東映アニメーション の歴史

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創業 1948年
創業者 大川博
創業地 東京都練馬区
創業
1948年1月、東京都新宿区原町に日本動画株式会社が設立された。1952年8月に日動映画株式会社へ商号を変え、東映の短編を請け負う外注先として作品を納めていたが、1956年7月に東映が日動映画を買収し、東映動画株式会社となる。本社は東京都中央区京橋、製作所は新宿区原町に置かれた。東映の大川博社長はディズニーに対抗する長編漫画映画の専属スタジオと位置づけ、1957年1月に製作所を練馬区東大泉へ移し、1958年10月には日本初の本格カラー長編『白蛇伝』を完成させる。ただし配給を握るのは親会社で、製作を請け負って対価を受け取る立場は変わらなかった。1998年10月に東映アニメーションへ商号を変更している。
決断
作品を納めて対価を得る側から、権利を持って貸す側へ移ってきた。1973年6月にフィリピンや韓国へ作画の外注を始め、1975年2月にはテレビシリーズの海外販売に着手する。1979年8月、初の自主製作となる劇場長編『銀河鉄道999』を公開し、同作は1979年度の邦画配給収入で1位となった。親会社の配給に載せなくても長編が成立すると、興行の数字で確かめた一手である。2000年12月には店頭市場へ株式を公開し、東映の子会社のまま自前の資金調達の道を持った。2018年1月に新大泉スタジオへ移して全工程をデジタルへ替え、2023年4月には作画アカデミーを開講して、いったん外へ出した作画を社内へ戻し始めている。
現況
利益の7割は、作品を作る事業ではなく作品を貸す事業が生んでいる。2026年3月期の連結売上高936億円のうち、キャラクターの商品化権とゲーム化権を各メーカーへ供与する版権事業が484億円を占め、セグメント利益は267億円、利益率は55%に達する。映像製作・販売は売上311億円に対し利益87億円、商品販売は売上78億円で利益7億円にとどまる。版権の主な相手はバンダイナムコグループで、ドラゴンボール・セーラームーン・ワンピースという1980年代から1990年代に始まった3作が収入の中心を占める。売上は前期の1,008億円から減った一方、連結の営業利益率は33.1%を保っている。
競合
同じアニメでも、作品を貸して稼ぐ会社と、買って広げる会社に分かれた。東宝は製作委員会へ上位出資して権利を取得する形から進み、2024年には制作会社サイエンスSARUと北米配給のGKIDSを子会社化し、制作と北米配給を自社へ入れた。東映アニメーションは企画から製作までを自社で持ち、その権利を玩具・ゲーム・配信各社へ貸す位置にある。貸す側の弱点は収入が作品の寿命に縛られる点で、現在も利益の中心は四半世紀以上前に始まった3作である。2025年10月には中期経営計画「VISION2030」を策定し、5年で累計2,000億円を製作能力と海外体制へ投じ、2031年3月期に売上高2,000億円・営業利益500億円を置いた。3作に寄った収入を新しい作品で置き換えられるかが、貸す側に残れるかを決める。
東映アニメーション:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 日本動画から東映傘下の長編アニメ製作スタジオへ (1948年〜)

戦後日本初の本格アニメ製作スタジオの誕生

1948年1月、日本動画株式会社が東京都新宿区原町に設立[1]された。戦前から続く日本のアニメ製作(漫画映画)の伝統を引き継ぎ、戦後の本格的なアニメ専門スタジオとして発足したのが日本動画である。1952年8月に日動映画株式会社へ商号変更したのち[2]、1956年7月、邦画大手の東映株式会社が日動映画を買収し、東映動画株式会社へ商号変更した。[3]本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とし[4]、東映の長編劇場アニメ製作部門として再出発した。買収主体である東映の大川博社長は、ディズニーに対抗する日本初の本格的アニメ製作会社として東映動画を位置づけ、長編劇場アニメの専属製作スタジオとしての経営方針を発表した。

  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1948年1月 日本動画株式会社が東京都新宿区原町に設立
    • [2]1952年8月 日動映画株式会社へ商号変更
    • [3]1956年7月 東映が日動映画を買収し東映動画へ商号変更
    • [4]本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とした

1957年1月、製作所を東京都練馬区東大泉のスタジオ[5](大泉スタジオ)へ移転した。1957年5月、東映アニメーション初の短編[6]アニメ作品『こねこのらくがき』が完成。1958年10月には日本初の本格カラー長編アニメ『白蛇伝』が完成・公開された[7]。『白蛇伝』は日本のアニメ産業史で最も重要な作品の一つとされ、これ以降の東映動画は日本のアニメ業界の総本山的地位を占めた。1960年9月に本社を東京都中央区西銀座(現銀座)へ移転[8]。1963年11月、東映アニメーション初のテレビシリーズアニメ『狼少年ケン』が放映開始となり[9]、テレビアニメ製作への参入を果たした。1967年4月の『魔法使いサリー』第18話よりテレビシリーズのカラー放映を開始し[10]、白黒からカラーへの転換期にカラー放送設備の整備をいち早く行った。

  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1957年1月 製作所を東京都練馬区東大泉のスタジオ(大泉スタジオ)へ移転
    • [6]1957年5月 当社初の短編アニメ「こねこのらくがき」完成
    • [7]1958年10月 「白蛇伝」完成・公開(当社初の劇場長編アニメ)
    • [8]1960年9月 本社を東京都中央区西銀座(現銀座)へ移転
    • [9]1963年11月 当社初のテレビシリーズアニメ「狼少年ケン」放映開始
    • [10]1967年4月 「魔法使いサリー」第18話よりテレビシリーズのカラー放映開始
  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1948年1月 日本動画株式会社が東京都新宿区原町に設立
    • [2]1952年8月 日動映画株式会社へ商号変更
    • [3]1956年7月 東映が日動映画を買収し東映動画へ商号変更
    • [4]本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とした
    • [5]1957年1月 製作所を東京都練馬区東大泉のスタジオ(大泉スタジオ)へ移転
    • [6]1957年5月 当社初の短編アニメ「こねこのらくがき」完成
    • [7]1958年10月 「白蛇伝」完成・公開(当社初の劇場長編アニメ)
    • [8]1960年9月 本社を東京都中央区西銀座(現銀座)へ移転
    • [9]1963年11月 当社初のテレビシリーズアニメ「狼少年ケン」放映開始
    • [10]1967年4月 「魔法使いサリー」第18話よりテレビシリーズのカラー放映開始

海外進出と「銀河鉄道999」による自主製作開始

1973年2月、子会社として株式会社タバックを設立し、録音・編集部門の一部を分離した[11]。1973年6月には海外での製作外注を開始し[12]、フィリピン・韓国などアジア諸国の安価な作画スタッフを活用する分業体制を構築。1975年2月にはテレビシリーズアニメの海外販売を本格開始した[13]。米欧の放送局・配給会社向けにライセンス販売を進め、海外マーケットの開拓に着手した。同時期、東映動画は労使紛争を経て製作体制が変化し、フリーランス契約のスタジオ運営体制へ移行が進んだ。1979年8月、東映アニメーション初の自主製作劇場長編アニメ『銀河鉄道999』を公開し[14]、東映の配給に依拠しない独自製作・配給体制を立ち上げた。

  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1973年2月 子会社として株式会社タバックを設立、録音・編集部門の一部を分離
    • [12]1973年6月 海外での製作外注を開始
    • [13]1975年2月 テレビシリーズアニメの海外販売を開始
    • [14]1979年8月 当社初の自主製作劇場長編アニメ「銀河鉄道999」を公開

『銀河鉄道999』は松本零士原作の人気テレビアニメの劇場版として大ヒットし、自主製作モデルの経済的妥当性を実証した。これ以降の東映動画は、東映本体の配給に従属する受託製作と並行して、自社IP(知的財産権)を有する自主製作作品の蓄積を進め、テレビアニメと劇場アニメの双方で『自社製作・海外販売』型のビジネスモデルを構築する基礎を作った。1980年3月、コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始し[15]、デジタル映像製作への技術的準備を始めた。

  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1980年3月 コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始
  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1973年2月 子会社として株式会社タバックを設立、録音・編集部門の一部を分離
    • [12]1973年6月 海外での製作外注を開始
    • [13]1975年2月 テレビシリーズアニメの海外販売を開始
    • [14]1979年8月 当社初の自主製作劇場長編アニメ「銀河鉄道999」を公開
    • [15]1980年3月 コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始

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東映アニメーションの沿革1948〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1948〜1979年日本動画から東映傘下の長編アニメ製作スタジオへ日本動画として設立、アニメ製作を開始
日動映画に商号変更
短編の外注先だった日動映画を買収し、長編漫画映画の専属スタジオへ改組

1956年7月、東映が日動映画株式会社を買収し、商号を東映動画株式会社へ改めた経営判断。本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町に置き、劇場用長編アニメーションを継続して製作するスタジオへ組み替えた。

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★★★
東映動画に商号変更
初の短編アニメ作品「こねこのらくがき」完成
初の劇場長編アニメ作品「白蛇伝」完成
本社を移転
初のテレビシリーズアニメ作品「狼少年ケン」放映開始
劇場長編アニメ作品「ガリバーの宇宙旅行」がアメリカ国内でも公開
「魔法使いサリー」第18話より、テレビシリーズアニメ作品のカラー放映開始
子会社としてタバック設立、録音・編集部門の一部を分離
新宿営業所を開設
海外での製作外注を開始
テレビシリーズアニメ作品の海外販売を開始
初の自主製作劇場長編アニメ作品「銀河鉄道999」を公開
1980〜2013年「ドラゴンボール」「セーラームーン」「ワンピース」3大IPと上場期コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始
映像処理の多様化・迅速化のためコンピュータ制御による撮影システムを導入
テレビシリーズアニメ作品「ドラゴンボール」放映開始
オリジナルビデオアニメ「湘南爆走族」の製作を開始
自主制作ゲームソフトの販売を開始
テレビシリーズアニメ作品「美少女戦士セーラームーン」放映開始
フィリピンEEI社と製作外注合弁会社EEI-TOEI ANIMATION CORPORATIONを設立
泊懋「RETAS」によるテレビシリーズアニメのデジタル化を開始
泊懋東映アニメーションに商号変更
泊懋テレビシリーズアニメ作品「ワンピース」放映開始
泊懋東映の子会社のまま店頭市場へ株式を公開し、自前の資金調達手段を持つ

2000年12月8日、東映アニメーションが有償一般募集(ブックビルディング方式)で普通株式100万株を発行し、店頭市場(現JASDAQ市場)へ株式を公開した経営判断。親会社である東映の傘下に留まったまま、単独で資本市場にアクセスする経路を開いた。

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★★★
高橋浩テレビシリーズアニメ作品「ふたりはプリキュア」放映開始
高橋浩アメリカ・ロサンゼルスに販売子会社TOEI ANIMATION INCORPORATEDを設立
高橋浩TOEI ANIMATION EUROPE S.A.S.を設立
高橋浩テレビ朝日が株式を追加取得しその他の関係会社に
高橋浩東映アニメーション研究所閉所
高木勝裕新宿オフィス等を集約し中野オフィスに移転
2014〜2025年デジタル製作転換とコロナ後の業績急拡大期高木勝裕本社を東京都中野区中野に
高木勝裕東京都練馬区光が丘の仮スタジオから新大泉スタジオに移転
高木勝裕普通株式1株につき3株の割合をもって株式分割
高木勝裕TOEI ANIMATION ENTERPRISES LTD.が東映動漫(上海)実業有限公司を合弁で設立
高木勝裕東映アニメーション作画アカデミーを開講
高木勝裕普通株式1株につき5株の割合をもって株式分割
高木勝裕売上高2,000億円・営業利益500億円を掲げる中期経営計画「VISION2030」の策定

2025年10月29日、東映アニメーションが中期経営計画『VISION2030』を公表した経営判断。2027年3月期から2031年3月期までの5年間を対象とし、最終年度に連結売上高2,000億円、営業利益500億円を掲げた。2025年3月期の実績に対して売上高は98%増、営業利益は54%増にあたる。

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出典・参考
  • 東映アニメーション 有価証券報告書【沿革】

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