ブラザー工業 の歴史

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創業 1908年
創業者 安井正義
創業地 愛知県名古屋市
創業
1908年4月、安井正義氏が名古屋市熱田区で安井ミシン商会を創設し、ミシンの修理と部品の製造から始めた。1925年11月に安井ミシン兄弟商会へ商号を改め、1928年1月には麦わら帽子製造用の環縫ミシンである昭三式を売り出して、商標をBROTHERと定めている。同じ1928年、部品加工用の自由エキセン旋盤を内製した。当時の日本に精密加工の蓄積はなく、機械を買う資金を貸す銀行もなかったため、加工装置から自前で作るほかなかった。1932年11月に家庭用ミシンの国産化を果たし、1934年1月に名古屋市瑞穂区で日本ミシン製造株式会社を設立、1962年7月に社名をブラザー工業へ改めた。
決断
主力の入れ替えを重ね、最後の一度だけは自前の技術で作らなかった。1932年に始めた家庭用ミシンは、1980年代半ばに事務機へ首位の座を明け渡す。日米貿易摩擦と円高で輸出タイプライターの採算が崩れると、1989年2月に社長へ就任した安井義博氏がミシン・タイプライターから情報通信機器への業態転換を決めた。参入から4年続けて赤字だったファクスは、1992年に399ドルのFAX-600を米国へ投入して半年で15万台を超え、のちに米国シェア首位を確保する。ここまではミシン用に蓄えた加工技術の転用だった。これに対し2015年6月の英ドミノプリンティングサイエンス取得は1,932億円を投じた買収で、2024年3月のローランドDGへの対抗TOB提案も同じ手法にある。技術の転用から買収へ替えたことが、のれんという新しい重さを損益計算書へ持ち込んだ。
現況
過去最高の利益を出しながら、買収で入った事業だけが損失を続けている。2026年3月期の連結売上収益8,934億円、営業利益778億円、純利益676億円はいずれも過去最高で、プリンティング・アンド・ソリューションズが売上5,705億円・営業利益580億円と利益の大半を生んだ。一方、1,932億円で取得したドミノを擁するインダストリアル・プリンティングは売上1,392億円に対し16億円の営業損失で、2021年3月期と2024年3月期に合わせて554億円ののれん減損を計上したうえでなお赤字が残る。ミシンを含むパーソナル・アンド・ホームは609億円・59億円にとどまった。2024年6月就任の池田和史社長は、中期戦略CS B2027で産業用印刷の収益化を実行課題の筆頭に置いている。
競合
シンガーに挑んだ会社が、現在は印刷機の相手とだけ向き合っている。1932年に家庭用ミシンを出したとき、市場の約9割は米シンガー社が握っていた。同じ国産ミシンから出発しながら、家庭用ミシンに残ったジャノメとは違ってブラザー工業は1989年に主力を情報通信機器へ移し、ミシンを含むパーソナル・アンド・ホームは現在の売上の7%にすぎない。競う相手は、1968年に計時用プリンターから印刷機へ入ったセイコーエプソンのような会社へ入れ替わった。2024年にはローランドDGを取り込もうとして価格の上乗せを見送っており、買収で入った産業用印刷では、共同開発先を資本で押さえる試みも通らなかった。
ブラザー工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1998年3月期2026年3月期

創業ストーリー 名古屋ミシン修理店から世界ブランドBROTHERへ──戦前期の事業基盤確立 (1908年〜)

安井ミシン商会と家庭用ミシン国産化の達成

1908年4月、熱田兵器廠の技師だった安井兼吉氏が職を辞し、名古屋市熱田区伝馬町に安井ミシン商会を開いた[1]。事業は中古ミシンを買い取って修理・販売することで、当時の精密加工技術が未熟だった日本市場ではシンガー社の輸入製品が大半のシェアを占め、国産化は手の届かない領域だった。長男・正義氏は九歳の頃から父のもとでミシンについて仕込まれている[2]。1925年、創業者の兼吉氏が逝去し、正義氏が家業を引き継いだ。正義氏の弟5人と妹4人の計10人がミシン修理業に加わり、熱田伝馬町の店を起点に兄弟経営の形が立ち上がった。同年11月の商号を安井ミシン兄弟商会への変更は[3]、こうした兄弟体制の制度化であった。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1908年4月 安井兼吉が名古屋市熱田区伝馬町に安井ミシン商会を創業(ミシン修理及び部品製造)
    • [3]1925年11月 商号を安井ミシン兄弟商会に変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]安井正義は九才(数え)の頃から父・兼吉のもとでミシンを教わった

1928年1月、不況でミシン修理需要が縮小するなか、安井兄弟は部品加工用の自由エキセン旋盤の内製化に成功し、麦わら帽子製造用の環縫ミシン(昭三式)を自社開発して販売を始めた。[4]商標『BROTHER』も1928年に制定[5]された。旋盤を自社で抱えて加工設備から組み上げる方式が、後の自社の工作機械内製化路線の起点となる。1932年11月、シンガー社が市場の約90%を握り外貨流出が経済課題として議論されるなか、正義氏は家庭用本縫ミシン『15種70型』を完成させ、家庭用ミシンの国産化に到達した。[6]戦時体制への移行のなかでシンガー社が日本市場から撤退すると、安井兄弟はその空白を取り込むべく組織を株式会社化し、1934年1月に名古屋市瑞穂区で日本ミシン製造を設立した。[7]創業から26年、修理店から国産メーカーへ転じる節目の法人化であった。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1928年1月 昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)の販売を開始
    • [5]商標「BROTHER」は1928年1月に制定
    • [6]1932年11月 家庭用本縫ミシンを完成させ家庭用ミシンの国産化に成功
    • [7]1934年1月 名古屋市瑞穂区に日本ミシン製造(後のブラザー工業)を設立

国産化の達成から法人化までの間には、量産体制を支える設備投資があった。1933年、安井兄弟は名古屋市堀田に約300坪の工場を建設し、同年秋には念願の国産家庭用ミシンの量産化[8]に乗り出した。正義氏が29歳のときである[9]。個人経営では家庭用ミシンの量産を支えきれないと判断し、組織を株式会社へ改めた。1934年1月15日の日本ミシン製造の創立にあたり、正義氏は専務取締役に就き[10]、公称資本金は24万円、払込みは6万円であった。[11]設備から組織まで自前で整える流儀が、後の工作機械内製化や事業多角化の素地となった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]1933年 名古屋市堀田に約300坪の工場を建設し、同年秋に国産家庭用ミシンの量産化に乗り出した
    • [9]量産化に乗り出した1933年当時、安井正義は29歳であった
    • [10]1934年1月15日 日本ミシン製造の創立、安井正義が専務取締役に就任
    • [11]日本ミシン製造の公称資本金は24万円、払込みは6万円であった
  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1908年4月 安井兼吉が名古屋市熱田区伝馬町に安井ミシン商会を創業(ミシン修理及び部品製造)
    • [3]1925年11月 商号を安井ミシン兄弟商会に変更
    • [4]1928年1月 昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)の販売を開始
    • [5]商標「BROTHER」は1928年1月に制定
    • [6]1932年11月 家庭用本縫ミシンを完成させ家庭用ミシンの国産化に成功
    • [7]1934年1月 名古屋市瑞穂区に日本ミシン製造(後のブラザー工業)を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]安井正義は九才(数え)の頃から父・兼吉のもとでミシンを教わった
    • [8]1933年 名古屋市堀田に約300坪の工場を建設し、同年秋に国産家庭用ミシンの量産化に乗り出した
    • [9]量産化に乗り出した1933年当時、安井正義は29歳であった
    • [10]1934年1月15日 日本ミシン製造の創立、安井正義が専務取締役に就任
    • [11]日本ミシン製造の公称資本金は24万円、払込みは6万円であった

戦中・戦後復興期の事業多角化と販売別法人化の伏線

1936年12月、日本ミシン製造は工業用本縫ミシンの製造を開始し[12]、家庭用に偏らない工業用ミシン事業の柱を立ち上げた。1941年7月、ミシンの国内販売を担うブラザーミシン[13]販売(後のブラザー販売)を別法人として設立した。販売子会社の経営はシンガー社出身の営業マンに委ね、製造側との資本関係は希薄なまま運営された。製造と販売を別法人に分ける構造はミシンの全国流通を加速させた一方、製造側が販売現場をコントロールしにくい弱点を残し、その負債処理は1999年4月のブラザー販売100%子会社化まで持ち越された。[14]

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1936年12月 工業用本縫ミシンの製造を開始
    • [13]1941年7月 国内販売会社ブラザーミシン販売(後のブラザー販売)を設立
    • [14]1999年4月 ブラザー販売を100%子会社化(製販分離の終止符)

日中戦争から太平洋戦争にかけては、工業用ミシンの製造で軍需に応じる時期が続いた。1939年には名古屋市南区浜田町に星崎工場を新設してテーブルの製造を始め[15]、ミシン本体以外の部材へも手を広げた。1942年に軍の管理工場の指定を受け、以後は一貫して工業用ミシンの製造に従事する[16]。1945年には戦災で工場の過半数を焼失したが、ただちに復興へ着手した[17]。1947年にはミシンの優秀性が認められて商工大臣賞を受け[18]、1949年には物価庁から最優秀ミシンとして特級品の指定を受けるとともに再び商工大臣賞を受賞した。[19]戦後復興のなかで、品質を軸に再起した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [15]1939年 名古屋市南区浜田町に星崎工場を新設しテーブルの製造を開始
    • [16]1942年 軍の管理工場の指定を受け、以後は一貫して工業用ミシンの製造に従事
    • [17]1945年 戦災で工場の過半数を焼失し、ただちに復興へ着手
    • [18]1947年 ミシンの優秀性を認められ商工大臣賞を受賞
    • [19]1949年 物価庁から最優秀ミシンとして特級品の指定を受け、再び商工大臣賞を受賞

戦後復興期、1947年5月に家庭用直線ミシンを上海向けに200台輸出して海外取引を再開した。[20]ミシンが夏に売れる季節商品であった事情から工場稼働率の平準化が課題となり、安井兄弟は精密加工の技術を別領域へ転用する道を選んだ。1954年4月にミシン製造の金属プレス技術を応用して家庭用編機・電気洗濯機の生産を開始[21]、同年5月には米国カリフォルニア州にブラザーインターナショナル(U.S.A.)を設立し[22]、ミシン輸出の現地販売拠点を構えた。創業46年目の米国子会社設立で、後の北米市場での主力事業を支えるネットワークの起点を作った。1957年には冷蔵庫へも参入し、1970年代までは家電が売上の10〜20%を占める時期があった。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1947年5月 家庭用直線ミシンを上海向けに200台輸出
    • [21]1954年4月 家庭用編機・電気洗濯機の生産を開始
    • [22]米国ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)の設立は1954年5月(沿革・timelineと一致)
  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1936年12月 工業用本縫ミシンの製造を開始
    • [13]1941年7月 国内販売会社ブラザーミシン販売(後のブラザー販売)を設立
    • [14]1999年4月 ブラザー販売を100%子会社化(製販分離の終止符)
    • [20]1947年5月 家庭用直線ミシンを上海向けに200台輸出
    • [21]1954年4月 家庭用編機・電気洗濯機の生産を開始
    • [22]米国ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)の設立は1954年5月(沿革・timelineと一致)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [15]1939年 名古屋市南区浜田町に星崎工場を新設しテーブルの製造を開始
    • [16]1942年 軍の管理工場の指定を受け、以後は一貫して工業用ミシンの製造に従事
    • [17]1945年 戦災で工場の過半数を焼失し、ただちに復興へ着手
    • [18]1947年 ミシンの優秀性を認められ商工大臣賞を受賞
    • [19]1949年 物価庁から最優秀ミシンとして特級品の指定を受け、再び商工大臣賞を受賞

自前技術の転用から始まった事務機器・工作機械への多角化

1958年10月、アイルランドに[23]ブラザーインターナショナルヨーロッパを設立して欧州市場参入の足場を作った。1961年5月、米国輸出子会社の現地社長からの要請を受けて欧文ポータブルタイプライターの生産を開始した[24]。当時の米国では事務合理化の需要が広がり、安さで差別化する日本製タイプライターに受け皿があった。これがブラザーの事務機器事業の起点である。1962年7月、経営の多角化に合わせて社名を日本ミシン製造からブラザー工業に変更[25]、同年11月にはミシン製造のために内製していたタッピングマシンの外販を開始し、工作機械を独立した事業領域として切り出した。[26]1963年1月、東京・名古屋・大阪の三証券取引所に株式を上場し[27]、創業55年で資本市場での調達経路を整えた。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1958年10月 アイルランドにブラザーインターナショナルヨーロッパを設立
    • [24]1961年5月 欧文ポータブルタイプライターの生産を開始(事務機器事業の起点)
    • [25]1962年7月 社名を日本ミシン製造からブラザー工業に変更
    • [26]1962年11月 タッピングマシンの生産を開始し工作機械分野へ進出
    • [27]1963年1月 東京・名古屋・大阪の三証券取引所に株式を上場

1965年8月にコンパクト電動タイプライターの米国向け輸出を本格化[28]、1966年6月には電子卓上計算機の生産を開始してエレクトロニクス領域へ踏み込んだ。[29]1968年には経営不振だった英ジョーンズ・ソーイングマシン社(英国シェア2位)の株式42.5%を取得し、欧米でのミシン販売シェア確保を狙う初の本格的な海外買収を実施、1972年までに過半数取得の方針を公表した。1971年2月、米セントロニクス社向けのOEMとして高速[30]ドットプリンターの生産を開始した。事務機器の主役がタイプライターからプリンターへ移る転換期で、これが現主力のP&S事業の起点となる。1971年のニクソンショックを起点とする円高ドル安でミシン輸出の採算が悪化したため、1978年11月に台湾で家庭用ミシン製造会社・台弟工業を新設し[31]、為替リスクを抑える海外生産の試みが始まった。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1965年8月 コンパクト電動タイプライターを米国向けに輸出開始
    • [29]1966年6月 電子卓上計算機の生産を開始(エレクトロニクス事業の起点)
    • [30]1971年2月 米セントロニクス社と共同開発した高速ドットプリンターの出荷を開始(主力プリンティング事業の起点)
    • [31]1978年11月 台湾に家庭用ミシン製造会社・台弟工業を設立
  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1958年10月 アイルランドにブラザーインターナショナルヨーロッパを設立
    • [24]1961年5月 欧文ポータブルタイプライターの生産を開始(事務機器事業の起点)
    • [25]1962年7月 社名を日本ミシン製造からブラザー工業に変更
    • [26]1962年11月 タッピングマシンの生産を開始し工作機械分野へ進出
    • [27]1963年1月 東京・名古屋・大阪の三証券取引所に株式を上場
    • [28]1965年8月 コンパクト電動タイプライターを米国向けに輸出開始
    • [29]1966年6月 電子卓上計算機の生産を開始(エレクトロニクス事業の起点)
    • [30]1971年2月 米セントロニクス社と共同開発した高速ドットプリンターの出荷を開始(主力プリンティング事業の起点)
    • [31]1978年11月 台湾に家庭用ミシン製造会社・台弟工業を設立

1983年の業態転換顕在化とFAX-600による事務機器の救済

1983年度のブラザー工業の売上構成は、事務機器が39.3%とミシンの27.9%を上回り、創業以来の祖業をオフィス向けタイプライターが凌駕した。創業から75年で業態転換が数字に表れた節目であった。タイプライター輸出をめぐる日米貿易摩擦への対応として、1985年2月に英国・ブラザーインダストリーズ(U.K.)[32]、1986年9月に米国・ブラザーインダストリーズ(U.S.A.)をそれぞれタイプライターの製造拠点として設立した。[33]1987年3月の感熱ファクスOEM供給開始で情報通信機器分野へ参入[34]、同年8月には自社製コントローラーを搭載したモノクロレーザープリンターの生産を開始して[35]、後の主力事業の輪郭を形作った。1988年11月には熱転写技術を応用したラベルライター(P-Touch)の販売を始め[36]、ミシン用に蓄えた精密加工技術を異領域へ転用する流れを継続させた。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1985年2月 英国にタイプライター製造会社ブラザーインダストリーズ(U.K.)を設立
    • [33]1986年9月 米国にタイプライター製造会社ブラザーインダストリーズ(U.S.A.)を設立
    • [34]1987年3月 感熱ファクスのOEM供給を開始(情報通信機器事業の起点)
    • [35]1987年8月 自社製コントローラー搭載モノクロレーザープリンターの生産を開始
    • [36]1988年11月 熱転写技術を応用したラベルライター(P-Touch)の販売を開始

1989年、円高でタイプライター輸出の採算が悪化するなか、安井義博社長は『21世紀委員会』を発足させ、若手社員の発案を集めて長期計画を議論した。委員会から打ち出された3つの新規事業は『タケル』(ソフトウェアの通信販売)、カラーコピー機、ファクスである。1991年5月、カラーコピー機の開発は100億円を投じて挫折し、製造の新規事業として残ったのはFAXだけだった。1992年、撤退案も議論された事務機器部門を立て直したのが、菅原徹明氏率いる画像システム事業部の『FAX-600』である。米国市場の主流価格799ドルに対し、市場調査から『安さに需要あり』と判断、399ドルで投入する逆算設計を採った。部品調達と工程進捗を並行管理し、製造拠点には1991年12月に設立した中国・珠海兄弟工業ではなく、深圳の南嶺工場での委託生産を選んだ。[37]米国FAX市場をブラザーが席巻する契機となり、1995年3月には小型レーザー複合機(ファクス・プリンター・コピー・スキャナー)の生産を始めて複合機事業の起点を作った。[38]1992年5月にはタケルから派生した株式会社エクシングを設立し、ディスク型から通信型への過渡期にあった通信カラオケ事業で通信型に絞って参入[39]、同年10月には業界初のISDN回線を利用した通信カラオケの販売を始めた。[40]エクシング事業はFY1996に最終赤字32億円を抱えるなど立ち上げは平坦ではなく、現在のN&C事業の出発点となった。

  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1991年12月 中国・珠海兄弟工業を設立
    • [38]1995年3月 ファクス・プリンター・コピー・スキャナー機能を持つ小型レーザー複合機の生産を開始(複合機事業の起点)
    • [39]1992年5月 株式会社エクシングを設立し通信カラオケ事業に進出
    • [40]1992年10月 業界初のISDN回線を利用した通信カラオケの販売を開始
  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1985年2月 英国にタイプライター製造会社ブラザーインダストリーズ(U.K.)を設立
    • [33]1986年9月 米国にタイプライター製造会社ブラザーインダストリーズ(U.S.A.)を設立
    • [34]1987年3月 感熱ファクスのOEM供給を開始(情報通信機器事業の起点)
    • [35]1987年8月 自社製コントローラー搭載モノクロレーザープリンターの生産を開始
    • [36]1988年11月 熱転写技術を応用したラベルライター(P-Touch)の販売を開始
    • [37]1991年12月 中国・珠海兄弟工業を設立
    • [38]1995年3月 ファクス・プリンター・コピー・スキャナー機能を持つ小型レーザー複合機の生産を開始(複合機事業の起点)
    • [39]1992年5月 株式会社エクシングを設立し通信カラオケ事業に進出
    • [40]1992年10月 業界初のISDN回線を利用した通信カラオケの販売を開始

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ブラザー工業の沿革1908〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1908〜1957年名古屋ミシン修理店から世界ブランドBROTHERへ──戦前期の事業基盤確立安井ミシン商会を創設
商号を安井ミシン兄弟商会に変更
昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)の販売を開始しBROTHERを商標化
家庭用ミシンの国産化に成功★★
日本ミシン製造(後のブラザー工業)を設立
工業用本縫ミシンの製造を開始
国内販売会社ブラザーミシン販売(後のブラザー販売)を設立
家庭用直線ミシンを上海向けに200台輸出
家庭用編機・電気洗濯機の生産を開始
ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)を設立
1958〜1996年事務機器・タイプライター・複合機への業態転換と上場アイルランドにブラザーインターナショナルヨーロッパを設立
ミシン輸出累計100万台を突破
欧文ポータブルタイプライターの生産を開始★★
社名をブラザー工業に変更
工作機械分野に参入★★
東京・名古屋・大阪の三証券取引所に株式を上場
電子卓上計算機の生産開始
セントロニクス社と共同開発した高速ドットプリンターの出荷を開始★★
ブラザーインダストリーズを設立
家庭用ミシン製造会社台弟工業を設立
家庭用コンピューターミシンの生産開始
CNCタッピングセンターの販売開始
感熱ファクスのOEM供給を開始
自社製コントローラー搭載モノクロレーザープリンターの生産開始
安井義博熱転写技術を応用したラベルライターの販売開始
安井義博ミシン・タイプライターから情報通信機器への業態転換

1989年に第8代社長へ就いた安井義博氏のもと、ブラザー工業がミシン・タイプライターから情報通信機器(プリンター・複合機)へ主力を移した業態転換。失敗を罰しない文化と社長直轄の新事業育成で、情報機器への選択と集中を進めた経営判断。

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★★★
安井義博コンピューター刺しゅう機付きミシンの販売開始
安井義博通信カラオケ事業に参入★★
安井義博自社製エンジン搭載モノクロレーザープリンターの生産開始
安井義博ファクス・プリンター・コピー・スキャナー機能を持つ小型レーザー複合機の生産開始
1997〜2024年グローバルビジョンと中期戦略連鎖による事業構造変革安井義博自社製インクジェットヘッド搭載カラーインクジェット複合機の販売開始★★
安井義博中期戦略「CS B2002」を策定し社内カンパニー制・執行役員制・社外取締役を導入
平田誠一プリンターのインクジェット技術応用ガーメントプリンターの販売開始
平田誠一レーザープリンター生産委託を自社運営に転換し兄弟高科技(深圳)を設立
平田誠一自社製カラーレーザーエンジン搭載カラーレーザープリンター・複合機の販売開始
小池利和HOYAからモバイルプリンター事業を譲受
小池利和エクシングがBMBを買収し子会社化
小池利和株式公開買付でニッセイを子会社化★★
小池利和エクシングがテイチクエンタテインメントを子会社化
小池利和ドミノプリンティングサイエンスを子会社化★★
佐々木一郎コーンズテクノロジーから国内ドミノ事業を譲受
佐々木一郎株式公開買付でニッセイを完全子会社化
佐々木一郎ブラザーグループビジョン「At your side 2030」を始動
佐々木一郎ローランドDGへの対抗TOB提案と、その断念

2024年3月13日、ブラザー工業が、MBOによる非公開化を進めていた産業印刷機中堅のローランド ディー.ジー.(DG)に対し、1株5200円での対抗TOBを予告した経営判断。両社に事前の合意はなく、いわゆる『同意なき買収』となったが、ブラザーは5月に価格を引き上げないと決め、提案を取り下げた。

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★★★
池田和史ブラザーマシナリーで工作機械の生産を開始
出典・参考
  • ブラザー工業 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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