上場企業の経営論点

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飛び地への参入

1980年代後半の日本企業は、円高で輸出の採算が悪化し、鉄鋼や造船のように需要そのものが縮小する産業も抱えていた。本業の減益分を別の事業で補う必要があった。しかし同じ資金を本業へ投じても、成熟した市場では売上が伸びない。設備を増強すれば供給過剰を招くだけで、投資額は回収できない。

当時、金利は低く、地価と株価は上昇を続けていた。土地は保有しているだけで評価額が上がり、取得の判断に技術の裏付けを要しなかった。審議に必要なのは、値上がりの見通しと担保としての評価額だけである。帳簿価額を上回る時価との差額である含み益は、決算書に現れない。それでも含み益は支払い能力の裏付けと見なされ、売却して利益を実現しなくても、担保に入れれば資金を調達できた。借入金でさらに資産を取得すれば、本業の損益とは無関係に評価益が積み上がる。その巧拙を経営者の能力として語る財テクという言葉が広まったのも1980年代後半である。

土地とレジャーは、保有するだけで評価額が上がるという条件に最も合致する投資先であった。開発用地は資産として帳簿に残り、レジャーは1970年代から成長を続ける市場と見られていた。三越は580億円のゴルフ場開発に着手し、日活はゴルフ場3カ所への80億円が行き詰まって会社更生法を申請した。本業から離れた投資は、土地とレジャーにかぎらなかった。パナソニックは7,800億円のMCAを5年で売却している。コマツは建設機械の外へ広げたシリコンウエハー事業への投資で初の連結赤字に転落した。

しかし資産価格が下落すると、この構図は反転した。帳簿に一度も計上されなかった含み益は計上されないまま消え、取得のための借入金だけが残った。

対照的に、自社の技術を持ち込んだ非関連事業は存続した。味の素は半導体パッケージ材を育成して世界シェア95%超を獲得し、京セラは第二電電の中心的な出資者として通信事業へ参入している。土地のように代金を支払って取得した資産は、その時点で価値が確定し、その後に取得者が価値を付加する手段がない。収益の源泉は値上がりだけであり、値上がりするかどうかは取得者の経営とは無関係に決まる。一方、技術を持ち込んだ参入では、参入先で何を製造するかを自社が決めている。つまり非関連多角化の成否を分けたのは、参入後に自社で制御できる領域が残っていたかどうかだった。

財務諸表のどこを見るか

新しい区分がセグメント情報に現れてから、何年で黒字になったかを数える。土地や建物を取得した多角化では、有形固定資産と借入金が同時に拡大し、遊休資産の減損として後から損失が出る。研究開発から育てた事業は、売上が立つ前の数年間に研究開発費が先に増加するので、費用の推移で仕込みの時期が読める。出資にとどめた参入は関係会社株式と持分法投資損益に、事業として抱えた参入はセグメント損益に出る。撤退した年の特別損失と、その区分が消えた期を突き合わせて期間を測る。

2020年代

2010年代

2018年サイバーエージェントFC町田ゼルビア子会社化プロサッカークラブの取り込みによるスポーツ事業への参入2017年太陽HD太陽ファルマ設立し医薬品参入電子材料一辺倒からの脱却を狙った医療・医薬品事業への参入2017年GMOインターネットG暗号資産マイニング事業参入北欧の自社採掘とマシン販売、1年後の自社採掘への集中2016年NISSHAグラフィックコントロールズの買収メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト2015年ビジョナルルクサをKDDIへ売却EC事業の分社と、通信大手への売却による非中核事業の整理2015年青山商事ミスターミニット買収スーツ一本足から離れるために買収した、靴修理と合鍵の577店2015年SOMPOHDワタミの介護とメッセージ買収約800億円を投じ、介護という別業種を自前で抱えることを選んだ本格参入2014年オリックスリーマン後の事業投資転換リース・融資という金融の型を捨て、自己資金を投じる側への立ち位置の移行2013年ノーリツ鋼機日本医療データセンター等買収医療・シニア・農業の連続買収による事業ポートフォリオの組み立て2012年クックパッド海外レシピ買収で多角化穐田誉輝体制のもとで進めた、レシピの外へも展開する事業領域の拡張2012年神戸物産兵庫の屋根で太陽光参入自社施設の屋根29キロワットから始めた再生可能エネルギー事業2012年フジ・メディアHDサンケイビルの子会社化都市開発と観光を第二の柱とする、放送一本の収益構成の組み替え2012年セガサミーHDリゾート・海外IRへ投資遊技機で獲得した資金を新分野へ振り向けた同時多発の投資2011年DeNA横浜ベイスターズの買収ゲーム以外の看板を求めた95億円での球団運営の引き受け

2000年代

1990年代

1999年コマツコマツ電子金属へ巨額投資建設機械以外へ展開した多角化の拡大と、初の連結赤字への転落1998年味の素半導体材ABFの育成食品会社が世界シェア95%超を占めるに至ったパッケージ材事業の育成1998年カネカカネカソーラーテック設立専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資1996年ニフコジャパンタイムズの取得シモンズを併せた取得で進めた、資本負担の軽い事業の多角化1994年サッポロビール恵比寿ガーデンプレイス開業工場跡地を売却せず自ら開発する方針を選んだ、不動産事業への踏み出し1993年日活ゴルフ場投資の破綻と更生法申請ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり1992年ディスコ拡散炉事業の打ち切り半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上1991年アスキー映画・地域含む拡大路線採用創業メンバー2名の退任と引き換えに選んだ多角化への傾斜1990年大和ハウス工業ダイワロイヤルホテルズ拡大過疎地の土地開発と一体の宿泊施設の量産と、定まらない客層1990年クボタ落下傘型の多角化祖業と関わりの薄い分野へ次々と展開し、単一事業への依存を断つ経営刷新1990年パナソニック米MCA買収し5年で売却7800億円を投じた大型買収から短期で撤退する、方針の転換

1980年代

1989年オリックスオリックスへ改称リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化1988年エバラ食品工業エバラコーポレーション設立米国法人の設立と外食チェーンへの進出、そして二つの撤退1988年三越580億円の八街カントリークラブ開発本店依存の是正策としての周辺事業への多角化と、ゴルフ場への巨額投資1988年吉野家HDディーアンドシーの吸収合併合併を通じた多角化と、京樽買収・東証一部上場への到達1985年住友大阪セメント非セメント事業に多角化売上構成比50%を目標と定めた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出1985年川崎製鉄川崎マイクロエレクトロニクス分社LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、独立会社への切り出し1984年ヤクルト本社三菱商事との合弁リプソン設立通信販売という新しい販路への進出と、それを撤退する清算までの一巡1984年日本毛織中山工場跡地を商業施設化跡地活用から生まれた不動産事業の、新たな収益源への育成1984年京セラ第二電電(DDI)設立中心的な出資者として担った、通信の新規参入事業者の立ち上げ1983年ヤマハマッキンゼー助言の事業部制導入事業部制導入と社長直結の指揮系統1982年東洋紡非繊維分野への多角化創業100年を機に急ピッチで進めた事業領域の外への拡張1982年ダイワボウHDダイワボウ情報システム設立繊維不況を抜け出す策としての新会社設立と、情報分野への進出1980年旭化成石油依存の収益構造から脱却原子力・電子・医薬という三分野に経営資源を集中した第二次多角化

1970年代

1960年代

1950年代

1910年代

1880年代

1870年代

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