小林一三

東宝・元代表取締役社長

Kobayashi Ichizo(敬称略)

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社長就任 1951年9月
生年月日 —
学歴 慶應義塾正科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1932年8月、宝塚歌劇を東京で興行するため資本金170万円で株式会社東京宝塚劇場を設立し、創立総会の取締役互選で初代社長に就任した。日比谷公園前の1,200坪を買い受けて3,000人規模の劇場を建て、一等2円・三等50銭で見せる計画を設立趣意書に自ら書いている。横浜・名古屋・京都の宝塚劇場や大阪の梅田映画劇場、神戸の阪急会館を開場して大都市の東宝チェーンを敷いたのち、1937年5月に第一線を退いた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

東宝は3度の争議で1948年1月までに資本金4,000万円の倍にあたる赤字を抱え、1950年3月には傘下を離れた新東宝が自主配給を始めて配給業務が打撃を受けた。1950年9月に社長へ就任した小林富佐雄氏は、阪急の支援を第一に置く五項目の再建方針を掲げ、高利債と赤字部門の整理に当たった。それでも1951年1月期は収入21.99億円に対し当期損失6.95億円だった。1951年8月に公職追放が解除され、翌9月に創業者が社長へ戻った。社内では「逸翁をお迎えするまでは」が合言葉になっていた。

在任中の主な施策
施策

新東宝の離脱で自社製作を失っていたため、1951年8月に宝塚映画製作所、1952年5月に東京映画を設立して配給作品を委託し、1943年に固めた一貫経営を組み直した。3撮影所の年間製作本数は1954年に67本へ達している。1952年9月には資産再評価積立金の一部1億8,000万円を資本へ組み入れて7億2,000万円へ倍額増資し、翌1953年3月に1割5分の配当を復活させた。1955年7月には1950年7月に分離していた帝国劇場を合併し、資本金は8億円となった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1951〜1955年
在任中の業績
就任前(FY50)22億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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