ピジョンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

顧客の数が減る市場で、赤ちゃん一人あたりの売上を増やす方を選んだ。出生数は第二次ベビーブーム期の209万人を頂点に減り続け、1993年には118万5,000人ほどになった。ピジョンの哺乳器シェアは1971年の93%から1989年に71.8%へ下がり、1971年に45%を持っていた紙おむつは1978年のプロクター・アンド・ギャンブル参入でほとんど失われている。1986年8月に母親約200人のモニター集団を組織し、1988年9月の中長期商品戦略で耐久品の哺乳器から消耗品と隣接領域へ品目を入れ替える方針を決めた。ウエットティッシュのおしりナップは参入から1年かからず先行2社を抜き、1995年1月期にはスキンケア用品92億円が授乳関連用品66億円を上回った。母数が4割減るあいだに売上が倍増したのは、一人が使う品目を増やしたからである。

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