創業1948年1月、日本動画株式会社として東京都新宿区原町に設立。戦後日本初の本格的アニメ専門スタジオとして発足し、1952年8月に日動映画、1956年7月に邦画大手の東映株式会社が買収して東映動画株式会社へ商号変更。1958年10月、日本初の本格カラー長編アニメ「白蛇伝」を公開し、東映傘下のアニメ製作部門として日本のアニメ業界の総本山的地位を確立した。
決断1986年「ドラゴンボール」、1992年「美少女戦士セーラームーン」、1999年「ワンピース」の3大IP放映開始で、世界的人気を獲得するロングランシリーズの蓄積を進めた。2000年12月の店頭上場、2004年12月のジャスダック上場で公開市場での資本基盤を確保。1997年香港、2004年米国・フランス、2006年上海への販売子会社・駐在員事務所展開で、グローバル4極の販売拠点網を整備した。2007年5月にはテレビ朝日が株式追加取得で持株比率15%以上となり、東映本体・テレビ朝日の2社が並列する筆頭・第二大株主構造を確立。1998年10月の東映動画→東映アニメーションへの商号変更、2018年1月の新大泉スタジオ稼働、2024年4月の5株分割と、IP価値の最大化と海外展開の基盤整備を継続している。
課題連結売上高はFY11(2012年3月期)330億円からFY24(2025年3月期)1,008億円へ13年で3.1倍化、営業利益率はFY22以降32%超の超高水準を維持する。コロナ禍のグローバル配信プラットフォームからの大型ライセンス契約と、Netflix・Disney+・Crunchyroll等への配信権販売がIP価値の最大化を実現した。だが3大IPへの収益依存度が高く、新規IP創出のリードタイムは10〜20年単位を要する構造的脆弱性が残る。高木勝裕社長体制のもと、AI技術導入によるアニメ製作プロセスの効率化、3大IP以外の新規ヒット育成、東映・テレビ朝日の二大株主構造下での自律性確保が次代の経営課題となる。
API for AI Agents— 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要
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歴史概略
1948年〜1979年日本動画から東映傘下の長編アニメ製作スタジオへ
戦後日本初の本格アニメ製作スタジオの誕生
1948年1月、日本動画株式会社が東京都新宿区原町に設立された。戦前から続く日本のアニメ製作(漫画映画)の伝統を引き継ぎ、戦後の本格的なアニメ専門スタジオとして発足したのが日本動画である。1952年8月に日動映画株式会社へ商号変更したのち、1956年7月、邦画大手の東映株式会社が日動映画を買収し、東映動画株式会社へ商号変更した。本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とし、東映の長編劇場アニメ製作部門として再出発した。買収主体である東映の大川博社長は、ディズニーに対抗する日本初の本格的アニメ製作会社として東映動画を位置づけ、長編劇場アニメの専属製作スタジオとしての経営方針を打ち出した。
1957年1月、製作所を東京都練馬区東大泉のスタジオ(大泉スタジオ)へ移転した。1957年5月、東映アニメーション初の短編アニメ作品「こねこのらくがき」が完成。1958年10月には日本初の本格カラー長編アニメ「白蛇伝」が完成・公開された。「白蛇伝」は日本のアニメ産業史で最も重要な作品の一つとされ、これ以降の東映動画は日本のアニメ業界の総本山的地位を占めた。1960年9月に本社を東京都中央区西銀座(現銀座)へ移転。1963年11月、東映アニメーション初のテレビシリーズアニメ「狼少年ケン」が放映開始となり、テレビアニメ製作への参入を果たした。1967年4月の「魔法使いサリー」第18話よりテレビシリーズのカラー放映を開始し、白黒からカラーへの転換期にカラー放送設備の整備をいち早く進めた。
海外進出と「銀河鉄道999」による自主製作開始
1973年2月、子会社として株式会社タバックを設立し、録音・編集部門の一部を分離した。1973年6月には海外での製作外注を開始し、フィリピン・韓国などアジア諸国の安価な作画スタッフを活用する分業体制を構築。1975年2月にはテレビシリーズアニメの海外販売を本格開始した。米欧の放送局・配給会社向けにライセンス販売を進め、海外マーケットの開拓に着手した。同時期、東映動画は労使紛争を経て製作体制が変化し、フリーランス契約のスタジオ運営体制へ移行が進んだ。1979年8月、東映アニメーション初の自主製作劇場長編アニメ「銀河鉄道999」を公開し、東映の配給に依拠しない独自製作・配給体制への第一歩を踏み出した。
「銀河鉄道999」は松本零士原作の人気テレビアニメの劇場版として大ヒットし、自主製作モデルの経済的妥当性を実証した。これ以降の東映動画は、東映本体の配給に従属する受託製作と並行して、自社IP(知的財産権)を有する自主製作作品の蓄積を進め、テレビアニメと劇場アニメの双方で「自社製作・海外販売」型のビジネスモデルを構築する基礎を作った。1980年3月、コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始し、デジタル映像製作への技術的準備を始めた。
以降は執筆中