決断
他社の電車をそのまま通す前提で掘り、建設費を自ら押し上げた。1956年8月の都市交通審議会第1号答申は、今後建設する地下鉄を郊外鉄道と相互直通運転する路線とする方針を示した。事業体の異なる鉄道どうしの相互直通は日本が世界で最初に実現したが、集電方式がパンタグラフへ変わってトンネルの断面は高くなり、既存の地下鉄との交差で駅は地下3層まで下がり、編成長を延ばして駅の規模も膨らんだ。1959年まで年2キロ程度だった建設速度は1960年代に年6キロ程度へ上がり、キロ当たり建設費も上昇して、累積赤字は1976年度に252億円へ達する。営団は1977年から運賃改定を重ね、1980年度末に累積赤字を149億円まで縮めた。直通を選んだことが、掘る費用を運賃で回収する会社の性格を決めた。