大映の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

統制で生まれた会社を、自前の配給網を持つ製作会社へ組み直した。発足時に負った1,000万円の負債は、余剰人員の整理と撮影所経費の圧縮で返済の原資をつくり、終戦までに完済している。1942年10月に永田雅一氏が贈賄の嫌疑で拘引されると、1943年3月に作家の菊池寛氏を社長に迎え、会社への風当たりを和らげた。戦争末期には東京撮影所の接収と直営館の委譲で製作だけの会社に縮んだ。そこで全国を5ブロックに分けて配給本部を置き、1946年1月に自主配給を始めて、製作と配給を一社で担う体制へ移った。

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