歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1948年、戦後復興期に日本動画株式会社が東京都新宿区原町で発足した。戦前の漫画映画の系譜を継ぐ日本初の本格アニメ専門スタジオである。1956年に邦画大手の東映が買収し、大川博社長は「ディズニーに対抗する」長編劇場アニメの専属スタジオに据えた。配給は親会社の東映が握り、東映動画は製作を請け負って対価を受け取る受託スタジオとして出発した。稼ぎの源泉は自社にではなく、発注元の親会社にあった。
決断受託から抜け出す決断が、1979年公開の自主製作劇場長編「銀河鉄道999」だった。親会社の配給に依拠しないモデルが大ヒットで成立することを実証し、東映動画は受託と並行して自社IPを積み増す路線へ転じた。以後「ドラゴンボール」「セーラームーン」「ワンピース」と世界的なロングランシリーズを束ねていく。製作の対価で稼ぐのではなく、保有する著作権を貸して稼ぐ側へ主力を移したことが、現在の高採算につながっている。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1956年に東映は日動映画を買収し、受託の専属スタジオに据えたのか
- A 1956年7月に邦画大手の東映が日動映画を買収したのは、ディズニーに対抗する長編劇場アニメを自社系列で量産する製作部門が欲しかったからである。東映の大川博社長は、買収した東映動画を日本初の本格アニメ専属スタジオに据え、配給は親会社の東映が握り、東映動画は製作を請け負って対価を受け取る受託スタジオとした。1958年10月に長編「白蛇伝」を完成させたが、稼ぎの源泉は発注元の親会社にあった。
- Q なぜ1979年に「銀河鉄道999」を初めて自主製作したのか
- A 1979年8月に東映動画が初の自主製作劇場長編「銀河鉄道999」を公開したのは、親会社の配給に従属する受託のままでは作品が当たっても対価しか残らないからである。同作は1979年度の邦画配給収入1位を記録し、親会社の配給に依拠しない自主製作モデルが大ヒットで成立することを実証した。以後「ドラゴンボール」「ワンピース」と保有する著作権を貸して稼ぐ側へ主力を移した。
- Q なぜ2018年以降、作画を海外外注から社内へ取り込み直しているのか
- A 2018年に新大泉スタジオを稼働させ全工程をデジタル化し、2023年に作画アカデミーを開講して作画を社内へ取り込み直しているのは、海外版権が収益の柱となり質を落とせなくなったからである。1973年以来フィリピンや韓国の安価なスタッフに作画を委ねてきたが、2025年3月期に海外売上比率が64%と過去最高に達し、業界の人手不足も重なるなか、作品の質を左右する作画を自前で抱える体制へ移している。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1948年〜1979年 日本動画から東映傘下の長編アニメ製作スタジオへ
戦後日本初の本格アニメ製作スタジオの誕生
1948年1月、日本動画株式会社が東京都新宿区原町に設立された[1]。戦前から続く日本のアニメ製作(漫画映画)の伝統を引き継ぎ、戦後の本格的なアニメ専門スタジオとして発足したのが日本動画である。1952年8月に日動映画株式会社へ商号変更したのち[2]、1956年7月、邦画大手の東映株式会社が日動映画を買収し、東映動画株式会社へ商号変更した[3]。本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とし[4]、東映の長編劇場アニメ製作部門として再出発した。買収主体である東映の大川博社長は、ディズニーに対抗する日本初の本格的アニメ製作会社として東映動画を位置づけ、長編劇場アニメの専属製作スタジオとしての経営方針を発表した。
1957年1月、製作所を東京都練馬区東大泉のスタジオ(大泉スタジオ)へ移転した[5]。1957年5月、東映アニメーション初の短編アニメ作品「こねこのらくがき」が完成[6]。1958年10月には日本初の本格カラー長編アニメ「白蛇伝」が完成・公開された[7]。「白蛇伝」は日本のアニメ産業史で最も重要な作品の一つとされ、これ以降の東映動画は日本のアニメ業界の総本山的地位を占めた。1960年9月に本社を東京都中央区西銀座(現銀座)へ移転[8]。1963年11月、東映アニメーション初のテレビシリーズアニメ「狼少年ケン」が放映開始となり、テレビアニメ製作への参入を果たした[9]。1967年4月の「魔法使いサリー」第18話よりテレビシリーズのカラー放映を開始し[10]、白黒からカラーへの転換期にカラー放送設備の整備をいち早く行った。
海外進出と「銀河鉄道999」による自主製作開始
1973年2月、子会社として株式会社タバックを設立し、録音・編集部門の一部を分離した[11]。1973年6月には海外での製作外注を開始し[12]、フィリピン・韓国などアジア諸国の安価な作画スタッフを活用する分業体制を構築。1975年2月にはテレビシリーズアニメの海外販売を本格開始した[13]。米欧の放送局・配給会社向けにライセンス販売を進め、海外マーケットの開拓に着手した。同時期、東映動画は労使紛争を経て製作体制が変化し、フリーランス契約のスタジオ運営体制へ移行が進んだ。1979年8月、東映アニメーション初の自主製作劇場長編アニメ「銀河鉄道999」を公開し[14]、東映の配給に依拠しない独自製作・配給体制を立ち上げた。
「銀河鉄道999」は松本零士原作の人気テレビアニメの劇場版として大ヒットし、自主製作モデルの経済的妥当性を実証した。これ以降の東映動画は、東映本体の配給に従属する受託製作と並行して、自社IP(知的財産権)を有する自主製作作品の蓄積を進め、テレビアニメと劇場アニメの双方で「自社製作・海外販売」型のビジネスモデルを構築する基礎を作った。1980年3月、コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始し、デジタル映像製作への技術的準備を始めた[15]。
1980年〜2013年 「ドラゴンボール」「セーラームーン」「ワンピース」3大IPと上場期
世界的ヒットIPの確立とCATAS開発
1985年10月、映像処理の多様化・迅速化のためコンピュータ制御による撮影システムを導入[16]。1986年2月、テレビシリーズアニメ「ドラゴンボール」放映開始[17]。鳥山明原作の漫画を原作とする本作は、当初想定を超える長期ヒットシリーズとなり、東映動画の経営基盤を一変させた。「ドラゴンボール」のテレビ放映・劇場版・関連商品ライセンス収入は、東映動画の中核収益源となり、80年代後半から90年代を通じて連結業績を支えた。1986年3月、東映アニメーション初のオリジナルビデオアニメ「湘南爆走族」製作開始、同時に自主制作ゲームソフトの販売も開始するなど、テレビ・劇場以外のメディア展開を本格化させた[18]。
1991年12月、コンピュータによる映像製作ソフトCATAS(Computer Aided TOEI Animation System)が完成した[19]。手作業セル画方式からデジタル製作への技術的移行を内製ソフトで完了したCATASは、業界先駆けのデジタル化施策となった。1992年3月、テレビシリーズアニメ「美少女戦士セーラームーン」放映開始[20]。武内直子原作の本作も国内外で大ヒットし、「ドラゴンボール」に続く第2の世界的IPとなった。1992年11月にはフィリピンEEI社との合弁でEEI-TOEI ANIMATION CORPORATIONを設立し、現地での製作外注体制を法人化した[21]。1995年9月、アメリカで「ドラゴンボール」「美少女戦士セーラームーン」放映開始[22]。米国市場でのアニメブームを牽引する作品となり、海外売上比率の拡大に貢献した。
1997年2月、デジタル映像製作ソフト「RETAS」を活用したテレビシリーズアニメのデジタル化を開始[23]。1997年3月、香港に販売子会社TOEI ANIMATION ENTERPRISES LTD.を合弁で設立(60%出資)[24]。1998年10月、東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社へ商号変更し、企業ブランドの世界展開に対応した英語表記の社名に切り替えた[25]。1999年6月、本社を東京都練馬区東大泉(大泉スタジオ所在地)へ移転[26]。1999年10月、テレビシリーズアニメ「ワンピース」放映開始[27]。尾田栄一郎原作の本作は、「ドラゴンボール」「セーラームーン」に続く第3の世界的IPとなり、20年超の長期シリーズ化と劇場版の継続展開で、現在に至る東映アニメーションの最大の収益柱となった。
店頭上場・ジャスダック上場・東証スタンダード市場移行
2000年12月、店頭市場に上場した[28]。創業から52年、戦後日本アニメ産業の中核企業として初の株式公開となった[29]。上場時の主要株主は東映本体が筆頭で、東映系上場子会社としての関係が公開市場の文脈で明確化された。2001年8月、1単位(同年10月より1単元)の株式数を1,000株から100株に変更[30]。2004年12月、ジャスダック証券取引所に株式を上場、同時にフランス・パリに販売子会社TOEI ANIMATION EUROPE S.A.S.を設立し、欧州市場開拓の基盤を作った[31]。2004年3月にはアメリカ・ロサンゼルスに販売子会社TOEI ANIMATION INCORPORATEDを設立し、米国市場の販売拠点も設置した[32]。
2006年4月、東映アニメーション研究所を東京都練馬区東大泉に移転[33]。2006年7月、日米合作テレビシリーズアニメ「出ましたっ!パワパフガールズZ」放映開始、中国・上海に駐在員事務所を開設[34]。2006年8月、普通株式1株につき2株の割合をもって株式分割を実施し、株式の流動性向上を図った[35]。2007年5月、テレビ朝日が東映アニメーション株式を追加取得し持株比率が15%以上となり、テレビ朝日が「その他の関係会社」となった[36]。これにより、東映本体・テレビ朝日の2社が筆頭・第二大株主として並列する資本構造が確立された。2009年10月、東映アニメーション初の3D立体劇場アニメ「きかんしゃやえもん」公開[37]。2010年4月のジャスダックと大阪証券取引所の合併[38]、2013年7月の東京証券取引所との市場統合と、2010年代の市場再編に伴って上場市場の変遷を経た[39]。
2014年〜2025年 デジタル製作転換とコロナ後の業績急拡大期
中野オフィス集約と新大泉スタジオ稼働
2014年8月、本社を東京都中野区中野とした[40]。新宿オフィス・周辺地域の各拠点を集約した中野オフィスへの移転で、本社機能の効率化を図った。同年12月、大泉スタジオの再開発に伴い東京都練馬区光が丘の仮スタジオに製作機能を一時移転[41]。2018年1月、東京都練馬区光が丘の仮スタジオから新大泉スタジオに移転し、本社(中野オフィス)と製作スタジオ(新大泉スタジオ)の二拠点運営体制を整えた[42]。新大泉スタジオは現代的なデジタル製作環境を備え、全工程デジタル化(作画タブレット導入・3DCG製作環境整備)への対応を行った基幹拠点となった。2018年4月、普通株式1株につき3株の割合をもって株式分割を実施し、株式流動性をさらに向上させた[43]。
連結業績はFY11(2012年3月期)売上330億円・営業利益約50億円水準から、FY15(2016年3月期)売上336億円・営業利益76億円、FY16(2017年3月期)売上407億円・営業利益101億円、FY17(2018年3月期)売上460億円・営業利益113億円、FY18(2019年3月期)売上557億円・営業利益157億円と、5年で売上1.7倍・営業利益3倍の高成長を達成した。中核IP(ドラゴンボール・セーラームーン・ワンピース・プリキュア・デジモン)の劇場版・配信向けライセンス収入が拡大し、テレビ放映料収入よりも著作権収入(ライセンス収入)が業績の主要ドライバーとなる構造へ事業構造が転換した。FY19(2020年3月期)売上548億円・営業利益161億円、FY20(2021年3月期)売上516億円・営業利益155億円と、コロナ初期の影響を受けた局面でも営業利益率28〜30%水準を維持した。
配信ブーム特需と東証スタンダード移行・5分割
2022年4月、東京証券取引所の市場区分の見直しに伴い、東京証券取引所スタンダード市場に移行した[44]。流通株式比率がプライム市場基準を満たさず、スタンダード市場での上場継続が選ばれた。FY21(2022年3月期)売上570億円・営業利益181億円から、FY22(2023年3月期)売上875億円・営業利益287億円へと、コロナ禍におけるグローバル配信プラットフォーム(Netflix・Disney+・Amazon Prime Video・Crunchyroll等)からのライセンス契約と「鬼滅の刃」「呪術廻戦」を含むアニメ業界全体のブーム特需を受けて、売上53%増・営業利益58%増の急成長を記録した。営業利益率は32.7%と過去最高水準に達した。
2023年4月、東映アニメーション作画アカデミーを開講し、人材育成機能の内製化と業界全体の人材枯渇問題への対応を行った[45]。2024年4月、普通株式1株につき5株の割合をもって株式分割を実施[46]。FY23(2024年3月期)売上887億円・営業利益234億円・純利益188億円、FY24(2025年3月期)売上1,008億円・営業利益324億円・純利益236億円と、年商1,000億円規模・営業利益率32%水準の高採算事業体に到達した。高木勝裕社長(FY11就任、東映シーエム出身)体制のもと[47]、IP価値の最大化(劇場版収益・配信ライセンス・キャラクター商品化収益の3軸)と、世界4極(東京・ロサンゼルス・パリ・上海)の販売拠点網による海外展開強化が経営戦略の中心である。次代の経営課題は、3大IPに過度に依存する収益構造の多角化、AI技術の導入によるアニメ製作プロセスの効率化、そして東映・テレビ朝日の二大株主構造を維持しつつグループ内での自律性を確保するガバナンス設計の3点に集約される。