大映の歴史

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沿革

1942年に戦時統合で設立された大日本映画製作が起源。

永田雅一氏のもとで1951年に「羅生門」がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受け、日本映画を世界へ知らしめた。大手映画会社だったが、1971年に会社更生法の適用を申請した。

1942年 1946年 1949年 1951年 1970年 1971年 大日本映画製作 1942年設立 新興キネマ・大都映画 1942年吸収合併 日活 製作部門 1942年現物出資で継承 大映 1946年商号変更 株式上場 1949年東証に上場 「羅生門」 1951年金獅子賞を受賞 ダイニチ映配 1970年日活と共同設立 大映 1971年会社更生法を申請
  1. 東京第二撮影所を開設[1]
  2. 大日本映画製作を設立[2]
  3. 新興キネマと大都映画を吸収合併[2]
  4. 日本活動写真の製作部門を現物出資により継承[2]
  5. 菊池寛氏が社長に就任[2]社長交代
  6. 永田雅一氏が社長に就任[2]社長交代
  7. 大映に商号変更[2]商号変更
第1章情報局の二社案を覆した三社案と、新興・大都・日活製作部門の大日本映画製作
売上高
  • 売上高
大映売上高—
成長期

1947年〜「羅生門」「地獄門」の国際映画祭受賞と東証上場

  1. 配給部門を新設[2]
  2. 本社を移転[2]
  3. 東京証券取引所に上場[2]上場
  4. 「羅生門」がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞
  5. 販売興業部門を設置[2]
  6. 「地獄門」がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞
売上高
  • 売上高
大映売上高—
成熟期

1955年〜フジテレビジョンへの出資とテレビ番組製作への参入

  1. 興業部門を大映興業に委託[2]
  2. フジテレビジョンの設立に出資[2]
  3. テレビ番組の製作と販売を開始[2]
  4. 公募増資により資本金を40億円に増資[2]
  5. 東京スタジアムが野球場を建設[2]
売上高営業利益率
  • 売上高
  • 営業利益率
大映1963年1月期売上高48.21億円売上高営業利益率1.0%
低迷期

1966年〜ダイニチ映配の設立と会社更生法の適用申請

  1. 日活との共同出資でダイニチ映配を設立
  2. 全従業員に解雇を通告
  3. 東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請
売上高
  • 売上高
大映売上高—
出典・参考 2件
出典・参考
  • [1]角川大映スタジオ公式サイト沿革
  • [2]ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版

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