1987年にハネウェルが示した和解額は2,000万〜3,000万ドルで、5年後に払った1億2,750万ドルの4分の1にも満たない。それでも、争う判断を後知恵で責めるのは難しい。相談した米国の特許専門弁護士は侵害していないと答え、最悪でも賠償は500万ドル前後という見立てを添えていた。誤算があったのは特許の中身の読みではなく、その中身を争う場所の読みであったと思われる。裁判官ではなく陪審が判断する法廷で、概念的すぎるという反論は通らなかった。
もっとも、敗訴を受け入れるまでの5年間に訴訟費用は43億円に達し、争うための組織のほうが先に崩れていた。40人近い弁護士を抱えながら少人数の相手に及ばなかったという指摘は、個々の能力ではなく指揮系統の問題を指している。いったん評決が出たあとの動きは速く、控訴を捨てて全世界ライセンスまで取り付けた判断は、控訴の勝算の低さを正面から受け止めている。高くついたのは和解金よりも、そこに至るまでの時間であった。