この経営判断の核心は、縮小する祖業の後始末を、単なる資産処分ではなく次の事業への転換点としてとらえた点にある。1961年のニッケ不動産設立以来、日本毛織の経営陣は繊維専業からの脱却先を探り続けており、1982年の中山工場閉鎖は、その布石が具体的な跡地と結びついた出来事だったと推察される。売却して現金化する選択肢もあったなかで、賃貸を軸とする長期の収益モデルを選んだことが、その後40年にわたる不動産事業の骨格を決めた。
もっとも、この判断が当初から明確な長期戦略として描かれていたかは判然としない。工場跡地の商業施設化は個別の不動産案件として始まり、1991年の大阪本社移転を経て、次第に会社の中核事業のひとつへと育っていったとみるほうが実態に近い。祖業の縮小に直面した経営が、跡地という制約をどう機会に転じたかを示す事例といえる。