島津製作所 の歴史

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創業 1875年
創業者 島津源蔵
創業地 京都府京都市
創業
1875年3月、初代・島津源蔵が京都市木屋町二条で鍛冶屋を営むかたわら、理化学器械の修理と製造を始めた。殖産興業で学校や研究機関の実験器械に需要が生まれる一方、その多くは高価な輸入品で、京都に集まっていた金属加工・ガラス細工・木工の在来技術を組み合わせれば置き換えられた。創業期の仕事は京都舎密局や学校用品の修理が主で、1877年には国内で初めて蓄電池を製作している。1917年9月に株式会社島津製作所を設立し、東京・大阪・福岡へ支店を置いた。1919年10月に三条工場を開設して産業機器の製造へ入り、1938年4月に京都証券取引所へ株式を上場した。
決断
1950年代に並べた四つの事業を、150年たっても一つも手放していない。理化学器械から始まった会社は1919年に産業機器を加え、戦中の軍需品製造で計測と油圧の技術を蓄えたうえで、1956年10月の航空機器部門の新設によって航空機・防衛装備品へ入った。1989年6月には英KRATOSを買収して質量分析の技術と顧客基盤を取り込み、その延長で1992年のレーザーイオン化飛行時間型質量分析装置、2002年の田中耕一氏のノーベル化学賞へつながる。2022年5月の日水製薬の公開買付けによる取得では、装置と地続きにある試薬と培地を持つ会社を取り込んで体外診断薬・臨床検査へ入り、島津ダイアグノスティクスへ改めた。事業を減らさずに足す進み方が、市況の異なる四つの需要を同じ会社に置いている。
現況
利益率がいちばん高いのは分析機器ではなく、1956年に始めた航空機器である。2026年3月期の連結売上高は5,607億円、営業利益737億円、純利益604億円。内訳は計測機器が売上3,649億円・営業利益525億円で全社の65%を占める一方、航空機器は433億円に対し82億円と19.0%の利益率を出し、産業機器は715億円・105億円、医用機器は737億円・48億円にとどまる。地域別では日本2,425億円に対し、中国917億円、その他アジア714億円、米国686億円、欧州548億円。従業員も計測機器8,995名に対し航空機器は356名で、数の小さい部門が最も高い採算を残している。
競合
分析機器で向き合う相手は国内の同業ではなく、米国の3社である。ガスクロマトグラフ・液体クロマトグラフ・分光光度計・質量分析装置は、アジレント・テクノロジー、ウォーターズ、サーモフィッシャー・サイエンティフィックと同じ市場に並ぶ。規模で及ばない差を埋めたのは買収で、1989年の英KRATOS取得が1992年のレーザーイオン化飛行時間型質量分析装置を生み、2002年のノーベル化学賞がその技術の裏づけになった。2022年に参入した体外診断では、装置と試薬をセットで売る形を1985年に業態として設計したシスメックスが先にいる。装置の技術で入った会社が試薬と培地を持つ日水製薬を取得したことは、収益の出どころを機器の販売台数から検査の件数へ移しはじめている。
島津製作所:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 京都の理化学器械製造業者からの法人化と航空機器・防衛参入 (1875年〜)

創業者・初代島津源蔵による理化学器械の国産化

島津製作所の創業は1875年3月に遡る。京都市の木屋町二条で、初代・島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら、当時まったく目新しかった学術実験用の理化学器械の修理・製造業を始めたのが起点である。[1]明治政府が殖産興業政策のもとで近代科学技術の導入を急いだ時代、教育機関や研究機関で必要とされる物理・化学の実験器械はほとんどが輸入品であり、初代島津源蔵は国産化に挑んだ。京都という伝統的な工芸技術の集積地で、金属加工・ガラス細工・木工等の在来技術を組み合わせて事業基盤を整えたが、器械類の需要がまだ少なかった創業期は、京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった。[2]1877年11月、東京で開かれた第一回内国勧業博覧会に医療具を出品して受賞し[3]、翌1878年5月には軽気球をつくって人を乗せて飛ばすことに成功するなど、早くから新技術への挑戦を重ねた。[4]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1875年(明治8年)3月 初代島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら学術実験用理化学器械の修理・製造業を開始(京都市木屋町二条)
    • [2]創業期は京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった
    • [3]1877年(明治10年)11月 第一回内国勧業博覧会(東京)に医療具を出品して受賞
    • [4]1878年(明治11年)5月 軽気球をつくり人を乗せて飛ばすことに成功

事業の幅を広げたのは、初代源蔵の長男・梅次郎氏だった。梅次郎氏はのちに二代目島津源蔵を襲名して初代社長となり[5]、同社発展の基礎を築きあげ、『日本のエジソン』とも呼ばれた。1884年、梅次郎氏は16歳のとき独力でウィムシャースト式感応起電機をつくりあげている。[6]当時の島津の工場は『三高、京大の工作場』[引用元]と言われるほど学校に密着し、産学協同のはしりとも評された。二代源蔵は学校相手の理化学実験器械にとどまらず製品の種類と事業の幅を次々に広げ、1896年10月には自家製の感応起電機を高圧電源として、わが国最初のエックス線写真の撮影に成功。[7]翌1897年には極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成させた。[8]さらに1908年、国産で最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し、千葉国府台の陸軍衛戍病院に、二号機を日赤大津支部病院に納入している。[9]こうして島津の事業は、理化学器械のほかエックス線装置や蓄電池が加わって繁忙をきわめ、1906年4月には東京出張所、1909年10月には九州販売店を開設して国内販売網を広げた。[10]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [5]初代源蔵の長男・梅次郎氏はのちに二代目島津源蔵を襲名して初代社長となり「日本のエジソン」と呼ばれた
    • [6]1884年(明治17年)梅次郎氏が16歳で独力でウィムシャースト式感応起電機を製作
    • [7]1896年(明治29年)10月 自家製の感応起電機を高圧電源としてわが国最初のエックス線写真の撮影に成功
    • [8]1897年(明治30年)極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成
    • [9]1908年(明治41年)国産最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し千葉国府台の陸軍衛戍病院・日赤大津支部病院(二号機)に納入
    • [10]1906年(明治39年)4月 東京出張所、1909年(明治42年)10月 九州販売店を開設

1917年9月、株式会社島津製作所として法人格を取得した。本店は京都市木屋町二条、東京支店・大阪支店・福岡支店を設置し、創業時の小規模な工房から本格的な株式会社への組織転換を遂げた。[11]法人化は創業から42年を経ての株式会社化であり、資本金は200万円[12]。その3ヵ月前の1917年6月には、大きく成長した蓄電池部門を分離して日本電池(資本金350万円)を発足[13]させていた。新生・島津製作所は第一次世界大戦中の空前の好況期に遭遇して注文が殺到し、国内のみならずアメリカ・オーストラリア・南アフリカなどへも輸出して、創立第一期は3ヵ月の営業期間ながら4万5000円の純益をあげ1割強の配当を行った。[14]1919年10月には三条工場を開設して減速機の製造を始め[15]、理化学器械にとどまらず産業機器の製造に乗り出した。続いて1923年には材料試験機、1926年には化繊用のギヤポンプおよびノズルの製造を開始し[16]、理化学器械の専業企業から工業計測・産業機器を含む総合機器メーカーへの転換を進めた。

  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1917年9月 株式会社島津製作所設立(本店:京都市木屋町二条、東京・大阪・福岡支店設置)
    • [15]1919年10月 三条工場を開設し減速機の製造を開始(産業機器の製造を開始)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]法人化時の資本金は200万円
    • [13]1917年6月 蓄電池部門を分離し日本電池(資本金350万円)を発足
    • [14]創立第一期は3ヵ月の営業期間で純益4万5000円・1割強の配当。米・豪・南アフリカ等へ輸出
    • [16]1923年(大正12年)材料試験機、1926年(大正15年)化繊用ギヤポンプ・ノズルの製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1875年(明治8年)3月 初代島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら学術実験用理化学器械の修理・製造業を開始(京都市木屋町二条)
    • [2]創業期は京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった
    • [3]1877年(明治10年)11月 第一回内国勧業博覧会(東京)に医療具を出品して受賞
    • [4]1878年(明治11年)5月 軽気球をつくり人を乗せて飛ばすことに成功
    • [5]初代源蔵の長男・梅次郎氏はのちに二代目島津源蔵を襲名して初代社長となり「日本のエジソン」と呼ばれた
    • [6]1884年(明治17年)梅次郎氏が16歳で独力でウィムシャースト式感応起電機を製作
    • [7]1896年(明治29年)10月 自家製の感応起電機を高圧電源としてわが国最初のエックス線写真の撮影に成功
    • [8]1897年(明治30年)極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成
    • [9]1908年(明治41年)国産最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し千葉国府台の陸軍衛戍病院・日赤大津支部病院(二号機)に納入
    • [10]1906年(明治39年)4月 東京出張所、1909年(明治42年)10月 九州販売店を開設
    • [12]法人化時の資本金は200万円
    • [13]1917年6月 蓄電池部門を分離し日本電池(資本金350万円)を発足
    • [14]創立第一期は3ヵ月の営業期間で純益4万5000円・1割強の配当。米・豪・南アフリカ等へ輸出
    • [16]1923年(大正12年)材料試験機、1926年(大正15年)化繊用ギヤポンプ・ノズルの製造を開始
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1917年9月 株式会社島津製作所設立(本店:京都市木屋町二条、東京・大阪・福岡支店設置)
    • [15]1919年10月 三条工場を開設し減速機の製造を開始(産業機器の製造を開始)

京都・東京両証券取引所への上場と航空機器部門の新設

昭和に入っても島津製作所は毎年のように新製品の製造を始め、1938年には合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設している。[17]同じ1938年4月、京都証券取引所に株式上場し[18]、戦前期の地方上場企業として資本市場へのデビューを果たした。第二次世界大戦中は軍需品の製造にも従事し、1944年には紫野工場を開設した。[19]敗戦後の財閥解体・産業民主化を経て平和産業への復帰を進め、1947年には電子顕微鏡をわが国で最初に商品化している。[20]1949年5月、戦後復興期の東京証券取引所開設[21]に合わせて同所に上場し、京都・東京両証券取引所での公開を完了した。戦後の理化学・分析機器の需要拡大期にあたり、化学工業・製薬・大学研究機関の機器近代化の流れに乗って、島津製作所は分析機器メーカーとしての地位を固めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [17]1938年(昭和13年)合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設
    • [19]1944年(昭和19年)紫野工場を開設
    • [20]1947年(昭和22年)電子顕微鏡をわが国で最初に商品化
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1938年4月 京都証券取引所に株式上場
    • [21]1949年5月 東京証券取引所に株式上場

1956年10月、航空機器部門を新設[22]した。第二次世界大戦中の軍需品製造の経験を基盤に、戦後の航空機・防衛装備品の国産化政策にあわせて、航空機器・防衛分野への参入を行った。航空機の計器類、油圧装置、自衛隊機向け装備品の国産化が中心領域となり、計測機器・医用機器に加えて産業機器・航空機器の4セグメント体制の基盤が出来上がった。1962年1月には材料工場銑鉄鋳物部門を分離して島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立し[23]、1963年7月には京都計装(現島津システムソリューションズ)を設立[24]、1966年2月には大阪丸十放射線サービス(現島津メディカルシステムズ)を設立する[25]など、分社化による事業領域の細分化と専業化を行った。

  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1956年10月 航空機器部門を新設(航空・防衛分野への参入)
    • [23]1962年1月 材料工場銑鉄鋳物部門を分離し島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立
    • [24]1963年7月 京都計装株式会社(現島津システムソリューションズ)を設立
    • [25]1966年2月 大阪丸十放射線サービス株式会社(現島津メディカルシステムズ)を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [17]1938年(昭和13年)合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設
    • [19]1944年(昭和19年)紫野工場を開設
    • [20]1947年(昭和22年)電子顕微鏡をわが国で最初に商品化
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1938年4月 京都証券取引所に株式上場
    • [21]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [22]1956年10月 航空機器部門を新設(航空・防衛分野への参入)
    • [23]1962年1月 材料工場銑鉄鋳物部門を分離し島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立
    • [24]1963年7月 京都計装株式会社(現島津システムソリューションズ)を設立
    • [25]1966年2月 大阪丸十放射線サービス株式会社(現島津メディカルシステムズ)を設立

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島津製作所の沿革1917〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1875〜1955年京都の理化学器械製造業者からの法人化と航空機器・防衛参入島津製作所設立(本店:京都市木屋町二条)
三条工場を新設
京都証券取引所に株式上場
東京証券取引所に株式上場
1956〜2001年海外展開と分析機器メーカーとしての世界的地位の確立航空機器部門の新設と航空機・防衛装備品分野への参入

1956年10月、島津製作所は航空機器部門を新設し、航空機の計器類や油圧装置、自衛隊機向け装備品を手がける航空・防衛の分野へ入った。第二次世界大戦中の軍需品製造で得た技術を土台とし、計測機器・医用機器に続く事業の柱として置いた。翌1957年の事業部制採用と重なる、組織の組み替えの一部でもあった。

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★★★
材料工場銑鉄鋳物部門を分離し島津金属工業を設立
京都計装を設立
大阪丸十放射線サービスを設立
西独にSHIMADZU EUROPA GmbHを設立
理化器械部を分離し島津理化器械を設立
SHIMADZU SCIENTIFIC INSTRUMENTS,INC.を設立
SHIMADZU PRECISION INSTRUMENTS,INC.を設立
服部重彦KRATOS GROUP PLCを買収★★
服部重彦SHIMADZU(ASIA PACIFIC)PTE.LTD.を設立
服部重彦けいはんな研究所を新設
服部重彦天津島津液圧有限公司を設立
服部重彦中国に島津(香港)有限公司を設立
服部重彦島津国際貿易(上海)有限公司を設立
2002〜2025年田中耕一ノーベル賞・海外比率拡大・サステナビリティ経営への転換服部重彦田中耕一記念質量分析研究所を新設
服部重彦UAEにSHIMADZU MIDDLE EAST AND AFRICA FZEを設立
中本晃ウルグアイにSHIMADZU LATIN AMERICA S.A.を設立
上田輝久SHIMADZU SCIENTIFIC KOREA CORPORATIONを設立
上田輝久ヘルスケアR&Dセンター開設
山本靖則東京証券取引所プライム市場へ移行
山本靖則日水製薬の公開買付けによる取得と体外診断薬・臨床検査領域への参入

2022年5月31日、島津製作所は臨床診断薬メーカーの日水製薬に対する公開買付けの実施を発表した。買付価格は1株1,714円で、前日終値990円に73.13%のプレミアムを乗せた。市場からの取得と親会社・日本水産保有株の買い取りを組み合わせ、同年11月に日水製薬を完全子会社とし、体外診断薬・臨床検査領域へ参入した。

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★★★
山本靖則Shimadzu Tokyo Innovation Plaza開設
出典・参考
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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