決断
駅の乗降客をそのまま売場へ導く前提で、店の広さと営業時間を組み立てた会社である。阪神急行電鉄は1931年12月に第2期、1932年11月に第3期の増築館を開店し、1935年10月には地下鉄の梅田駅と地下1階を通路で結んだ。1936年3月の第4期東館の開店で、阪急ビルは総面積5万6,200平方メートルの駅ビルとなった。同年4月には神戸線の三宮乗り入れに合わせ、神戸阪急会館に直営食堂と地階の食料品売場を新設している。一方で、百貨店法により1938年1月から閉店は午後9時から6時に繰り上がり、勤め帰りの客で混む時間帯を失った。戦時の1944年には百貨店部を物資配給部、次いで物資配給局に改め、電鉄の副業部門としての拘束を理由に、1946年12月に分離独立へ動いた。