古野電気の始まりは1938年4月、古野清孝氏が長崎県南高来郡口之津町に古野電気商会を興し、船舶電気工事業を始めたことにある[1]。事業はラジオ修理業から始まり、漁船が夜の操業で灯す集魚灯の修理までを請け負った[2]。漁業を近代化したいという思いから、古野清孝氏は弟の古野清賢氏とともに魚群探知機の開発に挑んだ[3]。当時の漁業には海の中を見る方法がなく、魚がどこにどれだけいるかは船頭の経験と勘だけを頼りにしていた[4]。
古野清孝氏は、海の中が見えないまま漁を続けるのはレントゲンなしに結核を診察するようなものだと考え、海の中が見える機械をつくれないかと開発に取りかかった[5]。手がかりは戦時中の集魚灯の仕事にあった[6]。魚が集まると気泡が出ると聞いていたため、気泡ならば超音波でわかるかもしれないと発想した[7]。当時は、戦争中に鉄の塊である潜水艦の反響さえつかめなかったのに、ほとんど水でできた魚群を探知できるはずはない、というのが定説だった[8]。実験を重ねるうちに記録がいつもと違う日があり、そこで網を入れると大漁になった[9]。古野清孝氏はこれに自信を得て研究を進めた[10]。
そして1948年12月、古野清孝氏は魚群探知機の開発と実用化に成功した[11]。世界で初めての魚群探知機の実用化である[12]。開発の着手から3年半、初の実地試験からは1年8か月が経っていた。
実用化に成功しても、魚群探知機はすぐには売れなかった[13]。古野清孝氏は、何よりも困ったのは漁業者になかなか信用してもらえなかったことだったと振り返っている[14]。水産試験場へ持ち込んでも冷笑され、『タンチキではなくインチキではないか』[引用元]とまで言われた[15]。世界のどこにもなかった機械であり、疑われるのは無理もないと古野清孝氏はみている[16]。とりわけ漁船の船頭は長年の経験と勘に誇りを持っており、説得は難航した[17]。古野清孝氏は機械の改良に苦労を重ね、試行錯誤の末に魚の種類や量を言い当てられるようになった[18]。
言葉で性能を説明しても漁業者の見方は動かず、この状況を変えるには実際に魚を獲ってみせるしかなかった[19]。古野清孝氏は自社の幹部をにわか船頭に仕立て、五島列島で3か月連続の漁を行い、長年の経験と勘を頼ってきた保守的な船頭たちを啓蒙した[20]。水産試験場の評価でも売り込みの言葉でもなく、同じ漁場に出た船の水揚げで効き目を示す方法である。
魚群探知機の実用化から半年後のことであり、開発の着手からは4年が過ぎた。この一隻の成績が漁業者の見方を変え、機械は試作の域を出て売り物になった。1台60万円という高額の機械でありながら、魚群探知機への認識は全国で高まり、急速に普及した[21]。機械が海中の魚の位置を示すという方法は、戦後日本の漁業の効率化と漁獲量の増加につながった[22]。口之津町で船舶電気工事業を始めてから11年で[23]、古野清孝氏の会社は自社の計器を全国の漁船へ売る事業を持った。
1948年12月、古野清孝氏は魚群探知機の実用化を機に合資会社古野電気工業所を創立し、本拠を口之津町から長崎市へ移した[24]。新会社は魚群探知機の製造と販売の両方を自ら担った[25]。船の電気工事を請け負う商会から、自社で開発した機械を作って売る会社への切り替えである。会社の沿革は1938年4月の古野電気商会の創業を始まりに置くが[26]、製造業としての事業が始まったのは実用化と同じ1948年12月で、創業から10年8か月を数えた。合資会社古野電気工業所は、のちの古野興産にあたる[27]。『古野電気』の名を冠した法人は、この時点では合資会社古野電気工業所だった[28]。
1951年5月、神戸市長田区に水産電気工業が発足した[29]。資本金100万円で設立され、この会社も長崎と同じ魚群探知機の製造を始めた[30]。長崎の合資会社古野電気工業所とは別の法人として登記され、魚群探知機を作る会社が長崎と神戸の2か所に並んだ[31]。同年8月には古野電気を設立し、合資会社古野電気工業所の事業一切を新会社へ継承させた[32]。1938年の創業から17年、口之津町で船の電気工事を請け負っていた商会は、魚群探知機を看板とする株式会社へ姿を変えた。
古野電気の営業品目は、魚群探知機の1本から音響測深機・無線通信機・ロラン受信機・舶用レーダー・方向探知機へ広がった[33]。品目が増えるのと並行して、生産と本社の所在も長崎から阪神へ動いた。西宮工場の第1期工事が1961年12月に兵庫県西宮市で完成し、古野電気はここを本拠とした[34]。1964年5月には本社を長崎市から西宮市へ移転[35]。1968年12月には西宮の本社社屋が完成した[36]。ただし登記上の本店は、本社機能が西宮へ移ったあとも1980年5月27日まで創業地の長崎県南高来郡口之津町丁4160番地に置かれた[37]。
1967年3月4日、古野電気は東京都中央区の東京支社で新製品の展示説明会を開いた[38]。会場に並べたのは、水平方向の魚群を記録してPPIスコープに表示するソーナーFHシリーズ、天気図や海況図を自動で受画する舶用ファクシミリFA-14、電波の到来方向をダイアル1つで測る直視式無線方位測定機FDA-1を中心に、150MC送受信機DE-1型、中型レーダーFRA-40、音響測深機FD-2、普及型ネットレコーダーFNR-3、ポータブル魚群探知機FG-1、テレサウンダーを含む12機種である[39]。古野電気はこのとき『アイディアと技術を売る会社』[引用元]を掲げ、舶用電子機器の総合メーカーを目標に置いていた[40]。
ソーナーFHシリーズは、送受波器を全方向へ遠隔制御でき、任意の範囲内で角度を限定した自動首振りによって魚群を追跡した[41]。送信する超音波パルスの幅は長短6段に切り換えられ、探知したい距離に応じて選べる[42]。送受波器の伏角を任意に設定できるため、水平方向の魚群探知にも従来の垂直魚探にも使えた[43]。舶用ファクシミリFA-14は、無線受信機が放送電波をとらえると記録機構が自動で起動し、信号が止まれば停止する回路を備え、天気図・海況図に加えて漁況情報を紙に落とした[44]。古野電気は環境試験機や振動衝撃試験機を社内に置き、新しい技術の実用化を率先して進める方針を取った[45]。
魚群を映せても自船の位置がわからなければ漁場に戻れないため、古野電気はロラン受信機に続いて衛星航法システムの受信装置も手がけた[46]。この装置は衛星からの電波をとらえて自船の位置を高い精度で測るもので、ほかにない表示装置を備え、小型船から大型船まで装備された[47]。舶用レーダーには別の制約があった。登場した当初のレーダーは重すぎて小型船には積めず、装備できるのは大型船に限られていた[48]。古野電気の技術陣はこの難問に挑み、レーダーの小型化・低価格化・高性能化を実現して、小型船にも載る舶用レーダーを世に出した[49]。漁船はこれを暗夜や濃霧のなかを安全に走るための装置としてだけでなく、島や半島の映像から漁場を確認する漁撈計器としても使った[50]。
1967年、古野電気のレーダーは米国および西独の型式検定に合格した[51]。日本では小型レーダーの輸出は不可能というジンクスが業界にあったが、古野電気はこれを破り、輸出高が順調に伸びた[52]。古野清孝社長は1982年10月14日の講演で、この合格が日本のレーダー輸出の道を開いたと述べている[53]。米国での評価は賞にも表れた。魚群探知機部門では1972年に全米舶用電子機器協会(NMEA)の最優秀メーカー賞を受け[54]、その後11年連続で同協会の最優秀賞を受けた[55]。レーダー部門では1977年に最優秀メーカー賞を英国のデッカ社と二分し、翌1978年からはこの賞を独占して6年連続で受賞した[56]。
販売拠点も海外へ置いた。1974年7月にノルウェーへFURUNO NORGE A/Sを設立し[57]、1978年10月に米国のFURUNO U.S.A., INC.[58]、1979年には英国のFURUNO(UK)LTD.が加わった[59]。米国と英国の子会社は100%出資、ノルウェーは合弁で、ほかにラスパルマスなど7カ所へ海外駐在所を構えた[60]。輸出先は米国・カナダ・欧州・アジア・中近東・ニュージーランド・オーストラリアなど110カ国に及んだ[61]。日本で生産して外国メーカーのブランドで売るOEMが一般的だったなかで、古野電気は技術水準の高い一流業者と代理店契約を結ぶ直販体制を取り、一貫して自社のフルノブランドで売った[62]。
古野電気の商品は、据え付けただけでは成果が出ない。古野清孝社長は、漁撈計器や航海計器は効果そのものを買ってもらう商品だとして、利用技術の指導をコンサルティング・サービスとして販売に組み込んだ[63]。国内では北海道から沖縄まで全国71カ所に販売・サービス網を配した[64]。サービス員は漁の時間に合わせて各地の漁港を訪れ、聞き取った声を製品づくりのデータに使った[65]。各地には展示車を巡回させ、説明会も開いた[66]。青森県八戸市のある船主は、入港すると古野電気の人が来て魚群探知機の記録紙を見ながら使い方を尋ね、こう使ったほうがよいと教えていくと語った[67]。
生産設備は西宮の外にも伸び、1979年12月に兵庫県三木市で三木工場の第1期工事が完成した[68]。その翌年、会社の法人格が入れ替わる。1951年5月に神戸市長田区で資本金100万円の水産電気工業として設立され、魚群探知機の製造を始めていた会社が、1980年1月4日に商号を古野電気へ変更し[69]、1980年3月1日を合併期日として旧古野電気を形式上吸収合併した[70]。古野電気は有価証券報告書の沿革で、実質上は被合併会社である旧古野電気がそのまま存続しているのと同様の状態にあると注記している[71]。沿革の本表は実質上の存続会社である旧古野電気について記し、1951年設立の水産電気工業は末尾の参考欄にだけ現れる[72]。
1982年10月、古野電気は大阪証券取引所市場第二部に株式を上場した[73]。直前の1982年2月期は売上高313億円、経常利益23億円[74]。売上構成は航海計器40.3%(うち輸出22.5%)、漁撈計器28.9%(同10.8%)、無線通信装置8.6%(同2.7%)、その他22.2%(同4.2%)で、魚群探知機を含む漁撈計器より航海計器の比率が大きい[75]。古野清孝社長は上場直後の1982年10月14日、大阪で開かれた日本証券アナリスト協会企業分析部会で、1983年2月期に売上高340億円・経常利益25億5,000万円を見込むと述べ、配当20%に加えて少なくとも20%の無償交付を株主へのプレミアム還元として考えていると語った[76]。
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|---|---|---|---|---|
| 1938〜1955年海の中を映す機械──口之津町の集魚灯から世界初の魚群探知機へ | 古野清孝が長崎県南高来郡口之津町に船舶電気工事業の古野電気商会を創業 | ★★ | ||
| 魚群探知機の開発・実用化に成功 | ★★★ | |||
| 長崎市に古野電気工業所を創立 | ★★ | |||
| 神戸市長田区に水産電気工業を設立 | ★ | |||
| 古野電気工業所の事業一切を継承して古野電気を設立 | ★★★ | |||
| 1956〜1982年魚群探知機の1品目から舶用電子機器の総合メーカーへ | 兵庫県西宮市に西宮工場第1期工事が完成 | ★ | ||
| 本社を長崎市から兵庫県西宮市に移転 | ★★★ | |||
| 西宮本社社屋が完成 | ★ | |||
| ノルウェーにFURUNO NORGE A/Sを設立 | ★★ | |||
| 米国にFURUNO U.S.A., INC.を設立 | ★ | |||
| 兵庫県三木市に三木工場第1期工事が完成 | ★ | |||
| 水産電気工業が商号を古野電気に変更 | ★ | |||
| 旧水産電気工業が旧古野電気を形式上吸収合併 | ★★★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★★★ | |||
| 1983〜2007年漁船の魚群探知機からタンカーの船橋とカーナビ用GPSまで | 大阪証券取引所市場第一部に指定替え | ★ | ||
| 東京都八王子市の協立電波を買収 | ★ | |||
| 東京都新宿区にフルノシステムズを設立 | ★ | |||
| 兵庫県西宮市にフルノINTセンターが完成 | ★ | |||
| 古野清之 | 中国に大連古野軟件有限公司を設立 | ★ | ||
| 2008〜2026年ETC特需の消滅と防衛省への返納金、その先の売上高1,406億円 | 古野幸男 | 米国のeRide, INC.を買収 | ★★ | |
| 古野幸男 | シンガポールのRICO (PTE) LTDを買収 | ★★ | ||
| 古野幸男 | 現物市場統合に伴い東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 古野幸男 | ニュージーランドのElectronic Navigation LTDに資本参加 | ★★ | ||
| 古野幸男 | eRide, INC.を清算 | ★ | ||
| 古野幸男 | 東京証券取引所の新市場区分化に伴いプライム市場に移行 | ★ | ||
| 古野幸男 | フルノ九州販売及びフルノ関西販売を吸収合併 | ★ |
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事実根拠:出所(古野電気)