歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1923年4月、関東大震災後に医薬品需要が高まる時期、山内健二が薬種商の集積地・大阪道修町で山之内薬品商会を創立した。江戸期以来の問屋が医薬流通を握る町で卸と製造の双方を手がけ、医療機関へ処方薬を納めて成り立った。戦後の国民皆保険下で循環器・泌尿器の自社品比率を高め、海外大手のライセンス導入に頼る中堅製薬が多いなか、自前で新薬を研究し世に出す独自路線を選んだ。
決断自社品路線の象徴が1985年のH2ブロッカー「ガスター」で、世界150位の中堅が欧米へ技術輸出を成立させた。だが2000年代に薬価改定と研究開発競争が同時に強まり、自社品だけでは規模を保てなくなる。2005年に大阪発の藤沢薬品工業と対等合併してアステラスとなり、開発本社を米国へ移し、2010年のOSI約4000億円買収で前立腺がん薬XTANDIを取得した。社内研究偏重から数千億円規模の海外買収を経営の常態へと切り替えた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1923年〜2004年 大阪の薬種商から国内製薬上場会社へと事業基盤の拡充
道修町の薬種商から上場製薬会社への脱皮
1923年4月、創業者の山内健二氏が大阪市で山之内薬品商会を創立した[1][2][3]。当時の大阪は道修町を中心に薬種商が集積する日本の医薬流通の中心地で、江戸期以来の問屋機能と近代製薬の双方が交差する町だった。同社もその系譜のなかで医薬品の卸と製造に着手し、関東大震災後の国内医薬品需要の高まりのなかで取り扱い品目と顧客先を広げた。1939年3月には資本金18万円で株式会社へ改組し、翌1940年10月に山之内製薬株式会社へ商号を変更した[4][5]。薬種商から近代的な製薬会社への脱皮であり、戦時統制下で医薬品供給の担い手として組織を整える契機にもなった。大阪の地場卸から全国規模の製薬会社へ向かう準備期に当たる。
戦後復興期の1949年5月、東京・大阪両証券取引所に上場した[6]。上場で得た資金は研究開発と工場設備への投資に向けられ、全国規模の医療用医薬品メーカーへ拡大する基盤となった。大阪を本拠にしながら東京市場での資金調達にも踏み込んだ点に、地場の薬種商を超えていく経営の意図が読み取れる。同社は戦後復興期に処方薬中心の事業構造を固め、医療機関向け販売網の整備と循環器・泌尿器領域での自社品開発を並行して行った。戦後復興期の国民皆保険制度の整備と医療用医薬品市場の拡大を受け、高度経済成長期には同業との競争のなかで自社品比率を高めた。戦後十数年で、大阪発の薬種商は全国の医療機関と取引する上場製薬会社へと変わった。
ガスターと「世界150位」の技術輸出 ── 山之内の独自品路線
1980年代の山之内は、ライセンス導入に依存しがちな日本の中堅製薬のなかで独自新薬路線に踏み込んだ。1985年に発売したH2ブロッカー消化性潰瘍薬ガスターは、SmithKlineのタガメット(当時世界最大の医薬品)に続く第二世代として、「効果に対する副作用の割合が低い」「世界に通用する一流の商品」(日経ビジネス 1985/12/19)と評価された。「かつて山之内のライバルであった万有製薬を買収し、日本市場にも進出しているこの巨大企業多国籍企業に、資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下とみられる"世界150位"の中堅企業、山之内が技術輸出をおこなった」(日経ビジネス 1985/12/19)。後年、森岡茂夫氏は「いい薬だという自負はあったが、これほど育つとは思わなかった。まさに結果は『神のみぞ知る』ですな」(日経産業新聞 1992/03/03)と振り返っている。
生産体制は国内多拠点で整えた。1968年11月に静岡県の焼津工場(製剤)が完成し、1974年11月に茨城県の高萩工場(合成)、1987年5月に岩手県の西根工場(製剤)が稼働した[7][8][9]。1989年3月には筑波研究センターを開設し、東京近郊に研究機能を集約した[10]。海外進出は1986年4月、アイルランドに山之内アイルランドCo.,Ltd.を設立して欧州での製造・販売拠点を持った[11]。1990年代には循環器・泌尿器で国内有力ポジションを築き、前立腺肥大症治療薬ハルナールが国内外の看板品となった。森岡氏は「独創的な研究開発へ翔ばざる得ない」(日経ビジネス 1993/08/02)と独自路線を宣言し、ライセンス依存からの脱却を経営方針に据えた。合併前夜には連結売上5000億円規模に達し、藤沢との対等合併を成立させる体力を備えた。
開発本社を米国に置いた対等合併 ── 大阪発二社の選択
2005年4月、山之内製薬は同じく大阪発の藤沢薬品工業と合併し、アステラス製薬として発足した[12]。藤沢は免疫抑制剤プログラフを軸に世界的な移植医療領域を持ち、山之内は泌尿器・循環器を強みとし、両社の重複は小さくパイプラインの補完性が大きかった。日本の製薬業界では塩野義・三共・第一の再編議論が並行して進み、薬価改定の圧力と欧米メガファーマとの研究開発競争が同時に強まるなか、業界全体が規模の追求へ傾いた。合併前夜、竹中登一社長は「武田を凌駕(りょうが)してグローバル企業に脱皮するなど夢のまた夢――といわれた日本の製薬会社。山之内と藤沢は再来年、満開の桜を咲かせることができるのだろうか」(日経産業新聞 2003/11/19)と自らに問いを立てた[14]。武田薬品に次ぐ国内2位級メガファーマの誕生が、大阪の地場二社が合流して世界市場に挑む選択として受け止められた[13]。
合併後はアステラス東海(2005年4月、製剤)、アステラスファーマケミカルズ(2006年4月、原薬)といった国内製造子会社を相次ぎ設立し、両社の重複拠点を機能別に再編した[15]。初代社長の竹中登一氏は山之内・藤沢両出身者の融合を進め、2008年4月には米国にアステラスファーマグローバルディベロップメントを設置し、開発本社機能を米国に置く体制を選んだ[16][17]。当時の日本の大手製薬にとって、米国を開発の中心に据える判断は踏み込んだ人事・組織決定だった。合併を国内統合で終わらせず、研究開発の重心を米国市場の中に持ち込んだ点に、単なる規模追求を超える経営の意志がうかがえる。
| 氏名 | 新役職 | 元役職 |
|---|---|---|
| 青木初夫 | アステラス・代表取締役会長 | 藤沢薬品・代表取締役社長 |
| 竹中登一 | アステラス・代表取締役社長 | 山之内製薬・代表取締役社長 |
| 田村隼也 | アステラス・取締役副社長 | 山之内製薬・専務取締役 |
| 野木森雅郁 | アステラス・取締役副社長 | 藤沢薬品・取締役兼常務執行役員 |
| 瀬島宏一 | アステラス・取締役 | 藤沢薬品・取締役兼専務執行役員 |
| 市川邦英 | アステラス・取締役 | 山之内製薬・専務取締役 |
2005年〜2016年 合併と海外がん事業への賭けと事業基盤の拡充
アジェンシス、OSI ── がん領域への4000億円クロスボーダー
合併直後からアステラスはがん領域への投資を加速した。2007年12月に米バイオベンチャーのアジェンシスを約4億ドルで買収して抗体医薬の開発拠点を獲得し、2010年6月にはOSIファーマシューティカルズを約4000億円で買収した[18][19]。OSIは肺がん治療薬タルセバを擁し、合併後のアステラスにとって最大級のクロスボーダー買収となった。OSI買収で前立腺がん治療薬XTANDI(エンザルタミド)を中核資産として取り込み、それまで泌尿器・移植が中心だった事業構成をがん領域へ傾けた。大阪発の製薬会社が、米国市場を主戦場とするがん企業へ形を変える時期の判断である。がん領域へのパイプライン集中と、自社研究に閉じないクロスボーダーM&Aの組み合わせは、合併以降の経営の基調となった。
OSI買収の直後にあたる2010年6月、野木森雅郁社長から畑中好彦氏へ社長が交代した[20]。合併初代の竹中・野木森ラインから2代目への移行は、グローバル化の遂行を担う世代交代で、買収直後の統合実務を研究開発出身の畑中社長が引き受けた。畑中体制では、2008年以降に設立したインド・ブラジル・オーストラリア・シンガポール・マレーシア各国の販売子会社網を本格稼働させ、卸や代理店経由が中心だった海外販売を自社直販体制として新興国まで広げた[21]。海外売上比率は高まり、米国と欧州を中核とする収益構造への移行がこの数年間で進んだ。米国での直販組織は、XTANDIの立ち上げを加速させる役割も担った。
XTANDIが運んだ純利益1936億円と次の種まき
OSI由来のXTANDIは去勢抵抗性前立腺がんの標準治療として世界各国で承認を獲得し、合併後のアステラスの収益を押し上げた。2012年3月期に売上収益9694億円だった連結業績は、IFRS移行後の2014年3月期に1兆1399億円、2016年3月期には1兆3727億円・親会社の所有者に帰属する当期利益1936億円へ拡大し、合併以来の最高益を記録した[22]。泌尿器領域で長年培った販売体制が、同じ前立腺領域のXTANDIと噛み合い、米国市場での立ち上げの速さを支えた。XTANDIが米国・欧州で伸びたことで、合併直後から積み上げた海外開発投資は回収段階に入り、合併の成果が定量的に現れた時期である。ピーク時の世界売上は同社全体の3割超を占め、単一製品への依存の大きさも同時に浮き彫りになった。
ピーク収益に達するのと前後して、次の種も播かれた。2013年10月に米Amgenとの合弁アステラス・アムジェン・バイオファーマが業務を開始し、抗体医薬を中心とするバイオ医薬分野への本格参入を狙った[23]。2016年2月には米オカタセラピューティクスを買収して眼科の細胞医療研究に参入し、同年12月には独ガニメドファーマシューティカルズを買収してClaudin18.2標的のゾルベツキシマブを取り込んだ[24][25]。低分子創薬中心の山之内時代の延長線ではなく、バイオ医薬・細胞医療・抗体医薬という異なる技術の組み合わせを短期間で揃えた点に、XTANDI依存からの脱却への危機感がにじむ。眼科とがん抗体医薬という、のちの重点領域の起点が揃った。
「自前主義では勝てない」 ── 安川体制の外部導入宣言
2017年5月にはベルギーのオジェダSAを買収し、女性ヘルス領域(子宮内膜症治療薬)の基盤を獲得した[26]。同年6月、畑中好彦社長から安川健司氏へ社長が交代した[27]。研究開発出身で、合併後の統合と海外展開を最前線で担った世代が経営の中心に立った。安川社長は就任後の取材で、自前主義では競争に勝てないとして外部のイノベーションを取り込む仕組みの構築を経営の柱に据える方針を明示し、山之内時代から続いた社内研究偏重の姿勢から、外部導入と提携を軸に置く方針への転換を示した。合併以来続いた連続買収を、経営の臨時の打ち手から基本姿勢として制度化する宣言でもあった。
業績面では2017年3月期に売上収益1兆3117億円・純利益2187億円となり、円高の進行や国内薬価改定の影響を受けつつ、合併直後の倍に近い純利益水準を維持した[28]。XTANDIへの過度な依存と米国での特許切れリスクは2010年代後半から市場の関心となり、外部導入をさらに加速して次世代パイプラインを厚くすることが、安川体制の出発点の最大の課題だった。第2期はがん領域の選択と集中によって最高益を実現すると同時に、その収益の先細りに備える時期でもある。合併から十年余りを経て、アステラスは再び、次の成長の核を社外に求めて探す段階に戻った。外部導入を基本姿勢とする方針が、この後の連続買収戦略を方向づけた。
2017年〜2023年 安川改革と外部志向 ── オーデンテスからIVERIC bioへ
オーデンテス買収とAT132の挫折 ── 遺伝子治療への賭け
2018年以降、安川体制は外部導入を矢継ぎ早に行った。2018年1月に米マイトブリッジ、同年12月に米ポテンザセラピューティクスを買収して、ミトコンドリア疾患・がん免疫の研究シードを獲得した[29]。2020年1月には米オーデンテスセラピューティクスを買収し、遺伝子治療領域への本格参入を果たした[30]。オーデンテスは神経筋疾患を対象とするアデノ随伴ウイルス(AAV)遺伝子治療のAT132を擁し、この買収はアステラスにとって、これまでの低分子・抗体・細胞医療に続く新しい軸として遺伝子治療という未成熟な市場に踏み込む、新規モダリティへの賭けとなった[31]。製造工程そのものが確立しきらない領域に、買収対価を先行投入した判断である。
しかしAT132は、臨床試験での有害事象と製造プロセスをめぐる課題が重なり、開発計画が遅延した。子会社名はアステラスジーンセラピーズへ改められ、社内ガバナンスの再構築が進んだ[32]。2021年3月期の連結売上収益は1兆2495億円・純利益1206億円に低下し、為替やXTANDI米国売上の頭打ちに加え、新規モダリティ買収の収益貢献が見えにくい状況が続いた[33]。安川社長は外部導入路線を続ける一方で、買収後の統合と開発リスクの管理という、従来のアステラスには経験の薄い課題を抱え込んだ。遺伝子治療という新しい領域は、同社の従来の開発体制にも見直しを迫る規模の試行錯誤を必要とした。
「社内要因の根絶」と重点戦略製品の仕込み
2022年3月期、アステラスはXTANDIに続く成長製品として、尿路上皮がん治療薬パドセブ、急性骨髄性白血病治療薬ゾスパタ、腎性貧血治療薬エベレンゾを「重点戦略製品」に位置づけた。2022年3月期1Q時点でのコア営業利益は前年同期比12%減の553億円となり、米国インフレ抑制法への対応やXTANDIの患者支援プログラム拡大が米国売上の下押し要因となるなか、後継製品群の積み上げが急務となった。安川社長は社内文化改革を一段強め、社内に残るイノベーション阻害要因の根絶を自らの使命として明示した。外部導入という構造改革を支えるために、社内側の姿勢変更も並行して行った時期にあたる。
2016年に買収したガニメド由来のゾルベツキシマブ(Claudin18.2標的抗体)は、安川社長の在任中に胃がん臨床試験で有望データを示し、のちのVYLOYとして開花する素地ができた[34]。オジェダ由来のフェゾリネタント(のちのVEOZAH)が更年期障害治療薬として米国申請段階に進み、女性ヘルスでの新領域開拓も動いた。安川期の外部導入は、買収から数年を経てパイプラインの形を取り始めたが、本格的な収益貢献はなお先送りされた。連続買収の成果が見え始めるまでには、モダリティごとの開発・製造・上市の長い準備期間が必要となる構造的な事情があった。買収の成果が決算に現れるまでの空白期間をどう埋めるかが、安川時代を通じた経営課題として残った。
岡村期のIVERIC bio約8000億円買収と純利益170億円
2022年6月、安川健司社長から岡村直樹氏へ社長が交代した[35]。岡村CEOは安川路線を引き継ぎつつ、外部導入をさらに高額化した。2023年7月、米IVERIC bioを約8000億円で買収し、加齢黄斑変性に伴う地図状萎縮治療薬IZERVAYを獲得した[36]。眼科をがん・移植・泌尿器に並ぶ重点領域に押し上げる買収で、岡村期では最大の案件である。買収完了に伴い無形資産63億ドル・のれん2億5100万ドルを計上し、IZERVAY関連で52億ドル規模の無形資産償却が始まった。合併以降、同社がかけ続けた海外がん中心の投資ポートフォリオを、眼科という新たな柱へ拡張した瞬間となった。8000億円という規模は、2010年のOSI買収(約4000億円)の倍に当たり、外部導入の規模がさらに一段上がった[37]。
買収直後の2024年3月期、売上収益は1兆6037億円と前期比5.6%増となった[38]。IVERIC bio買収関連費用と、AT808・エベレンゾの減損損失563億円が重なり、当期純利益は170億円・前期比82.7%減まで落ち込んだ[39]。岡村CEOは決算説明会で、複数の新薬の開発中止により当初計画から遅れているとしたうえで、低リスクの外部開発品の獲得を軸にパイプラインを再構築する方針を説明した。8000億円規模の外部導入と開発中止が同時進行する形となり、合併以来続いた連続買収戦略そのものの検証が迫られた。規模を追ってモダリティを広げた戦略が、期待収益と減損の両側から揺さぶられる時期に差しかかった。合併から19年を経たアステラスは、買収競争の規模拡大と、パイプラインの選別という二つの課題を同時に抱える段階にあった。