アズビルハネウエル保有株1,099万株の自己株式取得と、49年続いた資本関係の解消

米国資本の傘にとどまるか、看板ごと下ろすか——1997年のハワイ会談から5年をかけた清算

時期 2002年7月
意思決定者(推定) 小野木聖二・井戸一朗(1997年の提携見直し当時の社長) 社長
論点 提携の解消と独立
概要
1997年、ハワイでの2対2の会談でハネウエル側から保有株式を売却したいという打診があった。山武ハネウエルは包括提携を事業単位の契約へ改め、1998年7月に商号を山武へ変えたうえで、2000年12月と2002年7月の二度の自己株式取得でハネウエル保有株を全量買い取り、1953年以来の資本関係を解消した。
背景
1990年に全社的な戦略同盟契約を結んだものの、アジア・中国での事業の進め方が難しくなり、ハネウエルとの関係をどうするかが経営の課題となっていた。ハネウエル側も投資のリターンが少なく株式を保有する意味がないと考え始め、1997年初めごろから話し合いが続いていた。
内容
2000年12月に保有株2,029万株のうち930万株を自己株式消却のために買い取り、持株比率は12.99%へ下がった。2002年7月に残る1,099万株を買い取って資本関係は消えた。2003年3月期の財務活動によるキャッシュ・フローは127億円の流出となった。
含意
山武は中国・欧州・米国に自前の現地法人を置き、独立した計測制御メーカーとして海外を組み替えた。2003年4月には分社していた山武ビルシステム・山武産業システムを吸収合併し、2012年4月にアズビルへ商号を変更している。
筆者の見解

売りたいと言ったのは相手であった

この解消を山武側からの独立宣言として読むと、事実の順序が入れ替わる。ハワイの会談を持ちかけたのはハネウエルで、卓上に出されたのは保有株式を売却したいという話であった。山武が引き受けたのは、相手の撤収の意向を自社の再定義へ翻訳する仕事であったとみることができる。井戸一朗社長は新しい関係が新市場・新事業への投資と、とくにアジアでのビジネス拡大を可能にすると述べたが、裏返せば、それまでアジアでの動き方が提携の枠に縛られていたことを認めた言い方にもなっている。

もっとも、看板を下ろしてから資本を清算するまでには5年を要した。1997年10月に売却の意向が公表されたにもかかわらず、自社株買いの制限、消費税率引き上げ後の株価下落、アライドシグナル社によるハネウエル買収と、相手側と制度側の事情で二度立ち止まっている。2000年12月と2002年7月に分けた買い取りは、自己株式取得の法制が整うのを待った結果でもあった。49年続いた関係の終わり方を決めたのは、双方の戦略というより制度と市況の巡り合わせであった面が大きい、といえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

合弁の枠が窮屈になるまで

1990年3月、ハネウエルの出資比率は50%から24.15%へ下がり、同年11月には技術提携契約が全社的な戦略同盟契約へ改められた。ところが1990年代を通じて、アジアや中国での事業の進め方がしだいに難しくなり、ハネウエルとの関係をどうしていくかが山武ハネウエルの経営課題となっていく。ハネウエル側も投資のリターンが少ないため株式を持っている意味がないと考え始め、1997年初めごろから新しい業務提携をめぐる話し合いが続いた[1][2]

転機はハワイでの会談であった。ハネウエル側から打診を受け、山武ハネウエルからは井戸一朗社長と井上副社長、先方からは最高責任者2名が出て、2対2で向き合った。持ち出されたのは保有株式を売却したいという話である。あわせて、売却を進める以上は社名を変えること、包括的な業務提携を見直して事業単位ごとのアライアンスにすることが提案された。経営会議に諮ったうえで、1997年9月に井戸社長が渡米して承諾の意を伝えている[3]

決断

1997年10月21日の発表

1997年10月21日夕刻、東京とミネアポリスで同時に発表が行われた。内容は、従来の戦略同盟契約に替わる事業単位ごとの契約を締結したこと、商号からハネウエルの名称の使用を漸次縮小し1998年7月1日から「株式会社山武」を使用する予定であること、そしてハネウエルが時期・方法は未定ながら保有株式を売却する可能性があると述べたことであった。商号変更は1998年6月の株主総会で決議されている[4][5]

井戸一朗社長は発表文のなかで、新しい関係は山武の新市場・新事業への積極的な投資を可能にし、とくにアジアにおけるビジネス拡大を可能にすると述べた。ハネウエルのマイケル・ボンシニョール会長兼CEOも、1990年の戦略同盟契約締結以降にビジネス環境が大きく変わり、関係を見直す必要が出てきたと説明している。看板と契約の枠組みを先に組み替え、資本の始末は後回しにする順序であった[6]

二度に分けた自己株式取得

売却の意向は表明されたが、受け皿づくりは難航した。1997年当時は自社株買いに制限があり、ハネウエルは保有株を市場で一般に売り出す計画を進めていたものの、消費税率引き上げ後の景気悪化と株価下落で中止となった。法制が変わって自己株式消却を前提とする自社株買いができるようになり、1999年4月に山武側から提案したが、同年6月にアライドシグナル社がハネウエルを買収合併し、責任者が交代して提案の検討どころではなくなった[7]

動き出したのは2000年である。ハネウエルの財務総責任者と相談したうえで、同年12月に保有株2,029万株のうち930万株を自己株式消却のために買い取り、持株は1,099万株、持株比率12.99%となった。さらに2002年7月にもう一度自社株買いを行い、残る1,099万株を全量買い取った。1953年以来およそ半世紀続いた資本関係は、ここで解消した。買い取りの重さは資金繰りにも表れ、2003年3月期の財務活動によるキャッシュ・フローは127億40百万円の流出と、前期の22億33百万円から大きく膨らんでいる[8][9]

結果

自前の海外網と、本体への集約

資本関係の清算と前後して、山武は海外の足場を自分で組み直した。1999年5月には中国・大連の生産工場を足がかりに営業拠点を置く方針を決め、2000年10月には燃焼安全制御を専門とする現地法人を北京に設立、同年12月には事業ごとにばらばらだった中国の現地法人を束ねる上海事務所を開いている。2001年2月にはカリフォルニア州サンタクララに100%出資の山武センシング・コントロールを設け、光電スイッチやマイクロフローセンサといった先端製品で米国市場へ自ら出た[10]

業績はこの時期が底であった。2003年3月期の連結売上高は1,679億円、経常利益33億円で、単体では経常損失28億円・当期純損失16億円を計上している。翌期以降の連結経常利益は68億円、94億円、139億円と戻していった。2003年4月には分社していた山武ビルシステムと山武産業システムを吸収合併して本体へ集約し、2012年4月には商号をアズビルへ改めている。発行済株式総数は84,566,256株から翌期には73,576,256株へ1,099万株減り、買い取った株式が消却されたことを示していた[11][12][13]

出典・参考

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