統合と「哺乳瓶」「乳首」の利益構造の見直しにより2000年1月期は増収増益を確保した
    • [106]松村誠一氏は1969年入社。2000年4月に社長就任。1974年に「これからは輸出も大事」という仲田祐一社長の一声で同社初の海外駐在員としてシンガポールへ赴任した
    • [107]松村誠一氏は2000年4月27日に社長へ就任した

1990年代の終わりから2000年にかけて、ピジョンは物流と子会社の配置を組み替えた。1998年9月に兵庫県神崎郡へ神崎物流センターを設け[108]、1999年2月にはピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立[110]した。子育て支援サービスそのものは1993年[111]に始めていた。2000年8月には有限会社ナカタコーポレーションと合併し、同年10月にピジョン真中を設立[112]した。合併したナカタコーポレーションは、上場時に発行済株式の3.9%を持つ第3位の株主だった[113]会社である。2002年8月にはピー・エイチ・ピー兵庫の株式を簡易株式交換で取得[114]した。 [109]

  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1998年9月 兵庫県神崎郡に神崎物流センター(現・西日本物流センター)を新設
    • [109]1998年9月の神崎物流センター(現・西日本物流センター)新設を皮切りに、1999年2月のピジョンキッズワールド設立、2000年8月のナカタコーポレーションとの合併など、物流拠点と子会社の再編が続いた
    • [110]1999年2月 ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立
    • [111]1993年から新たに子育て支援サービス事業を開始し、保育・託児等を行っている
    • [112]2000年8月 有限会社ナカタコーポレーションと合併、2000年10月 ピジョン真中を設立
    • [114]2002年8月 ピー・エイチ・ピー兵庫(現・ピジョンマニュファクチャリング兵庫)の株式を簡易株式交換で取得
    • [113]1995年3月22日現在、有限会社ナカタコーポレーションは発行済株式の3.9%を保有する第3位の株主だった

2001年7月、販売代理店の山口医療器が経営不振で自己破産し、ピジョンは6億5,000万円の貸倒引当金を計上[115]した。山口医療器は関西地区を地盤とし、ピジョンにとって3番目に取引額の多い卸だった[116]。堅実な営業を続けているように見えており、破産は寝耳に水だった[117]という。計上した6億5,000万円は2002年1月期の経常利益14億円の半分近く[118]にあたり、同期の中間決算は2001年7月に最終赤字へ転落[119]した。通期の連結売上高は317億円、経常利益は14億円、当期純損益は3億円の赤字[120]となった。翌2003年1月期には売上331億円・経常利益23億円・当期純利益8億円[121]へ戻している。

  • 週刊東洋経済 2001年10月27日号「[特集]「売れる」営業に変わろう!」
    • [115]2001年7月、販売代理店の山口医療器が経営不振で自己破産し、貸倒引当金は6億5,000万円となった
    • [116]山口医療器はピジョンにとって三番目に取引額が多い卸で、関西地区を地盤に堅実な営業を続けているように見えた
    • [117]山口医療器は堅実な営業を続けているように見えており、破産はまったく寝耳に水だったとピジョン側は述べた
    • [119]山口医療器の破産により2001年7月の中間決算は最終赤字に転落した
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [118]2002年1月期の連結経常利益は14億1,900万円で、山口医療器の破綻で計上した貸倒引当金6億5,000万円はその半分近い水準にあたる
    • [120]2002年1月期の連結売上高317億円、経常利益14億円、当期純損益は3億円の赤字
    • [121]2003年1月期は売上331億円、経常利益23億円、当期純利益8億円
  • 日経ビジネス 2000年6月5日号 No.1044「素顔の新社長 松村誠一氏[ピジョン]」
    • [102]98年1月期、99年1月期と2期連続して減収減益に陥った。出生数の減少と、売り上げの40%を占める消耗商材の価格競争が原因
    • [103]出生数の減少と、売り上げの40%を占める消耗商材が価格競争にさらされたことが減収減益の原因
    • [104]経営管理本部長だった松村誠一氏が主幹となり2000年1月期を初年度とする中期経営計画を策定した
    • [105]生産子会社の整理統合と「哺乳瓶」「乳首」の利益構造の見直しにより2000年1月期は増収増益を確保した
    • [106]松村誠一氏は1969年入社。2000年4月に社長就任。1974年に「これからは輸出も大事」という仲田祐一社長の一声で同社初の海外駐在員としてシンガポールへ赴任した
    • [107]松村誠一氏は2000年4月27日に社長へ就任した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1998年9月 兵庫県神崎郡に神崎物流センター(現・西日本物流センター)を新設
    • [109]1998年9月の神崎物流センター(現・西日本物流センター)新設を皮切りに、1999年2月のピジョンキッズワールド設立、2000年8月のナカタコーポレーションとの合併など、物流拠点と子会社の再編が続いた
    • [110]1999年2月 ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立
    • [111]1993年から新たに子育て支援サービス事業を開始し、保育・託児等を行っている
    • [112]2000年8月 有限会社ナカタコーポレーションと合併、2000年10月 ピジョン真中を設立
    • [114]2002年8月 ピー・エイチ・ピー兵庫(現・ピジョンマニュファクチャリング兵庫)の株式を簡易株式交換で取得
    • [113]1995年3月22日現在、有限会社ナカタコーポレーションは発行済株式の3.9%を保有する第3位の株主だった
  • 週刊東洋経済 2001年10月27日号「[特集]「売れる」営業に変わろう!」
    • [115]2001年7月、販売代理店の山口医療器が経営不振で自己破産し、貸倒引当金は6億5,000万円となった
    • [116]山口医療器はピジョンにとって三番目に取引額が多い卸で、関西地区を地盤に堅実な営業を続けているように見えた
    • [117]山口医療器は堅実な営業を続けているように見えており、破産はまったく寝耳に水だったとピジョン側は述べた
    • [119]山口医療器の破産により2001年7月の中間決算は最終赤字に転落した
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [118]2002年1月期の連結経常利益は14億1,900万円で、山口医療器の破綻で計上した貸倒引当金6億5,000万円はその半分近い水準にあたる
    • [120]2002年1月期の連結売上高317億円、経常利益14億円、当期純損益は3億円の赤字
    • [121]2003年1月期は売上331億円、経常利益23億円、当期純利益8億円

国立病院機構113か所の受託と練馬区からの改善勧告

出生数が減り続ける以上、育児用品の市場は縮む。ピジョンが次の柱に選んだのは、10年かけて育ててきた保育だった。1993年に常総研究所内へ開いたピジョンランドを皮切りに保育施設を全国4か所へ広げ[123]、フィットネスクラブや百貨店の託児室の運営受託、ベビーシッター派遣も手がけていた。民間企業への開放が進む保育分野を、ピジョンは最重点ビジネス[124]の一つに位置づけた。2004年4月に国立病院機構の院内保育園113か所の運営を一括で受託[125]し、この分野の業界トップに立った。2005年7月に公表した2006年1月期から2008年1月期までの中期経営計画では、保育・託児分野での圧倒的ナンバーワン企業を確立すると宣言[126]した。認可保育園の運営受託にも進み、3例目となる練馬区立光が丘第八保育園に続いて中野区でも受託を決めた[127][122]

  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」(岡田広行)
    • [122]少子化で育児用品市場の縮小に見舞われる同社にとって、民間企業への開放が進む保育分野は最重点ビジネスの一つだった
    • [124]民間企業への開放が進む保育分野は同社の最重点ビジネスの一つだった
    • [125]2004年4月に独立行政法人化した全国の国立病院機構の院内保育園113箇所の運営を一括受託した
    • [126]2005年7月公表の中期経営計画(06年1月期〜08年1月期)で「保育・託児分野での圧倒的ナンバーワン企業を確立する」と宣言した
    • [127]認可保育園の運営受託としては3例目の光が丘第八に続き中野区でも受託に成功した
  • 日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」
    • [123]1993年に常総研究所内へ開設したピジョンランドを皮切りに全国4カ所の保育施設を開設し、フィットネスクラブや百貨店の託児室の運営受託、ベビーシッター派遣事業にも進出した

委託は始まって3か月でつまずいた。2005年12月1日付で練馬区から運営を引き受けた光が丘第八保育園[129]で、保育士26人のうち8人[130]が辞めた。練馬区は2006年3月17日付で、多数の退職者を出した原因の究明や短時間保育士の増員など4項目の改善策を要求[131]した。ピジョンは24日付で改善策を盛り込んだ報告書を提出したが、翌25日に父母を交えた協議会の場で、現状認識や分析が表面的だと区から指摘[132]を受けた。父母からは安易な委託が行われたとしてピジョンと区の責任を問う声が相次ぎ[133]、協議会は騒然とした。次の柱に選んだ保育は、認可保育園を引き受けてから1年余りで停滞した[134][128]

  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」(岡田広行)
    • [128]練馬区が2005年12月1日付で運営を委託した練馬区立光が丘第八保育園で、保育士26人のうち8人がわずか3カ月で辞めた
    • [129]練馬区は2005年12月1日付でピジョンに光が丘第八保育園の運営を委託した
    • [130]保育士26人のうち8人がわずか3カ月で辞めた
    • [131]練馬区は2006年3月17日付で、退職者を出した原因の究明や短時間保育士の増員など4項目の改善策を要求した
    • [132]ピジョンは3月24日付で報告書を提出したが、翌25日の協議会で現状認識や分析が表面的だと区から指摘された
    • [133]父母からは「安易な委託が行われた」などとピジョンや区の責任を問う声が相次ぎ、協議会は騒然とした雰囲気に包まれた。今回の改善勧告を機に成長にブレーキがかかる可能性があるとされた
    • [134]改善勧告を機に保育ビジネスの成長にブレーキがかかる可能性が指摘された

誤算の所在ははっきりしていた。練馬区が委託にあたって義務づけた常勤保育士24名以上[136]に対し、ピジョンは26名を配置していた。集まらなかったのは短時間保育士で、ローテーション勤務で回そうとしたために常勤保育士の負担が重くなった[137]と、練馬区の河口浩児童青少年部長は述べた。区の側にも問題が残った。専門家による選定委員会が該当なしと答申したにもかかわらず、区役所幹部を中心とする選定会議がピジョンを委託先に選んで[139]おり、事業者選定から委託までの期間は4か月しかなかった。保育の専門家からは拙速だとの指摘がなされていた。国立病院機構の院内保育園の一括受託は2018年3月末で契約が満了し、子育て支援事業の売上は6億7,000万円減った[141][135][138][140]

  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」(岡田広行)
    • [135]人員配置についても誤算があった。区は委託に際して「常勤保育士24名以上」を義務づけており、ピジョンはそれを上回る26名を配置していた
    • [136]練馬区は委託に際して常勤保育士24名以上を義務づけ、ピジョンはそれを上回る26名を配置した
    • [137]短時間保育士がうまく集まらず、ローテーション勤務で回そうとしたため常勤保育士の負担が重かったと練馬区の河口浩・児童青少年部長が述べた
    • [138]練馬区もミソをつけた。区は専門家による「選定委員会」に事業者の選定をゆだねたが、「該当なし」の答申が出るや区役所幹部を中心にする「選定会議」でピジョンを委託先に選定しており、区にも重い宿題が残された
    • [139]専門家による選定委員会が「該当なし」と答申したのち、区役所幹部を中心とする選定会議がピジョンを委託先に選定した
    • [140]事業者選定から委託までの期間が4カ月しかなく、保育の専門家から拙速だと指摘されていた
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2019年6月10日)
    • [141]国立病院機構の院内保育園の一括受託契約が2018年3月末で満了し、子育て支援事業は6.7億円の減収となった
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」(岡田広行)
    • [122]少子化で育児用品市場の縮小に見舞われる同社にとって、民間企業への開放が進む保育分野は最重点ビジネスの一つだった
    • [124]民間企業への開放が進む保育分野は同社の最重点ビジネスの一つだった
    • [125]2004年4月に独立行政法人化した全国の国立病院機構の院内保育園113箇所の運営を一括受託した
    • [126]2005年7月公表の中期経営計画(06年1月期〜08年1月期)で「保育・託児分野での圧倒的ナンバーワン企業を確立する」と宣言した
    • [127]認可保育園の運営受託としては3例目の光が丘第八に続き中野区でも受託に成功した
    • [128]練馬区が2005年12月1日付で運営を委託した練馬区立光が丘第八保育園で、保育士26人のうち8人がわずか3カ月で辞めた
    • [129]練馬区は2005年12月1日付でピジョンに光が丘第八保育園の運営を委託した
    • [130]保育士26人のうち8人がわずか3カ月で辞めた
    • [131]練馬区は2006年3月17日付で、退職者を出した原因の究明や短時間保育士の増員など4項目の改善策を要求した
    • [132]ピジョンは3月24日付で報告書を提出したが、翌25日の協議会で現状認識や分析が表面的だと区から指摘された
    • [133]父母からは「安易な委託が行われた」などとピジョンや区の責任を問う声が相次ぎ、協議会は騒然とした雰囲気に包まれた。今回の改善勧告を機に成長にブレーキがかかる可能性があるとされた
    • [134]改善勧告を機に保育ビジネスの成長にブレーキがかかる可能性が指摘された
    • [135]人員配置についても誤算があった。区は委託に際して「常勤保育士24名以上」を義務づけており、ピジョンはそれを上回る26名を配置していた
    • [136]練馬区は委託に際して常勤保育士24名以上を義務づけ、ピジョンはそれを上回る26名を配置した
    • [137]短時間保育士がうまく集まらず、ローテーション勤務で回そうとしたため常勤保育士の負担が重かったと練馬区の河口浩・児童青少年部長が述べた
    • [138]練馬区もミソをつけた。区は専門家による「選定委員会」に事業者の選定をゆだねたが、「該当なし」の答申が出るや区役所幹部を中心にする「選定会議」でピジョンを委託先に選定しており、区にも重い宿題が残された
    • [139]専門家による選定委員会が「該当なし」と答申したのち、区役所幹部を中心とする選定会議がピジョンを委託先に選定した
    • [140]事業者選定から委託までの期間が4カ月しかなく、保育の専門家から拙速だと指摘されていた
  • 日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」
    • [123]1993年に常総研究所内へ開設したピジョンランドを皮切りに全国4カ所の保育施設を開設し、フィットネスクラブや百貨店の託児室の運営受託、ベビーシッター派遣事業にも進出した
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2019年6月10日)
    • [141]国立病院機構の院内保育園の一括受託契約が2018年3月末で満了し、子育て支援事業は6.7億円の減収となった

上海への進出と米国LANSINOHの子会社化

国内で保育を広げる一方、ピジョンは国外にも資本を置いた。2002年4月に中国でPIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立[142]し、2004年2月には介護用品の多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化[144]、同年4月に米国のLANSINOH LABORATORIES,INC.を子会社化[145]した。多比良は国内の介護用品を、LANSINOHは母乳育児用品を北米と欧州で扱う会社[146]で、事業は重ならなかった。連結売上高は2004年1月期の342億円から2005年1月期に407億円へ伸び[147]、1年で65億円積み増した。 [143]

  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [142]2002年4月 PIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立
    • [143]2002年4月 PIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、中国に販売の現地法人を置いた
    • [144]2004年2月 多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化
    • [145]2004年4月 LANSINOH LABORATORIES,INC.を子会社化
  • ピジョン 有価証券報告書【事業の内容】
    • [146]ヘルスケア事業では子会社の多比良株式会社が介護用品の販売を行い、LANSINOH LABORATORIES,INC.は欧米を中心に展開するランシノブランド事業(母乳育児用品)を担った
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [147]連結売上高は2004年1月期342億円、2005年1月期407億円

中国では生産の拠点も重ねた。2006年4月にPIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.、2009年8月にPIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU)CO.,LTD.を設立[149]し、2009年11月にはPIGEON INDIA PVT.LTD.をシンガポール子会社の95%出資と本体の5%出資で設けた[150]。2009年には中国国家衛生部と共同で[151]、中国全土の主要病院に母乳育児相談室を開設[152]した。乳幼児の口に触れる哺乳瓶を選んでもらうには母親の安心が要るという判断[153]で、病院・産院から入る手順は1960年代に国内で使ったものと同じだった。連結売上高は2009年1月期に531億円、経常利益は43億円[154]だった。 [148]

  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [148]2006年4月 PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、中国に生産拠点を置いた
    • [149]2006年4月 PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.、2009年8月 PIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU)CO.,LTD.を設立
    • [150]2009年11月 PIGEON INDIA PVT.LTD.を連結子会社PIGEON SINGAPORE PTE.LTD.の95%出資と当社の5%出資により設立
  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」(若泉もえな)
    • [151]2009年に中国国家衛生部と共同で中国全土の主要病院に「母乳育児相談室」を開設した
    • [152]2009年に中国国家衛生部と共同で中国全土の主要病院に「母乳育児相談室」を開設した
    • [153]乳幼児の口に触れる哺乳瓶を購入してもらうには母親に安心感を与えるブランド力がカギとなり、相談室を通じた育児支援で知名度とブランド力を高めた
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [154]2009年1月期の連結売上高531億円、経常利益43億円
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [142]2002年4月 PIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立
    • [143]2002年4月 PIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、中国に販売の現地法人を置いた
    • [144]2004年2月 多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化
    • [145]2004年4月 LANSINOH LABORATORIES,INC.を子会社化
    • [148]2006年4月 PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、中国に生産拠点を置いた
    • [149]2006年4月 PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.、2009年8月 PIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU)CO.,LTD.を設立
    • [150]2009年11月 PIGEON INDIA PVT.LTD.を連結子会社PIGEON SINGAPORE PTE.LTD.の95%出資と当社の5%出資により設立
  • ピジョン 有価証券報告書【事業の内容】
    • [146]ヘルスケア事業では子会社の多比良株式会社が介護用品の販売を行い、LANSINOH LABORATORIES,INC.は欧米を中心に展開するランシノブランド事業(母乳育児用品)を担った
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [147]連結売上高は2004年1月期342億円、2005年1月期407億円
    • [154]2009年1月期の連結売上高531億円、経常利益43億円
  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」(若泉もえな)
    • [151]2009年に中国国家衛生部と共同で中国全土の主要病院に「母乳育児相談室」を開設した
    • [152]2009年に中国国家衛生部と共同で中国全土の主要病院に「母乳育児相談室」を開設した
    • [153]乳幼児の口に触れる哺乳瓶を購入してもらうには母親に安心感を与えるブランド力がカギとなり、相談室を通じた育児支援で知名度とブランド力を高めた

2010年〜 中国を軸に売上1000億円へ、そして市場の変調(2010〜2025)

ピジョンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 トルコに LANSINOH の医療機器会社を設立
  2. 2011年 マレーシアの PIGEON MALAYSIA(TRADING) 株式を取得
  3. 2011年 LANSINOH が HealthQuest の全株式を取得
  4. 2011年 LANSINOH が HealthQuest を吸収合併
  5. 2012年 DOUBLEHEART を設立
  6. 2014年 ピジョンウィルと合併
  7. 2023年 中国事業の「高成長」から「安定成長」への位置づけ変更と、米州・欧州への成長投資の集中 稼ぎ頭を建て直すか、稼ぎ頭への依存そのものを下げるか——出生数が減る市場での収益の作り直し

母乳育児相談室とEC販売が作った中国事業の拡大

2010年代のピジョンを伸ばしたのは中国だった。2018年時点で哺乳瓶と乳首の国内シェアは7割[155]にのぼり、その一方で売上高の5割は海外事業が占めた[157]。海外売上高は5年前の269億円から2018年1月期には528億円へ倍増[158]した。販売地域はアジア、中近東、北米と広いが、海外売上高の約6割は中国[159]である。2009年に始めた母乳育児相談室が、中国での知名度とブランドを押し上げた[160]。2018年10月の時点では、2019年1月期の売上高が前期比4.3%増の1,070億円、営業利益が同5.1%増の204億円になる見通し[161]とされた。 [156]

  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」(若泉もえな)
    • [155]ピジョンは哺乳瓶・哺乳瓶用乳首で国内トップのシェア7割を持つ
    • [156]海外売上高の約6割を占めるのは中国で、中国事業の拡大が業績を牽引した
    • [157]ピジョンの売上高の5割は海外事業によるもの
    • [158]海外売上高は5年前の269億円から2018年1月期には528億円へ倍増した
    • [159]海外売上高の約6割を中国が占め、販売地域はアジア・中近東・北米など
    • [160]乳幼児の口に触れるほ乳瓶を購入してもらうには母親たちに安心感を与えるブランド力がカギとなり、相談室を通して育児を支援することで知名度とブランド力を向上させてきた
    • [161]2019年1月期の売上高は前期比4.3%増の1,070億円、営業利益は同5.1%増の204億円になる見通しだと2018年10月時点で報じられた

中国事業の伸びを支えたのはネット通販である。中国でのEC販売比率は44%に達し[163]、アリババグループのTモールと京東集団の京東商城では人気商品の一つになった。京東商城の哺乳瓶分野では、売上の半分をピジョン製品が占めたという。中国全土で約1万1,000店舗に製品を出荷[165]する一方、ECを強めることで、近くに取り扱い店のない地方の母親も取り込んだ。2014年に日本で発売した乳幼児用スキンケア製品「薬用ローション ももの葉」はSNSで話題になり、中国人訪日客を中心に売上数が2018年1月期には5年前の約13倍になり[166]、中国国内での販売はそれに遅れて2018年[167]に始まった。 [162][164]

  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」(若泉もえな)
    • [162]中国事業の成長ドライバーとなっているのがEC(ネット通販)での販売で、中国でのEC販売比率は44%に達する
    • [163]中国でのEC販売比率は44%に達する
    • [164]現地のEC最大手アリババグループのTモール(天猫)と2位の京東集団の京東商城で人気商品の一つとなり、京東商城の哺乳瓶分野では売り上げの半分を同社製品が占めた
    • [165]中国全土で約1万1000店舗に製品を出荷し、ECの強化で近隣に取り扱い店舗のない地方の母親の囲い込みにも成功した
    • [166]「薬用ローション ももの葉」は2014年に日本で発売しSNSで話題となり、2018年1月期は売り上げ数が5年前の約13倍になった。2018年から中国でも販売を開始した
    • [167]「薬用ローション ももの葉」は2018年から中国でも販売を開始した
  • 週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」(若泉もえな)
    • [155]ピジョンは哺乳瓶・哺乳瓶用乳首で国内トップのシェア7割を持つ
    • [156]海外売上高の約6割を占めるのは中国で、中国事業の拡大が業績を牽引した
    • [157]ピジョンの売上高の5割は海外事業によるもの
    • [158]海外売上高は5年前の269億円から2018年1月期には528億円へ倍増した
    • [159]海外売上高の約6割を中国が占め、販売地域はアジア・中近東・北米など
    • [160]乳幼児の口に触れるほ乳瓶を購入してもらうには母親たちに安心感を与えるブランド力がカギとなり、相談室を通して育児を支援することで知名度とブランド力を向上させてきた
    • [161]2019年1月期の売上高は前期比4.3%増の1,070億円、営業利益は同5.1%増の204億円になる見通しだと2018年10月時点で報じられた
    • [162]中国事業の成長ドライバーとなっているのがEC(ネット通販)での販売で、中国でのEC販売比率は44%に達する
    • [163]中国でのEC販売比率は44%に達する
    • [164]現地のEC最大手アリババグループのTモール(天猫)と2位の京東集団の京東商城で人気商品の一つとなり、京東商城の哺乳瓶分野では売り上げの半分を同社製品が占めた
    • [165]中国全土で約1万1000店舗に製品を出荷し、ECの強化で近隣に取り扱い店舗のない地方の母親の囲い込みにも成功した
    • [166]「薬用ローション ももの葉」は2014年に日本で発売しSNSで話題となり、2018年1月期は売り上げ数が5年前の約13倍になった。2018年から中国でも販売を開始した
    • [167]「薬用ローション ももの葉」は2018年から中国でも販売を開始した

決算期変更を挟んで到達した連結売上高1000億円

連結売上高は2013年1月期の651億円から[168]2014年1月期775億円、2015年1月期841億円、2016年1月期922億円、2017年1月期946億円と積み上がり、2018年1月期に1,026億円と初めて1,000億円を超えた[170]。2019年1月期は1,047億円、営業利益196億円[171]で、営業利益率は18.7%に達した。1970年に30億円だった売上高[172]は、48年で35倍近くになった計算になる。営業利益も2015年1月期の128億円から2019年1月期の196億円へ、4年で1.5倍[173]になった。 [169]

  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [168]連結売上高は2013年1月期651億円から2016年1月期922億円へ伸び続けた
    • [169]連結売上高は2013年1月期651億円、2014年1月期775億円、2015年1月期841億円、2016年1月期922億円
    • [170]2018年1月期の連結売上高は1,026億円で初めて1,000億円を超えた
    • [171]2019年1月期は連結売上高1,047億円、営業利益196億円
    • [173]連結営業利益は2015年1月期127億8,000万円から2019年1月期196億1,200万円へ増加した
    • [172]1970年の売上高は30億円だった

ピジョンは2019年に決算期を1月期から12月期へ移し[174]、第63期は2019年2月1日から12月31日までの11か月の変則決算だった。この期の連結売上高は1,000億円だが、11か月決算のため前期の1,047億円とは単純に比較できない[176]。2022年4月には東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移った[177]。海外の販売会社も増やし、2020年4月に香港、同年10月に英国、2021年4月に米国のPIGEON AMERICA INC.、同年11月にフランス[178]へ販売拠点を置いた。一方で2020年1月には、ブラジルのLANSINOH子会社の全株式を譲渡した[179][175]

  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移 注記)
    • [174]2019年に決算期を1月期から12月期へ変更し、第63期は2019年2月1日から12月31日までの11ヶ月の変則決算となった
    • [175]第63期は2019年2月1日から2019年12月31日までの11ヶ月の変則決算(決算期変更)
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [176]2019年12月期の連結売上高は1,000億円、2019年1月期は1,047億円
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [177]2022年4月 東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
    • [178]2020年4月 LANSINOH LABORATORIES (HONGKONG)、2020年10月 LANSINOH LABORATORIES UK、2021年4月 PIGEON AMERICA INC.、2021年11月 LANSINOH LABORATORIES FRANCE SAS を設立
    • [179]2020年1月 LANSINOH LABORATÓRIOS DO BRASIL LTDA.の全株式を譲渡
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [168]連結売上高は2013年1月期651億円から2016年1月期922億円へ伸び続けた
    • [169]連結売上高は2013年1月期651億円、2014年1月期775億円、2015年1月期841億円、2016年1月期922億円
    • [170]2018年1月期の連結売上高は1,026億円で初めて1,000億円を超えた
    • [171]2019年1月期は連結売上高1,047億円、営業利益196億円
    • [173]連結営業利益は2015年1月期127億8,000万円から2019年1月期196億1,200万円へ増加した
    • [176]2019年12月期の連結売上高は1,000億円、2019年1月期は1,047億円
    • [172]1970年の売上高は30億円だった
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移 注記)
    • [174]2019年に決算期を1月期から12月期へ変更し、第63期は2019年2月1日から12月31日までの11ヶ月の変則決算となった
    • [175]第63期は2019年2月1日から2019年12月31日までの11ヶ月の変則決算(決算期変更)
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [177]2022年4月 東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
    • [178]2020年4月 LANSINOH LABORATORIES (HONGKONG)、2020年10月 LANSINOH LABORATORIES UK、2021年4月 PIGEON AMERICA INC.、2021年11月 LANSINOH LABORATORIES FRANCE SAS を設立
    • [179]2020年1月 LANSINOH LABORATÓRIOS DO BRASIL LTDA.の全株式を譲渡

営業利益が半減した4年間と第9次中期経営計画

2020年代に入ると数字は反転した。連結売上高は2019年12月期の1,000億円から2020年12月期994億円、2021年12月期931億円、2022年12月期949億円、2023年12月期945億円[181]と足踏みし、営業利益は2019年1月期に付けた196億円のピークから2023年12月期の107億円へ、ほぼ半分になった[182]。中国の出生数減少に加え、原材料とエネルギー価格の高騰、地政学リスクの常態化、消費行動の多様化、地場ブランドとの競争激化[183]が重なった。2023年10月に始まったALPS処理水の海洋放出も中国事業を直撃した。同期の中国売上高は前年同期比43%減、ももの葉に代表されるベビースキンケアは20%減まで落ちた。有力なKOLが日本ブランドとの協働を避け、販促活動が止まった[185]ためである。哺乳器と乳首は同じ期に11%増と伸びており[186]、落ちたのはスキンケアと越境ECだった。 [180][184]

  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [180]連結売上高は2019年12月期1,000億円から2020年12月期994億円、2021年12月期931億円へ減少に転じた
    • [181]連結売上高は2019年12月期1,000億円、2020年12月期994億円、2021年12月期931億円、2022年12月期949億円、2023年12月期945億円
    • [182]営業利益は2019年1月期196億円から2023年12月期107億円へ減少した
  • ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
    • [183]世界的な出生数の減少が続くなか、原材料・エネルギー価格の高騰や地政学リスクの常態化に加え、デジタル技術の進化による消費行動の多様化、地場ブランドとの競争激化が事業環境を難しくしている
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2024年2月15日)
    • [184]第4四半期単独ではALPS処理水の影響を大きく受け、中国の売上高が前期比マイナス43%となった
    • [185]有力なKOLが日本ブランドとの協働を避けたことや各種販促活動の停止によりブランド露出が減少した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [186]ALPS処理水の影響で第4四半期の中国売上高は前期比マイナス43%、ベビースキンケアはマイナス20%となる一方、哺乳器・乳首は同期プラス11%と好調だった

立て直しは2025年12月期までの第8次中期経営計画で進めた。ブランドの再構築と各事業での自己完結体制を強化する構造改革、サプライチェーンの効率化に取り組む一方、2024年7月上旬に中国の販売子会社で発覚した元従業員による架空発注と転売への対応にも追われた[188]。決算発表を延期して外部有識者を加えた調査を行い、固定資産除却損3億9,200万円[189]を特別損失に計上した。2024年4月には在宅介護支援のピジョン真中の全株式を譲渡[190]した。連結売上高は2024年12月期に1,042億円、2025年12月期に1,092億円へ戻り、営業利益も121億円、132億円と回復[191]した。2025年12月には、1960年代に全国主要7都市へ広げた営業拠点[192]のうち札幌・仙台・広島の3営業所を閉鎖[193]した。 [187]

  • ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
    • [187]2025年12月期までの「第8次中期経営計画」でブランドの再構築、各事業での自己完結体制を強化する構造改革、サプライチェーンの効率化を推進した
    • [188]2024年7月上旬に中国の販売子会社で元従業員による架空発注・転売を発見。外部有識者を加えた調査を実施し決算発表を延期。固定資産除却損3億9,200万円を特別損失に計上
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2024年8月14日)
    • [189]外部有識者を加えた調査のため決算発表を延期し、固定資産除却損3億9,200万円を特別損失に計上した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [190]2024年4月 ピジョン真中株式会社(在宅介護支援サービス)の全株式を譲渡
    • [193]2025年12月 札幌営業所、仙台営業所、広島営業所の3営業所を閉鎖
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [191]連結売上高は2024年12月期1,042億円、2025年12月期1,092億円、営業利益は121億円、132億円
    • [192]昭和40年代後半に哺乳器・乳首市場で80%の占有率を得るとともに、営業拠点を全国主要7都市に展開した

2026年12月期を初年度とする第9次中期経営計画では、事業構造改革から収益性を伴う持続的な成長へ目標を移した[194]。商品戦略では哺乳器を中心とした基幹商品群の成長を加速し、地域戦略では最重点地域である米州・欧州と、成長余地の大きいシンガポール事業を伸ばす一方、出生数減少に直面する日本と中国はブランド価値の再定義とオペレーションの効率化で収益基盤を保つ[195]位置づけとした。10年後には哺乳器のグローバル市場シェア20%を目指す[196]という。2026年3月27日付でランシノ事業は米州・欧州事業へ名称を変更する[197]

  • ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
    • [194]2026年12月期を初年度とする「第9次中期経営計画(2026年12月期〜2028年12月期)」を開始し、「事業構造改革」から「収益性を伴う持続的な成長」へ目標を移した
    • [195]地域戦略では最重点地域である米州・欧州、成長余地の大きいシンガポール事業での成長を加速し、日本・中国事業は安定的な成長によるグループ収益性の確保に位置づけた
    • [196]10年後の哺乳器グローバル市場シェア20%達成を目指すとした
    • [197]2026年3月27日付で「ランシノ事業」は「米州・欧州事業」へ名称を変更する
  • ピジョン 有価証券報告書(主要な経営指標等の推移)
    • [180]連結売上高は2019年12月期1,000億円から2020年12月期994億円、2021年12月期931億円へ減少に転じた
    • [181]連結売上高は2019年12月期1,000億円、2020年12月期994億円、2021年12月期931億円、2022年12月期949億円、2023年12月期945億円
    • [182]営業利益は2019年1月期196億円から2023年12月期107億円へ減少した
    • [191]連結売上高は2024年12月期1,042億円、2025年12月期1,092億円、営業利益は121億円、132億円
  • ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
    • [183]世界的な出生数の減少が続くなか、原材料・エネルギー価格の高騰や地政学リスクの常態化に加え、デジタル技術の進化による消費行動の多様化、地場ブランドとの競争激化が事業環境を難しくしている
    • [187]2025年12月期までの「第8次中期経営計画」でブランドの再構築、各事業での自己完結体制を強化する構造改革、サプライチェーンの効率化を推進した
    • [188]2024年7月上旬に中国の販売子会社で元従業員による架空発注・転売を発見。外部有識者を加えた調査を実施し決算発表を延期。固定資産除却損3億9,200万円を特別損失に計上
    • [194]2026年12月期を初年度とする「第9次中期経営計画(2026年12月期〜2028年12月期)」を開始し、「事業構造改革」から「収益性を伴う持続的な成長」へ目標を移した
    • [195]地域戦略では最重点地域である米州・欧州、成長余地の大きいシンガポール事業での成長を加速し、日本・中国事業は安定的な成長によるグループ収益性の確保に位置づけた
    • [196]10年後の哺乳器グローバル市場シェア20%達成を目指すとした
    • [197]2026年3月27日付で「ランシノ事業」は「米州・欧州事業」へ名称を変更する
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2024年2月15日)
    • [184]第4四半期単独ではALPS処理水の影響を大きく受け、中国の売上高が前期比マイナス43%となった
    • [185]有力なKOLが日本ブランドとの協働を避けたことや各種販促活動の停止によりブランド露出が減少した
  • ピジョン 有価証券報告書【沿革】
    • [186]ALPS処理水の影響で第4四半期の中国売上高は前期比マイナス43%、ベビースキンケアはマイナス20%となる一方、哺乳器・乳首は同期プラス11%と好調だった
    • [190]2024年4月 ピジョン真中株式会社(在宅介護支援サービス)の全株式を譲渡
    • [193]2025年12月 札幌営業所、仙台営業所、広島営業所の3営業所を閉鎖
  • ピジョン 決算説明会 質疑応答(2024年8月14日)
    • [189]外部有識者を加えた調査のため決算発表を延期し、固定資産除却損3億9,200万円を特別損失に計上した
    • [192]昭和40年代後半に哺乳器・乳首市場で80%の占有率を得るとともに、営業拠点を全国主要7都市に展開した

ピジョンの沿革1957〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
破綻状態の哺乳器メーカーへの経営参加と支配権の掌握、株式会社ピジョン哺乳器本舗の設立損を切って降りるか、訴訟を戦って会社を取るか——月商23万円の会社をめぐる4年 詳細を読む★★★
本社を東京都千代田区へ移転
東京出張所(現・東日本支店)を開設
大阪出張所(現・西日本支店)を開設
福岡出張所(現・福岡支店)を開設
名古屋出張所(現・中部支店)を開設
札幌出張所を開設
商号をピジョンへ変更★★
広島出張所を開設
仙台出張所を開設
シンガポールに PIGEON SINGAPORE を設立★★
仲田洋一氏が社長に就任★★
ピジョンホームプロダクツを設立
日本証券業協会東京地区協会に株式を店頭登録
哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換出生数が4割減る市場で、哺乳器の首位を守るか、赤ちゃん1人当たりの売上を積み増すか 詳細を読む★★★
茨城県稲敷郡に筑波事業所を新設
タイに THAI PIGEON を設立
茨城県筑波郡に常総研究所(現・中央研究所)を新設
常総研究所内に託児所「ピジョンランド」を開設
東京証券取引所市場第二部に株式を上場
フクヨー茨城の株式を取得
茨城県常陸太田市に常陸太田物流センターを新設
タイに PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) を設立
東京証券取引所市場第一部に指定
兵庫県神崎郡に神崎物流センターを新設
ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立
ナカタコーポレーションと合併
ピジョン真中を設立
中国への進出と国家衛生部と共同の母乳育児相談室の開設、海外売上高比率5割への移行乳幼児の口に触れる商品を、価格と広告で売るか、病産院での指導で売るか 詳細を読む★★★
ピー・エイチ・ピー兵庫の株式を株式交換で取得
介護用品の多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化★★
国立病院機構の院内保育一括受託による保育事業への本格参入と、14年後の受託終了縮む育児用品市場の外に第二の柱を立てられるか——ピジョンが保育に費やした14年 詳細を読む★★★
米国の LANSINOH LABORATORIES を子会社化★★★
大越昭夫中国に PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI) を設立
大越昭夫本社を東京都中央区へ移転
大越昭夫中国に PIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU) を設立
大越昭夫インドに PIGEON INDIA を設立
大越昭夫トルコに LANSINOH の医療機器会社を設立
大越昭夫マレーシアの PIGEON MALAYSIA(TRADING) 株式を取得
大越昭夫LANSINOH が HealthQuest の全株式を取得
大越昭夫LANSINOH が HealthQuest を吸収合併
山下茂DOUBLEHEART を設立
山下茂ピジョンウィルと合併
山下茂ブラジルに LANSINOH の子会社を設立
山下茂ベルギーに LANSINOH の販売会社を設立
山下茂上海に LANSINOH の販売会社を設立
山下茂インドネシアの PT PIGEON INDONESIA を子会社化
北澤憲政PT PIGEON BABY LAB INDONESIA の株式を取得
北澤憲政ブラジルの LANSINOH 子会社の全株式を譲渡
北澤憲政PHP茨城をピジョンマニュファクチャリング茨城に商号変更
北澤憲政PHP兵庫をピジョンマニュファクチャリング兵庫に商号変更
北澤憲政香港に LANSINOH の販売会社を設立
北澤憲政英国に LANSINOH の販売会社を設立
北澤憲政米国に PIGEON AMERICA を設立
北澤憲政フランスに LANSINOH の販売会社を設立
北澤憲政東京証券取引所プライム市場へ移行
北澤憲政中国事業の「高成長」から「安定成長」への位置づけ変更と、米州・欧州への成長投資の集中稼ぎ頭を建て直すか、稼ぎ頭への依存そのものを下げるか——出生数が減る市場での収益の作り直し 詳細を読む★★★
北澤憲政ケニアに PIGEON BABY LAB KENYA を設立
北澤憲政ピジョン真中の全株式を譲渡
北澤憲政香港に PIGEON HONG KONG を設立
矢野亮札幌・仙台・広島の3営業所を閉鎖
出典・参考

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