増田宗昭氏が鈴屋を退職。起業家に転身
アパレル企業であった鈴屋(1997年に経営破綻)に勤務していた増田宗昭氏は、脱サラを決意して起業家に転身した。鈴屋では商業施設「ベルコモンズ(東京青山)」の企画に携わるなど、経営企画のキャリアを歩んでいたが、増田氏は自らが提案した企画案が却下されたため、独立を決意したという。
増田氏が記した「創業の意図」では、複数ある事業アイデアのうちの1つにビデオレンタルを挙げた。ただし、最初からレンタルに絞っていたわけではなく、将来の事業展開でインテリアの改装の請負を想定するなど、この時点ではビデオレンタルを軸にする計画はなかったと推定される。
また「インテリア」「LOFT」「ビデオ」「住宅情報」「コンビニエンス」「西海岸」など、1980年代にブームとして人口に膾炙したトレンドに注目しており、どこにでもいる起業家の一人に過ぎなかった。
蔦屋書店を開業。ビデオのレンタル業に参入
1983年2月に増田氏の故郷である大阪府枚方市にて、枚方駅前のビルの5階に「蔦屋書店」を開業し、ビデオレンタル事業に参入した。開業資金は1700万円であった。
1983年当時、ビデオは1本あたり10,000円以上する高額商品であり、レンタルというニーズが膨大に存在していた。この結果、蔦屋書店は開業直後から行列ができる人気店となり、ビジネスの出だしは順調にスタートした。
まず1番目は、レンタルに注目したということです。レンタル業とは、なんぞやというと、これは金融業です、見切りとして。800円で仕入れたCDがレンタル料金150円生むということですが、レンタル料金の実態は金利です。お支払いになる150円は金利で、利率になおすと20%弱です。しかも1日です。銀行ならだいたい年間4%です。コストと収入の関係は、1日で2割で5倍ですから、年間で1800倍くらいです。1800倍の効率で資本を運用していることになるわけです。ですから、表向きは生活提案業、裏へ回ったら金貸屋と(笑)
ビデオレンタルの競争激化が課題に
蔦屋書店は「ビデオレンタル」という成長市場に参入することで、繁盛店になったものの、全国展開にあたっては課題があった。
第一に、参入障壁の低さに問題があった。ビデオレンタル業は、メーカーや問屋からビデオを仕入れて、会員顧客に対して販売することによって実現できることから、誰でも参入できる業態であった。このため、ビデオの普及とともに、レンタル店における競争の激化が予想された。
第二に、発注の精度向上に問題があった。全国展開を進めるためには、各店舗を運営する店長が必要であり、ビデオの発注業務を担う必要があった。しかし、ビデオソフトは年間数百タイトル発売されており、何が売れるかを事前に予測することは個人の経験では限界があり、店舗展開のボトルネックになることが想定された。
このため、増田宗昭氏は「レンタルの直営店」ではなく「FC加盟店に対して発注代行サービスを提供する」という企画に特化した会社として運営する構想を描いた。