1906年〜 ハネウエル提携の出発と「計器の国産化」
アズビルの業績推移:単体
- 1906年 山武商会を創立し欧米工作機械等の輸入販売を開始
- 1932年 化と工業計器の自社組立開始
- 1933年 輸入商から計器メーカーへの業態転換と、大森への山武商会計器製作所の開設 割高な輸入計器を売り続けるか、自ら組み立てるか——為替下落と借入金に追われた商会が採った道
- 1939年 蒲田工場でブラウン・インストルメント計器を国産化
- 1949年 企業再建整備法により山武計器を新設
- 1953年 米ハネウエルとの50対50の資本提携と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括技術導入 技術を採るために経営権を渡すか、対等にこだわるか——51%を求めた相手との交渉
- 1963年 山武計装を設立、空調計装工事事業に参入
山武商会から計器メーカーへ──輸入商から製造業への業態転換
1906年12月、山口武彦が東京市京橋区五郎兵衛町(現在の中央区八重洲)に山武商会を創立した。当初はドイツのシュッカルト・シュッテ社などの工作機械・工具を扱う「欧米機械工具直輸入」の商社で、設立当初はメーカーではなかった。為替の下落で輸入機械が割高になると、山武商会は輸入品の国産化に活路を求め、米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器を未完成品で輸入して国内で組み立てる方式に着手する。1932年7月の株式会社改組とほぼ同時にブラウン計器の組立を八重洲ビルで始め、1933年には大森機械製作所を吸収合併して大森工場とし工作機械類の製造に着手するとともに、大森に計器製作所を設けて輸入商から計測機器メーカーへ業態を転換した。1936年には日本石油向けに調節弁を国産化し、1939年4月、大田区西六郷に計器の専門工場(現蒲田工場)を建設してブラウン計器の本格国産化へ進んだ。 [1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [1]1906年12月 山口武彦が東京市京橋区五郎兵衛町(現中央区八重洲)に山武商会を創立
- [2]創業者は山口武彦(社名「山武」の由来となる人物)
- [5]1932年7月 山武商会を株式会社へ改組(ブラウン計器の組立を八重洲ビルで開始)
- [9]1939年4月 蒲田工場を建設し米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器を国産化
- 山武ハネウエル七十五年史(社史、1982)
- [3]山武商会は当初ドイツ・シュッカルト・シュッテ社などの工作機械・工具を扱う輸入商(欧米機械工具直輸入)として出発
- [4]為替下落で割高になった輸入計器を、米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器の未完成品輸入・国内組立により国産化に着手
- [6]1933年 大森に(株)山武商会計器製作所を設置(計器の組立を工場化)
- [8]1936年 日本石油向けに調節弁を国産化(第1号を日本石油秋田製油所へ納入)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [7]1933年 大森機械製作所を吸収合併して大森工場とし工作機械類の製造に着手
- [10]蒲田工場はブラウン社との技術提携にもとづき大田区西六郷に建設した計器の専門工場
1942年4月、商号を山武工業に変更すると同時に商事部門を分社し、製造と商事の機能を分離した。戦時下の事業環境のなか、計測機器の自社設計と国産化能力の獲得が事業の基盤として確立された。戦後、主力の大森工場が工作機械工業の賠償指定工場とされたことから工作機械類の製造を断念し、計測機器に事業を絞り込む道へ向かった。1949年8月、企業再建整備法によって山武工業を清算し、第二会社として山武計器を新設して計測器の製造・販売事業を再出発させた。戦後再建のなかで計測器専業の企業として再定義され、後の事業展開の出発点となった。創業者の山口武彦が明治・大正・昭和の三代にわたり欧米の最新技術を他に先駆けて国内へ紹介してきた輸入商としての蓄積と、戦時下に獲得した自社製造能力とが、戦後に計測機器メーカーとして再構築する土台を生んだ。 [11][12][13][14]
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [11]1942年4月 山武商会を山武工業に商号変更し商事部門を分社化(別に山武商会=現アズビルトレーディングを設立)
- [13]1949年8月 企業再建整備法により山武工業を清算し第二会社として山武計器を新設、計測器の製造・販売を再開
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [12]戦後、大森工場が工作機械工業の賠償指定工場とされたため工作機械類の製造を断念し、計測機器へ事業を絞り込んだ
- 山武ハネウエル七十五年史(社史、1982)
- [14]創業者・山口武彦は明治・大正・昭和の三代にわたり欧米の最新技術を他に先駆けて国内へ紹介してきた(山武商会創立以来の輸入商としての蓄積)
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [1]1906年12月 山口武彦が東京市京橋区五郎兵衛町(現中央区八重洲)に山武商会を創立
- [2]創業者は山口武彦(社名「山武」の由来となる人物)
- [5]1932年7月 山武商会を株式会社へ改組(ブラウン計器の組立を八重洲ビルで開始)
- [9]1939年4月 蒲田工場を建設し米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器を国産化
- [11]1942年4月 山武商会を山武工業に商号変更し商事部門を分社化(別に山武商会=現アズビルトレーディングを設立)
- [13]1949年8月 企業再建整備法により山武工業を清算し第二会社として山武計器を新設、計測器の製造・販売を再開
- 山武ハネウエル七十五年史(社史、1982)
- [3]山武商会は当初ドイツ・シュッカルト・シュッテ社などの工作機械・工具を扱う輸入商(欧米機械工具直輸入)として出発
- [4]為替下落で割高になった輸入計器を、米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器の未完成品輸入・国内組立により国産化に着手
- [6]1933年 大森に(株)山武商会計器製作所を設置(計器の組立を工場化)
- [8]1936年 日本石油向けに調節弁を国産化(第1号を日本石油秋田製油所へ納入)
- [14]創業者・山口武彦は明治・大正・昭和の三代にわたり欧米の最新技術を他に先駆けて国内へ紹介してきた(山武商会創立以来の輸入商としての蓄積)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [7]1933年 大森機械製作所を吸収合併して大森工場とし工作機械類の製造に着手
- [10]蒲田工場はブラウン社との技術提携にもとづき大田区西六郷に建設した計器の専門工場
- [12]戦後、大森工場が工作機械工業の賠償指定工場とされたため工作機械類の製造を断念し、計測機器へ事業を絞り込んだ
ハネウエル提携(1953)──資本提携50%と「計器の国産化」
1953年1月、山武計器は米ハネウエル・インコーポレイテッドと技術・資本提携契約を結び、出資比率50%の合弁体制に入った。ハネウエルは、戦前に山武商会が計器を国産化していたブラウン社を戦時中に吸収合併した米国最大の総合オートメーション機器メーカーであり、戦後の提携はそのブラウン計器国産化の延長上にあった。戦後復興期の日本産業は計装制御技術を欠いており、ハネウエルが持つプロセスオートメーション・ビルオートメーション技術の導入が必要であった。1956年7月には商号を山武ハネウエル計器に変更し、提携を企業ブランドそのものに反映させた。1958年8月の株式店頭公開、1961年10月の東京証券取引所市場第二部上場、1969年2月の東証一部上場と、ハネウエル提携を経て資本市場でのプレゼンスを引き上げた。山武は他社に先駆けて海外会社と提携し、オートメーション機器の総合メーカーとして出発する基盤を築いた。 [15][16][17][18][19][20][21]
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [15]1953年1月 山武計器が米ハネウエル・インコーポレイテッドと技術・資本提携(出資比率50%の合弁)
- [17]ハネウエルの出資比率は50%
- [18]1956年7月 商号を山武ハネウエル計器に変更
- [19]1958年8月 株式を店頭公開
- [20]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [21]1969年2月 東証一部に上場
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [16]ハネウエルは戦時中にブラウン社を吸収合併した米国最大の総合オートメーション機器メーカーで、戦前のブラウン計器国産化の延長で戦後の提携が結ばれた
1961年4月の藤沢工場建設でマイクロスイッチ・空調制御機器の生産を開始し、後のビルディング・オートメーション(BA)事業の中核となる空調制御の生産基盤を整備した。1963年10月には山武計装(後の山武ビルシステム)を設立し、空調計装工事事業に進出して計器販売と工事サービスを一体運営に組み込んだ。1972年11月には寒川工場(現湘南工場)を建設し、調節弁の生産を開始してプロセスオートメーション(PA)機器の生産拠点を確保した。1973年8月の伊勢原工場建設ではBA中央管制システム・制御盤を生産し、BA事業の生産能力を強化した。1960〜70年代を通じて、計器販売からビル丸ごとのオートメーション化を請け負う事業モデルへ、収益源の構造を入れ替えた。 [22][23][24][25]
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [22]1961年4月 藤沢工場を建設しマイクロスイッチ・空調制御機器の生産を開始
- [23]1963年10月 山武計装(後の山武ビルシステム)を設立し空調計装工事事業に進出
- [24]1972年11月 寒川工場(現湘南工場)を建設し調節弁の生産を開始
- [25]1973年8月 伊勢原工場を建設しBA中央管制システム・制御盤を生産
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [15]1953年1月 山武計器が米ハネウエル・インコーポレイテッドと技術・資本提携(出資比率50%の合弁)
- [17]ハネウエルの出資比率は50%
- [18]1956年7月 商号を山武ハネウエル計器に変更
- [19]1958年8月 株式を店頭公開
- [20]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [21]1969年2月 東証一部に上場
- [22]1961年4月 藤沢工場を建設しマイクロスイッチ・空調制御機器の生産を開始
- [23]1963年10月 山武計装(後の山武ビルシステム)を設立し空調計装工事事業に進出
- [24]1972年11月 寒川工場(現湘南工場)を建設し調節弁の生産を開始
- [25]1973年8月 伊勢原工場を建設しBA中央管制システム・制御盤を生産
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [16]ハネウエルは戦時中にブラウン社を吸収合併した米国最大の総合オートメーション機器メーカーで、戦前のブラウン計器国産化の延長で戦後の提携が結ばれた
提携の段階的解消──独立度を高める37年
1990年3月、ハネウエルの出資比率が50%から24.15%へ低下し、合弁解消の第一段階に入った。1990年11月には技術提携契約を包括的提携契約に変更し、1997年10月には包括契約をさらに事業ごとの個別提携契約へ細分化した。提携枠組みの縮小が進むなか、1998年7月に山武ハネウエルから山武へ商号変更し、ハネウエルブランドからの離脱と独立色の強化を表明した。1998年10月には国内営業の一部を山武ビルシステム・山武産業システムへ譲渡し、事業別子会社運営へ移行した。提携依存からの脱皮は、山武自身の技術蓄積が一定水準に達した時点での経営判断であった。 [26][27][28][29][30][31]
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [26]1990年3月 ハネウエルの出資比率が50%から24.15%へ低下(合弁解消の第一段階)
- [27]出資比率は50%→24.15%
- [28]1990年11月 技術提携契約を包括的提携契約に変更
- [29]1997年10月 包括的提携契約を事業ごとの個別提携契約へ細分化
- [30]1998年7月 山武ハネウエルから山武へ商号変更
- [31]1998年10月 国内営業の一部を山武ビルシステム・山武産業システムへ譲渡(事業別子会社運営へ移行)
1990年代の提携縮小の流れは、ハネウエル本体の事業ポートフォリオ再編と並行して進んだ。米ハネウエル側は1990年代半ばから本業の計装制御事業を再定義する動きを進めており、日本市場での50:50合弁を維持するインセンティブが低下していた。山武側にとっては、ハネウエル技術への依存から独自開発体制への移行が課題であり、提携枠組みの縮小は両社の利害が整合した結果であった。1998年の社名変更は、こうした合弁解消プロセスの中での企業アイデンティティの再定義であった。提携縮小と社名変更の組み合わせは、独立した計測制御メーカーへの再構築のシグナルでもあった。
- アズビル 有価証券報告書【沿革】
- [26]1990年3月 ハネウエルの出資比率が50%から24.15%へ低下(合弁解消の第一段階)
- [27]出資比率は50%→24.15%
- [28]1990年11月 技術提携契約を包括的提携契約に変更
- [29]1997年10月 包括的提携契約を事業ごとの個別提携契約へ細分化
- [30]1998年7月 山武ハネウエルから山武へ商号変更
- [31]1998年10月 国内営業の一部を山武ビルシステム・山武産業システムへ譲渡(事業別子会社運営へ移行)