決断
百貨店を鉄道から切り離したのは、売場の狭さを解くためだった。阪神百貨店は国鉄大阪駅の正面という立地に恵まれながら売場面積が狭く、大手の百貨店に比べて大きく見劣りした。1951年8月、土地部長と不動産部長を務めた野田誠三氏が阪神電気鉄道の社長に就任する。百貨店法で売場の拡張が制限される時期に、数十年来の宿願だった阪神ビルの大増築に着手し、1957年6月中旬に延べ3,000坪の新館を落成させて全館を総面積1万4,000坪超へ広げる計画を立てた。並行して百貨店部門を資本金5,000万円の別会社へ移し、増築と分離を一体で進めたことが、鉄道の一部門だった売場を独立した百貨店に変えた。