{"spec_version":"3","endpoint":"history","stock_code":"7956","company_name":"ピジョン","content_lang":"ja","meta_lang":"en","canonical_url":"https://the-shashi.com/tse/7956/","api_url":"/api/7956/history.json","updated":"2026-08-09","license":"© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.","attribution":"The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/7956/","title":"ピジョンの歴史概略","sections":[{"start_year":1957,"end_year":1973,"main_title":"引揚げ者が引き受けた哺乳器メーカーと国内シェア9割の独占（1957〜1973）","subsections":[{"title":"シベリア抑留から帰った男が引き受けた月商23万円の会社","text":"ピジョンの前身は1948年に創業した哺乳器メーカーであり、当時としては目新しいアメリカ式の哺乳ビンを作っていた。ただし経営は成り立っておらず、1か月の売上高が23万円しかないのに月給の支払いが20万円から25万円にのぼる状態だった。仲田祐一氏がこの会社への経営参加を持ちかけられたのは1951年で、内情を知ったときにはすでに引き返せないところまで足を踏み入れていた。前任者との争いは訴訟が20数種類にのぼり、仲田祐一氏自身も裁判所から職務遂行停止命令を2回受けた。支配権を握ったのは1955年前後で、そのうえで1957年8月15日、神奈川県茅ヶ崎市に株式会社ピジョン哺乳器本舗を設立した。\n\n仲田祐一氏は1910年6月23日に新潟県直江津市で生まれ、1926年に県立直江津農商学校を出て神戸の近藤忠商店に入った。室内装飾品の製造販売を扱う店で、1935年まで勤めて室内装飾と家具の知識を身につけた。その後は大連の幾久屋百貨店で家具・内装飾部の主任を務め、大陸で土地を売買して1945年ごろには10万坪を超える農園の所有者になっていた。ところが戦局の悪化に伴って新潟の資産まで整理して大連へ移したため、敗戦とともに無一物となる。1945年5月に現地召集を受け、ソ満国境ムーリンの部隊に配属された同期の召集兵13名のうち、生き残ったのは2名だった。ソ連軍に捕らえられシベリアへ送られ、日本へ帰ったのは1947年7月である。\n\n仲田祐一氏が引き受けた市場は、小さな作り手が多数ひしめく状態にあった。哺乳器と乳首を作って売っていたメーカーは30社ほどあったが、全国ブランドとして売っていたのはピジョンを含む数社にすぎず、大半は地域のガラス製造業者やゴム製造業者が地元の卸店の名前で売る商品だった。仲田祐一氏はこの構造のなかで、単品の作り分けではなく品ぞろえで違いを出す方を選んだ。哺乳器を軸に、調乳・洗浄・消毒までの用品をひととおり扱い、授乳に関わる道具をまとめて供給する形をとった。乳幼児の発達段階に合わせ、ミルクの容量別・流量別に使い分けられる商品を並べたのもこの時期である。","references":[{"title":"近代中小企業 1971年5月号「赤ちゃんの明日を育てる独占メーカー――ピジョン(株)」（杉岡碩夫）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"病・産院への普及活動とJIS規格の取得による全国ブランド化","text":"品ぞろえと並ぶもう一方の手立ては、母親が最初に育児を教わる場所を押さえることだった。乳業メーカーと組んで病院・産院に商品を持ち込み、マタニティ雑誌・ベビー雑誌やテレビの広告と合わせて、育児に携わる人への知名度を上げていった。規格の面でも足場を固めており、ピジョンの「キャップ式哺乳器」の規格は1967年にJIS規格へ認定された。営業拠点も増やし、1958年の東京出張所を皮切りに、1963年に大阪、1964年に福岡、1965年に名古屋と札幌、1967年に広島、1968年に仙台と、全国主要7都市へ広げた。\n\n商品の設計そのものも仲田祐一社長の手から出ていた。実用新案は300種類にのぼり、哺乳器・調乳器具・離乳用品・育児用品・洗浄消毒器具のほとんどに社長のアイデアが入っていた。新潟へ墓参に帰った際に手にした醤油ビンから乳児用のジュースのみ器を考案したという逸話も残る。乳房と乳首については数年にわたって実地の研究を続け、対象は千人近くにのぼったとされ、『週刊文春』はこれを「オッパイ社長奮戦す」の見出しで取り上げた。商品化の判断には順序があり、どういう商品が求められているか、いくらなら売れるか、利益がどれだけ出るか、将来性があるか、の順で考えると仲田祐一社長は述べた。","references":[{"title":"近代中小企業 1971年5月号「赤ちゃんの明日を育てる独占メーカー――ピジョン(株)」（杉岡碩夫）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"仲田祐一","role":"ピジョン社長","date":"1971","text":"利益だけを追っていては、いい製品は出てこないのだ。","source":"近代中小企業 1971年5月号「赤ちゃんの明日を育てる独占メーカー――ピジョン(株)」（杉岡碩夫）","paragraph":2}]},{"title":"第二次ベビーブーム下で哺乳器シェア93%に達した独占状態","text":"1960年代後半から1970年代初めにかけて、特殊調整粉乳の普及と第二次ベビーブームがピジョンの品ぞろえと重なった。売上高は1965年の9億円から1966年11億円、1967年16億円、1968年20億円、1969年23億円と伸び、1970年には30億円と、6年間で3倍強に達した。1971年時点のシェアは哺乳器が93%、おしゃぶりが80%、洗浄消毒器具が72%、紙おむつが45%で、哺乳器に限ればアメリカの3社に次ぐ世界第4位にあり、ヨーロッパに肩を並べるメーカーは見当たらないとされた。人工栄養で赤ちゃんを育てる家庭が増えたことで、ピジョンの名は母親のあいだで広く知られる商標になった。\n\n1971年末には千葉県の市川工場の裏に建坪およそ3,000坪の倉庫を建てる計画があったが、主力の哺乳器を1か所に置かず東西に分けて保管する方針をとった。火事で供給が止まれば世の中に迷惑をかけることになる、というのが仲田祐一社長の説明である。1970年10月10日には多年の研究活動によって東京都から表彰を受けた。従業員は300名を超え、社員持株制度や社員の海外派遣による研修制度も導入した。商号は1966年6月にピジョン株式会社へ改めており、哺乳器本舗という創業時の看板からは離れていた。\n\nもっとも、この独占には条件が付いていた。育児用品の分野に有力企業が入ってこなかったのは、ピジョンが強かったことに加えて、その規模の市場に大手が目をつけていなかったからでもある。売上が30億円から40億円、50億円へと上がれば、事情は変わりうる。独占的な地位を支えた実用新案も一定の期間が来れば公開せざるをえず、資本自由化のもとでは海外の有力企業が日本へ進出することも見込まれた。社内にも危うさがあり、重役のほとんどが血族で固められていた。これまでのエネルギーが主として仲田祐一社長個人によるものであるだけに、その次をどうするかが最大の問題として残された。","references":[{"title":"近代中小企業 1971年5月号「赤ちゃんの明日を育てる独占メーカー――ピジョン(株)」（杉岡碩夫）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1974,"end_year":1997,"main_title":"出生数の減少下で哺乳器専業から育児用品の総合メーカーへ（1974〜1997）","subsections":[{"title":"出生数が減り続けるなかでの品目の入れ替え","text":"縮んだのは市場の母数のほうだった。出生数は第二次ベビーブーム期の209万人を頂点として減少に転じ、1993年には118万5,000人ほどまで落ちた。20年ほどで4割以上が失われたにもかかわらず、ピジョンの売上高は伸び続けた。ピジョンはこの間に海外へ拠点を置き、1978年2月にシンガポールでPIGEON SINGAPORE PTE.LTD.を、1990年9月にタイでTHAI PIGEON CO.,LTD.を設立した。国内では離乳関連用品のシステムカップ「マグマグ」、スキンケア用品のお尻ふき用ウエットティッシュ「おしりナップ」、電子体温計といった商品を投入した。\n\n哺乳器専業のメーカーだったピジョンは育児用品の総合メーカーへ変わり、さらに高齢者と女性向けの失禁介護用品、マタニティ用品まで領域を広げた。1989年9月には茨城県稲敷郡に筑波事業所を設けて物流体制を整え、1991年4月には茨城県筑波郡に常総研究所を新設して研究開発の体制を厚くした。1993年4月には常総研究所の中に託児所「ピジョンランド」を開いた。筑波事業所には東日本物流センターを置いている。幼児の心の発達を身体の発達以上の問題として突き詰めなければ、21世紀に向けた良い商品は開発できないという考えに基づく施設だった。\n\n広げた品目のすべてが残ったわけではない。1971年に45%のシェアを持っていた紙おむつは、日本で最初に売り出したのがピジョンだったにもかかわらず、1978年にプロクター・アンド・ギャンブルが参入するとほとんどのシェアを失った。品質でP&Gの製品が優れていたことは確かだが、母親の意見を聞いて改良点に気付いていれば紙おむつはドル箱になっていたかもしれない、と後年に同社の担当者は語っている。この反省が消費者モニター制度の整備につながった。哺乳器と乳首でも1989年時点のシェアは71.8%で、ジェクスが23.1%で続いた。ベビー石けんは牛乳石鹸の33.2%に対し33.0%、母乳パッドはピップフジモトの50.6%に対し37.8%で、哺乳器以外では首位を取れていなかった。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1997年5月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1989年1月30日号 No.517「ピジョン 育児用品を深掘り、蓄積データ徹底活用」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"おしりナップで先行2社を1年かからず抜いた消耗品への参入","text":"1983年、仲田祐一社長の長男である仲田洋一氏が社長に就いた。入れ替えの成果が数字に出たのは1994年1月期である。売上高240億5,800万円、営業利益15億9,600万円、経常利益10億9,900万円、当期利益4億6,900万円と増収増益になった。牽引したのはスキンケア用品の「おしりナップ」で、前期比350%増という伸びを示した。ウエットティッシュの分野ではユニ・チャームと和光堂が大きなシェアを持っていたが、ピジョンは新規参入から1年かからずにトップへ出た。片手で取り出せて簡単にふきとれるという、母親の使い勝手を良くした点が評価された結果だと仲田洋一社長は述べた。同じ期には介護用品の失禁関連用品も売上を伸ばした。\n\n介護用品はベビー用品と勝手が違った。50代から60代でも病弱な人がいれば、80歳を過ぎても50代の体力と知力を持つ人もいて、対象の輪郭が定まらない。失禁に悩む人は多いのに自分からは言い出さないため、需要が表に出ず商品開発も遅れていた。高齢者にとって失禁は生理的な現象だという理解が広まるにつれ、体の機能の衰えを補う「快適パンツ」などが相次いで開発され、売上が伸びた。1994年1月期時点で介護用品は売上構成比の10%を占め、育児用品の90%と並ぶもう一方の柱になった。ピジョンはさらに妊娠判定検査薬「プレサイン」を発売し、薬品分野へ参入した。\n\n1995年1月期の売上高270億7,500万円の内訳は、スキンケア用品が92億4,200万円で34.1%、授乳関連用品が66億100万円で24.4%、介護関連用品が28億9,100万円で10.7%、おむつ用品が22億1,300万円で8.2%、離乳関連用品が18億円で6.6%だった。設立以来の商品である授乳関連よりも、「おしりナップ」など消耗品を中心とするスキンケア用品の比率が高くなった。売上高は1986年1月期の145億4,700万円から1995年1月期の270億7,500万円へほぼ倍増しており、出生数が減り続けるなかでの倍増だった。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1997年5月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1989年1月30日号 No.517「ピジョン 育児用品を深掘り、蓄積データ徹底活用」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"仲田洋一","role":"ピジョン株式会社社長","date":"1994-03-24","text":"ベビー関係用品の市場は出生数が減っていることから先行き明るくないという声が一部で聞かれるが、そんなことはなく、ちょっとお母さんの使いやすさをフォローするように改良するだけで、簡単にトップシェアをとれるものであり、こうした商品はまだまだたくさんある。","source":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（1994年3月24日・東京）","paragraph":1}]},{"title":"売り場の交代に対応した生産・販売体制と株式公開","text":"ピジョンの商品は薬局・デパート・スーパーで売られてきたが、1986年と1993年の業態別構成比を比べると、薬局が65%から58%へ、デパートが5%から2%へ、スーパーが19%から15%へ下がり、量販専門店とホームセンターを含む「その他」が11%から25%へ上がった。売場面積150坪から300坪のスーパードラッグが急ピッチで出店を増やしたことで、従来の30坪から50坪の薬局では2本から3本だった育児用品の棚が、一気に20本から30本になった。大型ドラッグストアの売上構成比は、ピジョンの区分で1993年1月期の8.7%から1997年1月期には23.8%へ上がった。\n\nピジョンは外注生産を採り、哺乳器の組み立てと乳首の孔明け処理などを除くほとんどの工程を、1995年1月時点で115社の協力メーカーと生産子会社のピジョンホームプロダクツが担っていた。自社の生産設備に縛られないため、市場のニーズへ柔軟に対応できた。販売は15社の特約代理店と、医療用品卸業者を主とする64社の会員店を使うルート販売である。消費者へのメール調査、母親モニター制度、消費動向の聞き取り、病院・産院への訪問といった市場調査で需要をつかみ、新製品を投入して潜在需要を掘り起こした。\n\nピジョンは1988年9月に日本証券業協会東京地区協会へ株式を店頭登録し、1995年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場、1997年7月に第一部へ指定替えとなった。上場時点の大株主は仲田興業が41.8%、あさひ銀行が4.2%、ナカタコーポレーションが3.9%、従業員持株会が2.8%で、創業家の持株会社が支配的な地位を保っていた。1996年の時価発行公募増資では46億9,400万円を調達し、自己資本比率は前期の47%台から58.3%へ、流動比率は182%から248%へ改善した。1997年1月期の売上高は312億800万円、経常利益は20億6,600万円だった。ただし営業利益は21億1,400万円で前期比1.6%減であり、原価率が61.4%から62.8%へ上がっている。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1997年5月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1989年1月30日号 No.517「ピジョン 育児用品を深掘り、蓄積データ徹底活用」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"仲田洋一","role":"ピジョン株式会社社長","date":"1997-04-09","text":"今後の課題は、売価の低落傾向を止めることができるのか、止められないとすればそれに耐えられる原価にできるかである。","source":"証券アナリストジャーナル 1997年5月号「企業 ピジョン」（1997年4月9日・大阪）","paragraph":3}]}]},{"start_year":1998,"end_year":2009,"main_title":"保育事業への参入とつまずき、上海と米国への出資（1998〜2009）","subsections":[{"title":"販売代理店の自己破産と2002年1月期の当期純損失","text":"1998年1月期と1999年1月期、ピジョンは2期続けて減収減益に陥った。出生数の減少に加え、売上の4割を占める消耗商材が価格競争にさらされたためである。経営管理本部長だった松村誠一氏が主幹となって2000年1月期を初年度とする中期経営計画を策定し、生産子会社の整理統合と哺乳瓶・乳首の利益構造の見直しを進めた結果、2000年1月期は増収増益を確保した。松村誠一氏は1969年の入社で、1974年には輸出も大事だという仲田祐一社長の一声を受けて同社初の海外駐在員としてシンガポールへ渡っており、2000年4月に社長へ就いた。\n\n1990年代の終わりから2000年にかけて、ピジョンは物流と子会社の配置を組み替えた。1998年9月に兵庫県神崎郡へ神崎物流センターを設け、1999年2月にはピジョンキッズワールド（現・ピジョンハーツ）を設立した。子育て支援サービスそのものは1993年に始めていた。2000年8月には有限会社ナカタコーポレーションと合併し、同年10月にピジョン真中を設立した。合併したナカタコーポレーションは、上場時に発行済株式の3.9%を持つ第3位の株主だった会社である。2002年8月にはピー・エイチ・ピー兵庫の株式を簡易株式交換で取得した。\n\n2001年7月、販売代理店の山口医療器が経営不振で自己破産し、ピジョンは6億5,000万円の貸倒引当金を計上した。山口医療器は関西地区を地盤とし、ピジョンにとって3番目に取引額の多い卸だった。堅実な営業を続けているように見えており、破産は寝耳に水だったという。計上した6億5,000万円は2002年1月期の経常利益14億円の半分近くにあたり、同期の中間決算は2001年7月に最終赤字へ転落した。通期の連結売上高は317億円、経常利益は14億円、当期純損益は3億円の赤字となった。翌2003年1月期には売上331億円・経常利益23億円・当期純利益8億円へ戻している。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2001年10月27日号「［特集］「売れる」営業に変わろう！」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」（岡田広行）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2000年6月5日号 No.1044「素顔の新社長 松村誠一氏［ピジョン］」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2019年6月10日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"国立病院機構113か所の受託と練馬区からの改善勧告","text":"出生数が減り続ける以上、育児用品の市場は縮む。ピジョンが次の柱に選んだのは、10年かけて育ててきた保育だった。1993年に常総研究所内へ開いたピジョンランドを皮切りに保育施設を全国4か所へ広げ、フィットネスクラブや百貨店の託児室の運営受託、ベビーシッター派遣も手がけていた。民間企業への開放が進む保育分野を、ピジョンは最重点ビジネスの一つに位置づけた。2004年4月に国立病院機構の院内保育園113か所の運営を一括で受託し、この分野の業界トップに立った。2005年7月に公表した2006年1月期から2008年1月期までの中期経営計画では、保育・託児分野での圧倒的ナンバーワン企業を確立すると宣言した。認可保育園の運営受託にも進み、3例目となる練馬区立光が丘第八保育園に続いて中野区でも受託を決めた。\n\n委託は始まって3か月でつまずいた。2005年12月1日付で練馬区から運営を引き受けた光が丘第八保育園で、保育士26人のうち8人が辞めた。練馬区は2006年3月17日付で、多数の退職者を出した原因の究明や短時間保育士の増員など4項目の改善策を要求した。ピジョンは24日付で改善策を盛り込んだ報告書を提出したが、翌25日に父母を交えた協議会の場で、現状認識や分析が表面的だと区から指摘を受けた。父母からは安易な委託が行われたとしてピジョンと区の責任を問う声が相次ぎ、協議会は騒然とした。次の柱に選んだ保育は、認可保育園を引き受けてから1年余りで停滞した。\n\n誤算の所在ははっきりしていた。練馬区が委託にあたって義務づけた常勤保育士24名以上に対し、ピジョンは26名を配置していた。集まらなかったのは短時間保育士で、ローテーション勤務で回そうとしたために常勤保育士の負担が重くなったと、練馬区の河口浩児童青少年部長は述べた。区の側にも問題が残った。専門家による選定委員会が該当なしと答申したにもかかわらず、区役所幹部を中心とする選定会議がピジョンを委託先に選んでおり、事業者選定から委託までの期間は4か月しかなかった。保育の専門家からは拙速だとの指摘がなされていた。国立病院機構の院内保育園の一括受託は2018年3月末で契約が満了し、子育て支援事業の売上は6億7,000万円減った。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2001年10月27日号「［特集］「売れる」営業に変わろう！」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」（岡田広行）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2000年6月5日号 No.1044「素顔の新社長 松村誠一氏［ピジョン］」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2019年6月10日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"上海への進出と米国LANSINOHの子会社化","text":"国内で保育を広げる一方、ピジョンは国外にも資本を置いた。2002年4月に中国でPIGEON(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、2004年2月には介護用品の多比良（現・ピジョンタヒラ）を子会社化、同年4月に米国のLANSINOH LABORATORIES,INC.を子会社化した。多比良は国内の介護用品を、LANSINOHは母乳育児用品を北米と欧州で扱う会社で、事業は重ならなかった。連結売上高は2004年1月期の342億円から2005年1月期に407億円へ伸び、1年で65億円積み増した。\n\n中国では生産の拠点も重ねた。2006年4月にPIGEON MANUFACTURING(SHANGHAI)CO.,LTD.、2009年8月にPIGEON INDUSTRIES(CHANGZHOU)CO.,LTD.を設立し、2009年11月にはPIGEON INDIA PVT.LTD.をシンガポール子会社の95%出資と本体の5%出資で設けた。2009年には中国国家衛生部と共同で、中国全土の主要病院に母乳育児相談室を開設した。乳幼児の口に触れる哺乳瓶を選んでもらうには母親の安心が要るという判断で、病院・産院から入る手順は1960年代に国内で使ったものと同じだった。連結売上高は2009年1月期に531億円、経常利益は43億円だった。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2001年10月27日号「［特集］「売れる」営業に変わろう！」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2006年4月8日号「公立保育園運営で練馬区から改善勧告 最大手ピジョンの思わぬつまずき」（岡田広行）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2000年6月5日号 No.1044「素顔の新社長 松村誠一氏［ピジョン］」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年9月2日号 No.855「ピジョン ベビー用品、ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2019年6月10日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2010,"end_year":2025,"main_title":"中国を軸に売上1000億円へ、そして市場の変調（2010〜2025）","subsections":[{"title":"母乳育児相談室とEC販売が作った中国事業の拡大","text":"2010年代のピジョンを伸ばしたのは中国だった。2018年時点で哺乳瓶と乳首の国内シェアは7割にのぼり、その一方で売上高の5割は海外事業が占めた。海外売上高は5年前の269億円から2018年1月期には528億円へ倍増した。販売地域はアジア、中近東、北米と広いが、海外売上高の約6割は中国である。2009年に始めた母乳育児相談室が、中国での知名度とブランドを押し上げた。2018年10月の時点では、2019年1月期の売上高が前期比4.3%増の1,070億円、営業利益が同5.1%増の204億円になる見通しとされた。\n\n中国事業の伸びを支えたのはネット通販である。中国でのEC販売比率は44%に達し、アリババグループのTモールと京東集団の京東商城では人気商品の一つになった。京東商城の哺乳瓶分野では、売上の半分をピジョン製品が占めたという。中国全土で約1万1,000店舗に製品を出荷する一方、ECを強めることで、近くに取り扱い店のない地方の母親も取り込んだ。2014年に日本で発売した乳幼児用スキンケア製品「薬用ローション ももの葉」はSNSで話題になり、中国人訪日客を中心に売上数が2018年1月期には5年前の約13倍になり、中国国内での販売はそれに遅れて2018年に始まった。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（主要な経営指標等の推移）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2024年2月15日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2024年8月14日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"決算期変更を挟んで到達した連結売上高1000億円","text":"連結売上高は2013年1月期の651億円から2014年1月期775億円、2015年1月期841億円、2016年1月期922億円、2017年1月期946億円と積み上がり、2018年1月期に1,026億円と初めて1,000億円を超えた。2019年1月期は1,047億円、営業利益196億円で、営業利益率は18.7%に達した。1970年に30億円だった売上高は、48年で35倍近くになった計算になる。営業利益も2015年1月期の128億円から2019年1月期の196億円へ、4年で1.5倍になった。\n\nピジョンは2019年に決算期を1月期から12月期へ移し、第63期は2019年2月1日から12月31日までの11か月の変則決算だった。この期の連結売上高は1,000億円だが、11か月決算のため前期の1,047億円とは単純に比較できない。2022年4月には東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移った。海外の販売会社も増やし、2020年4月に香港、同年10月に英国、2021年4月に米国のPIGEON AMERICA INC.、同年11月にフランスへ販売拠点を置いた。一方で2020年1月には、ブラジルのLANSINOH子会社の全株式を譲渡した。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（主要な経営指標等の推移）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2024年2月15日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2024年8月14日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"営業利益が半減した4年間と第9次中期経営計画","text":"2020年代に入ると数字は反転した。連結売上高は2019年12月期の1,000億円から2020年12月期994億円、2021年12月期931億円、2022年12月期949億円、2023年12月期945億円と足踏みし、営業利益は2019年1月期に付けた196億円のピークから2023年12月期の107億円へ、ほぼ半分になった。中国の出生数減少に加え、原材料とエネルギー価格の高騰、地政学リスクの常態化、消費行動の多様化、地場ブランドとの競争激化が重なった。2023年10月に始まったALPS処理水の海洋放出も中国事業を直撃した。同期の中国売上高は前年同期比43%減、ももの葉に代表されるベビースキンケアは20%減まで落ちた。有力なKOLが日本ブランドとの協働を避け、販促活動が止まったためである。哺乳器と乳首は同じ期に11%増と伸びており、落ちたのはスキンケアと越境ECだった。\n\n立て直しは2025年12月期までの第8次中期経営計画で進めた。ブランドの再構築と各事業での自己完結体制を強化する構造改革、サプライチェーンの効率化に取り組む一方、2024年7月上旬に中国の販売子会社で発覚した元従業員による架空発注と転売への対応にも追われた。決算発表を延期して外部有識者を加えた調査を行い、固定資産除却損3億9,200万円を特別損失に計上した。2024年4月には在宅介護支援のピジョン真中の全株式を譲渡した。連結売上高は2024年12月期に1,042億円、2025年12月期に1,092億円へ戻り、営業利益も121億円、132億円と回復した。2025年12月には、1960年代に全国主要7都市へ広げた営業拠点のうち札幌・仙台・広島の3営業所を閉鎖した。\n\n2026年12月期を初年度とする第9次中期経営計画では、事業構造改革から収益性を伴う持続的な成長へ目標を移した。商品戦略では哺乳器を中心とした基幹商品群の成長を加速し、地域戦略では最重点地域である米州・欧州と、成長余地の大きいシンガポール事業を伸ばす一方、出生数減少に直面する日本と中国はブランド価値の再定義とオペレーションの効率化で収益基盤を保つ位置づけとした。10年後には哺乳器のグローバル市場シェア20%を目指すという。2026年3月27日付でランシノ事業は米州・欧州事業へ名称を変更する。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2018年10月20日号「伸びる企業2 海外が好調な企業 ピジョン」（若泉もえな）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書（主要な経営指標等の推移）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 質疑応答（2024年2月15日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ピジョン 決算説明会 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