ハワイの会談を持ちかけたのはハネウエルで、卓上に出されたのは保有株式を売却したいという話であった。山武が引き受けたのは、相手の撤収の意向を自社の再定義へ翻訳する仕事であったと推察される。新しい関係は新市場・新事業への投資と、とくにアジアでの事業拡大を可能にするものと位置づけられたが、裏返せば、それまでアジアでの動き方が提携の枠に縛られていたことになる。
ただし、看板を下ろしてから資本を清算するまでには5年を要した。1997年10月に売却の意向が公表されたにもかかわらず、自社株買いの制限、消費税率引き上げ後の株価下落、アライドシグナル社によるハネウエル買収と、相手側と制度側の事情で二度立ち止まっている。2000年12月と2002年7月に分けた買い取りは、自己株式取得の法制が整うのを待った結果でもあった。49年続いた関係の終わり方を決めたのは、双方の戦略というより制度と市況の巡り合わせであった面が大きいといえる。