リガク・ホールディングス の歴史

更新: Author:

創業 1951年
創業者 志村義博
創業地 東京都千代田区有楽町
創業
1951年12月、東京都千代田区有楽町に、国産X線装置の製造販売を目的として理学電機が設立された。初代社長の志村義博氏は1960年に東京大学から工学博士の学位を受けた研究者でもあり、自ら研究室を回って動向を聞いた。1954年に出した国産初の自動記録式X線回折装置は東京大学の高良和武氏との協働から生まれ、1967年にはNHK放送科学基礎研究所からの発注が世界最大級の強力X線源につながる。装置1台の単価は高く、買い手は大学と研究機関、企業の研究部門に限られた。注文主の求める仕様をその都度形にする売り方は、この時期に定まった。
決断
後継者を社内に置かないまま、株主を入れ替えて承継した。志村晶氏はマサチューセッツ工科大学の在学中に父・義博氏の急逝で社長を継ぎ、以後50年にわたり全株式を保有したまま経営した。親族への継承は内紛を、事業会社への完全売却は従業員の離散を招くと見て、2021年3月にカーライル・グループとの共同出資へ株式を譲渡した。カーライル・グループが約80%、志村氏が約20%を持つ持株会社がリガク株の過半を取得し、創業家は資本に残った。2024年10月には東京証券取引所プライム市場へ上場し、73年続いた非公開の会社が公開会社になっている。売り手が資本に残る形を選んだことが、事業の売却ではなく経営の交代として承継を成立させた。
現況
三つに分けた事業のうち、伸びているのは半導体だけである。2025年12月期の連結売上高941億円は、多目的分析機器が404億円で43%、半導体プロセス・コントロール機器が278億円で30%、部品・サービスが259億円で28%を占めた。前期と比べると多目的分析機器は413億円から減り、部品・サービスは横ばいで、半導体だけが234億円から19%伸びている。この領域へは2019年にイスラエルのXwinSys Technology Developmentを買収して参入した。営業利益は167億円、営業利益率は17.7%であった。研究者の注文で作ってきた装置を量産ラインへ持ち込んだことが、成長の速度を研究予算の増減から半導体の設備投資の循環へ移した。
競合
世界2,000億円の市場で25%を持ち、その外へは出ていない。X線分析装置の主要な競合はドイツのブルカーとオランダのパナリティカルで、実質は3社の寡占に近い。2021年時点で日本市場は約250億円、そのうち約60%をリガクが占めた。半導体では米KLAが製品の幅で先行するが、リガク自身はKLAを検査の会社で計測が主ではないと整理し、X線と光学の双方に深い要素技術を持つ企業はないと決算説明会で述べている。2026年4月には光学計測に強い米Onto Innovationと資本業務提携を結び、カーライル系ファンドの持分27%を譲った。競合を買収するのではなく補完する側を株主に迎えたことが、自社に無い光学の技術を提携で使える形を作った。
リガク・ホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2021年12月期2025年12月期

創業ストーリー 戦前の会社を整理して再出発した国産X線装置メーカー(1951〜1970) (1951年〜)

学究の徒が引き受けた再出発と研究室との近さ

理学電機は1951年12月、東京都千代田区有楽町に設立された[1]。事業目的は国産のX線装置の製造と販売[2]である。ただしこれは何も無いところから始めた創業ではなく、戦前からあった旧理学電機を整理したうえでの再出発[3]だった。当時、東京工業大学の物理教室でX線発生装置を組み立てていた星埜禎男氏は、1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使っており[4]、その会社が戦前の事業を整理して新しく出発すると聞いて三鷹の工場の倉庫を見に行った。倉庫には古い粉末カメラなどが残っていたものの、めぼしいものは見当たらなかった[5]。初代社長には志村義博[6]が就いた。

  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [1]理学電機は1951年12月に東京都千代田区有楽町で設立された
    • [2]設立時の事業目的は国産X線装置の製造・販売
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [3]1951年の設立は戦前からあった旧理学電機(東京理学電機)を整理しての再出発だった
    • [4]星埜禎男氏は1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使用していた
    • [5]星埜氏は三鷹の工場の倉庫を見に行ったが、古い粉末カメラなどがあるだけでめぼしいものはなかった
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [6]初代社長は志村義博氏

志村義博社長は経営者でありながら研究者の側に身を置いた人物だった。同時代の研究者はその人柄を[7]経済人には珍しい学究の徒[8]と評し、自ら大学の研究室に足を運んで研究動向を聞いて回る姿[9]を書き残した。実績は学位にも表れており、1960年12月に東京大学から工学博士の学位を受けた[10]。学位論文の題は『連続自動記録高低温X線回折装置の研究とその冶金学的応用』[引用元]であり、自社が売る装置そのものが研究対象だった。日本物理学会でも1957年から1969年にかけてX線回折装置や回転対陰極X線源に関する発表を重ねた[11]

  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [7]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
    • [8]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
    • [9]志村義博氏は自ら研究室に足を運び研究動向を聞いて回った
  • 国立国会図書館サーチ 書誌(NDLビブID 000008568244、請求記号 UT51-48-D1554)
    • [10]志村義博氏は1960年12月14日に東京大学から工学博士の学位を授与された
  • 国立国会図書館サーチ 著者検索(志村義博)2026年8月9日取得
    • [11]志村義博氏は日本物理学会で1957年から1969年にかけてX線回折装置・回転対陰極X線源の発表を重ねた

再出発した時点の日本には、X線装置そのものが無かったわけではない[12]。島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を出しており[13]、X線装置そのものは遅くとも戦中から国産されていた。足りなかったのは自動で記録する装置のほうである。自動記録式のX線回折装置は[14]1949年に輸入品として現れ、国産品が出るのは1954年[15]まで待つことになる。理学電機が年表に最初に登場するのは1952年で、回転対陰極形X線発生装置ロータフレックスがそれにあたる[16]。国内では島津製作所の回転対陰極X線発生装置が翌1953年[17]であり、この方式では理学電機が先行した。もっとも星埜氏は、理学電機が進めていたのは英国のTaylorが示した縦型ドラム式の回転対陰極X線発生装置の開発だった[18]と記しており、その1号機は後に東京大学物性研究所へ納められた。

  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [12]分析機器年表では1943年に日本のX線装置の歴史が始まり、輸入に頼っていたのは自動記録式の回折装置だった
    • [13]島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を発売した
    • [14]自動記録式X線回折装置は1949年の輸入品が最初で、国産品の登場は1954年だった
    • [15]自動記録式X線回折装置は1949年に輸入品として登場し、国産品は1954年
    • [16]理学電機の年表初出は1952年の回転対陰極形X線発生装置ロータフレックス
    • [17]島津製作所の回転対陰極X線発生装置は1953年で、理学電機が1年先行した
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [18]星埜禎男氏は理学電機がTaylor型の縦型ドラム式回転対陰極X線発生装置を開発しており、その1号機が東京大学物性研究所へ納入されたと記した
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [1]理学電機は1951年12月に東京都千代田区有楽町で設立された
    • [2]設立時の事業目的は国産X線装置の製造・販売
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [3]1951年の設立は戦前からあった旧理学電機(東京理学電機)を整理しての再出発だった
    • [4]星埜禎男氏は1948年ごろに旧理学電機の未封入管球を使用していた
    • [5]星埜氏は三鷹の工場の倉庫を見に行ったが、古い粉末カメラなどがあるだけでめぼしいものはなかった
    • [7]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
    • [8]同時代の研究者は志村義博氏を「経済人には珍しい学究の徒」と評した
    • [9]志村義博氏は自ら研究室に足を運び研究動向を聞いて回った
    • [18]星埜禎男氏は理学電機がTaylor型の縦型ドラム式回転対陰極X線発生装置を開発しており、その1号機が東京大学物性研究所へ納入されたと記した
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [6]初代社長は志村義博氏
  • 国立国会図書館サーチ 書誌(NDLビブID 000008568244、請求記号 UT51-48-D1554)
    • [10]志村義博氏は1960年12月14日に東京大学から工学博士の学位を授与された
  • 国立国会図書館サーチ 著者検索(志村義博)2026年8月9日取得
    • [11]志村義博氏は日本物理学会で1957年から1969年にかけてX線回折装置・回転対陰極X線源の発表を重ねた
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [12]分析機器年表では1943年に日本のX線装置の歴史が始まり、輸入に頼っていたのは自動記録式の回折装置だった
    • [13]島津製作所は1950年にX線回折装置SX-50形を発売した
    • [14]自動記録式X線回折装置は1949年の輸入品が最初で、国産品の登場は1954年だった
    • [15]自動記録式X線回折装置は1949年に輸入品として登場し、国産品は1954年
    • [16]理学電機の年表初出は1952年の回転対陰極形X線発生装置ロータフレックス
    • [17]島津製作所の回転対陰極X線発生装置は1953年で、理学電機が1年先行した

国産初の自動記録式X線回折装置と垂直軸の選択

1954年、理学電機は国産初の自動記録式X線回折装置ガイガーフレックス[19]を製品化した。1948年の時点でラボ用のX線回折装置の世界シェア首位はオランダ製の輸入品であり[20]、1949年に日本へ入った自記式の装置も輸入に頼っていた[21]。国産化の相手はフィリップス[22]だった。設計には東京大学の高良和武氏[23]が関わった。1960年2月には東京都昭島市松原町に拝島工場を新設[24]した。この地には後に1986年のリガク、1989年の理学メカトロニクス、1992年のX線研究所が置かれ、2021年には本社も移る[25]。フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知った高良氏が、理学電機でも造ろうという相談を受けた[26]のが始まりである。輸入品をそのまま写す道もあったが、両者は装置の基本構成で異なる選択をした[27]

  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [19]1954年の自動記録式X線回折装置(ガイガーフレックス)は国産初
    • [20]1948年のラボ用X線回折装置はシェア世界トップが輸入品(オランダ製)だった
    • [21]1949年の自記式X線回折装置はコロンビヤ貿易/ノレルコの輸入品だった
    • [22]1948年に世界シェア首位だったラボ用X線回折装置はフィリップス製で、1949年に輸入された自記式装置もコロンビヤ貿易/ノレルコ(フィリップス系)だった
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [23]設計に東京大学の高良和武氏が関与した
    • [26]フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知り、高良氏が理学電機から相談を受けた
    • [27]フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平、理学電機は垂直軸とし、装置の基本構成が異なった
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [24]1960年2月に東京都昭島市松原町へ拝島工場を新設した
    • [25]昭島市松原町には1986年9月にリガク、1989年2月に理学メカトロニクス、1992年4月にリガクX線研究所が置かれ、2021年6月に本社が移転した

フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平に置いていたのに対し、理学電機は垂直軸を選んだ[28]。この選択によって試料の加熱炉を据えるのが容易になり、測定装置の回転運動の精度も上がった[29]と高良氏は伝えている。精度を支える部品も国内で探した。高良氏は大枚を投じて米国から回転機構を持ち帰っていたが、まもなく米国が輸出を禁じた[30]。そこで米国製に負けない精度を求めて全国の大学や民間会社を回り、日本精工が既製品のなかから出した最高のものが米国製に劣らないと確かめた[31]。精密測定のために恒温で無震動の実験室まで理学電機が用意しており[32]志村義博社長は後に、贅沢過ぎるものを造ったと語った。

  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [28]フィリップスは回転軸を水平、理学電機は垂直軸を採用した
    • [29]垂直軸の採用で試料の加熱炉の設置が容易になり、回転運動の精度も向上した
    • [30]高良和武氏は大枚を投じて米国製ボールベアリングを日本へ持ち帰ったが、まもなく米国が輸出禁止とし、国内で代替を探した
    • [31]高良和武氏が全国の大学や民間会社を回り、日本精工の既製品が米国製に劣らない精度を持つと確認した
    • [32]精密測定用に恒温・無震動の実験室を理学電機が用意した

選択の当否は海外で確かめられた。高良氏が米国のベル研究所を訪ねた際、X線回折の権威である[33]バッターマン教授から、理学電機とフィリップスの回折装置を比べると理学電機のほうが優れていたと告げられた[34]。装置の系列もこの時期に広がった。1954年[35]には回折装置に付ける走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にはX線応力測定装置ストレンフレックスが加わり[36]、1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初に載る国産機となった[37]。島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは翌1958年[38]である。

  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [33]高良和武氏は米ベル研究所でX線回折の世界的権威バッターマン教授から評価を伝えられた
    • [34]高良和武氏はベル研究所でバッターマン教授から理学電機の装置のほうが優れていたと言われた
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [35]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3が加わり製品系列が広がった
    • [36]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にX線応力測定装置ストレンフレックスを製品化した
    • [37]1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初のエントリ
    • [38]島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは1958年
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [19]1954年の自動記録式X線回折装置(ガイガーフレックス)は国産初
    • [20]1948年のラボ用X線回折装置はシェア世界トップが輸入品(オランダ製)だった
    • [21]1949年の自記式X線回折装置はコロンビヤ貿易/ノレルコの輸入品だった
    • [22]1948年に世界シェア首位だったラボ用X線回折装置はフィリップス製で、1949年に輸入された自記式装置もコロンビヤ貿易/ノレルコ(フィリップス系)だった
    • [35]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3が加わり製品系列が広がった
    • [36]1954年に走査型蛍光X線分析装置K-3、1955年にX線応力測定装置ストレンフレックスを製品化した
    • [37]1957年の自動記録式熱分析装置サーモフレックスは分析機器年表の熱分析装置欄で最初のエントリ
    • [38]島津製作所の自記示差熱分析装置DT-1Aは1958年
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [23]設計に東京大学の高良和武氏が関与した
    • [26]フィリップスがガイガー計数管式の粉末X線回折強度測定装置を開発したことを知り、高良氏が理学電機から相談を受けた
    • [27]フィリップスは試料と計数管の回転軸を水平、理学電機は垂直軸とし、装置の基本構成が異なった
    • [28]フィリップスは回転軸を水平、理学電機は垂直軸を採用した
    • [29]垂直軸の採用で試料の加熱炉の設置が容易になり、回転運動の精度も向上した
    • [30]高良和武氏は大枚を投じて米国製ボールベアリングを日本へ持ち帰ったが、まもなく米国が輸出禁止とし、国内で代替を探した
    • [31]高良和武氏が全国の大学や民間会社を回り、日本精工の既製品が米国製に劣らない精度を持つと確認した
    • [32]精密測定用に恒温・無震動の実験室を理学電機が用意した
    • [33]高良和武氏は米ベル研究所でX線回折の世界的権威バッターマン教授から評価を伝えられた
    • [34]高良和武氏はベル研究所でバッターマン教授から理学電機の装置のほうが優れていたと言われた
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [24]1960年2月に東京都昭島市松原町へ拝島工場を新設した
    • [25]昭島市松原町には1986年9月にリガク、1989年2月に理学メカトロニクス、1992年4月にリガクX線研究所が置かれ、2021年6月に本社が移転した

研究者の注文が製品を決めた強力X線源

理学電機の製品は、研究者からの注文が先にあって形になることが多かった[39]。1965年には計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置を製品化した[40]。星埜禎男氏は、1968年ごろには米国のGEやオランダのフィリップスに次いで計算機で制御する単結晶4軸自動X線回折装置の商品化に至り、名実ともに世界的な専門メーカーへ成長した[41]と書き残した。注文が装置を生んだ例もある。1967年[42]、当時NHK放送科学基礎研究所にいた千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源の製作を発注した[43]。千川氏は後年、研究のニーズから新製品をという情熱を志村義博社長が掲げ、研究者の夢に応える社風があった[44]と振り返り、社長自身が強力X線発生装置は是非とも作りたい、どこからか開発依頼が来るのをずっと待っていた[45]と応じたと記した。

  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [39]千川純一氏は志村義博社長が「研究のニーズから新製品を」と情熱を掲げ研究者の夢に応える社風だったと回想している
    • [42]千川純一氏は1967年に世界最大級の回転対陰極X線発生装置を理学電機へ発注した
    • [43]1967年にNHK基礎研究所の千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源を発注した
    • [44]千川氏は「研究のニーズから新製品を」という志村義博社長の姿勢と、研究者の夢に応える社風を回想している
    • [45]志村義博社長は強力X線発生装置の開発依頼を待っていたと応じた
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [40]1965年に計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置(AFC)を製品化した
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [41]星埜禎男氏は1968年頃にGE・Philipsに次いで計算機制御の単結晶4軸自動X線回折装置を商品化し「名実共に世界的な専門メーカーに成長して行った」と評価した

注文は装置の水準を押し上げた。1968年、志村義博社長らは[46]60キロボルト・500ミリアンペア、陽極直径400ミリメートルの回転対陰極X線発生装置を発表した[47]。この装置はそれまでのものと比べてX線の出力を飛躍的に増やし、出力で約10倍、真空度でおよそ2桁の向上を果たした[48]。強力なX線源を使って確立された高速X線トポグラフィ装置は米国、ソ連、ドイツへ輸出され、国内では北海道大学、東北大学、名古屋大学をはじめ主な大学に順に設置された[49]。半導体企業でも結晶品質や工程の改善に使われ、成果は1972年の京都での国際結晶学会で発表された[50]。その席では英国の研究者から、強いX線を使うのは卑怯だと評された[51]。1969年には日本原子力研究所のJRR-3原子炉[52]に置かれた中性子回折用の小型回折装置についても、ゴニオメーターヘッドを据える回転台を理学電機が製作した。

  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [46]千川純一氏の1967年の発注を受けて1968年の60kV・500mA回転対陰極X線発生装置が生まれた
    • [49]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連・ドイツへ輸出され、国内では北海道大学・東北大学・名古屋大学など主要大学に設置された
    • [50]半導体企業でも結晶品質や工程改善に利用され、1972年の京都の国際結晶学会で成果が発表された
    • [51]1972年京都の国際結晶学会での発表に対し英国の著名な研究者が「強いX線を使うのは卑怯」と発言した
  • 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
    • [47]1968年に60kV・500mA、陽極直径400mmの回転対陰極X線発生装置を発表した
    • [48]従来装置に比べ出力は約10倍、真空度は約2桁向上した
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [52]1969年に日本原子力研究所JRR-3の中性子回折用小型回折装置のゴニオメーターヘッド設置回転台を製作した
  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [39]千川純一氏は志村義博社長が「研究のニーズから新製品を」と情熱を掲げ研究者の夢に応える社風だったと回想している
    • [42]千川純一氏は1967年に世界最大級の回転対陰極X線発生装置を理学電機へ発注した
    • [43]1967年にNHK基礎研究所の千川純一氏が世界最大級の回転対陰極X線源を発注した
    • [44]千川氏は「研究のニーズから新製品を」という志村義博社長の姿勢と、研究者の夢に応える社風を回想している
    • [45]志村義博社長は強力X線発生装置の開発依頼を待っていたと応じた
    • [46]千川純一氏の1967年の発注を受けて1968年の60kV・500mA回転対陰極X線発生装置が生まれた
    • [49]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連・ドイツへ輸出され、国内では北海道大学・東北大学・名古屋大学など主要大学に設置された
    • [50]半導体企業でも結晶品質や工程改善に利用され、1972年の京都の国際結晶学会で成果が発表された
    • [51]1972年京都の国際結晶学会での発表に対し英国の著名な研究者が「強いX線を使うのは卑怯」と発言した
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [40]1965年に計算機を組み込んだ単結晶自動X線回折装置(AFC)を製品化した
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [41]星埜禎男氏は1968年頃にGE・Philipsに次いで計算機制御の単結晶4軸自動X線回折装置を商品化し「名実共に世界的な専門メーカーに成長して行った」と評価した
    • [52]1969年に日本原子力研究所JRR-3の中性子回折用小型回折装置のゴニオメーターヘッド設置回転台を製作した
  • 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
    • [47]1968年に60kV・500mA、陽極直径400mmの回転対陰極X線発生装置を発表した
    • [48]従来装置に比べ出力は約10倍、真空度は約2桁向上した

MITから呼び戻された二代目と同じ年の米国進出

1971年、志村義博社長が急逝した[53]。長く付き合いのあった研究者が突然の訃報に接するほどの急な死[54]だった。東京大学の高良和武氏は、1番2番を競わず誰もやらないことをやろうと考えるようになった自らの志を支えた恩人の一人として志村義博社長を挙げ[55]、回転対陰極X線源や回折装置を貸してもらった際に、会社が潰れそうになったら取り返しに来ますからと笑って言われた[56]と書き残した。跡を継いだのは長男の志村晶氏である。当時マサチューセッツ工科大学の3年に在学中で、学業の途中で社長に就いた[57]志村晶氏はこの年から2021年6月に社長を退くまで、およそ50年にわたって同社を率いた[58]。2021年1月の時点で72歳[59]であり、経営者としての生涯のほとんどをこの一社に費やした。

  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [53]志村義博社長は1971年に逝去した
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [54]星埜禎男氏は「1971年に、突然志村さんの訃報に接することになった」と記している
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [55]高良和武氏は「1番2番を競わない、誰もやらないことをやろう」という志を支えた恩人の一人に志村義博氏を挙げた
    • [56]志村義博氏は高良氏に回転対陰極X線源や回折装置を貸し、「会社が潰れそうになったら、取り返しに来ますから」と笑って言った
  • MARR 2021年5月号(2021年4月15日)
    • [57]二代目社長は長男の志村晶氏で、MIT3年在学中の1971年に就任した
  • カーライル・グループ プレスリリース 2021年1月6日
    • [58]志村晶氏は1971年から2021年6月に社長を退くまで約50年にわたり同社を率いた
  • 日刊工業新聞 2021年1月25日
    • [59]志村晶氏は2021年1月時点で72歳、約50年間トップを務めた

代替わりと同じ1971年10月、理学電機は米国マサチューセッツ州に営業所Rigaku USAを置いた[60]。翌1972年3月にこれを支店へ格上げし[61]、同年7月には現地の法人として法人化した。国内の研究者を相手にしてきた会社が、創業から20年で海外の顧客に直接向き合う体制へ移った。就任したばかりの二代目が米国に拠点を置いた[62]背景には、装置がすでに海外で通用していたという事実がある。前年までに納めた強力X線源と高速X線トポグラフィ装置は、米国やソ連へ渡っていた[63]。営業所を置いてから現地法人にするまでに要した時間は9か月[64]だった。1975年7月には東京都西多摩郡羽村町に理学流通サービスセンターを設け[65]、納めたあとの部品供給と保守を担わせた[66]

  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [60]1971年10月に米国マサチューセッツ州にRigaku USA営業所を設立した
    • [61]1972年3月に支店化、同年7月にRigaku USA, Inc.として法人化した
    • [62]1951年12月の設立から20年後の1971年10月に、二代目社長のもとで米国マサチューセッツ州へ営業所を設けた
    • [64]1971年10月の営業所設立から1972年7月の法人化まで9か月だった
    • [65]1975年7月に東京都西多摩郡羽村町へ理学流通サービスセンターを設立した
  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [63]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連などへ輸出されていた
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【事業の内容】
    • [66]既納製品に対する消耗品・交換部品の供給や修理・点検等のアフター・サービスを提供している

装置の大型化はその後も続き、1978年には出力90キロワットの超強力X線発生装置RU-1500を製品化した[67]。1968年の60キロボルト・500ミリアンペア機が30キロワットにあたる[68]ので、10年で出力は3倍になった。X線技術史をたどった研究は、同じ1978年に名古屋大学へ設置された90キロワット級の装置を、回転陽極に電子を当ててX線を得る方式として世界最大級とし、20年を経た1998年の時点でもなお世界の首位に置いている[69]。ただしその装置の製造者は明示されておらず[70]、RU-1500と同じものかどうかは確かめられない。1952年のロータフレックスから四半世紀をかけて[71]、理学電機は強力X線源の出力を押し上げ続けた。

  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [67]1978年に超強力X線発生装置RU-1500(90kW)を製品化した
    • [71]分析機器年表での理学電機の初出は1952年のロータフレックスで、1978年に90kWのRU-1500を製品化した
  • 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
    • [68]1968年機は60kV・500mAで30kW相当、1978年のRU-1500は90kWで、10年間に出力は3倍になった
    • [69]1978年設置の90kW級装置は回転陽極方式として世界最大級であり、20年後も世界チャンピオンと評された
    • [70]小野論文は当該装置を「名古屋大学実験施設(1978)」と記すのみで、装置名RU-1500を明示していない
  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
    • [53]志村義博社長は1971年に逝去した
    • [63]高速X線トポグラフィ装置は米国・ソ連などへ輸出されていた
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
    • [54]星埜禎男氏は「1971年に、突然志村さんの訃報に接することになった」と記している
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
    • [55]高良和武氏は「1番2番を競わない、誰もやらないことをやろう」という志を支えた恩人の一人に志村義博氏を挙げた
    • [56]志村義博氏は高良氏に回転対陰極X線源や回折装置を貸し、「会社が潰れそうになったら、取り返しに来ますから」と笑って言った
  • MARR 2021年5月号(2021年4月15日)
    • [57]二代目社長は長男の志村晶氏で、MIT3年在学中の1971年に就任した
  • カーライル・グループ プレスリリース 2021年1月6日
    • [58]志村晶氏は1971年から2021年6月に社長を退くまで約50年にわたり同社を率いた
  • 日刊工業新聞 2021年1月25日
    • [59]志村晶氏は2021年1月時点で72歳、約50年間トップを務めた
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [60]1971年10月に米国マサチューセッツ州にRigaku USA営業所を設立した
    • [61]1972年3月に支店化、同年7月にRigaku USA, Inc.として法人化した
    • [62]1951年12月の設立から20年後の1971年10月に、二代目社長のもとで米国マサチューセッツ州へ営業所を設けた
    • [64]1971年10月の営業所設立から1972年7月の法人化まで9か月だった
    • [65]1975年7月に東京都西多摩郡羽村町へ理学流通サービスセンターを設立した
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【事業の内容】
    • [66]既納製品に対する消耗品・交換部品の供給や修理・点検等のアフター・サービスを提供している
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [67]1978年に超強力X線発生装置RU-1500(90kW)を製品化した
    • [71]分析機器年表での理学電機の初出は1952年のロータフレックスで、1978年に90kWのRU-1500を製品化した
  • 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
    • [68]1968年機は60kV・500mAで30kW相当、1978年のRU-1500は90kWで、10年間に出力は3倍になった
    • [69]1978年設置の90kW級装置は回転陽極方式として世界最大級であり、20年後も世界チャンピオンと評された
    • [70]小野論文は当該装置を「名古屋大学実験施設(1978)」と記すのみで、装置名RU-1500を明示していない

X線回折と蛍光X線という二つの製品系列

理学電機のもうひとつの系列は大阪にあった。1961年[72]5月、大阪府高槻市赤大路町に設立した理学電機工業[73]は、蛍光X線分析を軸に独自の製品を並べた[74]。1964年に走査型蛍光X線分析装置IKF-3[75]、1968年に複数の元素を同時に測るサイマルティックスI型、1969年に計算機で制御する全自動蛍光X線装置CSXと超軟X線分析装置、1970年に放射性同位元素で励起する携帯型のポータリックスを出した。東京の理学電機がX線回折を、大阪の理学電機工業が蛍光X線を担う二本立ての構成[76]が、以後およそ半世紀続いた。

  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [72]1961年5月に大阪府高槻市赤大路町へ理学電機工業を設立した
    • [73]1961年5月に大阪府高槻市赤大路町へ理学電機工業を設立した
    • [76]理学電機工業は1961年5月の設立から2008年10月の統合まで別会社として存続した
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [74]理学電機工業は蛍光X線分析を軸に独自の製品系列を持った
    • [75]1964年IKF-3、1968年サイマルティックスI型、1969年CSXと超軟X線分析装置、1970年ポータリックスを製品化した

会社の数は事業の広がりとともに増えた。1975年に理学流通サービスセンター[77]、1978年に日本インスツルメンツ、1980年に理学瑞穂製作所、1983年に理学サービス、1989年に理学メカトロニクス[78]と、機能ごとに別法人を立てた。1985年4月には理学瑞穂製作所を東京都武蔵村山市伊奈平へ移し、1986年9月には東京都昭島市松原町にリガクを設立して、製造を担う理学電機と販売を担うリガクを分ける体制を採った[79]。1990年10月には山梨県北杜市須玉町に須玉工場を新設し[80]、1992年4月には昭島市にリガクX線研究所を置いた。

  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [77]1975年7月に理学流通サービスセンターを設立するなど、機能ごとに別法人を設けた
    • [78]1975年理学流通サービスセンター、1978年日本インスツルメンツ、1980年理学瑞穂製作所、1983年理学サービス、1989年理学メカトロニクスを設立した
    • [80]1990年10月に須玉工場を新設、1992年4月にリガクX線研究所を新設した
  • 設立はリガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】、製造と販売の分担はリガク公式サイト「グループ沿革」(2026年8月9日閲覧)
    • [79]1986年9月に東京都昭島市松原町へ販売会社の株式会社リガクを設立し、製造は理学電機、販売はリガクが担う体制とした

装置1台あたりの単価は高く、買い手は大学や研究機関、企業の研究部門に限られる[81]。小さな市場で高い占有率を握るというこの事業の性格[82]は、1980年代には社外からも名指しされていた。1987年12月には、その戦略が転機を迎えたとして日経ビジネス[83]の中堅・中小企業の欄に取り上げられた。競合はドイツのブルカーとオランダのパナリティカル[84]で、実質は3社の寡占に近い。2021年の時点で世界のX線分析装置市場は約2000億円、うち同社の占有率は約25%[85]、日本市場は約250億円で約60%[86]だった。装置を納めたあとにも商いは続いた。精密な機械を長く高い精度で使いたい顧客に対し[87]、消耗品や交換部品の供給、ハードとソフトの更新、修理や点検、予防保守の契約、機器の移設支援[88]を提供している。

  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【事業の内容】
    • [81]製品の販売先は大学や研究機関、企業の研究部門や品質管理部門及び製造部門である
    • [87]既納製品に対する消耗品・交換部品の供給等のアフター・サービスを提供している
    • [88]既納製品への消耗品・交換部品供給、ハード/ソフトの更新、修理・点検、予防保守契約、移設サポートをアフターサービスとして提供している
  • 日経ビジネス 1987年12月7日号
    • [82]日経ビジネスは理学電機を「小市場、高シェア」戦略の企業として取り上げた
    • [83]日経ビジネス1987年12月7日号が理学電機を「小市場、高シェア」戦略の企業として中堅・中小企業欄で取り上げた
  • MARR 2021年5月号(2021年4月15日)
    • [84]主要競合はドイツのBrukerとオランダのPANalyticalで、実質3社の寡占に近い
    • [85]2021年時点で世界のX線分析装置市場は約2000億円、リガクのシェアは約25%
    • [86]2021年時点で日本市場は約250億円、リガクのシェアは約60%
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
    • [72]1961年5月に大阪府高槻市赤大路町へ理学電機工業を設立した
    • [73]1961年5月に大阪府高槻市赤大路町へ理学電機工業を設立した
    • [76]理学電機工業は1961年5月の設立から2008年10月の統合まで別会社として存続した
    • [77]1975年7月に理学流通サービスセンターを設立するなど、機能ごとに別法人を設けた
    • [78]1975年理学流通サービスセンター、1978年日本インスツルメンツ、1980年理学瑞穂製作所、1983年理学サービス、1989年理学メカトロニクスを設立した
    • [80]1990年10月に須玉工場を新設、1992年4月にリガクX線研究所を新設した
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)
    • [74]理学電機工業は蛍光X線分析を軸に独自の製品系列を持った
    • [75]1964年IKF-3、1968年サイマルティックスI型、1969年CSXと超軟X線分析装置、1970年ポータリックスを製品化した
  • 設立はリガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】、製造と販売の分担はリガク公式サイト「グループ沿革」(2026年8月9日閲覧)
    • [79]1986年9月に東京都昭島市松原町へ販売会社の株式会社リガクを設立し、製造は理学電機、販売はリガクが担う体制とした
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【事業の内容】
    • [81]製品の販売先は大学や研究機関、企業の研究部門や品質管理部門及び製造部門である
    • [87]既納製品に対する消耗品・交換部品の供給等のアフター・サービスを提供している
    • [88]既納製品への消耗品・交換部品供給、ハード/ソフトの更新、修理・点検、予防保守契約、移設サポートをアフターサービスとして提供している
  • 日経ビジネス 1987年12月7日号
    • [82]日経ビジネスは理学電機を「小市場、高シェア」戦略の企業として取り上げた
    • [83]日経ビジネス1987年12月7日号が理学電機を「小市場、高シェア」戦略の企業として中堅・中小企業欄で取り上げた
  • MARR 2021年5月号(2021年4月15日)
    • [84]主要競合はドイツのBrukerとオランダのPANalyticalで、実質3社の寡占に近い
    • [85]2021年時点で世界のX線分析装置市場は約2000億円、リガクのシェアは約25%
    • [86]2021年時点で日本市場は約250億円、リガクのシェアは約60%

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

リガク・ホールディングスの沿革1951〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1951〜1970年戦前の会社を整理して再出発した国産X線装置メーカー(1951〜1970)志村義博国産X線装置の製造販売を目的に東京・有楽町で理学電機を設立★★★
志村義博回転対陰極型X線発生装置を開発★★
志村義博自動記録式X線回折装置を開発★★
志村義博自動記録式熱分析装置を開発★★
志村義博東京都昭島市松原町に拝島工場を新設
志村義博大阪府高槻市赤大路町に理学電機工業を設立★★
1971〜1995年二代目の継承と世界の専門メーカーへの成長(1971〜1995)志村晶米国マサチューセッツ州に営業所 Rigaku USA を開設★★
志村晶Rigaku USA を支店に格上げ
志村晶Rigaku USA を法人化し Rigaku USA, Inc. を設立
志村晶東京都西多摩郡羽村町に理学流通サービスセンターを設立
志村晶超強力X線発生装置 RU-1500 を開発★★
志村晶東京都文京区本郷に日本インスツルメンツを設立
志村晶東京都西多摩郡瑞穂町に理学瑞穂製作所を設立
志村晶大阪府高槻市赤大路町に理学サービスを設立
志村晶理学瑞穂製作所を東京都武蔵村山市伊奈平へ移転
志村晶東京都昭島市松原町にリガクを設立
志村晶東京都昭島市松原町に理学メカトロニクスを設立
志村晶山梨県北杜市須玉町に須玉工場を新設
志村晶東京都昭島市松原町にリガクX線研究所を新設
1996〜2020年買収による要素技術の内製化とグループの一本化(1996〜2020)志村晶米国テキサス州の Molecular Structure Corporation を買収★★
志村晶米国の Osmic, Inc. を買収★★
志村晶Rigaku USA が MSC を統合し Rigaku/MSC に商号変更
志村晶理学電機がリガクを統合し社名をリガクへ変更★★★
志村晶Osmic を Rigaku Innovative Technologies に商号変更
志村晶チェコ・プラハに Rigaku Innovative Technologies Europe を設立
志村晶リガクが理学電機工業を統合★★
志村晶中国北京市に理学電企儀器(北京)を設立
志村晶米国テキサス州に Applied Rigaku Technologies を設立
志村晶理学瑞穂製作所をリガク山梨に商号変更し山梨工場内へ移転
志村晶米国の Newton Scientific を買収
志村晶中国香港に Rigaku Asia and Pacific を設立
志村晶ドイツ・ベルリンに Rigaku Europe SE を設立
志村晶米国カリフォルニア州に Rigaku Raman Technologies を設立
志村晶ブラジル・サンパウロ市に Rigaku Latin America を設立
志村晶米国テキサス州に Rigaku Americas Holdings Company を設立
志村晶ポーランド・ヴロツワフに Rigaku Polska を設立
志村晶アジレント・テクノロジーズのX線回折事業を買収★★
志村晶シンガポールに Rigaku Asia Pacific を設立
志村晶イスラエルのXwinSys Technology Development買収と、半導体量産ラインのX線計測への参入

2019年7月、株式会社リガクがイスラエル・ミグダルハエメクのXwinSys Technology Developmentを買収し、X線技術に自動光学の3D・2D検査を組み合わせたハイブリッド計測を取り込んで、半導体の量産ラインで使うプロセス・コントロール機器へ参入した経営判断。

詳細を読む
★★★
志村晶Atom Investment が東京・丸の内にアトム・ホールディングスを設立
2021〜2026年共同出資による事業承継から事業会社株主への交代(2021〜2026)志村晶カーライル・グループとの共同出資による株式譲渡と、創業家持分約20%の残置

2021年1月6日、カーライル・グループが株式会社リガクの全発行済株式を新設持株会社を通じて取得することで合意したと公表した。売り手は全株式を保有していた創業家二代目の志村晶氏で、持株会社への出資はカーライル約80%、志村晶氏約20%の共同出資であった。事業会社への完全売却を選ばず、約20%を残して共同出資者として資本にとどまった事業承継である。

詳細を読む
★★★
志村晶株式交換によるリガクの完全子会社化★★
池田俊幸本社を東京都昭島市松原町へ移転
池田俊幸志村晶社長が会長へ退き池田俊幸氏が社長に就任★★
池田俊幸オランダの MILabs を買収★★
池田俊幸リガクが理学メカトロニクスと理学サービスを統合
池田俊幸英国マーシーサイド州に Rigaku UK を設立
池田俊幸リガクがリガク山梨を統合
池田俊幸フランス・ストラスブール市に Rigaku France を設立
川上潤川上潤氏が代表取締役社長に就任★★
川上潤Rigaku Latin America を閉鎖
川上潤中国上海市に理学電企(上海)儀器を設立
川上潤ブラジル・サンパウロ市に Rigaku do Brasil を設立
川上潤インド・ムンバイ市に Rigaku India を設立
川上潤米国5社を Rigaku Americas Holding へ吸収合併★★
川上潤台湾に支店として理学科技台灣分公司を設立
川上潤中南米の営業部門を Rigaku do Brasil へ移管
川上潤東京証券取引所プライム市場に上場★★★
川上潤台湾新竹県に理学股分有限公司を設立
川上潤米Onto Innovationとの資本業務提携と、カーライル系ファンド保有株27%の同社への譲渡

2026年4月21日、リガク・ホールディングスは米Onto Innovation Inc.との資本業務提携を開示した。筆頭株主のAtom Investment, L.P.が保有株のうち61,123,436株、議決権比率にして27.00%を同社へ譲渡することで両者が合意し、あわせてリガクとOnto Innovationが業務提携契約を締結した。譲渡の実行は関係当局の許認可取得後、2026年下半期を予定し、本稿の時点では完了していない。

詳細を読む
★★★
川上潤Atom Investment による株式2,958万株の売出し★★
出典・参考
  • カーライル・グループ プレスリリース 2021年1月6日
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】
  • リガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【事業の内容】
  • 設立はリガク・ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月24日提出)【沿革】、製造と販売の分担はリガク公式サイト「グループ沿革」(2026年8月9日閲覧)
  • 日経ビジネス 1987年12月7日号
  • 理学電機ジャーナル 28巻1号(1997年4月)千川純一「飛んで火に入る夏の虫」
  • 理学電機ジャーナル 29巻1号(1998年4月)星埜禎男「回折装置の思い出 ―理学電機との関わりを中心として―」
  • 日本結晶学会誌 40巻4号(1998年)小野勝男「強力X線発生装置の変遷」
  • リガクジャーナル 43巻2号(2012年10月)高良和武「現代結晶学100年にあたって」
  • MARR 2021年5月号(2021年4月15日)
  • 日刊工業新聞 2021年1月25日
  • 国立国会図書館サーチ 著者検索(志村義博)2026年8月9日取得
  • 国立国会図書館サーチ 書誌(NDLビブID 000008568244、請求記号 UT51-48-D1554)
  • 日本分析機器工業会「分析機器年表」(創立50周年記念)

免責事項およびポリシー