証券 1987年39巻3号「新規上場会社紹介 株式会社パルコ」
- [1]設立目的は池袋駅東口ビルの改装と運営
- [7]大阪店頭登録の登録日 昭和38年(1963年)7月25日
- [8]1960年代に百貨店業界の売場面積拡張競争へ有効な対抗手段を取れず経営状態が悪化
- [31]電線の地下埋設・歩道の拡張など渋谷公園通りの開発
- [54]1976年9月 岐阜パルコ店、1976年12月 千葉パルコ店を開店
- [55]上場年月日 昭和62年(1987年)1月23日、上場時の代表者は取締役社長 増田通二氏、所属部は市場第二部
有価証券報告書
- [2]1953年2月 東京都豊島区南池袋に池袋ステーションビル株式会社を設立
- [3]1954年10月 丸物の資本参加を得て事業目的を百貨店業へ変更
- [5]1957年5月 株式会社東京丸物へ商号変更、同年12月 店名「東京丸物」で百貨店業を開始
- [6]1963年7月 東京丸物が日本証券業協会大阪地区協会の登録銘柄に登録
- [18]1969年6月 東京丸物を閉店しパルコ開設準備に着手、同年11月 池袋パルコ開店
- [19]1970年4月 株式会社東京丸物から株式会社パルコへ商号変更
- [26]1973年6月 株式会社東京パルコが渋谷パルコを開店、パルコ劇場(旧西武劇場)の運営開始
- [33]1974年3月 株式会社東京パルコを吸収合併し渋谷パルコを承継
- [53]1975年8月 札幌、1977年7月 津田沼、1980年9月 吉祥寺、1983年6月 新所沢、1984年8月 松本、1986年5月 熊本の各パルコを開店
- [56]1987年1月 東京証券取引所市場第二部へ上場、1988年8月 第一部銘柄へ指定
- [60]1989年5月 調布、6月 名古屋、1993年10月 ひばりが丘、1994年4月 広島、1997年3月 宇都宮の各パルコを開店
- [61]1989年4月 ハウスカード「PECカード」の発行を開始、1991年11月 PARCO (SINGAPORE) PTE LTD を設立
- [62]1994年3月 池袋にP'PARCOを開店、1998年11月 名古屋パルコ南館を増床
- [74]2000年3月 株式会社パルコ・シティを設立、2000年9月 西電工とパルコプロモーションを合併しパルコスペースシステムズへ
- [75]2001年6月 株式会社ヌーヴ・エイが営業開始、2003年5月 委員会等設置会社へ移行
- [81]連結売上高 2002年2月期3106億円、2005年2月期2576億円、2008年2月期2868億円、2010年2月期2611億円
- [82]2005年2月 Pedi汐留を開店、2005年6月 株式会社ジャパン・リテール・アドバイザーズを設立、2007年3月 静岡、2007年10月 浦和、2008年8月 仙台の各パルコを開店
- [83]経常利益 2002年2月期71億円 → 2008年2月期100億円
- [101]2012年8月 J.フロント リテイリング株式会社が公開買付けによりパルコ株式を取得し親会社となった
- [109]2013年4月 心斎橋・道頓堀、10月 広島、2014年10月 名古屋、2016年2月 札幌、2017年11月 京都のゼロゲートを開業、2017年11月 パルコヤ上野を開店
- [112]連結経常利益 2013年2月期103億円 → 2016年2月期127億円
- [114]連結売上高 2016年2月期 2764億円
- [119]1987年1月 東証二部上場、1963年7月 登録銘柄登録
会社銀行八十年史(1955年)
- [4]丸物は京都市下京区烏丸通七条下ルに本社を置く百貨店で、1934年9月28日設立
日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」
- [9]池袋はファッションと縁遠い土地柄
- [11]東京丸物は営業不振を続け、昭和41年(1966年)に西武百貨店へ買収
- [12]累積赤字18億円、月々2億円の赤字
- [13]増田通二氏が東京丸物の再建を託されて送り込まれた
- [16]増田通二氏「その時はもうダメかと思ったな」東京丸物は完全な「死に体」
- [17]増田通二氏が小売業の立て直しの難しさを商品・サービス・建物の分散として説明
- [20]小売業から専門店を集めたファッションビルの開発・運営業へ転換
- [21]増田通二氏は転換を「全面的、かつ徹底的モデルチェンジ」と表現し、自社を「不動産屋」と規定
- [23]増田通二氏がパルコを賃料で食う不動産屋と規定
- [24]素材への一手で付加価値が出るという思い込みが、立地の不利な場所に施設を作らせる落とし穴
- [25]出店はまず不動産への厳しい評価から始め、悪い物件との認識があればそこから出発
- [29]増田通二氏が自らカウンターで通行人を数え、社員に古代ローマの都市と道の文化史を研究させた
- [30]キャッチフレーズ「坂道のショッピング」で渋谷を歩く若者の流れを変えた
- [34]広告宣伝費予算は専門店の売上高合計の3%、パルコとテナントが2対1で分担
- [35]1975年度の広告宣伝費 約14億円、広告費300社ランキング120位前後
- [36]増田通二氏 核を持たない専門店集団では広告で得る顧客動員力が核そのもの
- [37]増田通二氏「凝り過ぎと言われるぐらいで丁度いいんじゃないかな」
- [38]ジャン・ギャバンの吹き替えの声と、そのスタンドインを務めた俳優アンリ・シャフェールを起用したパロディー広告
- [43]1973年 渋谷店の劇場開設と同時に出版事業へ進出、雑誌「ビックリハウス」や美術関係の単行本を刊行
- [45]営業収入 1972年2月期 約10億円 → 1976年2月期 40億円超、1977年2月期は70億円の見込み
- [46]1977年2月時点でテナント総売上高 約700億円、従業員230人・平均年齢30歳、資本金10億円
- [47]1976年2月期 年5円・10%の復配、増田通二氏「13年ぶりかな。やっとこぎつけた」
- [48]当期利益は1975年2月期を境に減少、新店への投資増が要因
- [49]テナントから預かる保証金 112億7600万円、固定負債総額の70%強
- [50]入居保証金 1974年2月期9200万円 → 1975年2月期49億2900万円
- [51]長短借入金は1976年2月期に65億4000万円へ増加、金融収支は2億4800万円の支払い超過へ逆転
- [52]営業収入に対する金利負担率 5.9%、無利息の保証金が資金を支えた
- [111]1975年度に専門店集団が使った広告宣伝費は約14億円で、予算はテナント売上高合計の3%
週刊東洋経済 2014年10月11日号「堤清二以上のカリスマ 増田通二とは何者か」
- [10]西武百貨店が隣接
- [14]増田通二氏は1926年 東京・市ヶ谷生まれ、旧制中学で堤清二氏と隣席、東京大学でも学友
- [15]増田通二氏は1951年 国土計画へ入社、都立高校教師などを経て1961年 西武百貨店へ入社
- [22]狙った客層は団塊世代の働く女性/隣接する西武百貨店と同じことをやっても意味がない
- [27]渋谷は当時 新宿や銀座に比べ一段劣るイメージの街
- [28]渋谷店は駅から900メートル離れた立地で成功見通しは「絶望的」とされた
- [32]キャッチコピー「すれちがう人が美しい、渋谷公園通り──」で坂の上へ人を呼び寄せた
- [42]三宅一生氏や高田賢三氏ら新進気鋭のデザイナーを起用
- [57]1988年 当時の専務らによる総会屋への利益供与が発覚
- [58]増田通二氏は1989年に会長職を退任、後任の会長に堤清二氏が就任
- [59]増田通二氏は2007年に急性心不全のため81歳で死去
週刊東洋経済 2014年10月11日号「INTERVIEW 上野千鶴子 堤さんはパルコに嫉妬していた」
- [39]上野千鶴子氏が当時のパルコの先進性を「物を売らずに空間を売ったこと」と表現
- [40]ハコのブランド化と空間への付加価値づけ、広告戦略の一括引き受けと劇場の運営
- [41]上野千鶴子氏はこれを「空間ビジネス」と呼んだ
- [44]上野千鶴子氏 セゾングループのなかでパルコだけは堤清二氏の支配から独立した治外法権
- [64]上野千鶴子氏は駅ビルやデパートの追随でパルコ化が普及し差別化と付加価値が失われたと述べた
週刊東洋経済 2014年10月11日号「黒子の奥義 パルコ 時代に翻弄されるパルコ文化」
- [63]1990年代の平成カジュアルブームに先駆け「ナイスクラップ」などの新ブランドを渋谷パルコへ誘致
- [65]セゾングループは1980年代後半に西武百貨店を中核とする日本一の流通グループとなり、パルコはそのイメージ戦略の中心で「パルコ文化」を担った
- [76]泉水隆氏は上場企業にありがちな大企業病にかかり保守的で以前ほどリスクを取らなくなったと述べた
- [77]バブル期の過剰な不動産投資により2000年代にセゾングループが解体
- [106]泉水隆氏は資本が移り変わり新しいことにチャレンジしづらい面もあったと述べた
週刊東洋経済 2000年7月1日号「[トップの履歴書]パルコ社長 伊東勇」
- [66]2000年3月 山田昌義氏が相談役へ、伊東勇氏が代表取締役社長に就任
- [67]伊東勇氏は1944年 川崎市生まれ、1969年 西武百貨店入社、1976年 パルコへ移り吉祥寺店長・札幌店長を歴任
- [68]就任時のパルコは3期連続の減収、全国19店舗の商圏と顧客ニーズを再検証
- [69]店作りの決定の遅れで優良テナントを取り逃がす例があり、店長へ大幅に権限を委譲
- [70]伊東勇氏は2000年を第二創業期と位置づけ、コンサル事業を新たな収益柱に据えた
- [71]2000年9月 JR九州の長崎駅ビルがコンサル事業第一号として開業
- [72]2003年までに営業利益の10%をコンサル事業で確保する目標
- [73]能力・成果主義の人事制度を導入し若手を登用
週刊東洋経済 2014年10月11日号「Jフロント傘下入り後は事業拡大を積極化」
- [78]2001年 セゾングループ解体で西武百貨店などが保有していたパルコ株式が森トラストへ渡り、出資比率は約20%
- [108]資本問題の決着後、中小型商業施設「ゼロゲート」の積極出店と既存パルコの増床で事業を拡大
- [110]ゼロゲートはパルコが広告や販売促進を原則行わず賃料も固定する方式で、不動産賃貸のみを担う
週刊東洋経済 2011年5月28日号「TOP INTERVIEW 森トラスト社長 森 章」
- [79]森章氏は2001年にパルコの社債の借り換えができず増資に応じたのが関係の始まりと述べた
- [80]森トラストはその後33%強まで買い増しパルコを持分法適用会社化
- [87]森トラストの持株は33%強、事前説明のない希薄化
- [88]森章氏は事前説明のない希薄化はありえないと述べた
- [94]森トラストは平野秀一社長の退任と引き換えに株主提案を取り下げた
- [105]森章氏はパルコが事実上自社を売ったに等しいのに独立を守ったと述べていると批判した
- [107]森章氏は人口減少とIFRS移行でパルコのような業態は賃料しか売上に計上できなくなるとして増資を持ちかけた
週刊東洋経済 2011年3月5日号「パルコ大株主に急浮上 イオンが狙う“漁夫の利”」
- [84]2010年1月 森トラストが第三者割当増資で持株比率を49%まで引き上げる案を申し込み
- [85]森トラストの吉田武副社長 パルコ首脳は当初理解を示したが7月に取締役会で決まらなかったと回答
- [86]2010年8月 パルコが日本政策投資銀行と資本業務提携を結び約150億円の新株予約権付社債を発行
- [89]2011年2月22日 イオンがパルコ株12.31%を取得し、33.2%を保有する森トラストに次ぐ第2位株主となった
週刊東洋経済 2011年4月16日号「イオンが経営支配へ着々 追い込まれるパルコ」
- [90]イオンは3月24日の森トラストとのトップ会談後に態度を変え、平野秀一社長の退任やCEOを含む取締役派遣、将来的な子会社化を提案
- [91]森トラストが経営陣刷新の株主提案で同調し議決権の共同行使に合意、両社合算の議決権比率は45%強
- [92]平野秀一氏はイオンの都市型業態との統合は経営効率を下げ、地方都市への大量出店はブランド価値を希薄化させると反論
- [93]金融危機後の環境悪化とルミネなどとの競合で業績は停滞、海外進出も2010年春のシンガポール出店にとどまった
有価証券報告書(2019年2月期)
- [95]2011年5月 牧山浩三氏が代表執行役社長に就任
- [113]パルコは第79期(2018年2月期)から国際会計基準を適用し、テナント売上の総額計上から賃料等の純額計上へ移行
- [115]営業収益 2017年2月期938億円、2018年2月期916億円、2019年2月期900億円
- [116]パルコテナント取扱高 2017年2月期2648億円、2018年2月期2495億円、2019年2月期2466億円
週刊東洋経済 2012年3月10日号「J.フロントがグループ化 “暴れ馬”パルコの行方」
- [96]イオンは2012年1月に森トラストからパルコ株21%を買い取ることで内々に合意し、2月1日の経営委員会で決議する予定であった
- [97]パルコ経営陣とテナント企業の反対でイオンは買い増しを断念
- [98]半年ほど月1回続けた業務提携の協議は具体的な成果に乏しく、イオンが先に手を引いた
- [99]J.フロント リテイリングは大丸と松坂屋を運営する百貨店大手
- [100]2012年3月下旬 J.フロントが森トラストから33%強を譲り受け持分法適用会社化
- [102]パルコは駅近の好立地に19店舗を持ち毎期90億円前後の営業利益を稼いでいた
- [103]J.フロントは関西と名古屋を地盤に40代以上へ強く、パルコとは地域も客層も重なりが少ない
- [104]パルコとJ.フロントは共同販促を行うなど以前から関係が良好
会社公式サイト(沿革)
- [117]2016年8月に休業した渋谷パルコが建替えを経て2019年11月に開業
- [118]2020年3月 J.フロント リテイリングの完全子会社となり東京証券取引所市場第一部の上場を廃止
- [120]2020年9月 株式会社大丸松坂屋百貨店の不動産事業を承継、2023年3月 デベロッパー事業の一部をJ.フロント都市開発株式会社へ承継
週刊東洋経済 2025年8月30日号「「渋谷パルコ」訪日客が売り上げ4割超の衝撃」
- [121]渋谷パルコの2024年度(2025年2月期)テナント取扱高は過去最高の439億円で前期比22%増、うちインバウンドが全体の41%
- [122]訪日客消費を牽引する6階にポケモン、任天堂、カプコンなどの公式ストアが集積し、旅ナカのプロモーションとグーグルマップの口コミ施策に注力