2005年〜 2005年の発足と海外がん事業への賭け ── 合併からXTANDI最高益まで
アステラス製薬の業績推移:連結
- 2005年 山之内製薬と藤沢薬品工業の合併によるアステラス製薬の誕生(2005年成立) 国内3位と5位の合併はなぜ「社名一新の対等合併」として演出され、何をもたらしたのか?
- 2005年 竹中登一氏が初代社長に就任
- 2007年 アジェンシスInc.を買収
- 2008年 アステラスファーマグローバルディベロップメントInc.を設立
- 2010年 米OSIファーマシューティカルズへの同意なき買収(敵対的TOB) 主力薬の特許切れが迫るなか、アステラスはなぜ拒まれてもなお米がん企業を買いにいったのか
- 2016年 オカタセラピューティクスInc.を買収
- 2016年 ガニメドファーマシューティカルズAGを買収
対等合併の実務 ── 二社を一つの会社にする
2005年4月1日、山之内製薬と藤沢薬品工業が合併し、アステラス製薬が発足した。2年に一度の薬価引き下げで国内市場の拡大が見込めなくなる一方、欧米の大手は大型合併で研究開発の規模を引き上げており、国内3位と5位が単独で創薬投資を回収し続けることは難しくなっていた。合併基本合意の発表時点で、新会社の医薬品売上高は約8000億円となり、武田薬品工業に次ぐ国内2位・世界17位に上がる。MR数は約2400名で国内最大となる。研究開発費は1450億円と国内首位の規模になり、グローバルで生き残りに必要といわれた1000億円の水準を超えた。竹中登一氏は合併決定後の取材で「やはり現状の700億円では足りない、ラフに見積もっても最低1000億円はないと駄目ですね」(週刊東洋経済 2004/04/17)と語っている。規模を作ることが、この合併の主眼の一つだった。 [1][2][3][4]
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [1]2005年4月1日に山之内製薬と藤沢薬品工業が合併しアステラス製薬が発足した
- 週刊東洋経済 2004年3月6日号「製薬業界の大型再編/山之内・藤沢合併の勝算/小が大に仕掛けた『対等合併』」
- [2]合併により新会社の医薬品売上高は約8000億円となり武田薬品に次ぐ国内2位・世界17位、MR数は約2400名で国内最大となる見込みだった
- [3]新会社の研究開発費は1450億円と国内首位規模となり、グローバルで生き残りに必要とされた1000億円を超えた
- 週刊東洋経済 2004年4月17日号「[KeyPerson]竹中登一 山之内製薬社長 初の大型合併に踏み切る 研究開発費に最低1000億円」
- [4]竹中登一は研究開発費について現状の700億円では足りず最低1000億円が要ると述べた
発足初年度から重複拠点の整理が始まった。2005年4月に製剤生産機能を統合・分社化してアステラス東海を設立し、翌2006年4月には原薬製造機能を分社化してアステラスファーマケミカルズを設立した(両社は2011年4月にアステラス富山とともに統合され、アステラスファーマテックとなる)。組織は社長直属の本部をマネジメントの中心単位とする9本部制を敷き、本部長や主要ポストに旧山之内・旧藤沢の出身者を配した。初代社長の竹中登一氏は両社出身者の融合を進め、研究では山之内も藤沢もなく機能を再編する方針を掲げていた。数字の上での変化は明瞭で、山之内単独の最終期にあたる2005年3月期に売上高4471億円・従業員7196人だった規模は、合併第1期の2006年3月期に売上高8793億円・従業員14965人へと倍増し、2007年3月期には売上高9206億円・純利益1312億円となった。 [5][6][7][8]
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [5]2005年4月にアステラス東海(製剤)、2006年4月にアステラスファーマケミカルズ(原薬)を設立し、2011年4月にアステラスファーマテックへ統合した
- [6]発足時の組織は社長直属の本部を中心単位とする9本部制で、旧2社出身者を主要ポストに配した
- 週刊東洋経済 2004年4月17日号「[KeyPerson]竹中登一 山之内製薬社長 初の大型合併に踏み切る 研究開発費に最低1000億円」
- [7]アステラスの初代社長は竹中登一で、研究について山之内も藤沢もなく融合させ機能再編する方針を示していた
- アステラス製薬 有価証券報告書(連結財務諸表)
- [8]売上高は2005年3月期4471億円から2006年3月期8793億円へ、従業員数は7196人から14965人へ増え、2007年3月期は売上高9206億円・純利益1312億円だった
2008年4月には米国にアステラスファーマグローバルディベロップメントInc.を設立し、開発本社機能を米国に置いた。竹中氏は合併決定時、海外大手から出資を伴う提携を持ちかけられても「本当にずっと日本で研究をさせてくれるか不安でした」(週刊東洋経済 2004/04/17)として応じず、日本を中心に研究を行い営業をグローバルに広げる構えを語っていた。その3年後に選ばれたのは、研究は国内に残しつつ、臨床開発の司令塔だけを世界最大の市場である米国へ移す分担である。合併を国内の重複整理で終わらせず、臨床開発の指揮を世界最大の市場の中に置いた判断は、当時の日本の大手製薬としては踏み込んだものだったとみられる。 [9][10]
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [9]2008年4月に米国へアステラスファーマグローバルディベロップメントInc.を設立し開発本社機能を置いた
- 週刊東洋経済 2004年4月17日号「[KeyPerson]竹中登一 山之内製薬社長 初の大型合併に踏み切る 研究開発費に最低1000億円」
- [10]竹中登一は海外大手からの出資提案について日本で研究を続けられるか不安があったとして応じなかった
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [1]2005年4月1日に山之内製薬と藤沢薬品工業が合併しアステラス製薬が発足した
- [5]2005年4月にアステラス東海(製剤)、2006年4月にアステラスファーマケミカルズ(原薬)を設立し、2011年4月にアステラスファーマテックへ統合した
- [9]2008年4月に米国へアステラスファーマグローバルディベロップメントInc.を設立し開発本社機能を置いた
- 週刊東洋経済 2004年3月6日号「製薬業界の大型再編/山之内・藤沢合併の勝算/小が大に仕掛けた『対等合併』」
- [2]合併により新会社の医薬品売上高は約8000億円となり武田薬品に次ぐ国内2位・世界17位、MR数は約2400名で国内最大となる見込みだった
- [3]新会社の研究開発費は1450億円と国内首位規模となり、グローバルで生き残りに必要とされた1000億円を超えた
- 週刊東洋経済 2004年4月17日号「[KeyPerson]竹中登一 山之内製薬社長 初の大型合併に踏み切る 研究開発費に最低1000億円」
- [4]竹中登一は研究開発費について現状の700億円では足りず最低1000億円が要ると述べた
- [7]アステラスの初代社長は竹中登一で、研究について山之内も藤沢もなく融合させ機能再編する方針を示していた
- [10]竹中登一は海外大手からの出資提案について日本で研究を続けられるか不安があったとして応じなかった
- [6]発足時の組織は社長直属の本部を中心単位とする9本部制で、旧2社出身者を主要ポストに配した
- アステラス製薬 有価証券報告書(連結財務諸表)
- [8]売上高は2005年3月期4471億円から2006年3月期8793億円へ、従業員数は7196人から14965人へ増え、2007年3月期は売上高9206億円・純利益1312億円だった
アジェンシス、OSI ── がん領域への3700億円クロスボーダー
合併直後からアステラスはがん領域への投資を加速した。2007年12月に米バイオベンチャーのアジェンシスを約4億ドルで買収して抗体医薬の開発拠点を獲得し、2010年6月にはOSIファーマシューティカルズを約3700億円で買収した。OSIは肺がん治療薬タルセバを擁し、合併後のアステラスにとって最大級のクロスボーダー買収となった。OSI買収で前立腺がん治療薬XTANDI(エンザルタミド)を中核資産として取り込み、それまで泌尿器・移植が中心だった事業構成をがん領域へ傾けた。大阪発の製薬会社が、米国市場を主戦場とするがん企業へ形を変える時期の判断である。がん領域へのパイプライン集中と、自社研究に閉じないクロスボーダーM&Aの組み合わせは、合併以降の経営の基調となった。 [11][12]
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [11]2007年12月に米バイオベンチャーのアジェンシスを買収した
- [12]2010年6月にOSIファーマシューティカルズを約3700億円で買収した
OSI買収の翌年にあたる2011年6月、野木森雅郁社長から畑中好彦氏へ社長が交代した。合併初代の竹中・野木森ラインから3代目への移行は、グローバル化の遂行を担う世代交代で、買収後の統合実務を研究開発出身の畑中社長が引き受けた。畑中体制では、2008年以降に設立したインド・ブラジル・オーストラリア・シンガポール・マレーシア各国の販売子会社網を本格稼働させ、卸や代理店経由が中心だった海外販売を自社直販体制として新興国まで広げた。海外売上比率は高まり、米国と欧州を中核とする収益構造への移行がこの数年間で進んだ。米国での直販組織は、XTANDIの立ち上げを加速させる役割も担った。 [13][14]
- アステラス製薬 有価証券報告書(役員の状況)
- [13]2011年6月に野木森雅郁社長から畑中好彦へ社長交代した
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [14]2008年以降にインド・ブラジル・オーストラリア・シンガポール・マレーシア各国の販売子会社を設立した
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [11]2007年12月に米バイオベンチャーのアジェンシスを買収した
- [12]2010年6月にOSIファーマシューティカルズを約3700億円で買収した
- [14]2008年以降にインド・ブラジル・オーストラリア・シンガポール・マレーシア各国の販売子会社を設立した
- アステラス製薬 有価証券報告書(役員の状況)
- [13]2011年6月に野木森雅郁社長から畑中好彦へ社長交代した
XTANDIが運んだ純利益1936億円と次の種まき
OSI由来のXTANDIは去勢抵抗性前立腺がんの標準治療として世界各国で承認を獲得し、合併後のアステラスの収益を押し上げた。2012年3月期に売上収益9694億円だった連結業績は、2014年3月期に1兆1645億円、2016年3月期には1兆3727億円・親会社の所有者に帰属する当期利益1936億円へ拡大し、合併以来の最高益を記録した。泌尿器領域で長年培った販売体制が、同じ前立腺領域のXTANDIと噛み合い、米国市場での立ち上げの速さを支えた。XTANDIが米国・欧州で伸びたことで、合併直後から積み上げた海外開発投資は回収段階に入り、合併の成果が定量的に現れた時期である。ピーク時の世界売上は同社全体の3割超を占め、単一製品への依存の大きさも同時に浮き彫りになった。 [15]
- アステラス製薬 有価証券報告書(連結財務諸表)
- [15]売上収益は2012年3月期9694億円・2014年3月期1兆1645億円・2016年3月期1兆3727億円へ拡大し、2016年3月期に純利益1936億円の合併以来最高益を記録した
ピーク収益に達するのと前後して、次の種も播かれた。2013年10月に米Amgenとの合弁アステラス・アムジェン・バイオファーマが業務を開始し、抗体医薬を中心とするバイオ医薬分野への本格参入を狙った。2016年2月には米オカタセラピューティクスを買収して眼科の細胞医療研究に参入し、同年12月には独ガニメドファーマシューティカルズを買収してClaudin18.2標的のゾルベツキシマブを取り込んだ。合併前の両社が得意とした低分子創薬の延長ではなく、バイオ医薬・細胞医療・抗体医薬という異なる技術の組み合わせを短期間で揃えた点に、XTANDI依存からの脱却への危機感がにじむ。のちに重点領域となる眼科とがん抗体医薬の種は、この時期に揃った。 [16][17][18]
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [16]2013年10月に米Amgenとの合弁アステラス・アムジェン・バイオファーマが業務を開始した
- [17]2016年2月に米オカタセラピューティクスを買収し眼科の細胞医療研究に参入した
- [18]2016年12月に独ガニメドファーマシューティカルズを買収しClaudin18.2標的のゾルベツキシマブを取り込んだ
- アステラス製薬 有価証券報告書(連結財務諸表)
- [15]売上収益は2012年3月期9694億円・2014年3月期1兆1645億円・2016年3月期1兆3727億円へ拡大し、2016年3月期に純利益1936億円の合併以来最高益を記録した
- アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】
- [16]2013年10月に米Amgenとの合弁アステラス・アムジェン・バイオファーマが業務を開始した
- [17]2016年2月に米オカタセラピューティクスを買収し眼科の細胞医療研究に参入した
- [18]2016年12月に独ガニメドファーマシューティカルズを買収しClaudin18.2標的のゾルベツキシマブを取り込んだ