1951年〜 戦前の会社を整理して再出発した国産X線装置メーカー(1951〜1970)
- 1951年 国産X線装置の製造販売を目的に東京・有楽町で理学電機を設立
- 1952年 回転対陰極型X線発生装置を開発
- 1954年 自動記録式X線回折装置を開発
- 1957年 自動記録式熱分析装置を開発
- 1960年 東京都昭島市松原町に拝島工場を新設
- 1961年 大阪府高槻市赤大路町に理学電機工業を設立
学究の徒が引き受けた再出発と研究室との近さ
理学電機は1951年12月、東京都千代田区有楽町に設立された[1]。事業目的は国産のX線装置の製造と販売[2]である。ただしこれは何も無いところから始めた創業ではなく、戦前からあった旧理学電機を整理したうえでの再出発[3]だった。当時、東京工業大学の物理教室でX線発生装置を組み立てていた星埜禎男氏は、1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使っており[4]、その会社が戦前の事業を整理して新しく出発すると聞いて三鷹の工場の倉庫を見に行った。倉庫には古い粉末カメラなどが残っていたものの、めぼしいものは見当たらなかった。初代社長には志村義博氏[6]が就いた。 [5]
- リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
- [1]理学電機は1951年12月に東京都千代田区有楽町で設立された
- [2]設立時の事業目的は国産X線装置の製造・販売
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [3]1951年の設立は戦前からあった旧理学電機(東京理学電機)を整理しての再出発だった
- [4]星埜禎男氏は1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使用していた
- [5]星埜氏は三鷹の工場の倉庫を見に行ったが、古い粉末カメラなどがあるだけでめぼしいものはなかった
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [6]初代社長は志村義博氏
志村義博社長は経営者でありながら研究者の側に身を置いた人物だった。同時代の研究者はその人柄を経済人には珍しい学究の徒[8]と評し、自ら大学の研究室に足を運んで研究動向を聞いて回る姿[9]を書き残した。実績は学位にも表れており、1960年12月に東京大学から工学博士の学位を受けた[10]。学位論文の題は「連続自動記録高低温X線回折装置の研究とその冶金学的応用[11]」であり、自社が売る装置そのものが研究対象だった。日本物理学会でも1957年から1969年にかけてX線回折装置や回転対陰極X線源に関する発表を重ねた[12]。 [7]
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [7]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
- [8]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
- [9]志村義博氏は自ら研究室に足を運び研究動向を聞いて回った
- 国立国会図書館サーチ 書誌(NDLビブID 000008568244、請求記号 UT51-48-D1554)
- [10]志村義博氏は1960年12月14日に東京大学から工学博士の学位を授与された
- [11]学位論文は「連続自動記録高低温X線回折装置の研究とその冶金学的応用」
- 国立国会図書館サーチ 著者検索(志村義博)2026年8月9日取得
- [12]志村義博氏は日本物理学会で1957年から1969年にかけてX線回折装置・回転対陰極X線源の発表を重ねた
再出発した時点の日本には、X線装置そのものが無かったわけではない[13]。島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を出しており[14]、X線装置そのものは遅くとも戦中から国産されていた。足りなかったのは自動で記録する装置のほうである。自動記録式のX線回折装置は1949年に輸入品として現れ、国産品が出るのは1954年[16]まで待つことになる。理学電機が年表に最初に登場するのは1952年で、回転対陰極形X線発生装置ロータフレックスがそれにあたる[17]。国内では島津製作所の回転対陰極X線発生装置が翌1953年[18]であり、この方式では理学電機が先行した。もっとも星埜氏は、理学電機が進めていたのは英国のTaylorが示した縦型ドラム式の回転対陰極X線発生装置の開発だった[19]と記しており、その1号機は後に東京大学物性研究所へ納められた。 [15]
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [13]分析機器年表では1943年に日本のX線装置の歴史が始まり、輸入に頼っていたのは自動記録式の回折装置だった
- [14]島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を発売した
- [15]自動記録式X線回折装置は1949年の輸入品が最初で、国産品の登場は1954年だった
- [16]自動記録式X線回折装置は1949年に輸入品として登場し、国産品は1954年
- [17]理学電機の年表初出は1952年の回転対陰極形X線発生装置ロータフレックス
- [18]島津製作所の回転対陰極X線発生装置は1953年で、理学電機が1年先行した
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [19]星埜禎男氏は理学電機がTaylor型の縦型ドラム式回転対陰極X線発生装置を開発しており、その1号機が東京大学物性研究所へ納入されたと記した
- リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
- [1]理学電機は1951年12月に東京都千代田区有楽町で設立された
- [2]設立時の事業目的は国産X線装置の製造・販売
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [3]1951年の設立は戦前からあった旧理学電機(東京理学電機)を整理しての再出発だった
- [4]星埜禎男氏は1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使用していた
- [5]星埜氏は三鷹の工場の倉庫を見に行ったが、古い粉末カメラなどがあるだけでめぼしいものはなかった
- [7]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
- [8]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
- [9]志村義博氏は自ら研究室に足を運び研究動向を聞いて回った
- [19]星埜禎男氏は理学電機がTaylor型の縦型ドラム式回転対陰極X線発生装置を開発しており、その1号機が東京大学物性研究所へ納入されたと記した
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [6]初代社長は志村義博氏
- 国立国会図書館サーチ 書誌(NDLビブID 000008568244、請求記号 UT51-48-D1554)
- [10]志村義博氏は1960年12月14日に東京大学から工学博士の学位を授与された
- [11]学位論文は「連続自動記録高低温X線回折装置の研究とその冶金学的応用」
- 国立国会図書館サーチ 著者検索(志村義博)2026年8月9日取得
- [12]志村義博氏は日本物理学会で1957年から1969年にかけてX線回折装置・回転対陰極X線源の発表を重ねた
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [13]分析機器年表では1943年に日本のX線装置の歴史が始まり、輸入に頼っていたのは自動記録式の回折装置だった
- [14]島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を発売した
- [15]自動記録式X線回折装置は1949年の輸入品が最初で、国産品の登場は1954年だった
- [16]自動記録式X線回折装置は1949年に輸入品として登場し、国産品は1954年
- [17]理学電機の年表初出は1952年の回転対陰極形X線発生装置ロータフレックス
- [18]島津製作所の回転対陰極X線発生装置は1953年で、理学電機が1年先行した
国産初の自動記録式X線回折装置と垂直軸の選択
1954年、理学電機は国産初の自動記録式X線回折装置ガイガーフレックス[20]を製品化した。1948年の時点でラボ用のX線回折装置の世界シェア首位はオランダ製の輸入品であり[21]、1949年に日本へ入った自記式の装置も輸入に頼っていた[22]。国産化の相手はフィリップス[23]だった。設計には東京大学の高良和武氏[24]が関わった。1960年2月には東京都昭島市松原町に拝島工場を新設[25]した。この地には後に1986年のリガク、1989年の理学メカトロニクス、1992年のX線研究所が置かれ、2021年には本社も移る[26]。フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知った高良氏が、理学電機でも造ろうという相談を受けた[27]のが始まりである。輸入品をそのまま写す道もあったが、両者は装置の基本構成で異なる選択をした[28]。
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [20]1954年の自動記録式X線回折装置(ガイガーフレックス)は国産初
- [21]1948年のラボ用X線回折装置はシェア世界トップが輸入品(オランダ製)だった
- [22]1949年の自記式X線回折装置はコロンビヤ貿易/ノレルコの輸入品だった
- [23]1948年に世界シェア首位だったラボ用X線回折装置はフィリップス製で、1949年に輸入された自記式装置もコロンビヤ貿易/ノレルコ(フィリップス系)だった
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [24]設計に東京大学の高良和武氏が関与した
- [27]フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知り、高良氏が理学電機から相談を受けた
- [28]フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平、理学電機は垂直軸とし、装置の基本構成が異なった
- リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
- [25]1960年2月に東京都昭島市松原町へ拝島工場を新設した
- [26]昭島市松原町には1986年9月にリガク、1989年2月に理学メカトロニクス、1992年4月にリガクX線研究所が置かれ、2021年6月に本社が移転した
フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平に置いていたのに対し、理学電機は垂直軸を選んだ[29]。この選択によって試料の加熱炉を据えるのが容易になり、測定装置の回転運動の精度も上がった[30]と高良氏は伝えている。精度を支える部品も国内で探した。高良氏は大枚を投じて米国から回転機構を持ち帰っていたが、まもなく米国が輸出を禁じた。そこで米国製に負けない精度を求めて全国の大学や民間会社を回り、日本精工が既製品のなかから出した最高のものが米国製に劣らないと確かめた[32]。精密測定のために恒温で無震動の実験室まで理学電機が用意しており[33]、志村義博社長は後に、贅沢過ぎるものを造ったと語った。 [31]
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [29]フィリップスは回転軸を水平、理学電機は垂直軸を採用した
- [30]垂直軸の採用で試料の加熱炉の設置が容易になり、回転運動の精度も向上した
- [31]高良和武氏は大枚を投じて米国製ボールベアリングを日本へ持ち帰ったが、まもなく米国が輸出禁止とし、国内で代替を探した
- [32]高良和武氏が全国の大学や民間会社を回り、日本精工の既製品が米国製に劣らない精度を持つと確認した
- [33]精密測定用に恒温・無震動の実験室を理学電機が用意した
選択の当否は海外で確かめられた。高良氏が米国のベル研究所を訪ねた際、X線回折の権威であるバッターマン教授から、理学電機とフィリップスの回折装置を比べると理学電機のほうが優れていたと告げられた[35]。装置の系列もこの時期に広がった。1954年には回折装置に付ける走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にはX線応力測定装置ストレンフレックスが加わり[37]、1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初に載る国産機となった[38]。島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは翌1958年[39]である。 [34][36]
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [34]高良和武氏は米ベル研究所でX線回折の世界的権威バッターマン教授から評価を伝えられた
- [35]高良和武氏はベル研究所でバッターマン教授から理学電機の装置のほうが優れていたと言われた
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [36]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3が加わり製品系列が広がった
- [37]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にX線応力測定装置ストレンフレックスを製品化した
- [38]1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初のエントリ
- [39]島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは1958年
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [20]1954年の自動記録式X線回折装置(ガイガーフレックス)は国産初
- [21]1948年のラボ用X線回折装置はシェア世界トップが輸入品(オランダ製)だった
- [22]1949年の自記式X線回折装置はコロンビヤ貿易/ノレルコの輸入品だった
- [23]1948年に世界シェア首位だったラボ用X線回折装置はフィリップス製で、1949年に輸入された自記式装置もコロンビヤ貿易/ノレルコ(フィリップス系)だった
- [36]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3が加わり製品系列が広がった
- [37]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にX線応力測定装置ストレンフレックスを製品化した
- [38]1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初のエントリ
- [39]島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは1958年
- リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
- [24]設計に東京大学の高良和武氏が関与した
- [27]フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知り、高良氏が理学電機から相談を受けた
- [28]フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平、理学電機は垂直軸とし、装置の基本構成が異なった
- [29]フィリップスは回転軸を水平、理学電機は垂直軸を採用した
- [30]垂直軸の採用で試料の加熱炉の設置が容易になり、回転運動の精度も向上した
- [31]高良和武氏は大枚を投じて米国製ボールベアリングを日本へ持ち帰ったが、まもなく米国が輸出禁止とし、国内で代替を探した
- [32]高良和武氏が全国の大学や民間会社を回り、日本精工の既製品が米国製に劣らない精度を持つと確認した
- [33]精密測定用に恒温・無震動の実験室を理学電機が用意した
- [34]高良和武氏は米ベル研究所でX線回折の世界的権威バッターマン教授から評価を伝えられた
- [35]高良和武氏はベル研究所でバッターマン教授から理学電機の装置のほうが優れていたと言われた
- リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
- [25]1960年2月に東京都昭島市松原町へ拝島工場を新設した
- [26]昭島市松原町には1986年9月にリガク、1989年2月に理学メカトロニクス、1992年4月にリガクX線研究所が置かれ、2021年6月に本社が移転した
研究者の注文が製品を決めた強力X線源
理学電機の製品は、研究者からの注文が先にあって形になることが多かった[40]。1965年には計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置を製品化した[41]。星埜禎男氏は、1968年ごろには米国のGEやオランダのフィリップスに次いで計算機で制御する単結晶4軸自動X線回折装置の商品化に至り、名実ともに世界的な専門メーカーへ成長した[42]と書き残した。注文が装置を生んだ例もある。1967年、当時NHK放送科学基礎研究所にいた千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源の製作を発注した[44]。千川氏は後年、研究のニーズから新製品をという情熱を志村義博社長が掲げ、研究者の夢に応える社風があった[45]と振り返り、社長自身が強力X線発生装置は是非とも作りたい、どこからか開発依頼が来るのをずっと待っていた[46]と応じたと記した。 [43]
- 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
- [40]千川純一氏は志村義博社長が「研究のニーズから新製品を」と情熱を掲げ研究者の夢に応える社風だったと回想している
- [43]千川純一氏は1967年に世界最大級の回転対陰極X線発生装置を理学電機へ発注した
- [44]1967年にNHK基礎研究所の千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源を発注した
- [45]千川氏は「研究のニーズから新製品を」という志村義博社長の姿勢と、研究者の夢に応える社風を回想している
- [46]志村義博社長は強力X線発生装置の開発依頼を待っていたと応じた
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [41]1965年に計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置(AFC)を製品化した
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [42]星埜禎男氏は1968年頃にGE・Philipsに次いで計算機制御の単結晶4軸自動X線回折装置を商品化し「名実共に世界的な専門メーカーに成長して行った」と評価した
注文は装置の水準を押し上げた。1968年、志村義博社長らは60キロボルト・500ミリアンペア、陽極直径400ミリメートルの回転対陰極X線発生装置を発表した[48]。この装置はそれまでのものと比べてX線の出力を飛躍的に増やし、出力で約10倍、真空度でおよそ2桁の向上を果たした[49]。強力なX線源を使って確立された高速X線トポグラフィ装置は米国、ソ連、ドイツへ輸出され、国内では北海道大学、東北大学、名古屋大学をはじめ主な大学に順に設置された[50]。半導体企業でも結晶品質や工程の改善に使われ、成果は1972年の京都での国際結晶学会で発表された[51]。その席では英国の研究者から、強いX線を使うのは卑怯だと評された[52]。1969年には日本原子力研究所のJRR-3原子炉[53]に置かれた中性子回折用の小型回折装置についても、ゴニオメーターヘッドを据える回転台を理学電機が製作した。 [47]
- 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
- [47]千川純一氏の1967年の発注を受けて1968年の60kV・500mA回転対陰極X線発生装置が生まれた
- [50]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連・ドイツへ輸出され、国内では北海道大学・東北大学・名古屋大学など主要大学に設置された
- [51]半導体企業でも結晶品質や工程改善に利用され、1972年の京都の国際結晶学会で成果が発表された
- [52]1972年京都の国際結晶学会での発表に対し英国の著名な研究者が「強いX線を使うのは卑怯」と発言した
- 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
- [48]1968年に60kV・500mA、陽極直径400mmの回転対陰極X線発生装置を発表した
- [49]従来装置に比べ出力は約10倍、真空度は約2桁向上した
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [53]1969年に日本原子力研究所JRR-3の中性子回折用小型回折装置のゴニオメーターヘッド設置回転台を製作した
- 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
- [40]千川純一氏は志村義博社長が「研究のニーズから新製品を」と情熱を掲げ研究者の夢に応える社風だったと回想している
- [43]千川純一氏は1967年に世界最大級の回転対陰極X線発生装置を理学電機へ発注した
- [44]1967年にNHK基礎研究所の千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源を発注した
- [45]千川氏は「研究のニーズから新製品を」という志村義博社長の姿勢と、研究者の夢に応える社風を回想している
- [46]志村義博社長は強力X線発生装置の開発依頼を待っていたと応じた
- [47]千川純一氏の1967年の発注を受けて1968年の60kV・500mA回転対陰極X線発生装置が生まれた
- [50]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連・ドイツへ輸出され、国内では北海道大学・東北大学・名古屋大学など主要大学に設置された
- [51]半導体企業でも結晶品質や工程改善に利用され、1972年の京都の国際結晶学会で成果が発表された
- [52]1972年京都の国際結晶学会での発表に対し英国の著名な研究者が「強いX線を使うのは卑怯」と発言した
- 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
- [41]1965年に計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置(AFC)を製品化した
- 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
- [42]星埜禎男氏は1968年頃にGE・Philipsに次いで計算機制御の単結晶4軸自動X線回折装置を商品化し「名実共に世界的な専門メーカーに成長して行った」と評価した
- [53]1969年に日本原子力研究所JRR-3の中性子回折用小型回折装置のゴニオメーターヘッド設置回転台を製作した
- 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
- [48]1968年に60kV・500mA、陽極直径400mmの回転対陰極X線発生装置を発表した
- [49]従来装置に比べ出力は約10倍、真空度は約2桁向上した