コニカへの商号変更(1987年・コニカの決断)更新:2026/07/28論点輸出ブランドを社名に採用するかコニカ:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所輸出ブランドを社名に据え、「写真工業」を外した商号の一新何をなぜ決めたか:輸出ブランドを社名に据え、「写真工業」を外した商号の一新概要1987年10月、小西六写真工業は商号をコニカ株式会社へ改めた。輸出向け製品ブランドとして定着していた"コニカ"を社名に据え、業種を示す"写真工業"を社名から外している。感光材料の市場成長が鈍り、販売網の整備も遅れていた会社が、事務機・情報機器まで含めて名乗れる呼称へ移した商号変更である。背景写真用フィルムや印画紙などの感光材料で富士写真フイルムに次ぐ大手でありながら、市場の成長は鈍化していた。1983年に就任した井手恵生社長は『このままでは21世紀にらんだ展望が開けない』との危機意識から、過去4年間に国内外で大小7社を買収し、販売・流通チャネルの拡大に主眼を置いていた。内容1987年10月の改称は単独の出来事ではない。同じ年の1月に西独へ事務機の製造会社Konica Business Machines Manufacturing GmbH、2月に米国へ印画紙の製造工場Konica Manufacturing U.S.A.、9月に米国へPowers Chemcoを設けている。国内外の販売会社と製造拠点を一つの呼称で集約する作業と同時に進んだ。含意社名から写真が消えても、写真事業は残った。改称の2年後に稼いだのは12年ぶりのヒットとなったコンパクトカメラ"ビッグミニ"であり、事務機が全社売上の4割を超えるのは1998年度である。名乗りと事業構成のずれは、10年をかけて縮んだ。いつ何が起きたか6件考察:名を先に変えるということ考察考察:名を先に変えるということ『このままでは21世紀にらんだ展望が開けない』との危機意識を抱いた井手恵生社長が社名から取り去ったのは、"写真工業"という業種名であった。一方、同じ1987年に米国では印画紙の製造工場が建っている。事業の入れ替えを予告する改称ではなく、国内外で買い集めた販売会社と製造拠点を一つの呼称で集約するための実務であったと思われる。名と事業の食い違いが埋まるまでには10年余りを要した。改称の2年後に稼いだのはビッグミニで、社名から外したはずの写真である。情報機器が全社売上の42%を占めるのは1998年度であり、その間も会社は感光材料から撤退しなかった。名を先に変えても事業の入れ替えは早まらなかった。ただ、どちらへ向かう会社かを社内外へ示す働きはあった。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 1988年6月13日号増刊日経ビジネス 1990年1月1日号日経ビジネス 2000年4月17日号日経ビジネス 2001年11月12日号証券アナリストジャーナル 1973年11月号(西村龍介)コニカ 有価証券報告書【沿革】次に読む決断コニカの意思決定1971年コニカコニカU-Bixで事務機参入電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換1971年1986年コニカコニカ米ロイヤル社の子会社化北米の事務機販売網を自前で持つための完全子会社化1986年同じ問い:ブランドを軸にした祖業の転換1996年マツキヨココカラ&カンパニーマツキヨココカラ&カンパニーマツキヨへ薬粧専門転換複合小売からの脱却と、都心駅前への集中によるブランドの確立1996年2001年伊藤忠エネクス伊藤忠エネクス伊藤忠エネクスへ改称改称に合わせた、燃料商社からエネルギー商社への転換2001年2009年MTGMTGReFaの発売開始美容ローラーを起点としたブランド開発企業への業態転換2009年2014年MIXIMIXIモンスターストライクへの資源集中SNSの広告から1本のスマホゲームへの収益源の転換と65億円の公募増資2014年1956年はごろもフーズはごろもフーズ東京営業所開設で内需へ輸出依存からの脱却と、国内市場向け自社ブランド缶詰への転換1956年×出所