自前創薬の限界を越えるための約6兆8000億円のシャイアー買収

国内首位に立ちながら次の新薬に行き詰まった武田薬品工業は、なぜ日本企業最大級の借金を負ってまで海外企業を丸ごと買ったのか

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時期 2019年1月
意思決定者 クリストフ・ウェバー 社長CEO
論点 自前創薬の限界と外部成長
概要
2018年5月に武田薬品工業がアイルランドのシャイアーへ約460億ポンド(公表時の円換算で約6兆8000億円)の買収を申し出て、2019年1月に完了した経営判断。クリストフ・ウェバー社長CEOが主導し、希少疾患・血漿分画製剤・消化器・神経の重点領域を一括で取得した、日本企業として過去最大級のクロスボーダーM&Aである。
背景
1990年代の糖尿病治療薬アクトス以降、武田薬品工業は自前でアクトス級の新薬を生み出せず、国内市場も薬価抑制と特許切れで頭打ちに近づいていた。世界の売上高順位では2015年に19位と中堅にとどまり、規模とパイプラインを外から取り込むほかに世界の上位へ残る道は狭かった。
内容
シャイアー株1株49.01ポンド換算で総額約460億ポンド、円換算で約6兆8000億円を投じ、消化器・神経で製品を補い合い、希少疾患と血漿分画製剤で世界の主導的な立場を得た。買収資金の多くを借入で賄い、武田薬品工業は多額ののれんと有利子負債を抱えた。
含意
連結売上高は約2兆円から3兆円超へ倍増し世界の製薬大手の上位へ入った一方、5兆円を超える有利子負債を負った。看板のアリナミンを含む大衆薬など非中核事業の売却でデレバレッジを進め、買う経営で規模を得た代償として、育てる時間の遅れが課題として残った。
筆者の見解

買う経営が得たものと、育てる時間の遅れ

この買収の性格は、金額の大きさそのものにあらわれている。自前の研究所からアクトス級の新薬を生み出せないまま、武田薬品工業は1989年のリュープリン以降、ミレニアム・ナイコメッド・ARIAD・シャイアーと外から事業基盤を買い足してきた。約6兆8000億円という値札は、成長の自信よりも、時間を金で買わなければ世界の上位に残れないという危機感の裏返しでもあった。事業も人材も買うことで空白を短期に埋める一方、育てる時間を省いた代償は、看板のアリナミンを手放す形で返ってきた。

武田薬品工業はシャイアーの取り込みで、江戸期の薬種商から続いた同族の会社を、外国人経営者が率いる世界規模の医薬専業企業へ変えた。売上高は約2兆円から3兆円超へ跳ね、事業の中心は国内の流通・大衆薬から海外の希少疾患・創薬へ移った。半面、6兆円級の負債を返しながら次の主力品を育てるという二重の負担は、ウェバー氏の後を継ぐ経営へそのまま引き継がれる。240年の歴史を長い物差しで測るこの会社にとって、この買収が拡張だったのか背伸びだったのかは、これから生まれる新薬の数が決める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

自前創薬の細りと国内市場の頭打ち

武田薬品工業は、1990年代の糖尿病治療薬アクトスや潰瘍治療薬タケプロンで国内首位を固めたが、その後は自前で世界規模の新薬を生み出せずにいた。2004年3月期から2012年9月中間期までの9年半に約2兆4000億円を研究開発へ投じても、アクトスに匹敵する大型製品は現れなかった。国内市場は薬価の抑制と主力品の特許切れで伸びしろが乏しく、成長も利益率も頭打ちに近づいていた。豊富な販売力を抱える一方で、次の柱となる自社品の空白が経営の課題として残った[1]

主力品の先細りは近づいていた。2017年初め、週刊東洋経済は武田薬品工業について「5年程度は今の主力製品が稼げるだろうが、その先に有望な新薬候補が見当たらない」と伝えた。国内では最大手でも、世界の売上高順位では2015年に19位と中堅の部類にとどまり、ニッチ領域で生きるには規模が大きすぎた。自前のパイプラインで空白を埋めきれない以上、規模とパイプラインを外から取り込むほかに世界の上位へ残る道は狭かった[2]

ウェバー体制下でのグローバル化と買収の連鎖

外へ規模を求める路線は、長谷川閑史氏の社長時代から続いていた。長谷川氏は「同族経営の『タケダ』を世界の『TAKEDA』に変革させる[3]」と掲げ、2008年の米ミレニアム、2011年の欧州ナイコメッドと海外企業の買収を重ねて、無借金経営から外部成長へ転じた。2014年に英グラクソ・スミスクライン出身のクリストフ・ウェバー氏が社長へ、2015年にCEOへ就くと、この路線をさらに進めた。ウェバー氏のもとで武田薬品工業は、希少がんに強い米ARIADを2017年に取得するなど、外から創薬基盤を買い足すことで自前パイプラインの空白を埋めようとした。

決断

約460億ポンド、日本企業最大級の買収提案

2018年5月8日、武田薬品工業はアイルランドに本社を置くシャイアーの買収を申し出た。シャイアー株1株につき30.33米ドルの現金と武田の新株を組み合わせる条件で、1株49.01ポンド換算での総額は約460億ポンドに達した。円換算では公表時のレートで約6兆8000億円にのぼり、日本企業によるM&Aとして過去最大の規模となった。買収完了時の円換算では約6兆2000億円と見積もられ、社内の記録もこの水準を採る[4][5]

2019年1月の完了と取得した重点領域

武田薬品工業は約8カ月の株主説得を経て、2019年1月8日にシャイアーの買収を完了した。取得によって、消化器系疾患と神経精神疾患で製品を補い合い、希少疾患と血漿分画製剤では世界の主導的な立場を得た。武田はオンコロジー・消化器・神経・希少疾患の4領域に注力し、血漿分画製剤とワクチンにも研究開発を振り向ける体制を整えた。1781年の薬種商創業から続いた武田が、海外企業を丸ごと取り込み、事業の中身を大きく入れ替えた[6]

巨額ののれんと有利子負債

買収資金の多くは借入で賄い、武田薬品工業は多額ののれんと有利子負債を抱えた。有利子負債は買収前の約6倍にあたる5兆円超へ膨らみ、財務の健全性を測る指標は買収直後から格付けの引き下げ圧力にさらされた。武田の経営は、積み上げた負債の返済と、次の主力品を生む研究開発という二つの支出を同時に背負う体制へ移った。買収規模の大きさは、そのまま返済負担の重さとして跳ね返った[7]

結果

売上倍増と世界大手の上位入り

買収は武田薬品工業の規模を一気に押し上げた。連結売上高は買収前の2019年3月期の約2兆1000億円から、シャイアーを通年で取り込んだ2020年3月期には約3兆3000億円へ倍増した。武田自身も統合後の年間売上収益を3兆円超と示し、売上規模で世界の製薬大手の上位へ入った。希少疾患と血漿分画製剤という高採算の事業を抱え込み、国内偏重の姿から売上の大半を海外で稼ぐ会社へ入れ替わった[8]

債務の重みと非中核資産の売却

規模の拡大には、重い債務が伴った。武田薬品工業は財務の立て直しを迫られ、非中核の事業を次々と手放した。ドライアイ治療薬の事業をスイスのノバルティスへ約5512億円で、2020年には創業以来の看板である大衆薬「アリナミン」などを扱う武田コンシューマーヘルスケアを約2420億円で譲渡した。買収で広げた事業のうち利益率の低い部分を売り、負債の返済に充てた。有利子負債は2021年6月末に4兆230億円まで下がった[9]

出典・参考