伊藤忠が不二製油株式会社を設立
伊藤忠は不二蚕糸株式会社の大阪工場を買収し、これらの資産を継承した100%子会社として不二製油株式会社を設立した。同社は生糸原料を作る蚕を搾油する製油事業を展開していたが、1950年には大豆原料の天ぷら油の製造を展開していた。資本面における経緯から、不二製油と伊藤忠は資本面・人事面で関連性のある会社として運営された。
南方系原料に注目。パーム核油の搾油を開始
1950年の主力事業であった天ぷら油は、豊年製油などの先発メーカーが存在しており、後発の不二製油は市場を切り崩すことができなかった。そこで不二製油は生き残るために、ニッチだった南方系原料「コプラ(パーム油・ヤシ油)」に着目した。当時は流通網が確立されておらず、不二製油は伊藤忠とともに原料確保に奔走。仕入れた油を不二製油は独自の圧搾技術(油脂分別)を開発することで製品化することで、海外調達・油脂加工に特色のあるメーカーとして歩み始めた。
ラメノバターの製造を開始
南方系油の事業展開にあたって、市況変動の影響を受ける点が事業リスクとして存在していた。そこで、不二製油は業績安定化のために、最終製品への進出を決めた。食品加工において搾油から川下に進出すべく、国産初のハードバター「ラメのバター」の製造を開始。以後、不二製油は業務用食品メーカーとして事業展開を本格化した