クラビットの発売(1993年・第一製薬の決断)

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第一製薬:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
タリビッドのL体だけを製品にした後継の抗菌剤と、原薬輸出と導出による海外展開1993年、第一製薬が広範囲経口抗菌製剤クラビット(一般名レボフロキサシン)を発売した経営判断。1985年発売の自社品タリビッド(一般名オフロキサシン)の有効成分をL体とD体に分け、活性の高いL体だけを製品にした。D体は抗菌効果が弱く、頭痛や不眠の副作用がわずかに認められていた。発売前の見立ては、年商423億円のタリビッドの後継として同等以上のピーク年商を見込むものだった。実際に2000年3月期には連結売上高の19.6%を占める最大の製品になった。海外では自前の販売網を持たず、レボフロキサシンの原薬を米国と欧州の導出先へ輸出する方式で広げた。

何をなぜ決めたか:タリビッドのL体だけを製品にした後継の抗菌剤と、原薬輸出と導出による海外展開

概要

1993年、第一製薬が広範囲経口抗菌製剤クラビット(一般名レボフロキサシン)を発売した経営判断。1985年発売の自社品タリビッド(一般名オフロキサシン)の有効成分をL体とD体に分け、活性の高いL体だけを製品にした。D体は抗菌効果が弱く、頭痛や不眠の副作用がわずかに認められていた。発売前の見立ては、年商423億円のタリビッドの後継として同等以上のピーク年商を見込むものだった。実際に2000年3月期には連結売上高の19.6%を占める最大の製品になった。海外では自前の販売網を持たず、レボフロキサシンの原薬を米国と欧州の導出先へ輸出する方式で広げた。

背景

タリビッド以前の第一製薬は、経常利益を1982年3月期に10.2%、1983年3月期に15.9%と2期続けて2ケタ減らした。主力は1967年発売の脂質代謝改善剤パントシンで、1981年9月に出したパナルジンとブレンディールはいずれも導入品で、採算でパントシンに劣った。それでも1988年3月期には売上高で業界8位、経常利益で3位に入った。

自社開発の合成抗菌剤DL-8280(のちのタリビッド)は、1983年に米ジョンソン・エンド・ジョンソンと西独ヘキストへ技術供与し、1985年7月に発売した。ところが臨床に入る段階で物質の選択を誤り、発売で他社の後発品に約1年遅れた。鈴木正社長は『マネジメントのミスで、3回目の失敗をした時には本当に腹が立った』と、このときの機会損失を悔やんでいる。

内容

1989年3月の時点で、タリビッドのL体は開発記号DR-3355として自社で開発が進み、1992年夏の発売と200〜250億円の売上が見込まれていた。発売の予定は1993年夏へずれ、1993年にクラビット錠・細粒として発売した。

当時の第一製薬は欧米に生産拠点を持たず、世界に通用する新薬が少なくとも3品種ないと海外戦略は難しいとみていた。タリビッドは35カ国へ原薬をバルク輸出していたが、その売上げは20数億円にとどまった。クラビットもこの形を受け継ぎ、原薬を米国中心に出荷し、導出品の販売に応じたロイヤルティを受け取った。

含意

2000年3月期、クラビットとタリビッドの売上は合わせて510億円と5.2%増加し、米国向けのレボフロキサシンの輸出はほぼ倍増した。欧州ではドイツ・イタリア・英国・スペインなど約10カ国で販売され、連結の海外売上高は488億円、海外売上高比率は16.2%に上がった。一方で、自前の販売網を持たないために導出品から利益を得る機会を逃してきたと認め、欧州に自社の販売網を築く方針を掲げた。

2000年度のクラビットの年間売上高は659億円で、医療用医薬品の国内売上高9位に入った。2005年9月に三共と株式移転で第一三共を設立した後も、国内のクラビットと海外のレボフロキサシン原薬は連結売上を支えた。

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筆者考察
考察

考察:一本で終わらせなかったことと、売る場所を持たなかったこと

クラビットは新しい化合物ではない。1985年発売のタリビッドから、効き目の弱い片方の異性体を取り除いたものである。発見の新しさより、すでに売れている薬の寿命を自社の手で延ばした判断と読むべきだろう。タリビッド以前の主力は1967年発売のパントシンで、新薬は導入品に依存し、採算は自社品に劣った。そのタリビッドも発売で他社に約1年遅れ、先発の利を取り損ねている。同じ骨格の改良を他社より先に自社で押さえることが、二度目の遅れを防ぐ手だったとみられる。

もっとも、売れる薬を持つことと、それを売る場所を持つことは別である。第一製薬は欧米に生産拠点も販売網も持たず、海外では原薬を輸出し、販売は導出先に委ねた。2000年3月期の海外売上高比率は16.2%にとどまり、会社自身が導出の利益機会を逃してきたと認めている。クラビットは国内で最大の製品に育ったが、世界で生んだ稼ぎの多くは導出先の手に渡ったのではないか。二本目の成功が、売る場所を築く課題を先送りさせたのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考

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