田角陸氏の起業からにじさんじ運営まで
いちからが2018年に行ったのは、売れない製品からの撤退ではない。会社が本業として売るつもりで作ったアプリ"にじさんじ"を下ろし、その販促のために採用した8名のライバーのほうを本業へ引き上げた入れ替えであった。宣伝の手段が売り物を追い越したとき、多くの会社は本業を守りながら副次的な人気を使おうとする。田角陸氏は逆の順序を採った。設立から1年に満たず、2018年4月期の売上高が1,662万円、経常損益が396万円の赤字という規模であったことが、この入れ替えを軽くした。守るものが無い時期にしか通らない判断であった。
この選択は、会社の資産の置き場所も決めている。ツールを売る会社であれば資産はソフトウェアに宿るが、ライバーを預かる会社では、資産はキャラクターの設計と演者個人との関係の上に置かれる。いちからはアバターと名称と配信アカウントを自社に残し、演者へは貸与した。この型は複製が利く。2019年4月から12月までの9か月間で中国・インドネシア・インド・韓国へ同じ形を敷けたのは、工場も店舗も要らなかったからである。ただし従業員は2019年4月期で48人にとどまり、広げた枠を支える手は伴っていなかった。速さと薄さは同じ型から生まれている。
2017年5月、田角陸氏が東京都新宿区にいちから株式会社を資本金100万円で設立した。田角氏は1996年2月3日の生まれで、設立の時点では21歳であった。早稲田大学に在学しており、休学しての創業であった。在学中にガイアックスでマーケティングのインターンを経験し、そのまま起業へ向かった。最初に手がけた事業は、VR元年と呼ばれた当時のVR・MRデバイス向けアプリの開発であった。資本金100万円という規模は、外部からの大型調達を前提としない出発であったことを示している。同年11月、本店を新宿区から渋谷区へ移した。
田角陸氏がVTuber事業への参入を決めた読みは、配信の時代がアニメ的な表現にも及ぶというものであった。参入の判断は、アニメ業界にもYouTube配信の時代がやってくるという見立てに立っていた。手段としてライブ配信を選んだ理由も同じ見立ての延長にあり、同じ時間を共有できればファン同士も一緒に盛り上がれるという読みであった。インターネットを通じて誰もが発信者となり、ライブストリーミングによって視聴者がリアルタイムで反応を返せる双方向のメディアが、新しい形態として現れていた。収録済みの動画ではなく配信の同時性に価値を置いた点が、参入の時期を決めたとみられる。
2018年1月、いちからはVTuberグループ"にじさんじ"の始動を発表し、ライバーの募集を開始した。翌2月8日には、iPhone Xの顔認識機能を使って利用者の表情をキャラクターへ反映させ、そのまま配信できるアプリ"にじさんじ"を公開した。誰でもVTuberになれる道具を売る構想であり、売り物はアプリのほうであった。同じ2月、そのアプリの宣伝役として、オーディションで採用したライバーを"にじさんじ1期生"として起用した。第1期の所属VTuber8名は、公式バーチャルYouTuberとして動画投稿とライブ配信を始めた。会社にとっては販促の手段であり、事業の中心ではなかった。
支持を集めたのは、売り物のアプリではなく宣伝役の1期生のほうであった。いちからはこの結果を受けてアプリの提供を主力から外し、ライバーを預かるタレント事業へ主力を移した。配信の道具を供給する立場から、演者個人の力に依拠するマネジメントへ移す判断であった。アプリの提供は会社の沿革からも姿を消し、そこに残されたのはVTuberグループの始動とライバーの活動開始の記録だけであった。会社は各VTuberのチャンネルから稼得された収益のうち一部をライバーへ支払うこととし、演者を抱える費用を稼ぎに連動させた。2018年4月期の売上高は1,662万円、経常損益は396万円の赤字にとどまっており、守るべき既存事業も雇用も小さかったことが入れ替えを容易にしたと推察される。
2018年5月、いちからはゲーム配信に特化したVTuberグループ"にじさんじゲーマーズ"を開始し、6月には候補生で構成する"にじさんじSEEDs"を加えた。対象を分けた枠を並べ、募集と育成の間口を広げる狙いであった。ところが同年12月、"にじさんじ""にじさんじゲーマーズ""にじさんじSEEDs"の3グループを"にじさんじ"へ統合し、国内の所属ライバーを単一のブランドの下に置いた。派生グループを設けてから統合までは7か月であった。枠を分けて広げるより、一つの名前へ視聴者を集めるほうが回遊を生むと判じたのであろう。
単一ブランドへの集約は、業績の立ち上がりと重なった。2019年4月期の売上高は8億6,652万円、経常利益は4,726万円となり、前期の赤字から転じた。事務所としての形もこの時期に定まった。会社はVTuberの容姿を含むキャラクター設定を自ら設計し、オーディションで選んだライバーと業務委託契約を結んだうえで、アバター・VTuberの名称・自宅から配信できるツール・配信アカウントを貸与する仕組みを採った。演者は個人として活動しながら、キャラクターの権利と配信の基盤は会社の側に残る。この構造が、翌年からの海外展開で国ごとに複製される型となった。
2019年2月、いちからは"にじさんじ"の配信スケジュールサイト"いつから.link"のウェブブラウザ版の提供を開始し、4月にはiOS・Android向けのアプリ版を加えた。所属ライバーが増えるほど、視聴者は誰がいつ配信するかを追いきれなくなる。配信予定を一か所へ集めるこの仕組みは、個々の演者のチャンネルを横断してグループ全体へ視聴を回す装置であった。かつて売り物であったアプリが配信を作る道具だったのに対し、ここで作られたアプリは配信を見つける道具であった。会社が投じる開発資源の向き先が、供給側から視聴側へ移った局面であった。
国内の型が固まると、いちからは同じ形を国外へ複製しにかかった。2019年4月、中国におけるVTuberグループ"VirtuaReal Project"の始動を発表し、ライバーの募集を開始した。デビュー後の主な活動の場には中国の動画共有サイト"bilibili"を想定し、国内とは別のグループ名で立ち上げた。続けて7月にインドネシアの"NIJISANJI ID"、11月にインドの"NIJISANJI IN"、12月に韓国の"NIJISANJI KR"を発表し、いずれもライバーの募集を始めた。4月から12月までの9か月間に、4つの国・言語圏へ枠を置いたことになる。
海外への展開は、国・言語圏ごとに別のブランドを置いて行われた。会社が担うのは演者の募集と育成だけではない。自宅から配信可能な機材の貸与、配信スタジオの提供、動画内で使用される社外の著作物に関する権利確認、各種ガイドラインに沿った研修の実施までが会社側の仕事であった。そのため各グループを支える体制も、国ごとに分かれて積み上がることとなった。従業員数は2019年4月期の時点で48人にとどまっており、4つの海外グループと国内のグループを同時に抱えるには薄い陣容であった。設立から2年半で、いちからはアプリの開発会社からVTuberの事務所へ姿を変え、その型を4つの国外市場へ同時に敷いた。広げる速さと、それを支える体制の薄さが、次の局面で同時に問われることとなる。
2020年からの3年でANYCOLORが向き合ったのは、需要の不足ではなく需要の過多であった。2020年4月期に34億7,870万円だった売上高は2022年4月期に141億6,414万円となり、営業利益率は1.3%から29.6%へ上がった。伸ばしたのは演者の数ではない。国内で活動するVTuber数は2021年4月期103名、2022年4月期109人と微増にとどまり、会社は所属数の拡大よりもサポート体制の拡充を先に置いた。一人あたりから得られる収益を厚くする方向へ資源を向けたことが、この利益率の中身である。
同じ期間に、2019年に広げた海外の枠は2つへ減った。2021年4月にインドの"NIJISANJI IN"が止まり、2022年4月にはインドネシアと韓国のグループが国内の"にじさんじ"へ吸収された。残したのは英語圏の"NIJISANJI EN"と中国の"VirtuaReal"の2つである。国・言語圏ごとに別ブランドを置く方式は、始めるのも止めるのも軽い。だが絞ることは、残した市場への依存を深める行いでもあった。海外を含む"その他領域"が売上高の2.5%にすぎない段階で上場したANYCOLORは、以後この2極の成否を市場から直接に問われることになる。
2020年3月、いちからは本店を渋谷区から千代田区へ移した。その直後から、新型コロナウイルスの感染拡大が事業を両側から揺らした。会社は影響として、オフラインでのイベント開催の中止とそれに伴うグッズの販売中止、一部の企業案件の商談期間の長期化を挙げた。一方で、社会的な在宅勤務等の増加により動画の視聴時間が増えるというプラスの影響も同時に生じた。2020年4月期の売上高は34億7,870万円、経常利益は4,201万円であった。売上は前期の4倍に達したが、利益はほとんど残らなかった。
配信を主たる収益源とする事業は、他社の著作物の上に立つ。ゲームの実況配信がその代表であり、権利者の許諾なしに続ければ足元が崩れる。2020年6月1日、いちからは任天堂と著作物の利用に関する包括的許諾契約を締結した。任天堂は個人向けにゲーム実況のガイドラインを公開していたが法人団体は対象外であり、いちからは法人として初めて包括的許諾を受けたと自社で発表した。演者を預かる会社が個人の立場を離れた以上、個人向けの枠組みからは外れる。事業の規模が大きくなるほど権利処理を先に片づける必要が生じる構図が、この契約に表れていた。
同じ2020年、いちからは配信の外側に収益の取り口を増やした。6月に"にじさんじ"の英語圏に向けた公式YouTubeチャンネルを開設し、9月には専用のオンラインショップ"にじさんじオフィシャルストア"を設けた。10月からは公式ファンクラブ"にじさんじFAN CLUB"の提供を始め、ファン同士やファンとVTuberとの間でのチャット機能等の有料サービスを備えた。2020年4月期の領域別売上高は、国内コマース領域が15億1,933万円、国内ライブストリーミング領域が12億3,871万円であった。配信そのものより、配信の周辺で売る物のほうが大きい構造が、この時点で既にできていた。
2021年4月期の売上高は76億3,604万円、経常利益は14億5,100万円となった。営業利益率は前期の1.3%から19.0%へ上がった。伸びを支えたのは人数の増加ではなかった。日本国内で活動するVTuber数は99名から103名へ4名増えたにとどまり、従業員数も150人から156人への増加であった。一方でYouTubeの再生時間(日本)は2億7,200万時間から4億9,600万時間へ倍近くに伸び、国内コマース領域の売上高も15億1,933万円から33億5,535万円へ増えた。既にいる演者一人あたりから得られる収益が厚くなったことが、利益率の跳ね上がりの中身であった。
2021年4月、いちからはインドにおけるVTuberグループ"NIJISANJI IN"の活動を休止した。2019年11月に始動を発表してから1年5か月であった。2019年4月から12月までの9か月間に中国・インドネシア・インド・韓国の4つの海外グループを立ち上げており、そのうち最初に止められた枠がインドであった。残る3つのうち韓国とインドネシアのグループも、翌2022年4月に国内の"にじさんじ"へ統合されることとなった。国・言語圏ごとに別ブランドを置いた形は、始めるのも止めるのも軽い代わりに、支える体制を国ごとに抱え込むものでもあった。
2021年5月、いちからは本店を千代田区から港区へ移すとともに、商号をいちから株式会社からANYCOLOR株式会社へ変更した。同じ月、英語圏におけるVTuberグループ"NIJISANJI EN"が活動を開始した。翌6月には、VTuberとして活躍するためのタレント育成プロジェクト"バーチャル・タレント・アカデミー"を始めた。オーディションで選んで預かるだけでなく、育てる段階から手を入れる仕組みであった。商号の変更は、会社の名前を運営する特定のグループ名から切り離す手当てでもあった。
2022年2月17日、ANYCOLORはインドネシアの"NIJISANJI ID"と韓国の"NIJISANJI KR"を国内の"にじさんじ"へ統合すると発表した。掲げた理由は、グループのサポート体制を強固でより効率の良いものにすることであった。両グループは国内の"にじさんじ"とは別のグループとして運営されており、統合にあたっては両グループの公式アカウントの更新停止を要した。統合は2022年4月に実施された。英語圏の"NIJISANJI EN"と中国の"VirtuaReal"は統合の対象から外れて別グループとして運営が続き、海外の枠は4極から2極へ絞られた。
2022年4月期の売上高は141億6,414万円で前期比85.5%増、営業利益は41億9,107万円で同188.6%増となり、営業利益率は29.6%に達した。当期純利益は27億9,306万円であった。この期の運営は所属VTuber数の増加よりもサポート体制の拡充を優先しており、日本国内で活動するVTuber数は前期比6名増の109人にとどまった。演者を増やさずに売上を8割伸ばしたことになる。従業員数は230人まで増え、平均年齢は30.1歳、平均勤続年数は1.6年、平均年間給与は516万6千円であった。海外を含む"その他領域"の売上高は3億5,130万円で、売上高合計の2.5%にすぎなかった。
2022年6月8日、ANYCOLORは東京証券取引所グロース市場へ株式を上場した。設立は2017年5月であり、5年1か月での上場であった。上場にあたっては一般募集(ブックビルディング方式)で普通株式50,000株を発行し、発行価格は1株につき1,530円とした。上場の時点で田角陸氏は26歳であり、2017年5月の設立時から代表取締役CEOを務めていた。2022年4月30日現在の大株主は田角陸氏が46.86%を保有し、LC FUND VIII, L.Pが11.18%、HODE HK Limitedが7.98%、Skyland Ventures2号投資事業有限責任組合が7.51%、ソニー・ミュージックエンタテインメントが5.59%と続いた。創業者が過半に近い持分を握ったままの上場であった。
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事実根拠:出所(ANYCOLOR)