松岡辰郎

東宝・元代表取締役社長

Matsuoka Tatsuro(敬称略)

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社長就任 1966年9月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1927年に慶應義塾大学を卒業し、1945年12月に松岡汽船の取締役社長へ就任した。東宝には1957年3月、梅田コマスタジアムの社長就任と同じ月に取締役として入っている。1958年3月には新宿コマ・スタジアムの社長を兼ね、1964年8月の両社合併後はコマ・スタジアムの社長を務めた。劇場の運営会社を率いる側から本体の役員に入った経路で、撮影所や配給の現場は歩いていない。東宝を興した小林一三氏の次男にあたる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1962年9月に東宝の代表取締役会長となり、4年後の1966年9月に会長から社長へ移った。前任の清水雅氏は同じ月に取締役会長へ回り、1968年2月には京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の取締役会長も兼ねている。1967年1月期の収入総額は165.11億円、当期利益は10.4億円で、前期の161.56億円・10.21億円から減少していない。業績の立て直しではなく、阪急側の経営者から創業家へ本体を渡す交代だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

在任中に映画製作の重い部分が本体の外へ出た。1971年11月、専務取締役の藤本眞澄氏が東宝映画の取締役社長に就任している。藤本眞澄氏は1950年に藤本プロダクションを興し1955年9月に東宝取締役となった製作の責任者で、その役目が子会社の側へ移った。1974年1月期の売上高は295億円、経常利益18億円、当期純利益11億円。1974年8月に社長を退き、清水雅氏が復帰した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1966〜1974年
在任中の業績
就任前(FY65)162億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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