決断
映画を作る会社であることだけは、80年にわたり手放さなかった。昭和恐慌期に経営権を掌握した堀久作氏は、弁士の存続を求める役員会を退けて1933年11月にウェスターン・トーキーを採用し、1934年3月に多摩川へ鉄筋コンクリート造の撮影所を建てた。戦時統制で製作と配給を大映と映画配給社へ移したのちも、1953年9月に6億円を投じて撮影所を建て直し、14年ぶりに製作へ復帰する。観客が減り始めた後も堀社長は映画斜陽論を否定してホテル・不動産・株式へ資金を投じ続け、1961年6月には資本金を50億円へ引き上げた。1971年の成人映画への転換も、撮影所と直営館を止めずに動かすための資金繰りとして働いた。
1993年7月 ゴルフ場投資の破綻と更生法申請
1961年6月 ホテル・不動産への多角化
業績の推移1960 1961 1966 売上高(億円) 35 46 37 純利益率(%) 11.6 9.7 -40.5