工場を閉鎖する判断は避けようがなかった。売上高が20億円まで減少した会社に、かつて500億円規模を支えた生産設備は維持できず、国内工場と香港・中国の生産網を併せ持つ状態も重すぎた。海外子会社を先に売り、国内工場を閉鎖し、翌年に土地建物を処分する順序は、資金を作る手順として筋が通る。責めるべきは、整理が2001年まで持ち越された経緯である。2005年から2010年の決算は、売上高1億円前後で100億円規模の資産を抱え、自己資本比率9割超・従業員10人未満・毎期経常赤字と、事業会社より資産管理会社に近い。
問題は、整理したあとに何が残るのかであった。2000年には商標権と特許権が親会社側の担保に入り、生産をやめれば残るのはブランドの管理と資産の運用だけだが、その名を使う権利は自社になかった。2012年4月2日の民事再生法申請時の負債2億4,765万円、2014年7月9日の破産手続開始時の約3億5,000万円は、1984年10月期の売上高の200分の1にも満たない。1989年に英ポリーペックが買収の最大の利点に挙げたブランド力だけが、香港資本の下の製品名と国内の別会社が売る同名の家電として残った。