ピジョンの前身は1948年に創業した哺乳器メーカーであり、当時としては目新しいアメリカ式の哺乳ビンを作っていた。ただし経営は成り立っておらず、1か月の売上高が23万円しかないのに月給の支払いが20万円から25万円にのぼる状態だった。仲田祐一氏がこの会社への経営参加を持ちかけられたのは1951年で、内情を知ったときにはすでに引き返せないところまで足を踏み入れていた。前任者との争いは訴訟が20数種類にのぼり、仲田祐一氏自身も裁判所から職務遂行停止命令を2回受けた。支配権を掌握したのは1955年前後で、そのうえで1957年8月15日、神奈川県茅ヶ崎市に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立した。
仲田祐一氏は1910年6月23日に新潟県直江津市で生まれ、1926年に県立直江津農商学校を出て神戸の近藤忠商店に入った。室内装飾品の製造販売を扱う店で、1935年まで勤めて室内装飾と家具の知識を身につけた。1945年ごろの時点では、大陸での土地売買によって10万坪を超える農園の持ち主となっていた。これに先立ち、大連の幾久屋百貨店では家具・内装飾部の主任を務めている。戦局が悪くなると新潟の資産まで処分して大連へ移していたため、敗戦で全てを失った。1945年5月には現地で召集され、ソ満国境ムーリンの部隊に入ったが、そのとき一緒に召集された13名で生還したのは2名だけだった。ソ連軍の捕虜となってシベリアへ送られ、日本の土を再び踏んだのは1947年7月である。
仲田祐一氏が引き受けた市場は、小さな作り手が多数ひしめく状態にあった。哺乳器と乳首を作って売っていたメーカーは30社ほどあったが、全国ブランドとして売っていたのはピジョンを含む数社にすぎず、大半は地域のガラス製造業者やゴム製造業者が地元の卸店の名前で売る商品だった。この構造の中で仲田祐一氏が差をつける手段としたのは、一品ごとの作り分けではなく品ぞろえだった。軸は哺乳器である。そこに調乳・洗浄・消毒の用品を一通り加え、授乳に要る道具をまとめて供給する形をとった。乳幼児の発達の段階に応じて、ミルクの量や出る速さの違いで選べる商品をそろえたのも、同じ時期のことである。
品ぞろえと並ぶもう一方の手立ては、母親が最初に育児を教わる場所を押さえることだった。乳業メーカーと組んで病院・産院に商品を持ち込み、マタニティ雑誌・ベビー雑誌やテレビの広告と合わせて、育児に携わる人への知名度を上げていった。規格の面でも足場を確立しており、ピジョンの"キャップ式哺乳器"の規格は1967年にJIS規格へ認定された。営業拠点も増やし、1958年の東京出張所を皮切りに、1963年に大阪、1964年に福岡、1965年に名古屋と札幌、1967年に広島、1968年に仙台と、全国主要7都市へ広げた。
実用新案は300種類に達し、哺乳器・調乳器具・離乳用品・育児用品・洗浄消毒器具の大半に仲田祐一社長の発想が盛り込まれていた。商品の設計自体、社長本人の手になるものだった。逸話としては、新潟へ墓参りに帰ったとき持った醤油ビンをもとに、乳児向けのジュースのみ器を考え出したという話が伝わる。乳房と乳首の研究は実地で数年に及び、その対象は千人近くになったとされる。これを取り上げた"週刊文春"の見出しは"オッパイ社長奮戦す"だった。求められているのはどんな商品か、いくらなら売れるか、利益はどれほど出るか、将来性はあるか、という順で商品化を判断すると仲田祐一社長は語った。
人工栄養で子どもを育てる家庭が増えるにつれ、ピジョンの名は母親たちの間で広く通じる商標となった。1960年代後半から1970年代初めには、特殊調整粉乳の広がりと第二次ベビーブームが同社の品ぞろえとかみ合った。売上高は1965年に9億円だったものが、1966年11億円、1967年16億円、1968年20億円、1969年23億円と増え、1970年には30億円となって、6年間で3倍強に膨らんだ。1971年時点のシェアは哺乳器が93%、おしゃぶりが80%、洗浄消毒器具が72%、紙おむつが45%に上った。哺乳器だけで見ればアメリカの3社に続く世界第4位で、ヨーロッパには比べうるメーカーがないとされた。
火事で供給が途絶えれば世間に迷惑をかける、と仲田祐一社長は語った。この考えから、主力の哺乳器は1か所にまとめず、東と西に振り分けて蓄える方針がとられた。千葉県の市川工場裏に建坪約3,000坪の倉庫を建てる計画は1971年末の時点で持っていたが、それでも在庫を集中させはしなかった。東京都から多年の研究活動をたたえられ表彰を受けたのは1970年10月10日である。従業員は300名を上回り、社員持株制度と、社員を海外へ送って学ばせる研修制度も取り入れた。商号は1966年6月にピジョン株式会社へ改めており、哺乳器本舗という創業時の看板からは離れていた。
もっとも、この独占には条件が付いていた。育児用品の分野に有力企業が入ってこなかったのは、ピジョンが強かったことに加えて、その規模の市場に大手が目をつけていなかったからでもある。売上が30億円から40億円、50億円へと上がれば、事情は変わりうる。社内に目を向けると、重役の大半が血縁者で占められていた。外に対しては、独占的な地位の支えだった実用新案もいずれ期限が来れば公開を避けられず、資本の自由化が進めば海外の有力企業が日本に入ってくることも予想された。会社を動かしてきた力は、おもに仲田祐一社長その人から出ていた。それゆえ、後をどう継ぐかが最大の課題として残った。
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| 1957〜1973年引揚げ者が引き受けた哺乳器メーカーと国内シェア9割の独占(1957〜1973) | 破綻状態の哺乳器メーカーへの経営参加と支配権の掌握、株式会社ピジョン哺乳器本舗の設立 1951年に経営参加した哺乳器メーカーで前任者と争い、訴訟20数種類と2度の職務遂行停止命令を経て1955年前後に支配権を掌握したうえで、1957年8月15日に神奈川県茅ヶ崎市へ株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立した経営判断。シベリア抑留から1947年に帰国した仲田祐一氏が主導した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 本社を東京都千代田区へ移転 | ★ | |||
| 東京出張所(現・東日本支店)を開設 | ★ | |||
| 大阪出張所(現・西日本支店)を開設 | ★ | |||
| 福岡出張所(現・福岡支店)を開設 | ★ | |||
| 名古屋出張所(現・中部支店)を開設 | ★ | |||
| 札幌出張所を開設 | ★ | |||
| 商号をピジョンへ変更 | ★★ | |||
| 広島出張所を開設 | ★ | |||
| 仙台出張所を開設 | ★ | |||
| 1974〜2001年シンガポール進出と仲田洋一の新分野攻略、店頭登録と常総研究所、タイ工場と東証一部 | シンガポールに PIGEON SINGAPORE を設立 | ★★ | ||
| 仲田洋一氏が社長に就任 | ★★ | |||
| ピジョンホームプロダクツを設立 | ★ | |||
| 日本証券業協会東京地区協会に株式を店頭登録 | ★ | |||
| 哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換 出生数が1974年の209万人を頂点に減り始めたのに対し、ピジョンが哺乳器と乳首の専業から離乳用品・スキンケア用品・ベビーフード・介護用品へ品目を入れ替え、育児用品の総合メーカーへ移した経営判断。1983年に社長へ就任した仲田洋一氏が、先代からの不文律を外して新規分野の攻略を進めた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 茨城県稲敷郡に筑波事業所を新設 | ★ | |||
| タイに THAI PIGEON を設立 | ★ | |||
| 茨城県筑波郡に常総研究所(現・中央研究所)を新設 | ★ | |||
| 常総研究所内に託児所「ピジョンランド」を開設 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★ | |||
| フクヨー茨城の株式を取得 | ★ | |||
| 茨城県常陸太田市に常陸太田物流センターを新設 | ★ | |||
| タイに PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) を設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 兵庫県神崎郡に神崎物流センターを新設 | ★ | |||
| ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立 | ★ | |||
| ナカタコーポレーションと合併 | ★ | |||
| ピジョン真中を設立 | ★ | |||
| 2002〜2016年中国進出と米ランシノー買収、院内保育の一括受託とインド・トルコへの展開 | 国家衛生部と組んだ現地での育児支援拠点づくりと、海外売上高比率5割への移行 出生数が減る国内で次の収益源が定まらないなか、ピジョンが2002年4月に上海へ進出し、2009年に中国国家衛生部と共同で全土の主要病院に母乳育児相談室を開設して、価格でも広告でもない経路で中国にブランドを作った経営判断。海外売上高比率は2015年1月期に53%へ達した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| ピー・エイチ・ピー兵庫の株式を株式交換で取得 | ★ | |||
| 介護用品の多比良(現・ピジョンタヒラ)を子会社化 | ★★ | |||
| 院内託児の一括請負による新規事業の柱づくりと、14年後の撤退 2004年4月、ピジョンが独立行政法人へ移行した国立病院機構の院内保育施設の運営を一括受託し、育児用品に次ぐ事業として保育へ本格参入した経営判断。従前の保育士600人余りを転籍で引き受けての参入であり、一括受託は2018年3月の契約満了まで14年続いた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 米国の LANSINOH LABORATORIES を子会社化 | ★★★ | |||
| 大越昭夫 | 中国に PIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI) を設立 | ★ | ||
| 大越昭夫 | 本社を東京都中央区へ移転 | ★ | ||
| 大越昭夫 | 中国に PIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU) を設立 | ★ | ||
| 大越昭夫 | インドに PIGEON INDIA を設立 | ★ | ||
| 大越昭夫 | トルコに LANSINOH の医療機器会社を設立 | ★ | ||
| 大越昭夫 | マレーシアの PIGEON MALAYSIA(TRADING) 株式を取得 | ★ | ||
| 大越昭夫 | LANSINOH が HealthQuest の全株式を取得 | ★ | ||
| 大越昭夫 | LANSINOH が HealthQuest を吸収合併 | ★ | ||
| 大越昭夫 | DOUBLEHEART を設立 | ★ | ||
| 山下茂 | ピジョンウィルと合併 | ★ | ||
| 山下茂 | ブラジルに LANSINOH の子会社を設立 | ★ | ||
| 山下茂 | ベルギーに LANSINOH の販売会社を設立 | ★ | ||
| 山下茂 | 上海に LANSINOH の販売会社を設立 | ★ | ||
| 2017〜2026年インドネシア子会社化とPIGEON AMERICA、中国事業の転換とピジョン真中の売却 | 山下茂 | インドネシアの PT PIGEON INDONESIA を子会社化 | ★ | |
| 北澤憲政 | PT PIGEON BABY LAB INDONESIA の株式を取得 | ★ | ||
| 北澤憲政 | ブラジルの LANSINOH 子会社の全株式を譲渡 | ★ | ||
| 北澤憲政 | PHP茨城をピジョンマニュファクチャリング茨城に商号変更 | ★ | ||
| 北澤憲政 | PHP兵庫をピジョンマニュファクチャリング兵庫に商号変更 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 香港に LANSINOH の販売会社を設立 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 英国に LANSINOH の販売会社を設立 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 米国に PIGEON AMERICA を設立 | ★ | ||
| 北澤憲政 | フランスに LANSINOH の販売会社を設立 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 東京証券取引所プライム市場へ移行 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 成長市場としての位置づけ引き下げと、米州・欧州への成長投資の集中 連結営業利益が2019年1月期の196億円から2023年12月期の107億円へほぼ半減するなか、ピジョンが2023年2月の第8次中期経営計画で中国事業を"高成長"から"安定成長"へ置き直し、哺乳器・乳首とベビースキンケアへ商品を絞って収益を立て直し、2026年2月の第9次中期経営計画で成長の中心を米州・欧州へ移した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北澤憲政 | ケニアに PIGEON BABY LAB KENYA を設立 | ★ | ||
| 北澤憲政 | ピジョン真中の全株式を譲渡 | ★ | ||
| 北澤憲政 | 香港に PIGEON HONG KONG を設立 | ★ | ||
| 矢野亮 | 札幌・仙台・広島の3営業所を閉鎖 | ★ |
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事実根拠:出所(ピジョン)