決断
多角化の範囲を、光学の技術の内側に限ってきた会社である。カメラは景気の波をまともに受ける単品で、不況のたびに無配へ転じた。1957年の不況を受けて田嶋一雄氏が多角化を指令したときも、範囲は技術の共通性で切られ、電卓とタイプライターは外れて複写機などに絞られた。その結果、事務用複写機の売上構成比は1985年3月期に46%へ上がってカメラを抜き、同じ1985年にはオートフォーカス一眼レフα-7000を通常の4倍の初回投入で発売した。一方で、光学の外に事業を持たなかったことが、カメラと複写機がそろって細った1990年代に資源を移す事業を残さなかった。
1992年3月 ハネウェルとの特許和解
1985年2月 α-7000の発売
α-7000の発売成熟したと見られていた一眼レフ市場に対し、オートフォーカスという技術でピント合わせの不満を解消し、1桁だった国内シェアを取り戻す判断同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1984 1985 売上高(億円) 1,334 1,504 経常利益率(%) 4.9 4.8 1928年11月 田嶋一雄氏の創業