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飛び地への参入

飛び地への参入は、何を買ったかで結末が分かれている。バブル期に土地とレジャーを買った例は残らなかった。三越は580億円のゴルフ場開発へ踏み込み、日活はゴルフ場3カ所への80億円が行き詰まって会社更生法を申請し、パナソニックは7,800億円のMCAを5年で手放した。コマツは建設機械の外へ広げた電子金属への投資で初の連結赤字に転落している。対して、自社の技術を持ち込んだ飛び地は根づいた。味の素は半導体パッケージ材ABFを育てて世界シェア95%超を握り、京セラは第二電電の中心的な出資者として通信へ入った。資産を買った多角化は消え、技術を持ち込んだ多角化が残った。

財務諸表のどこを見るか

新しい区分がセグメント情報に現れてから、何年で黒字になったかを数える。土地や建物を取得した多角化では、有形固定資産と借入金が同時に膨らみ、遊休資産の減損として後から損失が出る。研究開発から育てた事業は、売上が立つ前の数年間に研究開発費が先に増えるので、費用の推移で仕込みの時期が読める。出資にとどめた参入は関係会社株式と持分法投資損益に、事業として抱えた参入はセグメント損益に出る。撤退した年の特別損失と、その区分が消えた期を突き合わせて期間を測る。

2020年代

2010年代

2018年 サイバーエージェント FC町田ゼルビア子会社化 プロサッカークラブの取り込みによるスポーツ事業への参入 2017年 太陽HD 太陽ファルマ設立し医薬品参入 電子材料一辺倒からの脱却を狙った医療・医薬品事業への参入 2016年 NISSHA グラフィックコントロールズの買収 メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト 2015年 ビジョナル ルクサをKDDIへ売却 EC事業の分社と、通信大手への売却による非中核事業の整理 2015年 青山商事 ミスターミニット買収 創業50周年を機に踏み切った、スーツ一本足からの脱却 2015年 SOMPOHD ワタミの介護とメッセージ買収 約800億円を投じ、介護という別業種を自前で抱えることを選んだ本格参入 2014年 オリックス リーマン後の事業投資転換 リース・融資という金融の型を捨て、自己資金を投じる側への立ち位置の移行 2013年 ノーリツ鋼機 日本医療データセンター等買収 医療・シニア・農業の連続買収による事業ポートフォリオの組み立て 2012年 クックパッド 海外レシピ買収で多角化 穐田誉輝体制のもとで進めた、レシピの外へも広げる事業領域の拡張 2012年 神戸物産 兵庫の屋根で太陽光参入 自社施設の屋根29キロワットから始めた再生可能エネルギー事業 2012年 フジ・メディアHD サンケイビルの子会社化 都市開発と観光を第二の柱とする、放送一本の収益構成の組み替え 2012年 セガサミーHD リゾート・海外IRへ投資 遊技機で稼いだ資金を新分野へ振り向けた同時多発の投資 2011年 DeNA 横浜ベイスターズの買収 ゲーム以外の看板を得るため、95億円を投じてプロ野球球団の運営を引き受けるという選択

2000年代

1990年代

1999年 コマツ コマツ電子金属へ巨額投資 建設機械以外へ広げた多角化の拡大と、初の連結赤字への転落 1998年 味の素 半導体材ABFの育成 食品会社が世界シェア95%超を握るに至ったパッケージ材事業の育成 1998年 カネカ カネカソーラーテック設立 専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資 1996年 ニフコ ジャパンタイムズの取得 シモンズを併せた取得で進めた、資本負担の軽い事業の多角化 1994年 サッポロビール 恵比寿ガーデンプレイス開業 工場跡地を売却せず自ら開発する道を選んだ、不動産事業への踏み出し 1993年 日活 若松正雄社長辞任と更生法申請 ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり 1992年 ディスコ 関家憲一の拡散炉撤退 半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上 1991年 アスキー 映画・地域含む拡大路線採用 創業メンバー2名の退任と引き換えに選んだ多角化への傾斜 1990年 大和ハウス工業 ダイワロイヤルホテルズ拡大 ホテル事業の急拡大と、定まらないまま残されたブランド戦略 1990年 クボタ 三野重和の落下傘型多角化 祖業と関わりの薄い分野へ次々と展開し、単一事業への依存を断つ経営刷新 1990年 パナソニック 米MCA買収し5年で売却 7800億円を投じた大型買収から短期で手を引く、方針の転換

1980年代

1989年 オリックス オリックスへ改称 リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化 1988年 エバラ食品工業 エバラコーポレーション設立 米国法人の設立と外食チェーンへの進出、そして二つの撤退 1988年 三越 580億円のゴルフ場開発 本業の外へ事業を広げる多角化路線の採用と、土地取得への巨額投入 1988年 吉野家HD ディーアンドシーの吸収合併 合併を通じた多角化と、京樽買収・東証一部上場への到達 1985年 住友大阪セメント 非セメント事業に多角化 売上構成比50%を目標に据えた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出 1985年 川崎製鉄 川崎マイクロエレクトロニクス分社 LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、独立会社への切り出し 1984年 ヤクルト本社 三菱商事との合弁リプソン設立 通信販売という新しい販路への進出と、それを畳む清算までの一巡 1984年 日本毛織 中山工場跡地を商業施設化 跡地活用から生まれた不動産事業の、新たな収益の柱への育成 1984年 京セラ 第二電電(DDI)設立 中心的な出資者として担った、通信の新規参入事業者の立ち上げ 1983年 ヤマハ マッキンゼー助言の事業部制導入 事業部制導入と社長直結の指揮系統 1982年 東洋紡 宇野収の非繊維多角化 創業100年を機に急ピッチで進めた事業領域の外への拡張 1982年 ダイワボウHD ダイワボウ情報システム設立 繊維不況を抜け出す策としての新会社設立と、情報分野への進出 1980年 旭化成 石油依存の収益構造から脱却 原子力・電子・医薬という三分野に賭けた第二次多角化

1970年代

1960年代

1950年代

1910年代

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