日活の歴史

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沿革

1912年に横田商会・吉沢商店・福宝堂・エム・パテーの映画4商社が合同した日本活動写真が起源。

1956年公開の"太陽の季節"で石原裕次郎氏をデビューさせ、1971年には「日活ロマンポルノ」を始めた。日本初の映画トラストとして出発した映画会社で、2009年に日本テレビ放送網が筆頭株主となった。

1945年 1949年 1953年 1993年 1996年 2026年 日本活動写真 1945年日活に改称 株式上場 1949年上場 日活 1953年ホテル・不動産へ 日活国際会館 1953年吸収合併 にっかつ 1993年会社更生法申請 決断 日活 1996年更生計画認可
日活
歴代社長と長期業績(敬称略)
1985年1月期
単体
売上高
83億円
売上高純利益率
1.3%
出所:会社年鑑(1986年版)
堀
売上高20億円売上高23億円売上高45億円売上高34億円売上高25億円売上高83億円純利益率11.4%純利益率10.4%純利益率1.1%純利益率-7.7%純利益率-0.6%純利益率1.3%1950/11955/11960/11965/11970/11975/11980/11985/11990/11995/12000/12005/12010/12015/12020/12025/12030/1
  1. 創立記念第1回作品、牧野省三監督『忠臣蔵』を製作[1]創業
  2. 横田商会・吉沢商店・福宝堂・エム・パテーの4社合同により日本活動写真を創立[2]創業
  3. 東京・向島に東京撮影所が落成[1]
  4. 経営不振により資本金を250万円に減資[3]
  5. 京都・大将軍に大将軍撮影所が落成[1]
  6. 関東大震災により向島の東京撮影所が大将軍撮影所に合流[4]
  7. 京都・太秦に太秦撮影所が落成し大将軍撮影所から移転[1]
  8. 初のフィルム式トーキー"ふるさと"を公開[1]
  9. ウェスタン・トーキー第1作『戯れに恋はすまじ』を公開[1]
  10. 多摩川(東京・調布)に鉄筋コンクリート造のトーキー撮影所を新設[5]
  11. 日本興行を吸収合併[1]
  12. 戦時統制により製作部門を大日本映画製作(後の大映)へ配給部門を映画配給社へ移譲[3]
  13. 社名を日活に変更し事業再建に着手[3]商号変更
  14. 堀久作氏が社長に就任[6]社長交代
  15. 東京・日比谷の米軍資材置き場跡地を買収し日活国際会館の建設を決断[7]買収
  16. 東京証券取引所に株式を上場[8]上場
  17. 日活国際会館を吸収合併しホテル・不動産事業を本格化[2]
第1章四社合同による創立と大正期の経営混乱
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
日活1953年7月期売上高7.52億円売上高当期純利益率12.6%
就任年社長氏名役職名
  1. 第一期日活ニューフェイスが決定[1]
  2. 調布・多摩川畔の日活撮影所が一部竣工し14年ぶりに映画製作を再開[9]
  3. 自社作品による全プログラム配給を開始[2]
  4. 石原慎太郎原作"太陽の季節"を公開し石原裕次郎がデビュー[10]
  5. 『ビルマの竪琴』がベネチア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞を受賞[1]
  6. 石原裕次郎主演『嵐を呼ぶ男』が大ヒット[1]
  7. 1959年1月期に1割3分を復配[11]
  8. 小林旭主演『渡り鳥』シリーズが大ヒット[1]
  9. 主演スターを軸とする「ダイヤモンド・ライン」「パール・ライン」を結成[1]
  10. ホテル・不動産への多角化[8]飛び地・非関連多角化
  11. 1962年1月期を最後に配当が途絶[9]
  12. 青春路線「グリーン・ライン」がダイヤモンド・ラインに並ぶ人気を獲得[1]
  13. 丸の内日活を売却[7]
  14. 株主総会を前に撮影所幹部を総入れ替え[9]
  15. 会津若松・千葉市原に「日活ボーリング・センター」を開館[12]
  16. 日活国際会館を三菱地所へ売却[7]
第2章「東洋一」の撮影所建設と一貫経営の復帰
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
日活1970年7月期売上高31億円売上高当期純利益率0.2%
就任年社長氏名役職名
転換期

1971年〜日活ロマンポルノへの転換とにっかつへの改称

  1. 「日活ロマンポルノ」第1作を公開[13]
  2. 日活小倉ホテルを売却しホテル事業から完全撤退[7]
  3. 日活芸術学院を開校[1]
  4. 第三者割当増資と減資による資本再構成を実施[14]
  5. 社名をにっかつに変更[15]商号変更
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
日活1984年1月期売上高85.26億円売上高経常利益率3.7%
就任年社長氏名役職名
低迷期

1985年〜ロッポニカへの路線転換と会社更生法の申請

  1. ビデオ収入が売上構成の36%に達し配給・劇場収入を上回る[13]
  2. ロマンポルノ路線に終止符を打ち「ロッポニカ」ブランドで一般映画へ路線転換[13]
  3. 日活撮影所内に通信衛星事業用地球局を開設し通信事業に参入[1]
  4. 「ロッポニカ」の製作を終了[1]
  5. 本社社屋が完成[1]
  6. 「チャンネルNECO」「レインボーチャンネル」を開局[1]
  7. ゴルフ場投資の破綻と更生法申請[13]経営破綻・法的整理
  8. 更生計画認可が決定し社名を日活に復帰[13]
  9. ナムコから資本を受け入れ同社の子会社に[13]
  10. 東京地裁で更生手続終結が決定[13]
  11. インデックスの子会社に[1]
  12. 株式異動により日本テレビ放送網が筆頭株主に[1]
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
日活1985年1月期売上高83.04億円売上高経常利益率3.0%
出典・参考 15件
出典・参考
  • [1]日活 公式サイト「沿革」(2026年10月)
  • [2]会社銀行八十年史
  • [3]会社銀行八十年史・企業の歴史明治百年
  • [4]日活公式サイト沿革
  • [5]会社銀行八十年史・企業の歴史明治百年・database-meian日活の歴史
  • [6]会社銀行八十年史・新日本経済31(3)
  • [7]database-meian日活の歴史
  • [8]資本異動総覧版(東洋経済新報社, 1982)(1983年)
  • [9]会社年鑑版(日本経済新聞社)(1955年)
  • [10]日活公式サイト沿革・database-meian日活の歴史
  • [11]新日本経済31(3)
  • [12]企業の歴史明治百年
  • [13]日経ビジネス「にっかつ再建に『撮影所だけなら』の声」(1993年7月26日)
  • [14]資本異動総覧1983年版
  • [15]日活公式サイト沿革・資本異動総覧1983年版

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