萩原晴二氏が社長就任(1993年・横浜ゴムの決断) 更新:2026/07/15 論点 コスト削減路線の継続と構造改革による収益基盤の立て直し 売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所 冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年 冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年 概要 1993年3月、本山一雄前社長(当時会長)から社長を託された萩原晴二氏が、円高による輸出環境の悪化を背景にコスト削減へ経営の的を絞った。 背景 バブル崩壊後の円高でタイヤ業界の輸出環境が悪化し、萩原氏は就任早々に一部製造ラインの停止さえ覚悟する危機感を語った。本山一雄会長も1994年、追い風のなかで次の逆風を読むよう説き、危機感は社長交代をまたいで持続していた。 内容 仏ミシュランによる買収の憶測に対しては独コンチネンタルとの提携強化で応じ、資本の独立を保つ方針を明確にした。 含意 世界市場でブリヂストン・ミシュラン・グッドイヤーの3強寡占が強まり、国内3位の住友ゴム工業までがグッドイヤー陣営に加わるなかで、横浜ゴムは単独での生き残りを選んだ。 いつ何が起きたか 8件 筆者の見解 二代の危機感が残したもの 筆者の見解 二代の危機感が残したもの この10年を貫くのは、社長が交代してもなお引き継がれた危機感の連続性である。冨永氏が1999年に730日という期限で改革を始めたのも、同じ危機感を、より具体的な7プロジェクトへ落とし込んだ延長線上にあったと推察される。世界の3強寡占とグッドイヤー陣営に加わった住友ゴムという外部環境の変化が、その危機感に絶えず現実味を与えていた。 もっとも、この抗戦が続いた背景には、横浜ゴムが単独でタイヤ事業を続けるという選択そのものへの緊張感もうかがえる。ミシュランによる買収憶測を一蹴しコンチネンタルとの提携にとどめた判断は、規模で劣る企業が独立を保つための現実解であった。二代の社長が築いた収益基盤が、その後どこまで規模の差を埋められたかは、その後の経営判断に委ねられている。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 出典・参考日経ビジネス 1993年5月10日号日経ビジネス 1994年1月17日号(本山一雄・横浜ゴム会長)日経ビジネス 1999年6月21日号日経ビジネス 2004年10月25日号(冨永靖雄・横浜ゴム会長)横浜ゴム 有価証券報告書 第166期(2024年12月期)【沿革】横浜ゴム 会社年鑑(連結業績) 横浜ゴムの意思決定1978年グッドリッチが資本離脱外資の後ろ盾を失った後の「ADVAN」投入と独自路線の確立1993年萩原晴二氏が社長就任2016年ATG・TWS・グッドイヤーOTRの連続取得オフハイウェイタイヤ事業への連続M&Aによる事業構成の転換同じ問い:社長交代と後継指名2009年ソニーストリンガー氏が社長兼務CEOと社長を一人に集約し、エレクトロニクスとゲームを一体で動かす体制への転換2021年DeNA岡村信悟氏が社長就任10年ぶりの社長交代と、費用構造の筋肉質化による収益基盤の立て直し1994年三菱電機構造改革と社長の引責辞任長く3位にとどまった地位からの脱却を掲げた改革と、半導体投資の誤算1992年ミノルタハネウェルとの特許和解陪審評決を受けて控訴を見送り、1億2,750万ドルを支払う決着1997年三菱石油泉井事件で会長辞任山田菊男会長の引責と泉谷良彦社長の続投という責任の分担 × 出所