芳賀龍臥氏が1985年に松坂屋の門を叩いたとき、目を付けたのは商売の弱みではなく、創業家を追った者と追われた者がにらみ合う社内の割れ目であった。鈴木正雄氏が伊藤家の支配を解いたことで、松坂屋は同族会社の統治を失いながら、それに代わる統治を持たないまま12年を過ごした。総会担当を務めた糸川英夫氏が同期最速で取締役に就任し、同じく秘書室を経た伊藤旺氏が社長になった人事は、その空白の産物だったと推察される。
ただし、この事件が統治を作り直したと言い切るのは難しい。摘発された利益供与は商品券など数十万円分にすぎず、会社を実際に痛めたのは、四日市店の188億円の累積損失や、1966年の移転以来黒字を知らない大阪店といった別の負債であった。総会屋との関係と不採算店の温存が同じ時期に噴き出したのは、どちらも先延ばしという同じ癖から出ていたからだと思われる。逮捕は、その癖を外から断ち切る力として働いたといえる。