阪神百貨店:阪神電気鉄道の「阪神マート」開業と阪神百貨店への屋号変更
1933年〜旧梅田停留場跡の食料品店「阪神マート」と、大阪駅前の地下への移転
阪神百貨店の起点は、阪神電気鉄道が1933年3月に旧梅田停留場の跡で開業した食料品店「阪神マート」である。阪神電気鉄道は、1905年4月に神戸と大阪の間で電気鉄道の営業を始めた会社だった。1908年からは沿線の地域へ電灯と電力を供給する事業も兼ねており、鉄道以外の兼業を早くから抱えていた。阪神マートも同じく鉄道の付帯事業として出発し、開業時の業態は百貨店ではなく食料品店だった。停留場が移って空いた駅前の土地を、通勤客が日々求める食品の売場に充てて乗降客を店へ呼び込もうとしたとみられる。
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [1]1933年3月、阪神電気鉄道が付帯事業として旧梅田停留場に食料品店「阪神マート」を開業し、これが阪神百貨店の起源
- [4]1933年3月、阪神電気鉄道が付帯事業として旧梅田停留場に食料品店「阪神マート」を開業し、これが阪神百貨店の起源
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神電気鉄道」
- [2]阪神電気鉄道は1905年4月に神戸・大阪間の複線電気鉄道の営業を開始し、1908年以来沿線の電灯電力供給事業を兼営
- [3]阪神電気鉄道は1905年4月に神戸・大阪間の複線電気鉄道の営業を開始し、1908年以来沿線の電灯電力供給事業を兼営
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- [5]阪神百貨店の前身は1933年3月に阪神電鉄の付帯事業として旧梅田停留所に開業した「阪神マート」
1940年5月、阪神マートは旧梅田停留場の跡から大阪駅前の地下へ移転。この地点は、その後の阪神百貨店が店を構え続ける場所になった。この店は国鉄大阪駅の正面と阪神電気鉄道の梅田の停留場に面し、1967年には交通機関の乗降客が1日220万人を超えていた。移転の前年にあたる1939年、阪神電気鉄道は大阪駅前への延長線を開通させた。阪神電気鉄道の側の記録では、阪神マートの開業そのものが1940年5月とされている。旧停留場跡の食料品店を、新しい駅に直結する地下の売場として開き直したと推察される。
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [6]1940年5月、阪神マートは大阪駅前地下の現在地(1968年時点の本店所在地)へ移転
- [7]1940年5月、阪神マートは大阪駅前地下の現在地(1968年時点の本店所在地)へ移転
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- [8]阪神マートは1940年5月に大阪駅前地下の現在地へ移転(1967年時点の店舗も同地)。国鉄大阪駅正面・阪神電鉄梅田停留場に位置し、各種交通機関の乗降客は1日220万人超(1967年)
- [9]阪神マートは1940年5月に大阪駅前地下の現在地へ移転(1967年時点の店舗も同地)。国鉄大阪駅正面・阪神電鉄梅田停留場に位置し、各種交通機関の乗降客は1日220万人超(1967年)
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神電気鉄道」
- [10]阪神電気鉄道は1939年に大阪駅前延長線を開通させ、1940年に梅田地下に阪神マートを開業
- [11]阪神電気鉄道は1939年に大阪駅前延長線を開通させ、1940年に梅田地下に阪神マートを開業
- 日本企業要覧 1960年版「阪神電気鉄道」
- [12]阪神電気鉄道の沿革に1940年5月阪神マート開業と記載
参考文献[1]-[12]
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [1]1933年3月、阪神電気鉄道が付帯事業として旧梅田停留場に食料品店「阪神マート」を開業し、これが阪神百貨店の起源
- [4]1933年3月、阪神電気鉄道が付帯事業として旧梅田停留場に食料品店「阪神マート」を開業し、これが阪神百貨店の起源
- [6]1940年5月、阪神マートは大阪駅前地下の現在地(1968年時点の本店所在地)へ移転
- [7]1940年5月、阪神マートは大阪駅前地下の現在地(1968年時点の本店所在地)へ移転
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神電気鉄道」
- [2]阪神電気鉄道は1905年4月に神戸・大阪間の複線電気鉄道の営業を開始し、1908年以来沿線の電灯電力供給事業を兼営
- [3]阪神電気鉄道は1905年4月に神戸・大阪間の複線電気鉄道の営業を開始し、1908年以来沿線の電灯電力供給事業を兼営
- [10]阪神電気鉄道は1939年に大阪駅前延長線を開通させ、1940年に梅田地下に阪神マートを開業
- [11]阪神電気鉄道は1939年に大阪駅前延長線を開通させ、1940年に梅田地下に阪神マートを開業
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- [5]阪神百貨店の前身は1933年3月に阪神電鉄の付帯事業として旧梅田停留所に開業した「阪神マート」
- [8]阪神マートは1940年5月に大阪駅前地下の現在地へ移転(1967年時点の店舗も同地)。国鉄大阪駅正面・阪神電鉄梅田停留場に位置し、各種交通機関の乗降客は1日220万人超(1967年)
- [9]阪神マートは1940年5月に大阪駅前地下の現在地へ移転(1967年時点の店舗も同地)。国鉄大阪駅正面・阪神電鉄梅田停留場に位置し、各種交通機関の乗降客は1日220万人超(1967年)
- 日本企業要覧 1960年版「阪神電気鉄道」
- [12]阪神電気鉄道の沿革に1940年5月阪神マート開業と記載
1946年〜戦後の売場拡張と、1階まで広げた阪神マートの阪神百貨店への改称
戦後、阪神電気鉄道は阪神マートの売場を段階を追って広げた。1951年8月、野田誠三氏が阪神電気鉄道の社長に就任。野田誠三氏は京都大学で土木工学を修めて1922年に入社し、1940年に土地部長、1945年に不動産部長兼事業部長を務めた技術者だった。1955年の時点で、阪神電気鉄道は主な事業として軌道業・自動車運送業・不動産業に続く4番目に百貨店を掲げていた。百貨店の事業場は、大阪市北区梅田の阪神ビルの中に置かれた。土地と建物を扱ってきた野田誠三氏の社長就任で、駅前ビルを使う百貨店の拡張が経営の課題に上りやすくなったのだろう。
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [13]戦後、阪神マートの売場拡張が逐次行われた
- 日本経済新報 10(15) 1957年(舜堂)
- [14]野田誠三氏は1922年京大工学部土木工学科卒・同年阪神電鉄入社、1940年土地部長、1945年不動産部長兼事業部長、1951年8月社長就任
- [15]野田誠三氏は1922年京大工学部土木工学科卒・同年阪神電鉄入社、1940年土地部長、1945年不動産部長兼事業部長、1951年8月社長就任
- 株式会社年鑑 1956年版「阪神電気鉄道」
- [16]1955年時点の阪神電気鉄道の主なる事業内容は軌道業・自動車運送事業・不動産売買賃貸・百貨店等で、阪神百貨店の事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
- [17]1955年時点の阪神電気鉄道の主なる事業内容は軌道業・自動車運送事業・不動産売買賃貸・百貨店等で、阪神百貨店の事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
1951年11月、阪神マートは売場を1階まで広げ、これを機に名称を阪神百貨店に改めた。改称のあとも法人は分かれておらず、店は阪神電気鉄道が営む一部門のままだった。百貨店が資本金5,000万円の株式会社として鉄道から独立するのは、1957年6月のことである。地下の食料品店は、地上の1階まで売場を広げた段階で百貨店を名乗った。1967年の時点で、阪神百貨店は後発の百貨店ながら日本一の広さの食料品売場を特色としていた。食料品店から始まった出自は、改称後も食品売場の厚さとして引き継がれたと思われる。
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [18]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- [19]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- [22]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- [20]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
- [21]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
- [23]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
阪神百貨店は立地に恵まれながら売場面積が狭く、大手百貨店と比べて大きく見劣りした。1956年時点でも、百貨店は阪神ビルの中で営む鉄道会社の一事業だった。阪神電気鉄道は、百貨店法で売場の自由な拡張が制限される時期に、数十年来の宿願として阪神ビルの大増築に着手した。1957年6月中旬に地上4階・地下2階・延べ3,000坪の新館を落成させ、全館を地上8階・総面積1万4,000坪超へ広げる計画だった。並行して百貨店部門を別会社へ移す準備を進め、百貨店部長の南部知伸氏を新会社の常務に充てる人事も固めた。向かいの阪急百貨店に対する売場の狭さという競争劣位を、増築と分離を一体で進めて解消しようとしたと考えられる。
- 日本経済新報 10(15) 1957年(舜堂)
- [24]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [26]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [27]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [28]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- 株式会社年鑑 1956年版「阪神電気鉄道」
- [25]1955年時点で阪神電気鉄道の事業に百貨店があり、事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
参考文献[13]-[28]
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- [13]戦後、阪神マートの売場拡張が逐次行われた
- [18]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- [19]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- [22]1951年11月、1階に売場が拡張されたのを機に名称を「阪神マート」から「阪神百貨店」に改称。1957年6月に新会社へ百貨店営業部門を譲渡
- 日本経済新報 10(15) 1957年(舜堂)
- [14]野田誠三氏は1922年京大工学部土木工学科卒・同年阪神電鉄入社、1940年土地部長、1945年不動産部長兼事業部長、1951年8月社長就任
- [15]野田誠三氏は1922年京大工学部土木工学科卒・同年阪神電鉄入社、1940年土地部長、1945年不動産部長兼事業部長、1951年8月社長就任
- [24]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [26]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [27]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- [28]阪神百貨店は地の利に恵まれながら売場面積が狭く大百貨店に見劣りし、百貨店法で拡張が制限される時期に何十年来の宿願として大拡張に着手。1957年6月中旬に地上4階地下2階延3千坪の新館落成、全館地上8階・総面積1万4千坪超の計画。百貨店部長の南部知伸氏が新会社常務に転出予定。阪急百貨店と向かい合う
- 株式会社年鑑 1956年版「阪神電気鉄道」
- [16]1955年時点の阪神電気鉄道の主なる事業内容は軌道業・自動車運送事業・不動産売買賃貸・百貨店等で、阪神百貨店の事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
- [17]1955年時点の阪神電気鉄道の主なる事業内容は軌道業・自動車運送事業・不動産売買賃貸・百貨店等で、阪神百貨店の事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
- [25]1955年時点で阪神電気鉄道の事業に百貨店があり、事業場は大阪市北区梅田1(阪神ビル内)
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- [20]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
- [21]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
- [23]1951年11月に阪神百貨店と改称、1957年6月に阪神電鉄から分離独立し資本金5,000万円の株式組織に。後発百貨店で日本一の広さの食料品売場を擁する
出典・参考
6件
- 株式会社年鑑 1956年版「阪神電気鉄道」
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神百貨店」
- 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「阪神電気鉄道」
- 週刊日本経済 20(43) 1967年11月2日号
- 日本経済新報 10(15) 1957年(舜堂)
- 日本企業要覧 1960年版「阪神電気鉄道」