{
  "title": "パルコの歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1953,
      "end_year": 1968,
      "main_title": "池袋の駅前ビルが百貨店を志し、十五年かけて行き詰まるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "駅前ビル会社として生まれ、京都の百貨店の資本で業種を変える",
          "text": "1953年2月、東京都豊島区南池袋に池袋ステーションビル株式会社が設立された。国鉄池袋駅前のターミナルビルを運営する会社である。ところが翌1954年10月、京都の百貨店である株式会社丸物の資本参加を受け、事業目的をステーションビルの運営から百貨店業へ変更した。丸物は京都市下京区烏丸通七条下ルに本社を置き、1934年9月に設立された百貨店である。1957年5月には商号を株式会社東京丸物へ改め、同年12月、店名「東京丸物」で百貨店の営業を始めた。設立からわずか4年で、駅前の不動産会社が小売業者へ姿を変えている。のちにパルコが不動産賃貸業へ戻るまでの15年は、この最初の転換の帰結であった。\n\n資本を出した丸物の側から見れば、京都の百貨店が東京に足場を得る話であった。1963年7月、東京丸物は社団法人日本証券業協会大阪地区協会の登録銘柄に登録される。表向きは順調な拡大に見える。しかし池袋という土地は当時ファッションとは縁の薄い商店街で、隣には西武百貨店が構えていた。日本の一流専門店を集めた広場を作ると唱えても、東京丸物という社名と池袋という立地の組み合わせは、客の側にすでにできあがった印象を覆せない。百貨店は品揃えと売場で競う商売であり、隣に同じ形の店がある以上、後から来た側は規模でも歴史でも先行者を追う位置に置かれた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1953年2月に東京都豊島区南池袋で池袋ステーションビル株式会社が設立された",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1954年10月に株式会社丸物の資本参加を得て事業目的を百貨店業へ変更した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1957年5月に株式会社東京丸物へ商号変更し、同年12月に店名「東京丸物」で百貨店業を開始した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "丸物は京都市下京区烏丸通七条下ルに本社を置く百貨店で、1934年9月28日設立",
                "source": "会社銀行八十年史（1955年）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1963年7月に東京丸物が日本証券業協会大阪地区協会の登録銘柄に登録された",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "池袋という土地柄は当時ファッションとは縁遠いイメージがあり、隣接して西武百貨店があった",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "月々2億円の赤字と、西武百貨店による買収",
          "text": "東京丸物の営業不振は続いた。1966年、同社は西武百貨店に買収される。堤清二氏の率いる西武の傘下に入った時点で、東京丸物は累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出す月もあった。再建を託されて送り込まれたのが、西武百貨店の増田通二氏である。1926年に東京・市ヶ谷に生まれた増田氏は、旧制中学で堤氏と隣席になり、東京大学でも学友となった間柄で、1951年に西武鉄道グループの国土計画へ入り、都立高校の社会科教師などを経て1961年に西武百貨店へ移っていた。当時を振り返って増田氏は「その時はもうダメかと思ったな」と語っている。同氏の表現によれば、東京丸物は完全な「死に体」であった。\n\nなぜ立て直せなかったのか。増田氏はのちに、業種そのものの難しさとして説明している。「小売業の立て直しというのは難しいんです。これがメーカーなら設備、商社なら資金力という決め手がある。小売業は商品、サービス、建物という具合に分散しているし、仮にそうしたものが改善できても、客の方でその店に悪いイメージを持っていたらどうしようもない」。改善すべき変数が多く、そのすべてを直しても客の印象が残るなら効かない。東京丸物の15年は、百貨店として競うかぎり池袋では西武に勝てないという事実を、赤字の額で示していた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "増田通二",
              "role": "東京丸物の再建を託された当事者",
              "date": "1977",
              "text": "小売業の立て直しというのは難しいんです。これがメーカーなら設備、商社なら資金力という決め手がある。小売業は商品、サービス、建物という具合に分散しているし、仮にそうしたものが改善できても、客の方でその店に悪いイメージを持っていたらどうしようもない。",
              "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "東京丸物は営業不振を続け、昭和41年（1966年）に西武百貨店に買収された",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出したこともあった",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "増田通二氏が東京丸物の再建を託されて送り込まれた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "増田通二氏は1926年に東京・市ヶ谷に生まれ、旧制中学で堤清二氏と隣席になり東京大学でも学友となった。1951年に国土計画へ入社し、都立高校の社会科教師などを経て1961年に西武百貨店へ入社した",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「堤清二以上のカリスマ 増田通二とは何者か」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "増田通二氏が小売業の立て直しの難しさを商品・サービス・建物の分散として説明した",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1969,
      "end_year": 1988,
      "main_title": "小売業をやめて不動産業になる ―― 空間に値をつけた二十年",
      "subsections": [
        {
          "title": "商品を売る会社から、テナントに場所を貸す会社へ",
          "text": "1969年6月、東京丸物は店を閉じ、「パルコ」の開設準備に入った。同年11月に池袋パルコが開店し、1970年4月には商号も株式会社パルコへ改めた。行ったのは店名の変更ではない。小売業から、専門店を集めたファッションビルの開発・運営業への転換である。自ら商品を仕入れて売る立場を捨て、テナントに場所を貸して賃料を得る立場に移った。増田氏はこれを「全面的、かつ徹底的モデルチェンジ」と呼び、自社を端的に「不動産屋」と規定している。狙った客は団塊世代の働く女性で、隣接する西武百貨店と同じことをやっても意味がない、というのが本人の判断であった。\n\nこの規定は自己卑下ではなく、値づけの原理であった。増田氏は「何といっても賃料で食ってる不動産屋ですからね。不動産は値打ちの通りしか売れない。駅から遠けりゃ安くなるし、日当たりが悪けりゃ高い家賃はとれない。いくら部屋の中にきれいな花を飾ってみたって付加価値が大きくなるわけじゃない」と述べている。素材にもう一手を加えれば確固たる付加価値が出て商売ができる、という思い込みこそが立地の不利な場所に施設を作らせる落とし穴だ、というのが同氏の見立てであった。物件の不利をまず正確に認め、そこから始める。華やかな広告の背後にあったのは、この原価計算の目線である。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "増田通二",
              "role": "パルコ代表取締役専務（1977年当時）",
              "date": "1977",
              "text": "何といっても賃料で食ってる不動産屋ですからね。不動産は値打ちの通りしか売れない。駅から遠けりゃ安くなるし、日当たりが悪けりゃ高い家賃はとれない。いくら部屋の中にきれいな花を飾ってみたって付加価値が大きくなるわけじゃないですからな。",
              "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1969年6月に東京丸物を閉店してパルコ開設準備体制に着手し、同年11月に池袋パルコを開店した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1970年4月に株式会社東京丸物から株式会社パルコへ商号変更した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "小売業から専門店を集めたファッションビルの開発・運営業へ転換し、増田通二氏はこれを「全面的、かつ徹底的モデルチェンジ」と表現した",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "増田通二氏がパルコを賃料で食う不動産屋と規定し、物件評価から出店を始めると述べた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "駅から900メートルの坂を、歩かせる商品にした渋谷店",
          "text": "1973年6月、株式会社東京パルコが渋谷パルコを開店し、同時にパルコ劇場（当初は西武劇場）の運営を始めた。渋谷は当時、新宿や銀座に一段劣ると見られていた街である。しかも敷地は駅から900メートル離れた坂の上で、商業施設としての成功見通しは絶望的とまで言われた。増田氏は自らカウンターを持って通行人を数え、社員には古代ローマの都市と道の文化史を研究させた。そのうえで劇場を作り、坂を上る行為そのものを「坂道のショッピング」という言葉で価値に変えた。翌1974年3月、パルコは東京パルコを吸収合併し、渋谷パルコを承継している。\n\n広告費の出どころも、賃貸業の論理で決められていた。広告宣伝費の予算はテナントの売上高合計の3％と定め、パルコとテナントで2対1の比率で分担する。1975年度にこの専門店の集団が使った広告宣伝費は約14億円にのぼり、日経ビジネスの広告費300社ランキングでも120位前後に入った。核となる百貨店やスーパーを持たない専門店の集合体であるため、客を動かす力を広告そのものが担う。目玉となる大型店があれば客は黙っていても来るが、パルコにはそれがない。増田氏は「凝り過ぎと言われるぐらいで丁度いいんじゃないかな」と述べている。起用したのは大物タレントではなく、著名俳優の吹き替え声優やパロディーであった。\n\n社会学者の上野千鶴子氏は、この時期のパルコの新しさを「物を売らずに空間を売ったこと」と要約している。テナントがばらばらに物を売っていたところに、パルコというハコをブランド化して空間そのものに付加価値をつけ、賃料を取りながら広告戦略をまとめて引き受け、劇場まで作った。上野氏はこれを「空間ビジネス」と呼ぶ。広告は訴求すべき商品から離れ、何を売りたいのか判然としないものが並んだが、それが風景となって人を引き寄せた。劇場に来る客と買い物をする客は同じではない。それでも両者が同じ坂に集まること自体が、パルコの貸す面積の値打ちを押し上げた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "上野千鶴子",
              "role": "社会学者",
              "date": "2014",
              "text": "当時のパルコが先進的だったのは、物を売らずに空間を売ったこと。テナントがバラバラに物を売っていたところに、「パルコ」というハコをブランド化して、その空間自体に付加価値をつけた。「空間ビジネス」だ。テナントから売り上げ賃料を取るだけでなく、広告戦略をまとめて行う。劇場まで作ってしまった。",
              "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 上野千鶴子 堤さんはパルコに嫉妬していた」",
              "paragraph": 3
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1973年6月に株式会社東京パルコが渋谷パルコを開店し、パルコ劇場（旧西武劇場）の運営を始めた",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1974年3月に株式会社東京パルコを吸収合併し渋谷パルコを承継した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "渋谷店は駅から900メートル離れたハンデを負って出発し、増田通二氏は自らカウンターで通行人を数え、社員に古代ローマの都市と道の文化史を研究させた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "広告宣伝費予算は専門店の売上高合計の3％で、パルコとテナントが2対1で分担した",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1975年度に専門店集団が使った広告宣伝費は約14億円で、広告費300社ランキングの120位前後に入った",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "上野千鶴子氏が当時のパルコの先進性を「物を売らずに空間を売ったこと」「空間ビジネス」と表現した",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 上野千鶴子 堤さんはパルコに嫉妬していた」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "13年ぶりの復配と、上場後に表舞台を去った経営者",
          "text": "数字は転換の成否を明確に示した。営業収入は1972年2月期の約10億円から1976年2月期に40億円を超え、1977年2月期は70億円の見込みとなる。テナント総売上高は約700億円、資本金10億円に対し従業員は230人、平均年齢30歳であった。売上高の規模に対して人員が極端に少ないのは、商品在庫も販売員も自社では抱えない賃貸業ゆえである。1976年2月期には年5円・10％の配当を再開した。増田氏は「13年ぶりかな。やっとこぎつけた」と述べている。累積赤字18億円の百貨店は、売る側から貸す側に回ることで黒字化した。\n\nただし賃貸業への転換は、財務の形も変えた。テナントから預かる保証金は112億7600万円に達し、固定負債総額の70％強を占める。パルコが差し入れる入居保証金も1974年2月期の9200万円から1975年2月期には49億2900万円へ膨らんだ。テナントから預かる無利息の資金が出店を支える一方、長短借入金は1976年2月期に65億4000万円まで増え、金融収支は受け取り超過から2億4800万円の支払い超過へ転じている。出店を続けるかぎり利息と保証金の両方が膨らむ構造であり、賃料収入の伸びがそれを上回るかどうかが問われ続けた。\n\n出店は続いた。1975年8月に札幌、1977年7月に津田沼、1980年9月に吉祥寺、1983年6月に新所沢、1984年8月に松本、1986年5月に熊本と各地に開いていく。1987年1月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1988年8月には第一部銘柄に指定された。しかしその1988年、当時の専務らによる総会屋への利益供与が発覚する。増田氏は1989年に会長職を退き、表舞台から姿を消した。後任の会長には堤氏が就いている。日本画家を父に持ち芸術にも通じた増田氏は、晩年を美術館の運営など文化活動にあて、2007年に急性心不全で死去した。81歳であった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "営業収入は1972年2月期の約10億円から1976年2月期に40億円超へ増え、1977年2月期は70億円の見込みだった",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1977年2月時点でテナント総売上高は約700億円、従業員数230人・平均年齢30歳、資本金10億円",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1976年2月期に年5円・10％の復配を果たし、増田通二氏は13年ぶりと述べた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "テナントから預かる保証金は112億7600万円で固定負債総額の70％強を占めた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "長短借入金は1976年2月期に65億4000万円へ増え、金融収支は2億4800万円の支払い超過に逆転した",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1975年8月に札幌、1977年7月に津田沼、1980年9月に吉祥寺、1983年6月に新所沢、1984年8月に松本、1986年5月に熊本の各パルコを開店した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1987年1月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1988年8月に第一部銘柄へ指定された",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1988年に当時の専務らによる総会屋への利益供与が発覚し、増田通二氏は1989年に会長職を退いて堤清二氏が会長に就任した",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「堤清二以上のカリスマ 増田通二とは何者か」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "増田通二氏は1926年に東京・市ヶ谷で生まれ、2007年に急性心不全のため81歳で死去した",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「堤清二以上のカリスマ 増田通二とは何者か」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1989,
      "end_year": 2009,
      "main_title": "後ろ盾を失った二十年 ―― セゾン解体と「第二創業」の模索",
      "subsections": [
        {
          "title": "出店で伸ばした売上と、薄れていった独自性",
          "text": "増田氏の退任後も出店は途切れなかった。1989年5月に調布、6月に名古屋、1993年10月にひばりが丘、1994年4月に広島、1997年3月に宇都宮と続く。1989年4月にはハウスカード「PECカード」の発行を始め、1991年11月にはPARCO (SINGAPORE) PTE LTDを設立して海外にも出た。店舗網と金融・海外への広がりだけを見れば、拡大は続いている。1994年3月には池袋にP'PARCOを開き、1998年11月には名古屋パルコ南館を加えるなど、既存店の増床でも面積を伸ばした。\n\nしかし業態としての希少性は失われていった。上野氏は後年、これを賞味期限の問題として説明している。駅ビルやデパートが追随してパルコ化し、これだけ普及すればパルコに差別化も付加価値もない、というのがその見立てである。他社が模倣できたのは、パルコの手法が特定の商品でなく運営の型だったからでもある。空間に値をつける方法は、いったん示されれば鉄道会社にも百貨店にも移植できた。自前の商品を持たない強みは、そのまま真似られやすさの裏返しでもあり、賃料と広告で客を動かす仕組み自体には特許も原料調達の壁もない。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1989年5月に調布、6月に名古屋、1993年10月にひばりが丘、1994年4月に広島、1997年3月に宇都宮の各パルコを開店した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "1989年4月にハウスカード「PECカード」の発行を開始し、1991年11月にPARCO (SINGAPORE) PTE LTDを設立した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "上野千鶴子氏は駅ビルやデパートが追随してパルコ化したことで差別化と付加価値が失われたと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 上野千鶴子 堤さんはパルコに嫉妬していた」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "2000年の社長交代と、コンサル事業という第二の柱",
          "text": "2000年3月、12年にわたり社長・会長を務めた山田昌義氏が相談役に退き、伊東勇氏が社長に就任した。池袋パルコの開店からちょうど30年の節目である。1944年に川崎市で生まれた伊東氏は1969年に西武百貨店へ入り、1976年にパルコへ移って吉祥寺店長・札幌店長などを務めた人物であった。当時のパルコは3期連続の減収で、伊東氏は全国19店舗の商圏と顧客ニーズを検証し直し、改装で各市場に合う店へ作り替える方針を掲げる。同時に、店作りの決定に時間がかかって優良テナントを取り逃がす例があったとして、店長へ大幅に権限を委譲した。\n\n伊東氏は2000年を「第二創業期」と呼び、本業の立て直しと並行して新しい収益の柱を育てようとした。その中心がコンサル事業である。デベロッパーとして蓄えた知見で他社の店作りを支援するもので、同年9月にJR九州の長崎駅ビルが第一号として開業した。2003年までに営業利益の10％をコンサル事業で確保する目標を掲げている。自社で場所を持たずに運営の型だけを売る試みであり、他社に模倣された強みを、今度は商品として売り直す方法でもあった。あわせて能力・成果主義の人事制度を入れ、少数精鋭という持ち味が薄れたとして若手の登用も進めている。\n\n組織面でも手が入った。2000年3月に株式会社パルコ・シティを設立し、2000年9月には株式会社西電工と株式会社パルコプロモーションを合併して株式会社パルコスペースシステムズとした。2001年6月には株式会社ヌーヴ・エイが営業を始めている。2003年5月には委員会等設置会社へ移行し、指名・報酬・監査の各委員会を置く統治形態を採った。上場企業としての規律を整える一方で、常務執行役の泉水隆氏はのちに、この時期以降のパルコが保守的になり以前ほどリスクを取らなくなったと振り返っている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2000年3月に山田昌義氏が相談役に退き、伊東勇氏が代表取締役社長に就任した",
                "source": "週刊東洋経済 2000年7月1日号「［トップの履歴書］パルコ社長 伊東勇」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "当時のパルコは3期連続の減収で、全国19店舗を対象に商圏と顧客ニーズを再検証した",
                "source": "週刊東洋経済 2000年7月1日号「［トップの履歴書］パルコ社長 伊東勇」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "伊東勇氏は2000年を第二創業期と位置づけ、コンサル事業を新たな収益柱に据えた",
                "source": "週刊東洋経済 2000年7月1日号「［トップの履歴書］パルコ社長 伊東勇」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2000年9月にJR九州の長崎駅ビルがコンサル事業第一号として開業し、2003年までに営業利益の10％をコンサル事業で確保する目標を掲げた",
                "source": "週刊東洋経済 2000年7月1日号「［トップの履歴書］パルコ社長 伊東勇」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2000年3月に株式会社パルコ・シティを設立し、2000年9月に西電工とパルコプロモーションを合併してパルコスペースシステムズとした",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2001年6月に株式会社ヌーヴ・エイが営業を開始し、2003年5月に委員会等設置会社へ移行した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "泉水隆氏は上場企業にありがちな大企業病にかかり保守的で以前ほどリスクを取らなくなったと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「黒子の奥義 パルコ 時代に翻弄されるパルコ文化」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "セゾン解体で移った株式と、伸びない売上高",
          "text": "2000年代に入ると、資本の側で地殻変動が起きた。バブル期の不動産投資が響いてセゾングループは解体へ向かい、2001年、西武百貨店などが保有していたパルコ株式は森トラストに渡る。出資比率は約20％であった。森トラストの森章社長によれば、パルコは2001年に社債が満期を迎えて借り換えができず、頼まれて増資に応じたのが両社の関係の始まりである。同社はその後33％強まで買い増し、パルコを持分法適用会社とした。増田氏の退任で経営の個性を失った会社は、この時点で資本の後ろ盾も西武からの継承ではなく、外部の不動産会社に置き換わっている。\n\n本業は停滞していた。連結売上高は2002年2月期の3106億円から2005年2月期に2576億円まで減り、2008年2月期に2867億円へ戻したのち、2010年2月期は2610億円であった。この間、静岡（2007年3月）、浦和（2007年10月）、仙台（2008年8月）と出店を続け、2005年2月にはPedi汐留、2005年6月に株式会社ジャパン・リテール・アドバイザーズを設立している。経常利益は2002年2月期の70億円から2008年2月期の99億円まで伸びており、売上の減少と利益の改善が同時に進んだ。",
          "references": [],
          "charts": [
            {
              "path": "8251-pl",
              "chart_type": "sales",
              "paragraph": 2,
              "caption": "連結売上高は2002年2月期の3106億円から2005年2月期に2576億円まで減り、以後2600億円台で横ばいに推移した。\n2017年2月期以降の急減は国際会計基準の適用によるもので、テナント売上を総額でなく純額（賃料等）で計上する方式に変わったことによる。"
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2001年にセゾングループ解体で西武百貨店などが保有していたパルコ株式が森トラストに渡り、出資比率は約20％となった",
                "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「Ｊフロント傘下入り後は事業拡大を積極化」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "森章氏はパルコが2001年に社債の借り換えができず増資に応じたのが関係の始まりで、その後33％強まで買い増したと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2005年2月にPedi汐留を開店し、2005年6月に株式会社ジャパン・リテール・アドバイザーズを設立、2007年3月に静岡、2007年10月に浦和、2008年8月に仙台の各パルコを開店した",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2010,
      "end_year": 2020,
      "main_title": "二年におよぶ資本の攻防と、完全子会社化による上場廃止",
      "subsections": [
        {
          "title": "増資提案の拒絶から、イオン参戦までの一年",
          "text": "事の起こりは2010年1月、森トラストがパルコに対し、第三者割当増資で持株比率を49％まで引き上げる案を正式に申し込んだことであった。同社の吉田武副社長によれば、パルコ首脳は当初理解を示したが、7月になって取締役会で決まらなかったと回答してきた。翌8月、パルコは日本政策投資銀行と資本業務提携を結び、約150億円の新株予約権付社債を発行する。33％強を持つ筆頭株主にとって、これは事前に知らされない希薄化であった。森章社長は「あのような形で勝手に希薄化させる行為はありえない」と述べている。\n\nこの間隙に入ったのがイオンであった。2011年2月22日、同社はパルコ株12.31％を外資系ファンドなどから取得し、33.2％を保有する森トラストに次ぐ第2位株主となる。当初は良好な協力関係の早期構築を掲げていたが、3月24日の森トラストとのトップ会談を境に態度を変え、事業提携に加えて平野秀一社長の退任、最高経営責任者を含む取締役の派遣、将来的な子会社化を求めた。森トラストはこれに同調して経営陣刷新の株主提案を出し、両社の議決権を共同行使することで合意する。合算比率は45％強に達した。\n\nパルコは徹底抗戦の構えを見せた。平野秀一社長はイオンの都市型業態が成功しているとは聞かないとし、統合すれば経営効率が下がり、地方都市への大量出店はブランド価値を希薄化させると反論している。ただし残る5割強の株主を味方につけるのは容易でなかった。世界的な金融危機後の環境悪化とJR東日本の駅ビル「ルミネ」などとの競合で業績は停滞し、海外進出も2010年春のシンガポール出店にとどまっていた。結局、平野秀一社長の退任と引き換えに森トラストが株主提案を取り下げる形で、2011年5月の攻防はいったん収まる。後任には牧山浩三氏が就いた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "森章",
              "role": "森トラスト社長（パルコ筆頭株主）",
              "date": "2011-05",
              "text": "３３％強の株式を持つわれわれに対して、あのような形で勝手に希薄化させる行為はありえない。あの行動は上場していないオーナーの行動。彼らは１年単位で経営を任されているだけ。それを株主が選ぶわけだ。",
              "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
              "paragraph": 1
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2010年1月に森トラストが第三者割当増資で持株比率を49％まで引き上げる案を申し込み、7月にパルコが取締役会で決まらなかったと回答した",
                "source": "週刊東洋経済 2011年3月5日号「パルコ大株主に急浮上 イオンが狙う“漁夫の利”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2010年8月にパルコが日本政策投資銀行と資本業務提携を結び約150億円の新株予約権付社債を発行した",
                "source": "週刊東洋経済 2011年3月5日号「パルコ大株主に急浮上 イオンが狙う“漁夫の利”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "森章氏は33％強の株式を持つ株主に対する事前説明のない希薄化はありえないと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2011年2月22日にイオンがパルコ株12.31％を取得し、33.2％を保有する森トラストに次ぐ第2位株主となった",
                "source": "週刊東洋経済 2011年3月5日号「パルコ大株主に急浮上 イオンが狙う“漁夫の利”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "イオンは3月24日の森トラストとのトップ会談後に態度を変え、平野秀一社長の退任やCEOを含む取締役派遣、将来的な子会社化を提案し、森トラストと合わせた議決権比率は45％強に達した",
                "source": "週刊東洋経済 2011年4月16日号「イオンが経営支配へ着々 追い込まれるパルコ」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "平野秀一氏はイオンの都市型業態との統合は経営効率を下げ、地方都市への大量出店はブランド価値を希薄化させると反論した",
                "source": "週刊東洋経済 2011年4月16日号「イオンが経営支配へ着々 追い込まれるパルコ」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "森トラストは平野秀一社長の退任と引き換えに株主提案を取り下げた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "イオンの撤退と、J.フロント リテイリング傘下入り",
          "text": "決着は意外な形で訪れた。イオンは2012年1月、森トラストからパルコ株21％を買い取ることで内々に合意し、2月1日の経営委員会で決議する予定であった。ところが前日にパルコへ打診したところ、経営陣だけでなくテナント企業からも反対が噴出し、買い増しを断念する。半年ほど月1回続けた業務提携の協議も、具体的な成果に乏しかった。先に白旗を揚げたのはイオンの側である。パルコの価値がテナントとの関係に宿るものである以上、テナントが嫌う相手は過半数の株を握っても運営を引き継げない、という事情がここで表に出た。\n\n代わって現れたのが、大丸と松坂屋を運営するJ.フロント リテイリングであった。同社は2012年3月下旬に森トラストの持つ33％強を譲り受けて持分法適用会社とし、同年8月には公開買付けによってパルコの親会社となる。J.フロントにとってパルコは、渋谷や池袋など駅前の好立地に19店舗を持ち、若者向け店舗運営の知見を備え、毎期90億円前後の営業利益を安定して稼ぐ相手であった。関西と名古屋を地盤に40代以上へ強い同社とは、地域でも客層でも重なりが少ない。パルコとJ.フロントは共同販促を行うなど、以前から関係が良好でもあった。\n\n一連の攻防をどう評価するかは、立場によって割れる。森章社長は退任会見でのパルコ側の発言を受け、事実上自分たちの会社を売ったのと同じでありながら独立を守ったと言っている、と批判した。他方で泉水氏は、資本が移り変わって新しいことに挑みにくい面もあったと述べている。ただし森トラストが繰り返し求めたのは合従連衡に備えた資本の増強であり、人口減少とIFRSへの移行で賃料しか売上に計上できなくなる業態の先行きを見た提案でもあった。判断の当否はともかく、パルコ単独では情勢が厳しいという読み自体は、その後の展開が裏づけている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "イオンは2012年1月に森トラストからパルコ株21％を買い取ることで内々に合意したが、パルコ経営陣とテナント企業の反対を受けて買い増しを断念した",
                "source": "週刊東洋経済 2012年3月10日号「Ｊ．フロントがグループ化 “暴れ馬”パルコの行方」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2012年8月にJ.フロント リテイリング株式会社が公開買付けによりパルコ株式を取得し親会社となった",
                "source": "有価証券報告書",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "J.フロントは2012年3月下旬に森トラストから33％強を譲り受け、パルコは駅近の好立地に19店舗を持ち毎期90億円前後の営業利益を稼いでいた",
                "source": "週刊東洋経済 2012年3月10日号「Ｊ．フロントがグループ化 “暴れ馬”パルコの行方」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "森章氏はパルコが事実上自社を売ったに等しいのに独立を守ったと述べていると批判した",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "森章氏は人口減少とIFRS移行でパルコのような業態は賃料しか売上に計上できなくなるとして増資を持ちかけたと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "収益モデルの組み替えと、五十七年で終わった株式市場との関係",
          "text": "資本問題が片づくと、パルコは中小型商業施設「ゼロゲート」の出店と既存店の増床で事業を広げた。2013年4月に心斎橋と道頓堀、10月に広島、2014年10月に名古屋、2016年2月に札幌、2017年11月に京都のゼロゲートを開き、同年11月にはパルコヤ上野も開店している。ただしゼロゲートは広告や販売促進を原則行わず、賃料も固定する方式であり、パルコは不動産賃貸だけを担う。1975年度にテナント売上高の3％にあたる14億円を広告に投じ、その支出で客を動かしてきた収益の作り方とは、原理が異なる。連結の経常利益は2013年2月期の103億円から2016年2月期の127億円まで伸びており、業績の面ではこの選択が奏功した。\n\n会計基準の変更は、この構造の変化を数字の上でも可視化した。パルコは2018年2月期から国際会計基準を適用し、テナント売上を総額で売上高に計上する方式から、賃料等を営業収益として純額で計上する方式へ移った。連結売上高2763億円（2016年2月期）に対し、営業収益は938億円（2017年2月期）、916億円（2018年2月期）、900億円（2019年2月期）となる。同じ期間のパルコテナント取扱高は2648億円、2495億円、2466億円であり、店頭の売上そのものは緩やかに減っていた。1969年に自ら選んだ「賃料で食う不動産屋」という立場が、半世紀を経て会計上の表示にも一致した形である。そして2016年8月から休業していた渋谷パルコが、建替えを経て2019年11月に複合施設として開業した。\n\n開業の4か月後、2020年3月にパルコはJ.フロント リテイリングの完全子会社となり、東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した。1987年の東証二部上場から33年、1963年の登録銘柄登録から数えれば57年で、株式市場との関係が終わる。同年9月には株式会社大丸松坂屋百貨店の不動産事業を承継し、2023年3月にはデベロッパー事業の一部をJ.フロント都市開発株式会社へ移した。その渋谷パルコの2024年度のテナント取扱高は過去最高の439億円となり、うち訪日客による取扱高が全体の41％を占めている。増田氏が坂の上の不利を通行人の数から測り直したように、来店のきっかけを調べ直したうえで手を打った結果であった。ただしこれは自ら流行を作る立場ではなく、外から来る需要を読んで場所を貸す立場での成果である。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1975年度に専門店集団が使った広告宣伝費は約14億円で、予算はテナント売上高合計の3％と定められていた",
                "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "パルコは第79期（2018年2月期）から国際会計基準を適用し、営業収益は2017年2月期938億円、2018年2月期916億円、2019年2月期900億円となった",
                "source": "有価証券報告書（2019年2月期）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "パルコテナント取扱高は2017年2月期2648億円、2018年2月期2495億円、2019年2月期2466億円であった",
                "source": "有価証券報告書（2019年2月期）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2016年8月に休業した渋谷パルコが建替えを経て2019年11月に開業した",
                "source": "会社公式サイト（沿革）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2020年3月にJ.フロント リテイリングの完全子会社となり東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した",
                "source": "会社公式サイト（沿革）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2020年9月に株式会社大丸松坂屋百貨店の不動産事業を承継し、2023年3月にデベロッパー事業の一部をJ.フロント都市開発株式会社へ承継した",
                "source": "会社公式サイト（沿革）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2020年3月にJ.フロント リテイリングの完全子会社となり東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した",
                "source": "会社公式サイト（沿革）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "2020年9月に株式会社大丸松坂屋百貨店の不動産事業を承継し、2023年3月にデベロッパー事業の一部をJ.フロント都市開発株式会社へ承継した",
                "source": "会社公式サイト（沿革）",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "森章氏は合従連衡が続く数年間はパルコにもまだ賞味期限があると述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "渋谷パルコの2024年度（2025年2月期）テナント取扱高は過去最高の439億円で前期比22％増、うちインバウンドが全体の41％を占めた",
                "source": "週刊東洋経済 2025年8月30日号「「渋谷パルコ」訪日客が売り上げ４割超の衝撃」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              },
              {
                "fact": "訪日客消費を牽引する6階にポケモン、任天堂、カプコンなどの公式ストアが集積し、旅ナカのプロモーションとグーグルマップの口コミ施策に注力した",
                "source": "週刊東洋経済 2025年8月30日号「「渋谷パルコ」訪日客が売り上げ４割超の衝撃」",
                "url": null,
                "genbun": ""
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "### 創業\n\n1953年、国鉄池袋駅前のターミナルビルを運営する池袋ステーションビルとして設立。翌年に京都の百貨店・丸物の資本参加を受けて百貨店業へ転じたが、隣の西武百貨店に及ばず、累積赤字18億円を抱えて1966年に西武へ買収された。再建を託された増田通二氏は1969年、商品を仕入れて売る小売業を捨て、専門店に場所を貸す不動産賃貸業へ全面転換する。自らを「賃料で食ってる不動産屋」と規定し、物件の不利を正確に認めたうえで、広告と劇場によって空間そのものに値をつけた。貸す側へ回ったことが13年ぶりの復配をもたらした。",
    "sections": [
      {
        "label": "創業",
        "body": "1953年、国鉄池袋駅前のターミナルビルを運営する池袋ステーションビルとして設立。翌年に京都の百貨店・丸物の資本参加を受けて百貨店業へ転じたが、隣の西武百貨店に及ばず、累積赤字18億円を抱えて1966年に西武へ買収された。再建を託された増田通二氏は1969年、商品を仕入れて売る小売業を捨て、専門店に場所を貸す不動産賃貸業へ全面転換する。自らを「賃料で食ってる不動産屋」と規定し、物件の不利を正確に認めたうえで、広告と劇場によって空間そのものに値をつけた。貸す側へ回ったことが13年ぶりの復配をもたらした。",
        "tags": {
          "primary": {
            "id": "F24",
            "label": "買収・MBOによる第二創業",
            "group": "出自・後ろ盾"
          },
          "sub": [
            {
              "id": "F17",
              "label": "商法・モデル革新で差別化",
              "group": "起点の事業モデル"
            },
            {
              "id": "F23",
              "label": "二面市場の場づくり",
              "group": "起点の事業モデル"
            }
          ]
        }
      }
    ],
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1969年に東京丸物は百貨店をやめ、テナントに場所を貸す会社へ変わったのか",
        "a": "小売業は商品・サービス・建物のどれを直しても、客がその店に抱いた印象までは覆せない。改善すべき変数が多いうえ、最後の一つが自社の手の外にある。再建を託された増田通二氏の診断はそこにあった。直すべきは個々の売場ではなく、稼ぎ方そのものであった。1966年に西武百貨店へ買収された時点で東京丸物は累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出す月もあった。増田氏は商品を仕入れて売る立場を捨て、専門店に場所を貸して賃料を得る立場へ移った。1969年11月に池袋パルコが開店し、翌1970年4月に商号もパルコへ改まった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "増田通二氏は小売業の立て直しの難しさを、商品・サービス・建物への分散と客の印象の残存として説明した",
            "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコスタディ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
            "url": null,
            "genbun": "改善すべき変数が多いうえ、最後の一つが自社の手の外にある。"
          },
          {
            "fact": "1966年に西武百貨店に買収された時点で東京丸物は累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出したこともあった",
            "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコスタディ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
            "url": null,
            "genbun": "1966年に西武百貨店へ買収された時点で東京丸物は累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出す月もあった。"
          },
          {
            "fact": "1969年11月に池袋パルコが開店し、1970年4月に株式会社東京丸物から株式会社パルコへ商号変更した",
            "source": "パルコ 有価証券報告書【沿革】",
            "url": null,
            "genbun": "1969年11月に池袋パルコが開店し、翌1970年4月に商号もパルコへ改まった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2011年のパルコは、社長の退任と引き換えに独立を選んだのか",
        "a": "議決権で対抗できない以上、相手が矛を収める最小の対価を探すほかなかった。イオンと森トラストは議決権の共同行使で合意し、合算比率は45％強に達している。イオンは事業提携に加えて平野秀一社長の退任、最高経営責任者を含む取締役の派遣、将来的な子会社化を求めた。パルコが差し出したのは、資本でも事業でもなく社長の職であった。社長ひとりを替えれば矛を収めるという線を森トラストが受け入れ、株主提案は総会前に取り下げられる。ただし守られた独立は1年あまりしか続かず、2012年8月にJ.フロント リテイリングが親会社となった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "森トラストはイオンに同調して経営陣刷新の株主提案を提出し、議決権の共同行使で合意して合算比率は45％強に達した",
            "source": "週刊東洋経済 2011年4月16日号「イオンが経営支配へ着々 追い込まれるパルコ」",
            "url": null,
            "genbun": "イオンと森トラストは議決権の共同行使で合意し、合算比率は45％強に達している。"
          },
          {
            "fact": "イオンは事業提携に加え平野秀一社長の退任、CEOを含む取締役の派遣、将来的な子会社化を提案した",
            "source": "週刊東洋経済 2011年4月16日号「イオンが経営支配へ着々 追い込まれるパルコ」",
            "url": null,
            "genbun": "イオンは事業提携に加えて平野秀一社長の退任、最高経営責任者を含む取締役の派遣、将来的な子会社化を求めた。"
          },
          {
            "fact": "森トラストは平野秀一社長の退任と引き換えに株主提案を取り下げた",
            "source": "週刊東洋経済 2011年5月28日号「ＴＯＰ ＩＮＴＥＲＶＩＥＷ 森トラスト社長 森 章 怒り心頭の「パルコ問題」 今後は投資家として対処」",
            "url": null,
            "genbun": "社長ひとりを替えれば矛を収めるという線を森トラストが受け入れ、株主提案は総会前に取り下げられる。"
          },
          {
            "fact": "2012年8月にJ.フロント リテイリング株式会社が公開買付けによりパルコ株式を取得し親会社となった",
            "source": "パルコ 有価証券報告書【沿革】",
            "url": null,
            "genbun": "ただし守られた独立は1年あまりしか続かず、2012年8月にJ.フロント リテイリングが親会社となった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜJ.フロント傘下入り後のパルコは、広告を打たない「ゼロゲート」を主力の出店形態にしたのか",
        "a": "賃料を固定して広告費を負わなければ、テナントの売上変動から切り離された安定収益になる。ゼロゲートは広告や販売促進を原則行わず、パルコは不動産賃貸だけを担う方式であった。1975年度にテナント売上高の3％にあたる14億円を広告に投じ、その支出で客を動かしてきた収益の作り方とは原理が異なる。連結の経常利益は2013年2月期の103億円から2016年2月期の127億円まで伸び、業績の面ではこの選択が奏功した。ただし空間と情報で付加価値をつけてきたかつての姿からは、稼ぎ方が遠ざかったと推定される。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "ゼロゲートはパルコが広告や販売促進を原則行わず賃料も固定する方式で、パルコは不動産賃貸を手掛けるだけの形をとる",
            "source": "週刊東洋経済 2014年10月11日号「Ｊフロント傘下入り後は事業拡大を積極化」",
            "url": null,
            "genbun": "ゼロゲートは広告や販売促進を原則行わず、パルコは不動産賃貸だけを担う方式であった。"
          },
          {
            "fact": "1975年度に専門店集団が使った広告宣伝費は約14億円で、予算はテナント売上高合計の3％と定められていた",
            "source": "日経ビジネス 1977年2月14日号「パルコスタディ 若者を魅了した“華麗なる不動産屋”」",
            "url": null,
            "genbun": "1975年度にテナント売上高の3％にあたる14億円を広告に投じ、その支出で客を動かしてきた収益の作り方とは原理が異なる。"
          },
          {
            "fact": "連結経常利益は2013年2月期103億円から2016年2月期127億円へ増加した",
            "source": "パルコ 有価証券報告書（2013年2月期・2016年2月期・連結）",
            "url": null,
            "genbun": "連結の経常利益は2013年2月期の103億円から2016年2月期の127億円まで伸び、業績の面ではこの選択が奏功した。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
