広田靖治氏が輸入車の中古車販売業を個人創業。給湯器の営業職を辞めた後、自動車販売会社への転職を最初は考えたが、高校中退という経歴もあって転職に失敗。そこで、生まれ育った愛知県尾張旭市で「オートステージヒロタ」を個人創業した。

ネクステージの歴史
中古車販売業。保険などのクロスセルに注力し、車両は仕入れ値で販売
中古車販売業。保険などのクロスセルに注力し、車両は仕入れ値で販売
創業期のネクステージは、中古車販売業において、同業他社との差別化に注力した。その一つがボルボ車への特化である。
1996年に創業者の広田靖治氏が愛知県尾張旭市でオートステージヒロタを開業した際は、同業他社との競争に晒されており、仕入れた中古車が売れない悩みを抱えていた。そこで、当時は珍しかったスウェーデンのボルボ車の取り扱いに特化し、顧客を獲得したことで活路を得た。
そして、創業時の原動力になったのが、USSによるオートオークションである。当時はオークションの普及期であり、広田氏は週末にUSSでの入札に参加してボルボ車を競り落としていた。手軽に同一車種を大量に仕入れることができる仕組みが生まれた時期であり、ネクステージにとって大きな武器であった。
この意味で、創業期のネクステージは、オートオークションの台頭によって、開かれたビジネスチャンスをモノにした会社といえる。車種特化という方針も、明確な戦略として機能した。
USSの歴史を参照 https://the-shashi.com/tse/4732/
ネクステージの歴史は、コモディティーとなった中古車市場において、いかにして付加価値をつけるかの戦いでもある。
2005年ごろになるとオートオークションの普及が一巡し、利幅の確保が難しくなると同時に、同業他社との差別化が困難になってしまう。誰もがギリギリの価格で競り落とすようになり、中古車の小売店が「中古車を仕入れて売るだけ」では利益を確保できなくなった。
そこで、ネクステージは名古屋で書店を経営する「ビレッジバンガード」のビジネスモデル(書店だが雑貨で儲ける小売業)からヒントを得た。利幅の少ない中古車ではなく、保険・車検・板金・塗装といった周辺サービスで利益を確保するビジネスに転換。中古車は仕入れ値で販売する代わりに、サービスの販売で儲けるクロスセルに注力し、独自路線を歩み始めた。
中古車を仕入れ値で売るというのは前例のない思い切った決断であり、ネクステージが売上成長を実現する大きな転換点であった。
仕入れ値販売は常識外れの打ち手であった。クロスセルに失敗すれば、儲けを期待しにくいことから、同業他社はネクステージの決定に懐疑的だったという。利幅が薄い中でも店舗への投資を行う必要があり、多店舗展開にはリスクもあった。一方、ネクステージは中古車販売業で後発ながらもリスクを背負った積極投資を敢行。ところが、課題投資によってリーマンショック後に債務超過の危機に陥っており、ネクステージの経営が危ぶまれた時期もあった。やはり、相応のリスクを背負ったプライシングと見るべきだろう。
愛知県を中心とした東海地方で「クロスセル」による大型店舗の展開が順調だったことから、2015年以降は全国展開を積極化した。設備投資に一段のギアを入れて、果敢に大型店舗を展開した時期であった。
中古車の販売市場は、中小企業が群雄割拠する構造になっているが、この中でネクステージは「中古車の店舗品揃え」を武器にすることで、業界内でのシェアを拡大していった。消費者としても、たくさんの中古車を現物で見れることは、ネクステージで買う一つの理由になった。
ただし、クロスセルを重視しているとはいえ、ネクステージは利幅の少ない中古車の販売を軸としており、売上全体の利幅を確保しにくい問題に直面している。売上成長は驚異的な水準であるものの、利益率が低いのがネックだろう。
このため、積極投資のための資金は、銀行からの借入に頼っており、自己資本比率の低下を意味する。財務リスクを背負うことによって、売上成長を志向するというのが、ネクステージが目指す価値観なのだろう。
販売額ベースで見れば、クロスセルよりも中古車の価格が大半を占める。このため、利益率の高いクロスセルを遂行しても、全体としての利益率の向上が難しい。売上高数千億円に対して純利益が1〜3%という水準は、さすがに薄氷を踏むイメージがある。リーマンショックで債務超過寸前に陥ったものの、その原因は根本解決しないまま現在に至るのだろう。この手の企業は、不況になったときにその真価が問われる。
2019年以降のネクステージの追い風になっているのが、新車不足による中古車需要の増加である。半導体不足により新車納期が遅れたことで、顧客が中古車をさらに買うようになった。ネクステージにとっては願ってもない状況である。
問題は、この傾向が持続的なのかという点であろう。新車不足という事態は、消費者からすれば嬉しいものではないため、やはり一時的な現象と見るのが良いだろう。新車が欲しい人は新車を求めるというのが、自然な形だと感じる。
とすれば、2019年から2022年にかけてのネクステージの成長は、持続可能かどうかは議論の余地があるだろう。2030年ごろにネクステージがどうなっているのか、その動向を注視したい。
広田靖治氏が輸入車の中古車販売業を個人創業。給湯器の営業職を辞めた後、自動車販売会社への転職を最初は考えたが、高校中退という経歴もあって転職に失敗。そこで、生まれ育った愛知県尾張旭市で「オートステージヒロタ」を個人創業した。
個人事業から有限会社に転換。顧客獲得のために、競合が少なかった中古のボルボ車の取り扱いに注力した。当時はボルボ専門の中古車販売店は珍しく、全国からの集客に成功した。当時成長していたUSSからの仕入れによって車種を確保できた。この経験から、車種を絞り込んだ店舗展開を開始した。
広田靖治氏は、売上10億円では満足するのではなく、100億円を目指すために多店舗展開を決断。2000年に名古屋市名東にてオートステージ1号店(500坪)を開業した。
愛知県春日井市にネクステージ1号店を開業。国産のスバル車の取り扱いを開始。東海地方での多店舗展開を始めた
2000年代を通じて中古車流通の変化が一巡し、販売店では同質競争が発生した。このため、2005年ごろにオートステージは収益が伸び悩んだため、中古車に付随する「保険・車検・板金・塗装」などの周辺商品を重視するクロスセルに方針転換した。
リーマンショックにより需要の低迷と、中古販売店への出店攻勢により財務体質が悪化。ネクステージは債務超過の危機へ
2010年代を通じてECが小売業で拡大していたが、中古車販売に関しては実物を見るニーズが根強かった。そこで、広田社長は店舗の大型化が有効であると判断。2015年度からは設備投資額を前年度2倍に引き上げ、年間18億円の投資を実施した
FY2018には、大型店舗の多店舗展開のために設備当時の水準を一段階上げて年間56億円を投資。銀行から184億円の借入調達を行っており、自己資本比率は42.5%(FY2017)から28.2%(FY2018)に低下
FY2024に売上高5000億円、FY2030に売上高1兆円(国内中古車市場シェア5%)を目標に設定。毎期20店舗の出店で到達予想
新車不足によって中古車販売が好調へ