東宝がしたのは新しい事業への進出ではなく、すでに手にしていた劇場という資産を、上映のための建物から賃貸の床へと読み替えることであった。清水雅社長は階段も壁も空間も最大限に活用するという一点を方針に据え、不動産活用委員会という常設機関でそれを制度化している。テレビの普及で観客が減り、他の映画各社が製作費の競争へ向かうなかで、手持ちの資産の値打ちを測り直した判断であった。
ただ、これを先見の明と讃えるのは、後の映画不況を知っているからにすぎない。当時の東宝は優良な直営館と、阪急沿線モデルという継ぐべき型を初めから持っていた。清水式高度利用法は無から生んだ発想ではなく、小林一三氏が残した資産と型を引き伸ばした継承だとみられる。それでも創業者の資産観を制度に落とし込み、松岡功社長を経て今日の不動産事業まで絶やさなかったこと、続ける判断を重ねられたことにこそ、この会社の強さがあるといえる。