1951年〜 九電力体制の中堅電力と浜岡原発という特殊な立地
中部電力の業績推移
- 1951年 中部電力設立
- 1951年 東京・名古屋・大阪の各証券取引所に上場
- 1953年 中電興業を設立
- 1955年 日本耐火防腐の株式取得し子会社化
- 1976年 浜岡原子力発電所1号機営業運転開始
- 2005年 浜岡1・2号機の運転終了を決定
- 2008年 浜岡原子力発電所1・2号機の運転終了と廃炉、隣接地への6号機新設方針 東海地震の震源域に立つ老朽2基を、耐震補強で残すか廃止して新型機に置き換えるか
中京工業地帯を支え続けた地域独占型の電力会社
1951年5月、電気事業再編成令に基づき、中部配電と日本発送電の設備を引き継いで中部電力株式会社が設立された。愛知・岐阜・三重・静岡・長野の5県を供給エリアとし、トヨタ自動車をはじめとする中京工業地帯の産業用電力需要を長年担ってきた。同年8月には東京・名古屋・大阪の各証券取引所に同時上場し、民間電力会社としての経営基盤を整えた。九電力体制のなかで東京電力と関西電力に次ぐ規模の中堅電力会社にあたり、地域独占と総括原価方式に支えられた安定的な事業環境のもと、高度経済成長期を通じて発電所と送配電網の拡充を続け、地域経済の成長を電力供給の面から支える役割を担った。 [1][2][3]
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年5月 電気事業再編成令に基づき中部配電と日本発送電の設備を引き継いで中部電力株式会社設立
- [2]1951年8月 東京・名古屋・大阪の各証券取引所に上場
- 中部電力 有価証券報告書【事業の内容】
- [3]供給エリアは愛知・岐阜・三重・静岡・長野の5県(中部電力の供給区域)
首都圏を擁する東京電力や関西圏を擁する関西電力と比べると、中部電力の供給エリアの人口は小さい一方で、自動車や機械、セラミックといった製造業が集積する中京圏の産業用電力需要は、工場の稼働に連動した電力消費構造が特徴だった。経営は景気変動の影響を受けやすく、好況期には高い需要成長が続き、不況期には需要の減少が生じる収益の揺れやすさを抱えていた。FY05(2006年3月期)の連結売上高は2兆1505億円、経常利益は2196億円で、電気事業セグメントの売上高は2兆413億円と全体の95%を占め、典型的な電力専業会社の事業構成だった。この時代の中部電力は、電気事業単体で総収益の9割超を賄う地域独占型の民間電力会社の代表例だった。
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年5月 電気事業再編成令に基づき中部配電と日本発送電の設備を引き継いで中部電力株式会社設立
- [2]1951年8月 東京・名古屋・大阪の各証券取引所に上場
- 中部電力 有価証券報告書【事業の内容】
- [3]供給エリアは愛知・岐阜・三重・静岡・長野の5県(中部電力の供給区域)
東海地震の震源域に立つ浜岡原発という構造的リスク
1976年3月、浜岡原子力発電所1号機が営業運転を開始した。最終的に5基が建設されたが、浜岡は他の原発と決定的に異なる条件を抱えていた。東海地震の想定震源域の真上に立地している点である。30年以内にマグニチュード8級の地震が発生する確率は高いと見積もられ、地震学者からはそもそも建設すべきではなかったとの指摘が長年繰り返されてきた原発だった。東海道新幹線や東名高速道路という日本の大動脈に近接する立地も、原発事故が広域の社会インフラに与える影響を考えるうえでリスク認識を高める要因であり、中央の専門家だけでなく地元住民からも独特の視線で見られてきた。 [4][5]
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [4]1976年3月 浜岡原子力発電所1号機が営業運転開始
- 中部電力 有価証券報告書【設備の状況】
- [5]浜岡原発は最終的に5基が建設された(1〜5号機)
中部電力は耐震補強に継続的に投資し、2005年1月には老朽化した1号機と2号機の運転終了を決定し、廃炉を選択する経営判断を下した。ただし3号機から5号機までは運転を継続し、原子力は中部電力の電源構成で約15%を占めていた。FY08(2009年3月期)には純損失189億円を計上したが、これは浜岡の定期検査長期化に伴う燃料費の増加や国際的な金融危機の影響によるもので、原発が停止した場合の経営への打撃がすでに部分的ながら顕在化しつつあった時期である。浜岡という固有条件の原発を所有していること自体が、中部電力の経営に他社が抱えない特殊なリスクを内在させており、投資家や経済界からも警戒の視線で見られてきた。 [6]
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [6]2005年1月 浜岡1・2号機の運転終了を決定(廃炉)
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [4]1976年3月 浜岡原子力発電所1号機が営業運転開始
- [6]2005年1月 浜岡1・2号機の運転終了を決定(廃炉)
- 中部電力 有価証券報告書【設備の状況】
- [5]浜岡原発は最終的に5基が建設された(1〜5号機)
電力専業と地域独占に支えられた安定収益の長い時代
2000年代の中部電力は、連結売上高2兆1000億円から2兆5000億円、経常利益1200億円から2200億円の水準で推移し、安定した経営を維持していた。FY05からFY09までの間、配当は1株あたり60円で据え置かれ、個人投資家にとって代表的なディフェンシブ銘柄の一つと見られていた。2001年4月にはシーエナジーを設立して分散型エネルギー事業に参入するなど電力自由化への対応も始まっていたが、連結全体に占める非電力事業の規模は限定的で、電気事業が売上高の9割超を占める構造は変わらなかった。経営の収益基盤は依然として地域独占に支えられた電力専業の事業モデルに置かれ、需要家との接点を持つ小売と送配電、そして発電を垂直統合で一社が担う従来型の電力会社の姿だった。 [7]
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [7]2001年4月 シーエナジーを設立して分散型エネルギー事業に参入
電力専業の経営構造は、浜岡原発の稼働状況に収益が左右される本質的なリスクを構造的に抱えていた。原発が停止すれば火力の焚き増しで燃料費が膨張し、利益は圧縮される。2006年以降、エネルギー事業や建設業など非電力セグメントの売上計上が始まったが、電力事業の90%超という比率は変わらず、収益源の分散はほとんど進まなかった。浜岡の安全性に対する地震学者の長年の指摘と、2000年代半ばの電力自由化の本格化という外部環境の変化は、中部電力の事業モデルに静かな圧力を加えていた。地域独占と総括原価方式に支えられた安定経営の時代は、電力システム改革の進展と浜岡原発を取り巻くリスクの顕在化という二つの潮流によって、この年代の後半に終わりを迎えようとしていた。
- 中部電力 有価証券報告書【沿革】
- [7]2001年4月 シーエナジーを設立して分散型エネルギー事業に参入