パルコ森トラストの増資提案の見送りと、日本政策投資銀行への新株予約権付社債150億円の発行

筆頭株主に持ち株比率を委ねるか、独立を保つか——賃料で稼ぐ会社が選んだ資本の相手

時期 2010年8月
意思決定者(推定) 平野秀一 社長
論点 資本政策と経営の独立性
概要
2010年1月、筆頭株主の森トラストはパルコに対し、第三者割当増資で持ち株比率を49%まで引き上げる案を正式に申し込んだ。パルコは7月に取締役会で決まらなかったと回答し、翌8月、日本政策投資銀行と資本業務提携を結んで約150億円の新株予約権付社債を発行した。33%強を握る筆頭株主に事前の説明はなかった。
背景
セゾングループの解体で2001年に西武百貨店などが持つ株式が森トラストへ渡り、出資比率は約20%から33%強まで高まっていた。森章社長は人口減少と国際会計基準への移行を見据え、賃料しか売上に計上できなくなる業態では合従連衡が起こるとみて、増資による資本の増強を持ちかけていた。
内容
森トラストの増資案は取締役会で決議されず、パルコはM&A・海外展開・財務の戦略強化を掲げて政投銀と提携した。社債には2010年9月から3年間の譲渡・転換制限が付き、パルコの承諾があれば普通株へ転換できる。全額転換なら政投銀の保有比率は18.7%となり、第2位株主に並ぶ設計であった。
含意
経営の独立性を訴えて過半への増資を退けた資本政策は、筆頭株主の不信を決定的にした。2011年2月にイオンがパルコ株12.31%を取得して第2位株主に浮上し、森トラストと歩調を合わせる。独立を守るための一手が、支配権をめぐる争いの入口になったとみることができる。
筆者の見解

独立を守る手段が招いたもの

この資本政策を単なる買収防衛策という言葉で括ると、判断の芯を取り逃がす。パルコが退けたのは敵対的な買い手ではなく、2001年の社債借り換え難を助けて株主となった相手であった。その筆頭株主に事前の説明をせず、翌月に政投銀へ150億円の新株予約権付社債を出し、全額転換なら18.7%という潜在的な希薄化余地を作る。独立を守るために選んだ手段そのものが、支配権を失う道筋を開いたとみることができる。

もっとも、森トラスト側の提案が的外れだったわけではない。人口減少とIFRS移行によって賃料しか売上に立たなくなり、合従連衡が避けられないという見立ては、その後の展開が裏づけている。パルコは2012年にJ.フロント リテイリングの傘下へ入り、2018年2月期からIFRSを適用して営業収益は900億円台となった。単独では厳しいという読みは当たり、それを誰と組んで解くかという主導権だけが、パルコの手から離れたとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

社債の借り換えから生まれた筆頭株主

森トラストがパルコの株主となったのは、パルコが望んだ結果であった。セゾングループが解体へ向かう過程で、パルコは2001年に社債が満期を迎え、借り換えができない状態に陥る。頼まれて増資に応じたのが両社の関係の始まりであったと、森章社長はのちに語っている。このとき約20%だった出資比率は、その後の買い増しで33%強まで高まり、パルコは森トラストの持ち分法適用会社となった[1][2]

その筆頭株主が2010年1月、持ち株比率を49%まで引き上げる第三者割当増資を正式に申し込む。森章社長の見立てでは、人口減少で流通は厳しい時代を迎え、国際会計基準へ移行すればパルコのような業態は賃料しか売上に計上できなくなる。そうした環境では合従連衡が避けられず、合併の際にパルコ側が主役で生き残れるよう資本を厚くすべきだという主張であった。買収から身を守る話ではなく、来たるべき再編での備えという位置づけであった[3]

四半期ごとにしか交わらない親子

33%強を保有しながら、森トラストとパルコの接点は薄かった。森章社長によれば、話をするのは四半期ごとの決算の後だけで、報告はすべて事後であった。共同事業も汐留の案件にとどまる。森トラストが好立地に高い賃料の複合施設を建てるのに対し、パルコが狙う賃料水準とは条件が合わなかったという事情もあった。資本の距離と事業の距離が、そのまま開いていた[4]

事業判断をめぐる不満も積み上がっていた。2007年10月に開いた浦和の店舗取得について、森章社長は相談されればやめろと言ったと述べている。低い金利で借りて高い家賃の物件を買えば金利の差では儲かるが、同時に貸借対照表が崩れてほかの経営指標が落ちるという理屈であった。実際にこの取得を機にある外資系ファンドが株を手放し、その一部が後にイオンへ渡る。不動産のプロを自任する株主の助言は、事後報告の関係のなかで届いていなかった[5]

決断

増資は取締役会で決まらなかった

パルコは増資案をすぐには断らなかった。森トラストの吉田武副社長によれば、当初はパルコの首脳も理解を示していた。ところが2010年7月になると、増資は取締役会で決まらなかったという回答が返ってくる。資金が入り経営も安定するはずだという提案側の見立てと、33%強から49%へ持ち株比率を動かすことへのパルコ側の警戒は、半年をかけても埋まらなかった。パルコが掲げた論拠は経営の独立性であった[6][7]

回答の翌8月、パルコは日本政策投資銀行と資本業務提携を結び、約150億円の新株予約権付社債を発行した。名目はM&Aや海外展開、財務といった戦略の強化にある。政投銀にとってこの提携は、友好的で安定的な潜在株主として企業を支援する取り組みの第1号案件であった。銀行等株式保有制限法による出資の制約を受けない相手という点も、引受先としての条件を満たしていた[8][9]

転換を握るのは発行体の側

社債の設計そのものに、この資本政策の性格が表れていた。2010年9月から3年間の譲渡・転換制限が付き、その期間もパルコの承諾があれば普通株式へ転換できる。全額を転換した場合の政投銀の保有比率は18.7%で、森トラストに次ぐ第2位株主に並ぶ水準であった。転換の可否を発行体の承諾にかからせている以上、誰にいつ株を渡すかの主導権はパルコ側に残るという組み立てであったとみられる[10]

一方で、33%強を持つ筆頭株主にはこの提携が事前に知らされなかった。発表まで知らされなかったという森トラスト側の説明が、その後の関係を決定づける。増資を断ったこと自体ではなく、断った翌月に別の相手と潜在的な希薄化を伴う契約を結び、それを事後にしか伝えなかったという手順が、パルコ経営陣への不信を一気に高めた。四半期ごとの事後報告という従来の距離感が、最も説明を要する場面でそのまま踏襲されたとみられる[11]

結果

筆頭株主の離反と第三者の参入

業績の面では、この資本政策の前後でパルコが揺らいだ形跡はない。2011年2月期の連結売上高は2648億円、経常利益88億円、純利益44億円で、前期の2611億円・86億円・41億円をいずれも上回った。翌2012年2月期も経常利益90億円と水準を保つ。増資を受け入れずに資金を確保するという当初の目的だけを見れば、この一手は所期の役割を果たしていた[12][13]

変わったのは株主の側であった。関係を損ねた森トラストは自ら買い増す道を選ばず、2011年2月22日、イオンがパルコ株12.31%を外資系ファンドなどから取得して第2位株主に浮上する。森トラストの33.2%と合わせれば45%を超え、両社が歩調をそろえれば経営を左右できる比率に達した。独立を保つための資本政策が、別の買い手を呼び込む結果になっている[14]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2011年3月5日号「パルコ大株主に急浮上 イオンが狙う“漁夫の利”」
  • 週刊東洋経済 2011年5月28日号「TOP INTERVIEW 森トラスト社長 森 章 怒り心頭の「パルコ問題」 今後は投資家として対処」
  • 週刊東洋経済 2014年10月11日号「Jフロント傘下入り後は事業拡大を積極化」
  • パルコ 有価証券報告書(2011年2月期・2012年2月期・連結)

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