なぜ2003年に整理をまとめたのか。2002年3月期の当期純利益は2億円しかなく、レジャー事業部門は中間期だけで約30億円の営業赤字を計上していた。子会社を1社ずつ整理していけば、毎期の利益は保てたはずである。それでも名古屋鉄道は、中期経営計画の初年度に473億円の当期純損失を計上した。損失を一度に処理すれば、残りの2年は黒字の体制で計画を進められる。木村操社長はそう判断したと思われる。
もっとも、この整理は地元の事業から撤退することでもあった。日本ライン観光は、名鉄が1950年に創業して半世紀以上運営してきた会社である。解散の後、舟下りを残したのは犬山市と各務原市の経営者20人の出資だった。鉄道会社が沿線の観光を担う役割と、赤字を止める必要は、ここで正面から衝突した。整理の対象が地元に関わる事業へ及ぶほど、名古屋鉄道は地域との関係を保つ負担も抱えたとみられる。
結果は部分的な成功である。財務は立て直った。自己資本比率は2003年3月期の9.9%から、2013年3月期には19.7%まで上がった。2006年3月期の当期純利益は132億円で、その後も黒字が続いた。しかし、整理は1回では終わらず、2005年3月期にも減損で再び赤字を計上した。営業収益も2013年3月期には6,098億円まで縮み、事業の規模は戻っていない。名古屋鉄道は、損失をまとめて処理して利益と財務を守ったが、成長は後の時代に残した。