自前の特許を一つも持たないまま最先端の製造技術に触れる方法として、TI社の生産体制へ全面的に組み込まれる選択は、当時としては合理的な選択であった。歩留まり80%はその成果であり、亀高素吉社長の『損するビジネスをしているつもりはない』という言葉にも根拠があった。ただ、借りた技術は借り続けなければ古びる。0.28ミクロンから0.18ミクロンへ、さらに300ミリウエハーへと、参入時に見えていなかった投資の階段が十年のあいだに積み上がった。
撤退が決まったのは、KMTが経常利益51億円へ浮上し、累積損失を二年で消す展望まで見えていた時期であった。目先の採算ではなく次の一段を登れるかで決めた点に、この判断の性格が表れている。水越浩士社長が"シナジー効果"を物差しに据えたのは、鉄鋼の技術も人も転用できない事業へ鉄鋼の稼ぎを投じ続ける理由を見いだせなかったからなのだろう。同じ物差しで残されたのが、製鉄所の運転経験をそのまま使える発電であった。半導体で借りた技術は譲渡とともに手元を離れ、発電で使った技術は残った。多角化の成否を分けたのは、投資を止めれば価値が消える技術か、止めても手元に残る技術かの違いであったといえる。