萩原晴二氏が社長就任(1993年・横浜ゴムの決断)

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論点 コスト削減路線の継続と構造改革による収益基盤の立て直し
売上高(億円)当期純利益率(%)
冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年

冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年

概要

1993年3月、本山一雄前社長(当時会長)から社長を託された萩原晴二氏が、円高による輸出環境の悪化を背景にコスト削減へ経営の的を絞った。

背景

バブル崩壊後の円高でタイヤ業界の輸出環境が悪化し、萩原氏は就任早々に一部製造ラインの停止さえ覚悟する危機感を語った。本山一雄会長も1994年、追い風のなかで次の逆風を読むよう説き、危機感は社長交代をまたいで持続していた。

内容

仏ミシュランによる買収の憶測に対しては独コンチネンタルとの提携強化で応じ、資本の独立を保つ方針を明確にした。

含意

世界市場でブリヂストン・ミシュラン・グッドイヤーの3強寡占が強まり、国内3位の住友ゴム工業までがグッドイヤー陣営に加わるなかで、横浜ゴムは単独での生き残りを選んだ。

いつ何が起きたか 8件
筆者の見解 二代の危機感が残したもの
筆者の見解

二代の危機感が残したもの

この10年を貫くのは、社長が交代してもなお引き継がれた危機感の連続性である。冨永氏が1999年に730日という期限で改革を始めたのも、同じ危機感を、より具体的な7プロジェクトへ落とし込んだ延長線上にあったと推察される。世界の3強寡占とグッドイヤー陣営に加わった住友ゴムという外部環境の変化が、その危機感に絶えず現実味を与えていた。

もっとも、この抗戦が続いた背景には、横浜ゴムが単独でタイヤ事業を続けるという選択そのものへの緊張感もうかがえる。ミシュランによる買収憶測を一蹴しコンチネンタルとの提携にとどめた判断は、規模で劣る企業が独立を保つための現実解であった。二代の社長が築いた収益基盤が、その後どこまで規模の差を埋められたかは、その後の経営判断に委ねられている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1993年5月10日号
  • 日経ビジネス 1994年1月17日号(本山一雄・横浜ゴム会長)
  • 日経ビジネス 1999年6月21日号
  • 日経ビジネス 2004年10月25日号(冨永靖雄・横浜ゴム会長)
  • 横浜ゴム 有価証券報告書 第166期(2024年12月期)【沿革】
  • 横浜ゴム 会社年鑑(連結業績)

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