大阪店の閉鎖は、1996年11月に梅田を取れなかったことの後始末であった。二番札のパルコより低い値を付けてヨドバシカメラに敗れたあと、三越は北浜の店を改修して固定客をつなぐ方針を採り、人の流れの外で赤字を積んだ。315年の店を閉鎖したのは、立地を取り直す機会を逃した判断を、これ以上先へ延ばせなくなったからだと思われる。4店で年40億円という赤字額には、その先延ばしに払った分が含まれている。
ただし、この整理で会社の負担が軽くなったとは言いにくい。含み益で連結欠損金133億円を消し、4店と1,000人を削減した後も、連結営業利益は高島屋の半分程度にとどまった。含み資産を先に使ったことは、土地の含み益1,000億円を理由に買収の標的と名指される状況も残した。過去の清算と本業の立て直しは別の作業であったといえる。2年後、三越は単独での改革を断念し、伊勢丹との経営統合へ向かった。