決断
改革を終えてから宣言し、宣言のあとは店の数で伸びた。1895年11月に本店の階上を陳列場へ改築し、1900年10月には全階を陳列場として座売りを全廃した。そのうえで1904年12月に資本金50万円の株式会社となり、デパートメントストア宣言を発した。1928年6月に商号を三越へ改め、そこから1933年までの6年で神戸・銀座・新宿・高松・札幌・仙台の6店を置いている。戦後も1957年に池袋店、1968年に枚方店、1971年にパリ三越と広げた。ところが1988年には売場の中身ではなく店の外へ向かい、土地取得だけで580億円のゴルフ場開発へ進んだ。伸ばす手段を店の数から店の外へ移した時点で、百貨店としての改革は止まった。
2005年 横浜など4店を閉鎖
横浜など4店を閉鎖4店で年40億円の赤字が慢性化する一方、日本橋本店新館・専門館・大阪駅前再開発への投資を同時に抱える資金余力がなく、不採算店の閉鎖と人員削減に踏み切った同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移2004 2005 2008 売上高(億円) 4,705 8,878 7,740 経常利益率(%) 2.7 1.9 1.6 1988年 580億円の八街カントリークラブ開発
1904年12月 デパートメントストア宣言