塩野義製薬の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

自社で創った薬を、海外では自ら売らないと決めた。戦後の製品は米ロッシュや米リリーからの技術導入に多くを負っていたが、1962年3月に社長の塩野孝太郎氏は"人真似の歴史"からの転換を社内へ宣言し、売上の拡大より新研究所の建設を優先した。1958年には自社創製の持続性サルファ剤シノミンが生まれ、1960年にはロシュ社へ技術を輸出する立場に変わる。米サイエル・ファーマを約14億ドルのTOBで完全子会社化したのは2008年で、初めて米国の営業組織を得た。ところが4年後の2012年、HIV合弁の持分50%を英ViiV Healthcareへ譲渡してその株式10%を取得し、HIV治療薬ドルテグラビルを自社で販売しないことにした。買った販売網は生活習慣病の医師を回るもので、HIVの専門医には届かない。この不一致が、創薬と販売を切り離す現在の形を決めた。

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